53.5 圭と観察日記
ここは公立佐山高等学校――。
茶髪くんこと上島竜司とチョンマゲくんこと原田透は大親友の機嫌を窺っていた。
「圭くーん。どったのー? 朝から機嫌悪くねー?」
透はチョンマゲを揺らしながら尋ねる。
2人の大親友であり、校内1男らしい男、楠原圭は本日学校に来るや否や、席について溜息ばかり吐いているのだ。
いつもなら爽やかにクラスメイトに話しかけ、竜司や透たちと馬鹿な話をしたり、宿題を写したりするはずなのだが――。
「別に。なんでもねーよ」
圭はそう言って再び溜息をつく。
2人は顔を見合わせて、目を細めた。
「姉貴に何かあったかー?」
「は?」
竜司は予想を口にしてみたのだが、的中してしまったらしく、圭にものすごい形相で睨まれた。
「なんとなくそう思っただけだからな! このあいだお世話になったばっかりだし、なんかあったら俺も役にたちたいなーって!」
竜司は急いで言葉を取り繕った。透は目を閉じて、これ以上圭の逆鱗に触れないように黙る。
2人は圭の機嫌を直すのに必死だった。
圭がこんなに機嫌を悪くすることもないし、悪くしても圭は滅多に表に出さないのだ。
「はあ……。俺のせいで芽榴姉に迷惑かけるとかありえねー」
圭はそう言って机に伏した。
2人の予想通り、圭の悩みの種は圭の姉だった。
その日は一日中、圭は元気がなかったが、次の日にはいつもの圭に戻っていた。
「楠原くん。隣いい?」
ある日のお昼休み。竜司と透、そして圭が食堂で昼食をとっていると女生徒が2人やってきた。
もちろん、どちらも圭狙いということは圭以外の2人はすぐに気が付いた。
「あー、別にいいけど」
何も知らない圭はそう返事して、圭の両サイドに女生徒たちが座った。
2人は竜司や透には目もくれず、圭にばかり話しかけていた。竜司と透は恨めしそうにそれぞれパンとラーメンを黙々と食べていた。
「圭くん、いつもお弁当だよね?」
女生徒の1人がそう問うと、圭は満面の笑みで頷いた。
「俺の姉ちゃんが作ってくれるんだ。超うまいよ?」
そう言って圭は美味しそうに芽榴の漬けた野菜を食べていた。
話しかけた女生徒も手作り弁当で、おそらく圭に食べてもらいたかったのだろう。
こういうことが初めてではないため、竜司も透もそれにすぐに気付いてしまい、気まずいのだ。
「な、なあ! その弁当美味しそうじゃん! 食わせてよ!」
透が気をつかってそう言うと、女生徒はキッと透を睨んだ。
「うっさいわよ! あんたに作ったんじゃないんだから!!」
そう叫んで女生徒は弁当を持って走って行った。
もう一人の女の子も居づらくなってしまい、その女生徒を追いかけて食堂からいなくなってしまった。
いきなり両サイドの女生徒がいなくなり、圭はキョトンとしていた。
「何かあったのか?」
「圭。お前の頭の中は平和だよ、本当」
竜司はそう言って涙目の透の肩をポンポンと叩いた。
部活の時間になり、3人は部室に行った。
すると、ちょうどマネージャーの一人が脚立から足を滑らせて倒れてしまったところだった。
「いった……」
足を押さえて泣きそうなマネージャーを見てあたふたする竜司と透をよそに、圭はそのマネージャーを抱きかかえた。その場にいた竜司と透、そして他のマネージャーの女子もみんな目を丸くして驚いていた。
抱きかかえられた女子は泣き止んで顔を真っ赤にしていた。
「保健室連れてくわ」
圭は急いでその女生徒を保健室に連れて行った。
「楠原くん、ヤバッ! 超イケメン!」
「うちも抱っこされたーい」
「あんたらも見習いなよ」
先輩マネージャーにそんなことを言われ、竜司と透はいつものように溜息をつくのだった。
部活が終わると、圭は陸上部の美人な先輩に呼び出されて校舎裏に向かった。
いつも部活の時にグラウンドで会うため、圭とその先輩はかなり親しいのだ。
そんなおいしい状況を竜司と透が見逃すわけもなく、2人は急いで圭のあとを追いかけた。
校舎裏のベンチに圭と美人な先輩が座っていた。
2人の話が聞こえる程度のところで竜司と透は茂みに隠れた。
「楠原くんってさ。彼女、いる?」
「いないっすよ」
圭は苦笑する。先輩は「えー、嘘だあ」と嬉しそうに笑っていた。
「じゃあ、あたしとか……どうかな?」
「え?」
圭は本当に驚いたように先輩を見ていた。先輩の顔はうっすらと赤く染まっていて、それが冗談でないことはさすがの圭にも分かったのだ。
「気持ちは嬉しいっすけど……すみません」
圭は申し訳なさそうに、それでもはっきりと返事をした。
先輩もどこか、分かっていたようで小さく息を吐いた。
「楠原くん、結構モテるのに絶対彼女を作らないじゃない? 好きな人がいるの?」
先輩の言葉に圭の瞳が一瞬大きく揺らいだ。
そして圭は目を閉じて、ゆっくりと頷いた。
「でも、一生叶うことはないんすよ」
「そんなこと……」
「謙遜とかじゃないっす。あの人の目に俺が男として映ることは絶対ないっすから」
圭は寂しそうに言った。
「それなら尚更……あたしにしたらいいじゃん。あたしは二番目でもいいよ?」
先輩はそう言った。
確かに叶わないと分かっているなら、先輩の申し出を受けるのが正しい選択なのだ。こんなに美人で性格のいいステキな女性が2番でいいと言っている。断るなど、どうかしている。
そう分かっていても、圭はやはり首を振った。
「それでも、あの人に相手ができるまでは夢を見ていたいんすよ」
圭はそう言って笑った。
竜司と透は圭と先輩の話をそこまで聞いてその場から去った。
しばらく2人は黙ったままだった。
「なあ、竜司」
チョンマゲを揺らしながら、透は隣を歩く竜司に話しかけた。
「圭の好きな人って、やっぱ……」
透はそのつづきを言うのを渋った。竜司もそれを理解して頷いた。
「ありえねーってずっと思ってたけど。シスコンって言葉じゃ言い切れねーよな」
2人はそんな会話を交わして部室に戻った。
それからしばらく経ったある日。
朝練の途中で校門のほうがやけににぎやかになった。
竜司と透はそちらに目を向け、急いで圭のところに駆け寄った。
「圭、姉ちゃん来てるぞ!」
透の言葉に圭はずっと続けていたリフティングをやめ、校門のほうに駆け出した。
キャプテンが圭を止めたが、圭は「すみません!!」と言って猛ダッシュで門のほうに行った。
校門では麗龍の生徒が来たと少し騒ぎになっていた。
「芽榴姉! どうしたんだよ!!」
注目の的になっている芽榴のもとに駆け寄り、圭は慌ててそう尋ねた。
「はい、お弁当ー」
麗龍の制服を着ている芽榴を見るのは久々だった。
「今日、久々の登校だろ? わざわざこっちに持ってこなくても」
「せっかく作ったんだから食べてほしいなー」
芽榴は少し可愛く言ってみせ、ハハハと楽しげに笑った。そんな芽榴を圭は恨めしそうに見た。
「芽榴姉……」
「じゃ、朝練がんばー」
「いや、学園まで送るよ」
背を向けた芽榴の腕を圭は掴んだ。
芽榴は一瞬目を見開いてすぐに溜息をついた。
「部活のみなさんに迷惑をかけないのー。私、走るし。走ったら圭を置いてっちゃうし、意味ないでしょー?」
芽榴は平然とした顔で言う。圭もそれに反応できなかった。
事実、サッカー部のレギュラーである圭よりも芽榴は足が速い。
圭は残念そうな顔をして芽榴を見送った。
「じゃーね、圭」
芽榴は圭にヒラヒラと手を振り、走り去っていった。
「ほんと、かなわねーな」
圭は苦笑しながらポツリとつぶやいた。
しばらく芽榴の後姿を見つめていた圭のそばに竜司と透が寄り添ってきた。
「圭、俺は応援してるぞ」
透がそう言い、圭は「は?」と意味が分からないと眉を顰めた。
楠原圭はモテるのに鈍感で、することがいちいちカッコよくて性格もいい。1年にしてあっさりサッカー部のレギュラーも獲得して文句なしのいい男だ。
でも、誰もが羨む彼は誰よりも辛い恋心を抱いているのだ。
「そんなお前だから、友達でいたいって思うんだよな」
竜司はそう呟いた。
圭の恋が報われるときがくればいい――。
竜司と透は心の底からそう思うのだった。