※Episode2 ドッジボールと強運少女
2年生になってもうすぐ1ヶ月。
「次の相手は3年生かー……」
新しいクラスにも慣れ始めたこの時期に、麗龍学園高等部で行われているのはクラスマッチ。通称・親睦ドッジボールだ。
対戦表を見て、芽榴は深いため息を吐く。今さっき、F組女子は1回戦を終えたばかり。相手が1年生ということもあって、なんとか勝つことができた。
「はぁー……」
「あんた、その今にも負けそうな溜息やめてよ」
何度目か分からない溜息を吐く芽榴に舞子がそんなふうに声をかけた。
「だって3年生だよー? 魔球みたいなの投げてくる人いるじゃん。ステップから違うもんね。あれ当たると痛いよ、たぶん」
芽榴は遠い目をして言う。上級生の投げるボールを思い出し、それだけで体が痛くなった。
「よく言うわよ。当たらないくせに」
「へへっ、名付けて『姿くらまし作戦』だよー」
「ただやる気ないだけでしょ!」
舞子の指摘に芽榴は「そんなことないよー」と言って笑う。やる気がないのは芽榴の基本スタンスだ。ドッジボールに限った話ではない。
「じゃあ、次は捕る努力をするよ。ビビっちゃうけどね、絶対」
芽榴はそんなふうに言って、舞子とともに2回戦へと向かうのだった。
ジャンプボールから始まるドッジボール。
芽榴はコートの片隅にポツリと立っている。そのポジションは外野にボールが回った時点で確実にボールをぶつけられてしまう立ち位置だ。
「楠原さん……ある意味すごいよね……。あそこにいて当てられないんだもん」
「確かにあそこまで堂々と突っ立っていられたら内野なのか迷うし、当てるの躊躇するわよね」
舞子とF組のクラスメートが芽榴のことを見つめて言う。1回戦もそうやって立ち尽くしたまま、無事に試合は終わったのだ。
「今回も生き残りそうだね、楠原さんは」
「そうねぇ……」
クラスメートとボールを避けながら舞子は呟いた。
10分経過し、徐々にF組の女子がコートから消えていく。芽榴はというと、2人の予想通りドッジボールに参加しているのか疑問になるくらい平然とした顔でコートに突っ立っていた。
残り時間と内野の人数的に今回は3年生の勝ちになるだろう。このまま突っ立っていれば無事にドッジボールも終わり。そんなふうにのんきに考えていた芽榴だが、突如あがった声に思考が停止する。
「あ、風雅くんだぁ! 風雅くーん!!」
3年生の外野女子がドッジボールそっちのけで体育館のキャットウォークに視線を移す。どうやら芽榴が対戦している3年生のクラスには風雅ファンがたくさんいるらしい。おかげでボールの動きが一旦停止した。
「え、あぁ、先輩」
キャットウォークにいるイケメンこと風雅は、下でドッジボールをしている先輩女子に笑顔を向ける。珍しく彼の周囲には女子がいなかった。
「頑張ってくださいね……って、あぁーーーっ!」
風雅はイケメンスマイルを振り撒いた直後、その先輩たちがドッジボールをしているコート内を確認し、叫び声をあげた。
その叫び声を耳にした芽榴は、サーッと顔を青くするがあくまで気づかないフリを突き通す。
が、現在お気に入りである芽榴を彼が見落とすはずもない。
「芽榴ちゃんだ! 頑張れーーっ!」
芽榴の悪足掻き虚しく、ご丁寧に風雅は芽榴の応援までしてくれているのだ。
「あちゃあ、終わったわね。うちのエース」
すでに外野に行っている舞子はそんなふうに言って、芽榴に同情の眼差しを送る。といっても学園一のイケメンに応援されていることに関しては素直に羨ましいらしく、その視線には羨望も含まれているのだ。
「芽榴……誰それ」
「あはははは……」
近くで聞こえる3年生の不満げな声に芽榴は苦笑するしかない。その顔には冷汗が滲んでいるくらいだ。
「芽榴ちゃーん! 2つ結びも似合ってるよーっ!」
応援ではなく、もはや発言が愛の告白レベルだ。風雅が芽榴にアタックしているのを見るのが初めてではないF組女子は羨ましそうに芽榴を見るが、本物の風雅ファンである3年生女子はそうじゃない。
「2つ結び……?」
ちなみに、現在F組で2つ結びをしているのはF組の真面目委員長と芽榴だけ。そして風雅の視線はあきらかに委員長とは正反対の方向にある。つまり、風雅が応援している『芽榴』という少女は一目瞭然。
「はははー。蓮月くん、黙ってー」
バレてしまったからには仕方ない。芽榴はキャットウォークを振り返り、満面の笑みで風雅に言う。
そしてドッジボール再開。
もちろん3年生の狙いは一点に絞られている。
「はぁ……蓮月くんのバカ」
芽榴は困り顔で、溜息を吐く。3年生にボールが回り、確実に芽榴を仕留めるため、クラスで一番強い女生徒にボールが回った。
「楠原さん、逃げろーっ」
「いやいや、あんな速いボール避けられないよー」
クラスメートが言うが、芽榴は変わらずのんきにそう言って自分の決めた場所から動かない。
先ほど芽榴の称していた『魔球』が今まさに芽榴の目の前に飛んでいく。
「やば、手元が……っ!」
「芽榴ちゃん、危ない!!」
女生徒の手元が狂い、ボールがすっぽ抜けた。そのボールは芽榴の顔に向かって飛んでいき、風雅が思わず叫ぶ。
何人かの女子はその光景に目を瞑った。
バンッ
芽榴は顔の前でボールを捕らえる。しかし、ボールを掴んでいたのはほんの一瞬、すぐに芽榴はそのボールをぽてんと音を立てて落とした。
響いた音からして、投げられたボールの威力は確かだ。顔に当たるのを避けただけでも、ミス平均の芽榴にしては上出来。
ピッとタッチアウトの笛が鳴り、芽榴は外野へと回る。3年生チームが喜んでいる隣で、舞子が芽榴に駆け寄った。
「芽榴、大丈夫!?」
「手が痛いよー。捕る努力してみたけど、無理だった」
「あんなの、ドッジ得意な人でも捕りづらいわよ!」
肩を竦める芽榴を、舞子がそんなふうに言って慰める。あれは捕れなくても仕方がないボールだった。
「……芽榴ちゃん、怪我してないかな」
外野に回る芽榴を上から見つめ、風雅は呟く。
「蓮月くん、どうしました?」
「あ、有利クン」
風雅の元に、同じく生徒会役員の有利がやってきた。2人とも今は試合がないらしく、役員として見回りをしているのだ。
風雅の隣に立ち、彼の視線の先を見て、有利は納得したような顔をする。
「楠原さん、もう外野ですか?」
外野にノンビリした態度で立っている芽榴を見て、有利は少しだけ不思議そうに尋ねた。風雅は芽榴のことを見つめながら、それに頷いた。
「うん、オレが騒いじゃって……。後で謝っとく」
「あんまり楠原さんに迷惑かけないであげてください」
いまだに芽榴は風雅と追いかけっこをしているらしく、頻繁に罰則を受けている。風雅が会いにきて脱兎のごとく逃げる女子は確かに芽榴くらいだろう。風雅に気に入られる=ファンからの視線が痛いというのは絶対的法則なため、芽榴の行動も理解できなくはない。
けれども有利は、風雅が女子を見てこんなに幸せそうな顔をする姿など今まで見たことがない。だから芽榴には申し訳ないと思いつつも、風雅への忠告は甘くなってしまう。
「でもファンの子のことを考えずに騒ぐなんて、蓮月くんらしくないですね」
有利は風雅と同じように芽榴を見つめながら言う。それは今に限った話ではなく最近の風雅の芽榴に対する行動すべてに対する話だ。
言われた風雅は目を見張り、そしてすぐに目尻を下げた。
「なんだろうね、この感覚。初めてなんだ。周りが全然見えなくなるくらい夢中になんの」
「……夢中、ですか」
確かに今の風雅にピッタリな言葉かもしれない。
「芽榴ちゃんの才能かなー。会うたび惹かれるんだけど」
芽榴は本当に普通の女の子。それは風雅も有利も分かっている。一緒にいる時間が増えるにつれ、それを実感してしまう。しかし、芽榴の纏う雰囲気や発する言葉は独特なのだ。
「それは……分からなくもないです」
「え」
有利の同意の言葉に、風雅は焦ったような顔をする。有利はそんな風雅の様子を無視して、ただジッと平凡な二つ結びの女の子を見つめていた。
「有利ク…」
「あ、F組女子の試合終わったみたいですよ」
風雅が何かを言おうとする前に、有利が告げる。それを聞くと、風雅の思考はすぐにそっちに移った。
「芽榴ちゃんのとこ、行ってくる!」
「騒がないようにしてくださいね」
有利の話がちゃんと聞こえていたかは分からない。風雅はそのままキャットウォークを降りて、芽榴のところへと走っていく。
「有ちゃん、何してるの? 次試合でしょ?」
一人になった有利の背後から、綺麗な声がする。
振り向いた先にいる人物は彼の予想通り、可愛らしい装いの柊来羅だ。
「蓮月くんがここにいたので、一緒に試合観戦を」
「役員の試合はまだないでしょ? 他の人の試合見るなんて、珍しいわね」
そう言って、来羅は有利が先ほどまで見下ろしていた場所へと視線を向ける。
「あぁ、あの子……風ちゃんの」
来羅は手すりに肘をつき、階下を見下ろして一人の少女をそう称する。
すでに試合は終わっているようだが、そこはまだ騒がしい。
「芽榴ちゃん、本当に大丈夫!?」
「うん、大丈夫。だから、手を離そうねー」
「保健室行こうよ。連れて行くから」
「私より先に、蓮月くんはまず病院に行こうかー」
「え、オレはどこも怪我してないよ? あ! もしかして芽榴ちゃん、オレのこと心配してくれてるの!?」
「違う……って、抱きつくなーっ!」
2人の視線の先では、ただでさえ目立つ風雅が暴れている。お相手の女子は一人でいたら絶対に目立つことのないような子だ。
「楠原さん……後で僕からも謝っておいたほうがよさそうですね」
風雅の様子を見ながら、有利は溜息まじりに呟く。そんな有利を横目に見て、来羅は「ふーん」と感情の読み取れない返事をした。
「……普通な子よね」
「柊さんも、楠原さんのことを知ってるんですか?」
「知ってるっていうか……話したことはないけど、調べてるから」
そう言って、来羅は有利に笑いかける。有利はそれに納得して首を竦めた。
「あ、有ちゃんもあの子を気に入ってるんだっけ?」
「蓮月くんほどじゃないですよ。ただ……」
有利は芽榴に視線を向けたまま、言葉を連ねる。
「うまく言えませんけど、彼女は他の人と波長が違う気がします」
真剣な顔で有利は言う。それが面白くて、来羅はまた「ふーん」と言って笑う。今回の声音からは好奇心が読み取れた。
「……それより、早く行かないと試合遅れちゃうわよ」
「ですね。次の相手は……A組ですか」
「そ、皇帝様との対決。翔ちゃんが眼鏡をこう押し上げて『事実上の決勝戦か』って言ってたわよ?」
「ハードルあげないでほしいです」
来羅は翔太郎のモノマネをしながら楽しげに告げるが対する有利は困り顔。といっても試合が始まればすぐに有利から弱気な言葉は一切なくなってしまうのだ。
そんな会話をしながら2人はキャットウォークを降りて試合会場へと向かった。
そして、階下ではいまだに芽榴と風雅は押し問答を繰り広げていた。
「蓮月くん、もう本当に大丈夫だから。それよりキミ、試合は? ないの?」
「うん、オレはない……あ!」
「……?」
「今から颯クンと有利クンの試合だ!」
「そう。じゃあ、応援に行ってあげ」
「芽榴ちゃん、行こっ! 始まっちゃう!」
風雅を送り出そうとした芽榴だが、なぜか一緒に引っ張られて行ってしまった。
芽榴たちが試合をしていた隣反面で行わられるのが『事実上の決勝戦』だ。
同じ役員の試合であるため、風雅は堂々と観戦するのかと思いきや、芽榴は体育館の隅の目立たないところに連れて行かれた。
「ここ、見にくいんじゃない?」
芽榴は指摘する。親睦ドッジには試合スペースの近くに観戦スペースが設けられており、そこからのほうがジックリ試合を見ることができる。今、芽榴たちがいるのはそのスペースとはかけ離れたところ。つまりは、観戦には適さない場所だ。
「うん、そうなんだけど……。ファンの子に見つかって騒ぎになると颯クンに殺さ……怒られちゃうから」
言い直す前の言葉がすごく恐ろしいものだった気がする。しかし、芽榴はそれをスルーすることにした。さっきの試合のこともあり、確かに風雅ファンは一度騒ぐと収まらない、かつ、うるさい。
そんなわけで、芽榴は風雅と目立たないように試合観戦を始める。
開始の合図とともに、コートは戦場と化した。基本、ボールの支配者は颯と有利だ。そして彼らが投げたボールは必ず誰かしらにぶつかっていく。
「……ドッジボールって、こんなに恐ろしい競技だっけ」
「ははっ。あの2人は特殊だよ」
風雅は友人2人の凄まじいボールの投げ合いを楽しそうに見ている。早々にして有利と颯だけとなったコート内を芽榴は半目で見つめていた。
「藍堂くんって、運動神経いいよね。意外に力持ちだし」
芽榴は有利のことを見ながら言う。最近はよく罰則を手伝ってもらっているのだが、華奢な体つきのわりにかなり力持ちだ。このドッジボールといい、体力測定といい、運動神経も感嘆するレベル。
芽榴が感心している隣で、風雅は苦笑していた。
「あの2人が本気で戦ったらたぶん本当の戦場になっちゃうよ、ここ」
「え?」
芽榴は風雅に言われ、すぐに彼の顔を見上げた。まるで2人が本気ではないような言い方なのだ。
「有利クンはあれでも十分本気だけど、あともう一段階上があるし。同等のハンデとして颯クンは足に重石つけてるんだよ」
「……あれで?」
有利についてはその設定自体、芽榴にはよく分からない。けれども颯に関しては片足1kgの重石を両足につけているとは思えない軽い身のこなしだ。
「これ、決着つかないんじゃないのー?」
「うん。オレもそう思う」
芽榴が試合を見ながら素直な感想を口にすると、風雅は苦笑しつつも芽榴の意見を肯定した。
「それより、芽榴ちゃん」
「何」
「今度はポニーテールにしてみて」
風雅が芽榴の二つ結びした髪を触りながら、そんなことを言う。芽榴は試合に向けていた顔を風雅に向け直すが、その顔には面倒と憚ることなく書いてある。
「ヤダ。長さギリギリだし」
「えぇっ。お願い!」
「あー……分かりました。いつかねー」
「本当!? 芽榴ちゃん可愛いから絶対似合うよ」
屈託ない笑みを浮かべて、恥ずかしげもなくそんなことを言う風雅に、芽榴は困り顔になる。どこから訂正したらいいのか分からないが、とりあえず風雅の目がおかしいという結論に芽榴は至る。
「あのねー、蓮月くん……」
風雅に何かを注意しようとした芽榴だが、突如として彼の胸をトンと押した。
「え」
「すみません! 避けてください!!」
そんな有利の声が体育館に響く中、風雅は少しよろけて、2、3歩後退る。そのまま芽榴は前進して元々風雅が立っていた場所に立った。
バンッ
数分前と同じような、否、それよりもはるかに激しくボールのぶつかる音が響く。
周囲がざわついた。少々疲れが出てきたのか、有利の投げたボールは少しばかり軌道がずれてしまったらしく、颯のすぐ横を通りすぎ、そのままの勢いを持って一人の少女に向かって飛んで行った。
けれど、有利の放ったボールはその少女――芽榴の胸のところで先ほどと同様、受け止められていた。ただ、やはり彼女がボールを掴んでいるのは一瞬のことで、すぐにポトリとボールを落としてしまう。他から見たら、芽榴の行動は運よくボールを弾いたという解釈にしかならない。
「だ、大丈夫!? 芽榴ちゃん!」
元々自分がいた場所にボールが飛び込んできたのだ。風雅の心配は計り知れない。まして、投球者は有利だ。
「芽榴ちゃん、絶対保健室!」
「いや、手に当たっただけだし、大丈…」
「有利クンのボールだよ!? 当たったんだから折れてる! 絶対!」
そんな風雅のヒステリックな叫びとともに、芽榴はそのまま風雅に保健室へと連行されてしまった。
その後は、芽榴のことが気になって試合に身が入らなかった有利の負け。すぐにその試合の決着はついてしまった。
「有利」
試合が終わり、ボールを見つめている有利の元に勝者である颯が近づく。
「僕のボールを捕れるのは神代くんくらいだと思っていました」
有利はまるで独り言のようにして言う。現に、来羅は例外としても生徒会役員の翔太郎や風雅でさえ有利のボールは捕れない。捕りたくないというのが正しい言い方らしいが。
「弾いたように見せてたけど、ちゃんと捕っていたね。彼女」
颯は彼女と風雅が出て行った出入口に視線を向け、薄く笑う。
試合をしていた本人たちが一番よく分かっている。ほんの一瞬だったが、芽榴は確実に有利のボールを捕らえていた。それもしっかり芯をとらえて掴んでいた。
けれどそのボールの取りこぼし方さえ不自然ではなかった。本当にまるで手に偶然当たったかのように、芽榴はボールを落とした。
なのになぜかそれさえも故意的なもののような気がしてならない。
ボールが飛ぶ寸前までそこにいたのが芽榴ではなく風雅だったことを颯と有利は知っている。偶然か、本人たちと同時の反射で芽榴は風雅を押しのけた。
つまり、2人の考えでいけば芽榴は風雅を庇って有利の魔球にぶつかっていったということになる。確実に有利の魔球を捕れる自信がなければできない行動。でも、そんなことは平均少女の彼女に限ってありえない。
「考えすぎ、ですかね」
「そのほうが自然だよ」
有利と颯はそんなふうに話を区切って、会話を終わらせる。
マグレや偶然という類の言葉はこういうときのために存在するのだ。
しかし、彼らはその言葉が自分たちと縁遠いものであることも心の奥でちゃんと分かっていた。