02 罰則と言い訳
休み時間を知らせる鐘が鳴る。それと同時に芽榴は勢いよく席を立ち上がった。
「芽榴? どこ行くの?」
「トイレ!」
舞子の質問に対し、何の恥じらいもなく大きな声でそう答える芽榴の顔はいつになく真剣だ。
「どれだけ我慢してたのよ?」
「違うよ! ……っ! 来たっ!」
教室の女子が騒がしくなると芽榴は舞子の後ろに隠れた。
「芽榴ちゃん、いるー?」
そう言いながら登場したのは風雅だ。相変わらずイケメンスマイルを振りまく風雅にF組の女子は悩殺される。B組の彼が階の違うF組にわざわざ訪問する理由はただ1つ。
「芽榴ー、来たわよ? 恒例の」
「シーッ!」
舞子が背後にいる風雅のお目当ての女子――芽榴に声をかけると芽榴は人差し指を口元にたてる。芽榴の顔には「隠してー」と書いているが、この状況では所詮無駄な足掻き。風雅は真っ直ぐ舞子のところにやってきた。
「植村さん。芽榴ちゃんは?」
「芽榴なら……」
舞子が言いかけると、舞子の背後にいた芽榴は猛スピードで教室を出て行った。
「芽榴ちゃん!? ちょっと待ってよ」
「追いかけないで!」
最近の芽榴の休み時間は毎回こんな感じだ。あれ以来、芽榴は風雅に気に入られたらしく、頻繁に会いにこられるのだが、やはり女子の視線は痛い。
「芽榴ちゃん、足速すぎ!」
廊下を駆け抜ける芽榴は陸上部も顔負けだろう。そんな脇目も振らず走る芽榴は突如大きな壁とぶつかる。跳ね返った芽榴は床にお尻を打ち付けてしまい、その壁を睨みつけた。
「楠原」
「ひっ……せ、先生っ」
壁と思っていたのはF組の担任、松田先生。お世辞にも痩せているとはいえない体型だが、その出っ張ったお腹は硬い。完璧に某贅沢病だ。
「廊下はトラックじゃないぞ、楠原」
「あは、あはははは!」
なんとなく嫌な予感がして芽榴は乾いた笑いをこぼす。決してふざけているわけではないのだが、芽榴の反応を見た松田先生は芽榴をビシッと指さした。
「そんな元気があるなら放課後仕事を手伝え! いいな!?」
「私、帰宅する部活が……」
「帰宅部だろうが!」
放課後の自由を奪われるとともに追いついた風雅に抱きつかれ、周囲の女子から睨まれる芽榴は散々だった。
「うー、重いなー……」
放課後。芽榴はすっぽかそうと考えたが、終礼が終わるなり松田先生にドアを塞がれる。舞子に助けを求めるが、舞子はあっさりと彼女の所属するバレー部の部室へと姿を消した。
友に見捨てられた芽榴が与えられた仕事は一階にある大量のプリントを四階の資料室に運ぶことだ。
「前、見えなーい」
顔の前までプリントが重なり、その重さで芽榴はフラフラしながら歩いている。当然そんな状況で何も起こらないはずもなく――。
「うっ、わ!」
芽榴は曲がり角で誰かとぶつかってしまう。本日二度目の尻餅で、お尻の痛みはよく分からない。それよりも宙を舞うプリントたちを見ているほうが泣けそうだ。
「すみません。大丈夫ですか?」
頭上から降ってきた声に顔をあげれば、学園有名人の一人。色素の薄い瞳が芽榴を見つめていた。
「あ、藍堂くん。こっちこそごめん」
芽榴は謝ってから即座にプリントをかき集めると有利もそれを手伝い始めた。
「あー、いいよ。藍堂くん。自分でできるし」
「いえ。僕にも責任がありますから」
明らかに悪いのは前も見えないほどにプリントを抱えていた芽榴だ。にもかかわらず、そう言って手伝ってくれる有利に、芽榴は思わず「いい人だ 」と呟いていた。
「でも、どうしてこんなに?」
「廊下走ってた罰で、資料室まで持ってかないといけないんだけど。往復したくないから一気に持って行きたくて」
「女子にこの量はきついでしょう?」
有利は拾ったプリントを持ち上げ、芽榴にはその四分の一の量を渡す。残りの四分の三は有利が持ったまま。どうして返してくれないのか分からず、芽榴は首を傾げた。
「え? いいよ。自分で持ってく」
「また人とぶつかったら危ないですから」
「でも、せめて半分に……」
「僕、こう見えて結構力は強いんです」
そう言う有利は改めて見ても華奢な体つきだ。芽榴よりも身長は高いが、男子にしては小柄。やはりどう見ても力があるようには見えないのだが、全体の四分の三のプリントを右手に、残りの四分の一を左手に軽々と持っている。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
断ってもきっと持って行くのだろうと思い、芽榴は素直に手伝ってもらうことにした。
資料室に着いた芽榴は有利にお礼をいい、ポケットからいつもの飴を取り出して有利に渡す。その飴を見た有利は芽榴が風雅のファンなのだと察した。
「楠原さん。また何かしたんですか?」
それから数日後。有利は再び芽榴に会ったが、相変わらずプリントを運んでいる。先日と違うとすればプリントを分けて運んでいるところだ。
「うん。宿題忘れたのー」
そう言って舌をペロッと出す芽榴を抜けているのだな、と有利は認識した。
その日の放課後、有利が生徒会の仕事で廊下を歩いているとF組の教室から人の声が聞こえた。もう下校時刻が近いため、声をかけようとした有利は聞き覚えのある声に口を閉じた。
「もういいってー」
「本当、ごめん! 楠原」
中を覗けば、プリント運びを終えてグッタリと机に横たわる芽榴にサッカー部の男子生徒がひたすら謝っている。
「ノート借りてたのに提出日に忘れるとか、それも楠原の分だけ! 俺マジで論外!」
「うん。そうだねー」
芽榴が困り顔で肯定すると、サッカー部の男子は芽榴の前に手を突き合わせてさっきよりも大きな声で謝罪の言葉を述べた。
「本当にごめんっ!」
「いいよ。もうプリント運び終わったし」
「マジでごめんな」
「もう謝らなくていいから。あ、そーだ。今度この飴買ってきてくれたら許すー」
芽榴はピンク色のナイロン紙に包まれた飴を見せていた。やはり、それは最近風雅がよく舐めている飴と同じもの。
「お前、それ好きだよな」
「最近、どこも売り切れなんだよね」
「じゃあ、買ってくるから楽しみにしとけ!」
「うん、部活中なのにありがとー」
グッタリしたまま芽榴はその男子を送り出した。教室に芽榴が一人になると、有利はやっと教室に足を踏み入れた。
「プリント運びは彼のせいだったんですか」
有利の声が鮮明に響いて、芽榴は少し驚いたように顔をあげた。教室に入ってきた有利を見て芽榴は苦笑いを浮かべる。
「あー、まぁ」
「なんで言わなかったんですか?」
「うーん。忘れたものは忘れてるわけだし。それに貸してなくても忘れてたかもしれないじゃない?」
芽榴はそういうけれど、相手が忘れてしまったのだからやはり責任は向こうにあるだろうと有利は思った。有利がそんなふうに納得しきれていないのが分かったのか、芽榴はハハハと能天気に笑った。
「あと付け加えて言うなら、私は帰宅部で彼はサッカー部。もし、言ったらあの人がプリント運びでしょ?」
そう言って笑う芽榴を見て、有利は微かに目を見張った。
帰り支度を済ませた芽榴は鞄を持って席を立ち上がる。そして黒のワイシャツの上に脱いでいた白のブレザーを羽織った。
「はー、疲れた。藍堂くんも仕事ガンバー。ばいばーい」
ヒラヒラと手を振る芽榴に有利はぎこちない様子で「さようなら」とだけ返した。
そして次の日。物凄い速度と勢いをもった足音に有利は振り返る。見れば、芽榴が廊下を走っていた。また罰則なのでは、と危惧しているとその背後にいる人物に目を丸くする。
「蓮月くん――」
そこで有利はすべて納得した。風雅と芽榴の飴。そして廊下を走っての罰則。言い訳をしなかったが、あの時も芽榴は風雅に追いかけられていたのだ。
「楠原さん、手伝います」
案の定、プリント運びをしている芽榴に有利が声をかける。
「え? 今日はぶつかってないよ?」
「彼とは同じ役員なので」
「あ、そっか。ありがとー」
芽榴は有利のいう〝彼〟が誰なのかを察し、プリントの半分を渡す。別に有利に手伝ってもらう必要はないのだが、なんとなく芽榴は有利の好意を受け取ることにした。
「楠原さん」
「なにー?」
「また手伝いますね」
有利はなぜかそう口にしていた。芽榴はしばらく首を傾げて「それってまた私が罰受けるのは決定事項なの?」と笑う。
「でも、ありがとー。頼りにしてるね」
「はい」
二人は笑いあい、資料室への階段をのぼった。