39 魔の手と志の手
「慎。楠原芽榴について調べろ。琴蔵のネットワークも使ってええ」
帰りの車内で聖夜がそう言う。慎は珍しくも無表情で聖夜の話を聞いていた。
「そんなことしてまで調べる内容あんの? 別に大したことない子じゃん」
「お前、それほんまに言うてんのか?」
聖夜は慎をジロリと見た。聖夜も先ほどの電話を聞いているのだ。そして慎が芽榴に何をしようとしていたかも理解している。
「俺はただ暇そうにしてたから遊んでやろうと思っただけ。つか、断然あの金髪の役員の子のほうがタイプ」
慎は笑ってそう告げる。聖夜はそんな慎の様子を白々しいとでも言わんばかりの目で見た。
「まぁええわ。そういうことにしといたる」
聖夜はそう言って窓の外を見た。
「あの超頭キレそうな生徒会長さんが俺に楯突いてまで守ろうとした女。どれほどのもんかと思うたら……」
聖夜はアッサリと自分の誘いを断った芽榴を思い出す。
断るだけでなく、こちらがなぜあんな美味い話を提示したかまで理解し、それを隠しもせずストレートに言ってきた。
ただの身の程知らずか、それとも本当の強者か。
「どっちにしても、こっちのもんや」
さっさとラ・ファウスト学園に迎え入れ、彼の数ある駒同様にズタズタにして捨てる。同時に難癖つけて麗龍の名前にも泥を塗ってやろう――それが聖夜の書いたシナリオだった。けれど芽榴と対面した今、そのシナリオは即座に書きかえられる。
「あらゆる手段使うて、落としたる」
天下の琴蔵聖夜相手に逃げ切るつもりなら、逃げ道を全部塞いで追い詰める。芽榴をとられて悔しがる生徒会役員と、行き場を失くして自分に下る芽榴の姿を想像し、聖夜は楽しげに笑った。
そんな彼を見て、慎は目を細める。
「了解」
二人を乗せた車は闇の中に消えて行った。
次の日。
朝早く登校した芽榴は靴箱に見知った人を発見し、駆け寄った。
「蓮月くん、おはよー」
芽榴は風雅の肩を叩き、笑って挨拶する。いつもの風雅なら、「朝一番に芽榴ちゃんに会えるなんて今日のオレ超ラッキー!!」などと言って騒ぎだし、抱きついてくるのだが、今日の風雅は違った。
「芽榴、ちゃん。……おはよ」
そんなぎこちない挨拶を返す。顔もどこか苦しげで、何か悪いものでも食べたのかと芽榴も心配になってきた。
「蓮月くん。お腹痛いのー?」
芽榴がそう尋ねると、風雅はすぐに首を横に振った。
「そうじゃ、なくて……。その、えっと……。芽榴ちゃん、オレ」
「あ、風雅くんだぁ!」
風雅が何か言いかけたところで、風雅のファンの子たちの登校に出くわしてしまった。
風雅ファンは芽榴を見るなり、すごく嫌な顔をし、その理由が分かるからこそ芽榴もそれ以上風雅のそばにはいられない。
「蓮月くん。じゃ、またー」
そんな苦笑いをこぼして芽榴は教室へと向かう。ファンの子たちに笑顔を見せる風雅はいつもと変わらない。自分の考えすぎかということで芽榴はそれ以上考えるのをやめた。
昼休みになり、芽榴は生徒会室に来た。
「来羅ちゃん、どしたのー?」
芽榴は困り顔でその場にいた有利にそう尋ねた。
いつもの場所に座る来羅はゴーグルをして数々の部品と戦っている状態だ。途中ドリルのようなものまで登場するのだから本格的だ。
「新しい何かを創作中です。柊さん、モヤモヤしたことがあるとああなるんです。今は話しかけないほうがいいですよ。多分気づきませんから」
来羅の集中力の凄さは依然から度々理解している。今回の集中力はいつもとは段違いであることは見てる側からもすぐに分かる。芽榴は有利の言うとおり、来羅には話しかけずに仕事をすることにした。
「残りの人たちはー?」
「神代くんと葛城くんは昨日の件で理事長室に。蓮月くんは……」
そこまで言って有利は黙った。その反応が気になって芽榴は首を傾げる。
「蓮月くん、今日どうかしたのー?」
「蓮月くんに会いました?」
「うん。何か普通の人すぎて逆に不気味だった」
言ってみるとおかしいが、実にそうなのだ。
有利はそれを聞いて困った顔をした。
「藍堂くん、何か知ってるの?」
「……いいえ。僕は何も。蓮月くんは多分、例のごとく女子に囲まれて来れないんだと思います」
有利はそう芽榴に告げた。有利がそう言うのだから、と芽榴はそれ以上何も聞くことはしなかった。
芽榴が再び書類に目を向けると、有利が口を開いた。
「ラ・ファウスト学園……行きたいですか?」
芽榴はすぐに顔をあげ「まったく」と答えた。
「私の居場所はここだよ。たとえ、ここにいられなくなっても」
芽榴は書類にサインをしながらそう言った。
芽榴の発言に有利は少しだけ眉を上げる。芽榴がそんなことを言うとは思わなかったのだ。それはラ・ファウスト学園に行くことを完全に否定はしなかったが、芽榴の思いだけはしっかりと表している。
有利は目を伏せ、強張った頬を緩めた。
「それが聞けてよかったです」
そんな有利の姿を見て芽榴もフフフと笑った。
しばらくして、やっと来羅も創作を終えたらしくゴーグルを外した。
「あら、るーちゃん! 来てたの!?」
来羅は芽榴を見るなり、芽榴の前に膝をついた。
「本当にごめんなさい。昨日のは完全に私のせい。煮るなり焼くなり好きに」
「そんな犯罪行為できないから落ち着いてー」
芽榴はそんなふうに言って来羅を立ち上がらせた。
何度も謝る来羅に謝らなくていいと言い聞かせること五分。まだ何か言いたげではあるが、来羅はやっと謝ることをやめてくれた。
「何作ってたのー?」
芽榴が尋ねると、来羅は先ほど自分が作ったものに目を向けた。
「前に有ちゃんが暴走して私のカメラ壊したじゃない? ほらトランプ大会の少し前」
そう言われて思い出してみると、確かに来羅が作ったカメラを有利が木刀で壊していた。あれが有利のスイッチが入ったのを初めて見たときでもある。
「で、あれより性能がいいのが作れないかなーと思ったんだけど、邪念が多すぎてあんまりいいのが作れなかったわ」
来羅は少し困り顔でそう言う。
邪念というのはおそらく自分が関わっているだろう、と芽榴は察した。
そこで芽榴はふといいことを思いついたのだった。我ながらナイスタイミングだと芽榴は思った。
「来羅ちゃん、じゃあ試しに作ってほしいものがあるんだけど」
そして放課後。
「楠原」
「わーお。明日は嵐かなー」
芽榴は戯けてそう言った。何せ、葛城翔太郎がわざわざ芽榴の教室にやってきたのだ。
「生徒会室に行く前に話せるか」
翔太郎の言葉に芽榴は苦笑しながら頷いた。
翔太郎に連れられ、芽榴は誰もいないE組に入った。
いつかと同じように催眠誘導で教室の中を空っぽにしたのだろう。芽榴は呆れぎみにまた笑った。
「で、お話って何ー?」
「昼に理事長と話した」
「聞いたよー」
芽榴は壁にもたれかかった。目の前の翔太郎はとても言いにくそうにその言葉を渋っていた。
「理事長は琴蔵聖夜を敵に回したくないから私がラ・ファウストに行くの賛成派。でも、我らが会長様は反対派で意見が割れたってとこかなー?」
「さすがだな。だが、一つ違う」
翔太郎が真面目な顔でそう言い、芽榴は答えを問うように首を傾げた。
「神代だけじゃない、俺も反対だ」
大真面目にそう言ってのける翔太郎に芽榴は思わず噴き出してしまった。
「貴様……っ」
「ごめんごめん。いや、照れるねー」
芽榴は戯けてそう言う。しかし、翔太郎はそんな芽榴の態度に怒るでも呆れるでもなく、真剣な目をしたまま言葉を続けた。
「だが、俺には何もできん。神代とて相手があの琴蔵財閥となれば難しい。結局、貴様の意思がすべてだ」
翔太郎はそこまで言って芽榴の反応を待った。
芽榴は翔太郎に歩み寄り、彼の眼鏡をとった。
「貴様、何を……」
「葛城くん。私に『ラ・ファウスト学園の特務生徒になれ』って言ってみて」
「馬鹿か! 貴様は人の話をちゃんと聞いていたのか!?」
「いいから、言って」
芽榴はいつになく真剣な目で翔太郎を見つめた。
そんな瞳を向けられて翔太郎が抵抗できるわけもない。
翔太郎は目を閉じて一呼吸置き、その言葉を口にした。
「ラ・ファウスト学園の特務生徒になれ」
その言葉はシンとした教室に染み渡るように響く。翔太郎の綺麗な瞳には芽榴だけが映っていた。
しばらく見つめあい、芽榴はクスリと笑った。
「いーや」
芽榴は意味不明と言わんばかりの顔をする翔太郎に眼鏡を返した。
「貴様はいったい何がしたかったんだ?」
眼鏡をかけながら翔太郎はうんざりしたように問う。
「私の意思はたとえ葛城翔太郎の催眠誘導であっても変えられません」
翔太郎は目を見張り、芽榴はカラカラと笑った。
「じゃ、お先に行くよー。遅刻は皇帝様に怒られちゃうからねー」
芽榴はそう言って教室を出て行った。残された翔太郎は参ったと小さく笑っていた。