37 応接室と図書室
応接室の前は生徒の渦になっていた。放課後で部活中にもかかわらず、生徒が応接室の中の様子を知りたがっているのだ。
それもそのはず。今、応接室の中にはラ・ファウスト学園の生徒と学園アイドルと等しき生徒会役員がいるのだ。
麗龍学園、応接室。
中には芽榴を除く生徒会役員五人とそしてラ・ファウスト学園からの来訪者、琴蔵聖夜と榊田総一郎がいた。
緊張感漂う中、先に口を開いたのは聖夜だった。
「これは天下に名高い生徒会役員の皆様にお会いできて光栄です」
「こちらこそ、琴蔵財閥のご子息自らのご来訪恐縮です」
返した颯も満面の笑みだ。役員皆が怖いと思ったのは間違いない。
「本題に入りますが、ここにいる榊田が昨日、貴校の生徒に模範的な交渉術を披露していただいたと耳にしています。榊田は我が校でも非常に優秀な生徒ですが、その女生徒は彼よりも素晴らしい才を持っているとのこと。僕もこのような立場ですから、是非その女生徒と話をしてみたいと思い、来訪した次第です」
聖夜の言葉に颯を除く生徒会役員は口を噤んだ。琴蔵財閥の子息の願いを簡単に拒否するわけにはいかない。そんなことができる人物は彼しかいないのだ。
「申し訳ありませんが、何せこれほどの生徒数です。たった一人を探すことは難しいかと……」
颯は何の躊躇もなくそう言った。颯が本気になれば、たとえ日本中から一人を探すことも難しくはないだろう。それでも、そうしない理由は言わずとも分かるというものだ。
「放送をかければどうでしょう。昨日我が校に来た麗龍の生徒を尋ねれば分かるのでは?」
「もう放課後ですから帰宅している可能性もあります」
「ではなぜFAXを送ってすぐになさらなかったのですか? 会長ともあろう方がそれほど単純な考えが思いつかないはずがないでしょう」
「僭越ながらそこまでしなければ分からないような人物は我が校で言えば普通の人材。世間でいえばエリートでしょうが、わざわざ琴蔵さんが頭を下げるほどのことでもないでしょう。まして、わざわざラ・ファウストに勧誘するほどの才を持っているとは思えません」
「それでも構いません。そちらがそれほどの価値しか見出せてないのなら尚更こちらで彼女の才を引き立てたいものです」
どちらも譲らない穏やかで厳しい口調。そして次に聖夜が言った言葉は何より確信をついていた。
「僕の意見をそこまで頑なに断るというのも逆にその生徒を匿っているように感じられますけど」
颯を除く四人の眉がピクッとあがり、それを見た聖夜がしめたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた。
「そうですか。分かりました。尚更その生徒に会ってみたいものです。顔は榊田が分かっているでしょうから、校内探検なんてのもいいですね」
「もう放課後ですから学園のことも考えるとそれは後日にしていただきたいですね」
聖夜の言葉に颯はまだ笑って応える。だが、握った拳はすでに爪が食い込むほどだった。
その頃、芽榴は一人図書室にいた。会わずして勧誘を断る。芽榴の提案は颯によりあっさり採用され、芽榴は今応接室で起こっている事態など考えもせず本を読んでいた。幸運なことに図書委員さえも応接室の様子が気になっているようで図書室は貸切状態。ラッキーである。
「久々に静かだー」
そう言って芽榴は伸びをする。応接室に行きたくなかった理由は面倒だったから。確かにそうだが、それだけじゃない。芽榴はそのことを考えて少しだけ視線を落とした。そして溜息交じりに一人呟いていた。
「まぁ、大丈夫だろうけど……」
「何が大丈夫?」
突如耳元で聞こえた声に芽榴は目を丸くし、飛び上がった。
「うわっ!!」
席を立って振り返ると、そこには白シャツに茶色ネクタイ、赤のベストに茶色のズボン。ラ・ファウストの制服を着た男が立っていた。しかも制服は着崩していて、髪もかなり明るい。チャラ男ですと言わんばかりだ。
芽榴はラ・ファウスト学園への警戒心からか、それとも単にこの男に対する警戒心からか、身構えた。
「えー。女に身構えられるとかマジ初体験。あんた超貴重人物なんじゃね?」
ヘラヘラ笑いながら男はそう言う。ラ・ファウストの人間なら応接室にいるはずなのではないか、聞きたいけど男がどんどん距離をつめてきて芽榴は後ろに下がることしかできない。
「なんで逃げんの?」
「知らない人に近づかれたくないだけです」
そう言い切った芽榴に今度は男のほうが目を丸くし、次の瞬間には大爆笑する。
「あんた、おもしろっ! まぁ、俺が誰だか分かってねーだろうからそんなん言えるんだろーけど! マジ新鮮! 超ウケる!」
男が笑っている隙に逃げよう。そう考えた芽榴だが、爆笑しているくせに隙がまったく見当たらないのだ。
「できればそこをどいてくれると嬉しいのですがー」
「うーん、それ拒否。俺、逃げられると追い詰めたくなるタイプだから」
芽榴も長い人生いろいろ経験してきたが、初対面の人間に危険を感じたのは二度目だ。しかし、今回の危険は一度目とは全く違う。そう芽榴は直感した。
「あの、本が読みたいんですけどー」
「読めばいいじゃん」
本は芽榴が座っていた席に置きっぱなしの状態だ。そして今、芽榴がいる場所はそこから少し離れたところだ。本を読むためにはこの男にどいてもらわなければならないのだが。
「どいてくださーい」
「イーヤ。つか、俺ほどのイケメンに詰め寄られてんのに嬉しくねーの? あんたみたいな子じゃあ、滅多にこれほどの顔の男に声かけられないっしょ?」
数ヶ月前までは首を縦に振っていたであろうが、今は即座に五人(約一名体育祭のときのみ)ほど頭に浮かぶ。凄いことだな、と改めて実感するが今はそんなことを考えている場合ではないのだ。
「えっと、応接室ならこの棟の一階ですけどー」
「あー、俺関係ねーし。暇潰しに来たわけ。基本、図書室って俺のテリトリーだから」
麗龍学園の図書室でさえこの男のテリトリーだというのか。完全に発言が意味不明だ。
そうこうしているうちに芽榴の背中がとうとう壁にぶつかった。
「はい、崖っぷちー。もしかしてこれ狙ってたんじゃね?」
「バカ言ってないでどいてくださいってば」
芽榴は困り顔でそう言うが、当の本人はそれを楽しんでいるのだから聞く耳を持たない。
「ね、あんた名前は?」
「普通自分から名乗りますよー」
「あー、俺は簑原慎。で?」
「楠原芽榴です」
慎は芽榴の顔を見てニヤリと笑った。
「あのさ、俺の苗字と学園から考えて何か思い当たんねーの?」
「簑原外務大臣」
芽榴は面倒そうに淡々と応える。すると、慎は今度こそ芽榴の反応に驚いたようだった。
「それ俺の親父なんだけど……驚かねーの?」
「驚いてますよー」
芽榴は肩を竦めて言う。言葉とは裏腹にその表情はまったく驚きを表していないのだ。
「それが俺の親父って分かってんのにその態度なわけ?」
「別にそんな酷い態度とってないですけどー」
激しく面倒と顔に書いたまま喋る芽榴はわりと酷い態度だと誰もが思うだろう。まして相手が簑原外務大臣の子息となれば尚更だ。
「へー、楠原ちゃんだっけ?」
慎はそう言って芽榴の両手を右手で掴み、もう片方の手で芽榴の顎を持ち上げた。
「な……!」
「暇潰し決定。あんたと遊んであげる」
そう告げると、慎は芽榴の唇に自分の唇を寄せた。
麗龍学園、応接室。
「ところで、ちょっとすみません。連れが行方不明なので電話をかけても?」
聖夜がスマホを取り出しながら尋ねると、颯は快くそれを了承した。
聖夜がスマホをいじっているあいだに風雅は颯にしか聞こえないよう小声で呟いた。
「琴蔵聖夜、本気で芽榴ちゃんを勧誘したがってるわけじゃないよ」
「あぁ、分かってる」
「好青年に見せてるけど、腹の中は結構ヤバイから気をつけて」
分析結果を颯に告げ、風雅はまた聖夜をジッと見つめる。
「神代。催眠誘導使っても構わないぞ」
翔太郎が眼鏡のフレームに手をかけながら颯に告げるが、颯は首を横に振る。
「効かなかった場合、揉め事になったら話にならないよ」
「すまない、軽率だったな」
相手が相手だけに大胆な行動はできない。大事なのは芽榴を聖夜に会わせないということだ。実力行使にあえば、立場的に無理やりこの琴蔵聖夜という男が芽榴を編入させることもあり得る。
役員がそれぞれに思案しているあいだに聖夜の電話が目的の人物につながったようだ。今回はちゃんとワンコール。
「もしもし。今どこにいる?」
普通相手の会話はスマホの間近にいなければ聞こえない。聞こえるのはスピーカーにしているか、相手の声がかなり大きい時だ。
「慎、何して……」
『えっとねー今は、って動くなっつの』
『いい加減にしてください! ちょ、や、痛っ!』
聖夜は眉間にしわを寄せ、突如聞こえた芽榴の声に役員が全員反応する。
「琴蔵様! この声ですっ!」
さっきまで消沈していたはずの榊田が芽榴の声を聞いて立ち上がった。
「この声の女が例の女生徒です!」
榊田の言葉にもう言い逃れはできない。
不服な顔の颯たちに対し、聖夜は満足げに笑った。
「慎。そこにいる女生徒と一緒に応接室に来い。至急だ」
スマホを制服のポケットに直して聖夜は改めて颯とそして残りの役員と向き合う。
「秘蔵のお姫様、見つかりましたよ」