36 FAXと招かれざる客
ラ・ファウスト学園訪問の翌日、事件は起きた。
「え? 今なんと?」
昼食を終えて本を読んでいた芽榴は突如耳に入った知らせに、聞き間違いかと思いながら顔をあげる。
「うわっ。何だその本、厚っ!」
芽榴からもらったマドレーヌを食べる滝本は芽榴の質問には答えず、まず自分の感想を述べた。
ちなみに芽榴が読んでいるのは厚さ10センチの本だ。芽榴はその記憶能力ゆえに速読はもちろん一度読んだ本は文章をすべて覚えてしまう。ゆえにこれくらいの厚さがないと読み応えがないのだ。
「図書室にあるか? こんなの」
「心配しなくて大丈夫よ。図書室になくてもあんたが不自由することないから」
舞子が下敷きで自分を扇ぎながらボソッと呟いた。室内は冷房が入っているため暑くはない。しかし、設定温度が高いため涼しくもないのだ。
「どういう意味だー! 植村!」
「そのまんまよ。猿に読書ができんの?」
「誰が猿だ!?」
「滝本」
「植村ー!」
芽榴の背後にいる滝本は位置的に芽榴の耳元で叫ぶことになり、芽榴は耳を抑えた。
「で、滝本くん。ラ・ファウスト学園が何?」
芽榴が舞子と滝本の口論に割り込んでもう一度質問を投げかけると、滝本は芽榴に視線を落とした。今度はスルーされなかったようだ。
「さっき職員室呼ばれてさ。そしたらまっちゃんがワックスで髪整えてスーツ着てたんだ。汗ヤバイしスーツ張り裂けそうだったけど」
容易に想像ができる姿に芽榴は苦笑し、舞子は溜息をついた。いつもの松田先生は大抵ポロシャツだ。いつも色違いなのがポイントだとか。
そして松田先生がこの真夏にスーツを着るという不可解な行動をとるときは何かがあるという暗示だ。
「盗み聞きしてたらラ・ファウストの偉い人が来るんだと」
偉い人というのが何とも抽象的すぎて分からない。
芽榴は目を細めた。タイミングがよすぎるし、心当たりもある。
しかし、逃げればいい話だ。
「どうしたの? 芽榴」
「ううん、別にー……!」
突如背筋に悪寒が走った芽榴は滝本の背中にしがみついて隠れた。
「ん? 楠原? どした?」
「しーっ!」
「芽榴ちゃん、どこ!?」
F組に勢いよく登場した人物は舞子のもとにすぐさま駆け寄った。目の保養とばかりにクラスの女子は食い入るように彼、蓮月風雅に見入っていた。
「植村さん。芽榴ちゃんは?」
「猿の後ろ」
「猿……?」
風雅はチラッと滝本を見てもう一度滝本を見た。所謂二度見だ。
「んだ!? 失礼だろ!」
滝本が憤慨して腕をあげるとその隙間から芽榴の顔が覗いた。
「げ」
「芽榴ちゃん!」
風雅が目を輝かせると芽榴はまた滝本の後ろにしがみついて隠れた。
「い、いてて! 楠原!」
「ちょ! 滝本クン! 羨ましすぎるんだけど! 代わってほしいんだけど!」
「はあ!? 意味わかんねぇよ!」
「滝本くん、動かないで!」
「はあ!?」
「滝本クンはオレと芽榴ちゃんを引き裂こうとすんの!?」
「はあ!?」
滝本は前後から意味なく責められ続けるのであった。
「芽榴ちゃん!」
結局うんざりした滝本が芽榴を売るということで事態は収集した。
「蓮月くん、とりあえず離そうかー」
遠い目をした芽榴が言うが、風雅は離そうとしない。
「昨日大丈夫だった!? ラ・ファウストのやつに変なことされなかった?」
「それをキミが言いますか……」
芽榴は大きな溜息をついた。
「あいつって楠原に忠実なのかそうじゃねぇのか微妙だよな」
「どの町探してもあんなイケメンいないのよ? 芽榴も抱きしめられて光栄と思えば楽なのにね。ていうか羨ましいわよ、本当」
「そうか? 俺は楠原が不憫だ」
「そうねぇ。蓮月風雅に抱きつくよりあんたに抱きつくんだもん。不憫よねぇ」
「そーじゃねぇ!!」
それから舞子と滝本の言い合いは再び始まり、そのあいだに芽榴は風雅によって生徒会室へ連行されることとなった。
生徒会室の扉の前に来て、一度扉を開けた風雅はなぜか扉をすぐに閉め、芽榴を振り返った。
「ん? どーしたの?」
芽榴が風雅の顔を覗き込むと風雅は真っ青な顔で笑っていた。
「あのさ、芽榴ちゃん。一応先に言っておくね……。気をつけて」
「は?」
芽榴が聞き返すも答えは返ってこない。風雅が恐る恐る扉を開け、芽榴の視界に部屋の様子が映れば、風雅の言う『気をつけて』の意味は容易に分かってしまった。
すでに中の三人は最高権力者のただならぬ雰囲気に気圧され、青ざめた顔で震えていた。
「えっと……。私はラ・ファウスト学園の来訪についての作戦会議的な何かが行われると思って蓮月くんについてきたんですけど」
芽榴は扉の前でぎこちない笑みを浮かべなからそう言った。
すると、扉から真正面に位置する会長席に座る彼がデスクに落としていた視線を芽榴に向けた。
その瞬間、芽榴の背筋を何か冷たいものが駆け上がった。隣で同じ視線をくらった風雅は四つん這いで床に平伏している状態だ。
「やあ、芽榴。もちろんその作戦会議の予定だけどね。その前にまず、昨日ラ・ファウスト学園でいったい何をしたのか吐いてもらおうかな」
満面の笑みの颯に対し、芽榴の額からは冷や汗が流れ始めた。
悪いことをした覚えはないのだが、颯の殺伐としたオーラは確実に自分がまずいことをしてしまったと言っている。
「あのー……世間話を少々してまいりました」
「世間話、ねぇ」
颯は芽榴の言葉を聞いてフーッと息をはいた。そして頭を抱えるように額に手をあて、ゆっくりと口を開いた。
「どういう世間話をしたら琴蔵財閥の子息が芽榴に会いたいなんて言うのかな?」
「は?」
芽榴もその言葉には目を丸くした。芽榴だけじゃない。死にかけていた四人も顔をあげた。
「どういうことですか? 神代くん」
有利が冷静に尋ねると、颯は手元に置いてあった紙切れを持ち上げた。それは今日学園に送られてきたFAXであり、送り主こそラ・ファウスト学園のトップに君臨する琴蔵聖夜であるという。
「『昨日貴校の生徒にすばらしい才を示していただきました。我が校の特務生徒にふさわしい人物であると思い、一度その生徒にお会いしてみたく存じます。いきなりのことで申し訳ありませんが、よろしくお願い申し上げます』だそうだよ」
その手紙の示す内容が分かった有利、来羅、翔太郎、そして芽榴は黙り、意味がわからない風雅が恐る恐るその意味を問いた。
「つまりね、芽榴をラ・ファウスト学園に勧誘しようって話だよ」
「え!? 絶対嫌だよ、そんなの!」
風雅が大声でそう言い、颯は風雅を呆れ顔で見た。
「もちろんそのつもりはないよ。まあ芽榴が行きたいなら話は別だけど」
「まっさかー。あんな学園にこんな平凡な子が言ったら完全に浮くよー」
「平凡なのは見た目だけだがな」
なにげに失礼なことを翔太郎の口からさらっと言われた気がするが、芽榴はスルーすることにした。
「琴蔵聖夜。琴蔵財閥の子息で東條グループのバックにもついている。学園内でも社会的にもトップ。目立った噂もないし、完全に好青年……ってのも逆に怪しいわよね」
来羅がいつのまにかパソコンの前に移動してそんなことを呟いた。
「いずれにせよ、あの学園に芽榴を渡す気はないさ」
颯がそう告げると同時、外がやけに騒がしくなった。生徒会室は学園全体を見渡せる立地。ゆえに校庭もすぐに目に入る。そして役員全員がそちらに目を向けると、超高級車が一台学園に乗り込んでいる。
麗龍学園は私立といってもほぼ国立に等しい学費で成り立っている学園であるため、このような高級車で学園に乗り込んで来る生徒はまずいない。
「厄介なことになっちゃったなー……」
車内から出てきた人物の一人を見て、そう呟いた芽榴の顔には少しばかり焦りが見えた。




