#19
「芽榴姉、何してんの?」
舞踏会当日。芽榴は朝から洗面所にて、氷で顔を冷やしていた。
こんな真冬にどうしたのかと、圭は心配顔で芽榴のことを見つめる。
「昨日から顔が熱くて……だいぶよくなったんだけど、今のうちに冷やしてるの」
「熱、あるんじゃない?」
「ううん。熱はないよ」
芽榴はそう答えて、苦笑する。本当は顔が熱い理由も、ちゃんと自覚している。自覚せざるを得なくなっていた。
「そっか。でも今日もあの人と……舞踏会行くんだろ? 無理すんなよ?」
圭に心配させて申し訳ないけれど、理由を説明するわけにはいかない。芽榴は心の中で圭に謝りながら、支度を始めた。
ちゃんとメイクをして、聖夜にもらったイヤリングをつけて、腕にはかつてもらったブレスレットをする。
バッチリ準備を整えると、芽榴の家に聖夜が迎えに来た。「芽榴ちゃん」と真理子の声が聞こえて、芽榴は急いで階段を下りた。
「芽榴ちゃんを、よろしくお願いします」
真理子は最初会った時よりも、随分砕けた態度で聖夜に頭を下げていた。
聖夜も外向きの紳士然とした態度で、真理子に挨拶をしている。
玄関にいる聖夜は、本当に思わず見惚れてしまいそうなほどにかっこよくきめていた。
黒のスーツを着た聖夜は、目新しいものではないのに、緊張してしまう。
「お、おはようございます」
「ははっ、緊張しすぎ。……真理子さん、芽榴さんを今日一日預からせていただきます」
聖夜は礼儀正しく、真理子に言葉を残して、芽榴の手を引いた。英国紳士のごとく、レディーをもてなすように、軽く芽榴の手に触れて。
真理子のうらやましがる声を聞きながら、芽榴は家の前に停まっている聖夜の車に乗り込んだ。
「なに、緊張してるん? 珍し」
「私だって緊張くらいするよ。……いつもはあんなふうに手なんて引かないし」
そんな言い訳を口にして、芽榴は聖夜から視線をそらす。
舞踏会に行くだけで、こんなに緊張したりしない。
分かっている。聖夜に対して、芽榴は今さら緊張しているのだ。
「まあええわ。……あとは、ドレスやな。髪もメイクも自分でやったん?」
どうせならと髪も少し横髪を編み込んで、ハーフアップにしてみた。芽榴が頷くと、聖夜は「そか」と小さく笑った。
「似合うとる。イヤリングが見えて、いい感じや」
聖夜にもらったイヤリングが見えるように、この髪型にしたなんて絶対言えなかった。
そうして2人を乗せた車は、ラ・ファウスト学園ではなく、いったん百貨店のほうへと向かう。
芽榴のドレスはそこに準備されていた。
「あの、聖夜くん。ドレスまで準備してもらって……」
「それに関しては、お前は俺についてきてくれる立場なんやから、それくらいさせろ。お礼は言うなよ」
「お礼は、言わせてください」
先手を切られるも、芽榴は遠慮の代わりに今回はちゃんと「ありがとう」と告げた。すると聖夜は「そういうとこがお前らしい」と笑った。
聖夜が芽榴に選んだドレスはブルー系のパープル。
やはり聖夜らしくシックな色のドレスだ。
華やかさには少し欠けるけれど、その分着ている人自身の魅力を存分に引き出すような色合い。
それでいて歳相応な可憐さを表す、ノースリーブのレースドレス。
「とてもお似合いです」
ドレスを着るのを手伝ってくれたスタッフの方が息を吐き出すように褒め言葉を口にする。もう1人のスタッフも、手をパチパチと小さく叩いている。
けれど芽榴が気になるのは、聖夜の反応。
芽榴が聖夜に視線を向けると、聖夜はうんうんと満足げに頷いた。
「でも絶対、男の目を引くな。……心配になるから、俺のそば離れんなよ?」
少し困ったような顔をして、聖夜は芽榴のドレス姿を褒めてくれた。
支度を完璧に整えて、芽榴と聖夜はラ・ファウスト学園に向かった。
学園には良家のご子息ご令嬢がすでに集っている。
その頂点に立つ聖夜の扱いは特別。
車を降りると、芽榴と聖夜の道だけを残して、めかしこんだ生徒たちが整列していた。
以前も聖夜とここへ登校したときに見たことがある風景。
普段は分からなくなるけれど、芽榴の隣にいる聖夜は、本来手の届かない場所にいる人。
ご令嬢の視線も、ご子息の視線も、痛いほどに芽榴に刺さる。
居た堪れない気持ちになっていると、聖夜が芽榴に手を差し出した。
「芽榴……手、握れ」
小さな声で言って、聖夜は芽榴の手を握る。
暖かくて大きな手が、まるで芽榴に「気負うな」とでも言うように、芽榴の手を包み込んだ。
普段はわがままで、たまに甘えて、それもずるいのに。
肝心なときに頼りになるなんて、聖夜はやっぱりかっこよすぎるのだ。
「……ほんとに、ずるい」
「なんか言ったか?」
聖夜が芽榴のつぶやきに反応して、見下ろしてくる。
けれど芽榴は首を横に振って、まっすぐ前を見た。
聖夜の隣にいる。その事実に緊張もするし、自信もない。
けれど、せめて堂々としていよう。
そう決意してパチッと片頬を叩く芽榴を見て、聖夜は頬を緩ませた。
静かな音楽とともに、舞踏会が始まる。
学園の生徒たちは、各々音楽に合わせてダンスを踊ったり、会話を弾ませていた。
「喉、渇いてへんか?」
けれど聖夜は、ずっと芽榴の手を握ったまま。
芽榴のそばにいてくれた。芽榴に気を使って、芽榴を1人にしないようにしてくれているのかもしれない。
「大丈夫……だけど、もう手離してもいいんじゃ……」
離したいわけじゃない。むしろ、今は繋いでいたいと思ってしまう。
でもいろんな人の視線が気になって、聖夜のためにも手を繋いだままでいるのはよくない気がして尋ねてみた。
すると、聖夜は例のごとく不機嫌な顔をした。
「なんや。離したいんか」
「そうじゃないけど……。聖夜くんと話したい人も、声かけづらいんじゃないかなって」
「俺はお前と以外は話したくないから、そんなこと気にせんでええの」
聖夜はさらりとそんなことを言ってしまう。もう何度も似たようなことを言われているのに、芽榴の心はドキドキしていた。
けれどその胸の高鳴りを忘れさせるように、会場がざわついた。
「なぁに、それ。じゃあ聖夜は俺とは話してくれないわけ?」
芽榴と聖夜のもとに、慎が現れた。
慎はこの学園の生徒で、いるのは当然。だから芽榴は肩をすくめるだけだったのだが、聖夜を含めて学園の生徒が皆驚いた顔をする。
「慎……来たんか」
「一応、俺もここの生徒だし。来ても悪くないだろ?」
慎はそんなふうに言ってケラケラと笑っている。
「お前かて毎年参加せんかったやん」
「まあな。今回は聖夜も参加するし、ちょっと楽しそうだから俺も気まぐれに参加してみた」
どうやら、慎がこの舞踏会に参加するのもかなりレアな話らしい。
そういうわけで、会場中が慎の登場にざわついていたのだ。
会場にいる多くのお嬢様が、慎をダンスに誘おうと、そわそわしているのが芽榴にも分かった。もちろん、それは慎にも伝わっている。
「てなわけで、適当に俺は踊ってくるから。じゃまたあとで〜」
飄々とした様子で、会場の中心へと向かい、近くにいるお嬢様を呼び寄せる。
本当に思わず見入ってしまうほどに、慎のダンスは軽やかで美しい。
流れるように、不自然さをまったく感じさせずにどんどんパートナーを変えていくのに、その誰と踊っても慎のダンスは崩れない。
慎にリードされるお嬢様は、誰しも皆、美しく舞うことができる。
「……慎と、踊りたいか?」
時を忘れて、慎のダンスを見つめていた。すると聖夜が芽榴にそう聞いてくる。
もちろん芽榴は首を横に振った。
「別に。それに……簑原さんと踊りたい子がほら、まだたくさんいるから」
「あいつも、お前が相手なら……他の女は関係あらへんよ」
聖夜は小さな声で呟くと、その自らの発言をかき消すみたいに大きな声で慎の名を呼んだ。
ダンスの途中。それでも慎はダンスを続けることより、聖夜の呼び声を優先する。
慎は困った顔をしながら、こちらへ戻ってきた。
「なんだよ、聖夜。結構盛り上がってたとこだったのに」
「知らん。……それより、芽榴と踊れ」
聖夜はそう言って、芽榴と繋いだ手を離して、慎に芽榴を差し出した。
「聖夜くん、私は……」
「踊ってくれ。お前が綺麗に舞うの、見たいだけやから」
そして聖夜は芽榴に向けていた視線を慎に向ける。
「聖夜が踊れよ。楠原ちゃんと」
「アホ。俺は絶対踊らん。いいから、俺のために2人で踊れや」
聖夜は「はよ行け」とでも言うように、手を払った。聖夜にそこまで言われれば断れない。断る理由もない。
「分かったよ。楠原ちゃん、先に中央に行って」
「え? あ……はい」
慎に言われて、芽榴は先にダンスホールの中心へ向かう。
みんなが芽榴に注目する中、慎は聖夜の前で首をすくめた。
「いいのか? あんなに可愛くなってんのに、俺なんかと踊らせて。……嫉妬すんなよ?」
「もうしとるから、遅い」
「なんでだよ」
慎は複雑そうに笑っている。
聖夜は、芽榴に熱視線を送る学園の男子生徒たちを恨めしげに睨んでいた。
「自慢できると思うたら、そこらへんの男どもにイライラするばっかりや。芽榴のことジロジロ見て。舞踏会なんかに誘ったお前のせいやで」
「八つ当たりやめろよ。いいじゃん、ほら。楠原ちゃん、聖夜のことしか見てねぇよ」
慎はダンスホールの中央にいる芽榴に視線を向ける。芽榴は、そこから困り顔でこちらを見ていた。
「他の男見とったら、嫉妬で俺が死ぬ。……ていうか、早く行ってやれ。……本当は芽榴のこと見るために来たくせに」
慎の背中を押して、聖夜は少しだけ不満げに呟く。
すると慎は、彼にしては珍しく申し訳なさそうに笑った。
「……ははっ、冗談。でも、踊り足りないから……聖夜がいいなら楠原ちゃん借りる」
慎はあくまで嘘をつき通して、芽榴のもとへ駆ける。
その足は、軽やかに跳ねてるように見えた。
慎が芽榴のもとにやってくる。
好奇の視線に耐えきれなくなった芽榴は、大きなため息を吐いた。
「おいおい、踊る前に萎えるようなことすんなよ」
「しかたないじゃないですか。注目されるの、苦手なんです」
「ははっ、聖夜と一緒にいたら苦手づくしの毎日になるな」
慎は愉快に笑って、芽榴の手を引く。
ダンスはもう、始まっている。
音楽に体を預けるみたいに、優雅に、華麗に、慎は綺麗に肢体をしならせる。
不服だけど、やっぱり慎のダンスは上手だ。
だから芽榴も負けじと、慎のリードに合わせて、足を滑らかに動かした。
最高のダンスパートナー。それは、初めて一緒に踊ったときから変わらない。息ぴったりの最高のダンスを、芽榴と慎は踊りきる。
「……ねぇ」
踊っている途中で、慎が芽榴に声をかけた。
声を出す代わりに、芽榴は視線で慎に続きを問う。
「俺とのダンスは、一番だろ?」
慎の表情も、声音もからかっているようには見えなかった。
きっとこれは真面目な質問。
意地を張って「全然」なんて言うことはできるけれど、芽榴は素直な気持ちを選んだ。
「あなたとのダンスが、一番好きです」
芽榴が慎のために口にする、最初で最後の好きの気持ち。
それはあくまでダンスに対してのもの。
それでも、慎にはその言葉が特別になる。
「それが聞けたから、もういいや」
何かに踏ん切りをつけるみたいに慎は笑って、そうして芽榴を導くように芽榴の手を引いた。
慎とのダンスを終えると、芽榴は一気に男子生徒に囲まれそうになってしまった。
聖夜が慎とのダンスを許したことで、学園生徒が芽榴と交流することを許した、と勘違いしたらしい。
声をかけられずに済んだのは、慎が牽制してくれたおかげだった。
「この子に無闇に声かけたら、聖夜に家潰されちゃうかもよ〜?」
冗談のように慎がそう口にして、男子生徒たちの足が止まった。
その瞬間に、聖夜が群れを分けて芽榴と慎のあいだに割って入った。
「もう、返してもらう」
「へいへい。あとはごゆっくり〜」
慎の戯けた挨拶を背に、聖夜が芽榴の手を引っ張る。芽榴が聖夜の名を呼んでも、聖夜はどこかへ向かってすたすた歩いていく。
そのあいだずっと、芽榴に声をかけようとしていた男子生徒たちを睨んでいた。
「聖夜くん、待って」
「待たんよ。……出席はしたし、もうええやろ」
聖夜が芽榴を連れて来たのは、特務室。
学園の敷地内で、聖夜と慎以外は絶対誰も近づかない領域だ。
慎も今は、お嬢様の相手をしているはず。
だから実質的に、ここには誰もこない。
「はぁ……なぁ、ピアノ弾いて」
「え?」
「ちょっと今、落ち着かんから……冷静になりたい。お前のピアノ、聴かせて」
聖夜は特務室の端にあるピアノに視線を向ける。
突拍子もないお願い。けれど無理難題ではない。
芽榴は眉を下げつつ、ピアノのほうへ向かった。すると、なぜか聖夜もついてきた。
「ソファーに座らないの?」
「そばにおりたい。……ダメか?」
さっきまで、怜悧冷徹な琴蔵家のご子息の顔を見せていた男とは思えない。ころっと変わった甘えた態度に、芽榴の心がキュッと縮こまる。
芽榴が椅子に座ると、聖夜はその余ったスペースに軽く腰を預けた。
リクエストを聞こうかと思ったけれど、聖夜は音楽には詳しくないと言っていた。聞いてもきっと、お願いされる曲は一曲だけ。
芽榴は何も聞かず、ゆっくりと鍵盤に手をかけ、別れのワルツを弾き始めた。
「……芽榴」
聖夜に名前を呼ばれて、芽榴は聖夜に視線を向ける。
でも聖夜は、芽榴に背を向けたまま、少しだけ俯いていた。
「アメリカに行っても、心は俺のそばにおってくれるって……そう思ってていい?」
ピアノの音が止まる。
けれど聖夜に「弾いて」と言われて、芽榴は落ち着かない気持ちのままピアノの音を再開した。
「悪い。急に不安になった」
聖夜の顔は見えない。けれど寂しい後ろ姿が、聖夜の不安を芽榴に伝えてくる。
「お前、かわいいし……性格良すぎるし……正直欠点が思い浮かばんくらいに完璧なやつやから、誰も放っとかんって分かるから」
「そんなことないから」
「あるんやって。さっきで分からんの? お前と踊りたくて、あんだけの男がお前のこと囲んだんやで?」
聖夜はそう芽榴に告げて「ああ、嫉妬でほんまに死にそう」と掠れた声で呟いた。
「彼氏やないのに、こんなん重すぎるし、どんな立場やって感じやけど……。せやから余計に、不安になる。お前がそばにおるって約束してくれても、お前に好きなやつできたら、この約束にすらしがみつけんようなるから」
静かな、切ない音色が、まるで聖夜の想いを表すみたいに部屋中に響いている。
「ごめん。……俺、今さらもうお前を誰にも渡せん。お前のことが好きで好きで、この想いだけで死にそう」
それが、聖夜の本音。
芽榴のために、待つと言ってくれた。付き合わなくてもいいと言ってくれた。そばにいてくれるだけでいいと。
本当は、ずっと不安だったのに。
聖夜は芽榴のために、その不安を隠して、優しくしてくれていた。
分かっていた。分かっていて、甘えていた。
芽榴も不安だったから。
もうすぐ離れてしまうのに、この関係を変えてしまうのが怖くて。
好きという気持ちが分からないことを理由にして、聖夜に甘えて逃げていた。
本当はもう気づいてた。
聖夜と過ごす時間が楽しくて、聖夜の言葉や行動にドキドキして。
聖夜と一緒に時間を過ごして、聖夜のそばにいて。
聖夜がありのままに、芽榴を愛して、その想いを伝えてくれたから。
全部積み重なって、誰に何を言われなくても気づいてしまった。
「私も、聖夜くんのことが……好きだよ」
言葉にしたら、余計に気持ちは大きくなった。
膨らんで芽榴の心を満たして、それを芽榴は嬉しいと思った。
「え、なんて……」
聖夜がやっと芽榴のことを見てくれた。
だから芽榴はもうピアノを弾くのをやめて、聖夜のことを抱きしめた。
「待たせてごめんね。……ちゃんと考えたよ。無理もしてない。投げやってもない。……私は、自分で思っている以上に、聖夜くんのことが好きだったみたい」
頭が理解しなくても、心が勝手に反応していた。
聖夜といることを幸せだと思う気持ちも、聖夜にされること全部にドキドキする気持ちも、聖夜の笑顔にキュッとなる気持ちも。
全部、聖夜のことが好きという、たった1つの気持ち。
「それ……嘘やないよな?」
「うん」
「ほんまに、俺のこと好き?」
「……うん。……好き」
恥ずかしいのに、今言わなきゃ後悔すると頭が訴えかけてくる。だから芽榴は精いっぱいの心を乗せて、聖夜に今の想いを伝えていた。
「好きだよ、聖夜くんのこと。ちゃんと、好き……」
芽榴が「好き」と口にするたびに、聖夜の抱きしめる力がどんどん強くなっていく。
苦しいのに、なぜかその苦しさが心地よく感じる。
「どうしよ。……俺、今めちゃくちゃ興奮しとる。嬉しすぎて、頭全然回らん」
芽榴がそばにいると約束したあの時ですら、聖夜は喜んでくれていた。でも今回は、その比ではない。だから聖夜の喜びが尋常なものではないことも、芽榴には分かる。
「キス、したい。……ダメか?」
興奮を止めることもできずにいるのだろう。聖夜は今にも触れてしまいそうな距離まで顔を近づけて、尋ねてくる。
わずかに残った理性が、芽榴の同意を待っている。
苦しそうな顔をしているのに、聖夜は幸せそうで。
「ううん。……ダメじゃな、っ」
キスをしたら、どんな顔をしてくれるのだろう。そんなことを考えたら、自然と答えは出てしまう。
答えを聞き終わる前に、こらえきれないとばかりに聖夜は芽榴にキスをした。
息する暇もないほどに熱いキスをされて。
初めてのキスは、無理矢理にされたキスは、聖夜が遠慮していたのだと分かってしまう。
それほどに、今のキスは遠慮がなくて、奥底まで芽榴を求めてやまない。
芽榴を逃さないように、聖夜は芽榴の頭も腰もしっかり自分の手で支えていた。
苦しいのに、嬉しくて、涙が止まらない。
芽榴の涙に気づいて、聖夜は芽榴から慌てて唇を離した。
「ごめ……っ、嫌やった? 悪い。俺……」
「そう、じゃなくて……。苦しいのと、嬉しいので……私も、もうよく分かんない」
言葉にすると矛盾だらけになってしまう。芽榴の頭の中も、聖夜と同じくらいには働かなくなっている。
拒絶されたのではないと分かって、聖夜は安心したように息を吐く。芽榴の涙で、少しだけ興奮はおさまったみたいだった。
「嬉しい。……俺も、今めちゃくちゃしんどいけど……でも幸せで、幸せすぎて……頭ん中真っ白や」
聖夜は「かっこ悪」と掠れた声で笑った。
「……なぁ、もっかい好きって言って」
「そう……面と向かって言われると、言いづらいんだけど……」
「俺は何回も言うてるやん。それに、さっきはちゃんと言えてたし」
その通りだ。けれど、あれは聖夜も言ってくれたから言いやすかったのだ。いきなり「好き」というのは、恥ずかしくて、声が出なくなる。
「俺は……好きやで。だから、お前も言って」
本当に、芽榴の「好き」が聞きたいのだろう。聖夜は、芽榴が言いやすいように、自分の気持ちを先に伝えてくれる。
どうしようもなく優しい。またそんな聖夜に甘えてしまう。
そんな聖夜のことが――。
「……好き」
そうしてまた、聖夜が芽榴にキスをした。
今度はもう何も聞かずに。
さっきみたいに荒々しいキスじゃなくて、味わうみたいに優しくゆっくり。
ダンスホールで流れるワルツが、静かな特務室にも微かに聞こえてくる。
でもそんなことに意識を向けていられないほどに、聖夜が与えてくれる「好き」という気持ちに、芽榴の心は溺れるほどに浸かっていた。




