#15
放課後、芽榴は聖夜に言われた通り、聖夜の家に向かった。
言われなくても、今日の件で彼に言わなければならないことがあったから、ここへ来ていただろう。
「悪いな。わざわざ、来てもろうて。ほんまは俺が迎えに行かなあかんかってんやけど、やることあっ……てぇな! は?」
聖夜が芽榴を迎え入れて、そんな労いの言葉をかけてくれた。しかし、芽榴は聖夜が言葉を言い終わる前に聖夜の胸をドンっと叩く。もちろん、それほど力は込めてないのだが。
「会っていきなり何すんねん」
「来るなら来るって、言ってください。それに……あの言い方じゃ、完全に琴蔵さんが悪者じゃないですか」
抗議する聖夜に、芽榴も抗議で返す。
けれどその抗議が聖夜のためのものだと分かると、聖夜はどこか嬉しそうに唇を尖らせてよそを向いた。
「別に、あいつらに悪者って思われるんは今さらやろ。初対面、最悪やからな」
「でも……っ、ああ、ごめんなさい。……えっと、私のこと心配して来てくれたんですよね。……ありがとうございます」
まずはお礼を言わなければいけない。最初にそう自分に言い聞かせてきたはずなのに、聖夜を見た瞬間、言葉が勝手に出て行ってしまっていた。
芽榴が反省していると、聖夜が「気にするな」とでも言うように芽榴の髪をなでた。
聖夜に導かれるようにソファーに座ると、聖夜は芽榴の目尻に触れた。
「また、泣いたやろ。……目、赤い」
聖夜は困り顔だ。困り顔というよりは、どこか不満げだ。
「今回は悲しくて泣いたんじゃないです。……琴蔵さんのおかげで、ちゃんと蓮月くんとも話せたので」
「分かってもらえたか?」
「……それは、分からないですけど、でもちゃんと笑ってくれるようには、なりました。……本当に、ありがとうございます」
芽榴が頭を下げようとすると、聖夜が芽榴の頬を抑えて、それを防いだ。
「俺に頭下げんな。……それに、まだ鉄面皮会長がひねくれたまんまやろ。解決しきってへんわ」
「それでも、神代くんの本音を聞けたのは、琴蔵さんのおかげですから」
芽榴が「ありがとうございます」と告げると、それは素直に受け取ってくれた。
「よかった。……お前が笑うてくれて。俺のせいでお前が泣くんはほんまに嫌やから」
一度好きと言われてしまったからか、それともずっとこうだったのか、どちらか分からないけれど、告白を受けてからというもの、聖夜の好意がひしひしと芽榴に伝わってくる。
「本当に、ありがとうございます。……お礼に、何か私にできることありますか?」
「は? お礼なんていらんよ。たいしたことしてへんし」
「私がしたいんです」
芽榴がそう告げると、聖夜は思案するように頭をひねる。
「正直、お前にしてほしいことはたくさんあるんやけど……どれもドン引きされそうやし。それ以前に、お前が俺のことちゃんと好きになってからやないと、ダメなことやしな」
「……どんなこと考えてるんですか」
「言ってもええの?」
「いいえ、聞きたくないです」
芽榴が答えると、聖夜は残念そうに肩をすくめる。そしてまた「気にせんでええよ」などと言ってきた。
「でも……」
「普通に考えや。好きな女が泣いとるの、放っておけるわけないやろ。つーか正直、俺もイラついて、あいつら煽っただけやしな。むしろ状況が悪化せんかったのが奇跡や」
聖夜はそんなふうに言って、感心している。
「奇跡や、じゃないですよ。本当に、何を言いだすかと思えば……」
「でも、1つも嘘はついとらんよ」
聖夜が満足げにそう言って、芽榴に笑いかけてくる。
その笑顔は、別に見慣れないものではないのに、どうしてか、芽榴の心がざわついた。
「なんで、よそ向くんや」
「……気にしないでください」
「気になるわ、アホ。こっち向け」
聖夜が無理矢理に芽榴の顔を自分の方へ向ける。
芽榴は熱い顔を見られまいと、即座に聖夜の目を自分の手で塞いだ。
「……芽榴、お前何してんのや」
聖夜が呆れた声で呟いて、芽榴の手をはがそうとする。
けれど芽榴の手に聖夜が触れた瞬間、芽榴は小さく口を開いた。
「琴蔵さんは、嘘ついてないかもしれないですけど……間違ってますよ」
「は? 何がや」
「……私が琴蔵さんを選んだのは、別に琴蔵さんが卑怯なことをしたからとか、そういうんじゃなくて……私が琴蔵さんのそばにいたいってちゃんと思ったからで……それは、間違いです」
芽榴がちゃんとそれを伝えると、聖夜の喉がゴクリと鳴った。
「あと、私のために来てくれたの……嬉しかったです」
芽榴がそう告げると、次の瞬間には、芽榴は聖夜の胸の中に顔を埋めていた。
「こ、琴蔵さん……っ」
「もう今はなんも言わんで。俺のほうが壊れそう」
聖夜に言われて、芽榴はおとなしく口を閉じる。すると耳に、聖夜の心臓の音がはっきりと聞こえてきた。
「琴蔵さん、脈早すぎません? 大丈夫ですか?」
「なんやそれ。わざと言うとる? 誰のせいや思うてん」
聖夜の言葉で、芽榴は理解する。普通に考えればそう。けれど聖夜が芽榴のことでこんなにもドキドキしてくれるとは、思っていなかった。
実際に耳にして、芽榴の顔がまた熱くなる。
「ああ……今、お礼考えついた」
「え。あ、……何ですか?」
間抜けな声を出しながら、聖夜に尋ねる。無理難題は先ほど自ら飲み込んでいたため、おそらく芽榴に実行可能なこと。
芽榴が少し顔を上向かせて尋ねると、気恥ずかしげな聖夜の顔が映った。
「見んな、アホ」
「うわっ」
再び顔を胸に押し付けられて、芽榴は変な声を出してしまう。その声を聞いて、聖夜は楽しそうに笑った。
「もう、笑わないでください」
「それ」
「え?」
「その敬語、やめにして。それがお礼。……あと、名前で呼んで」
聖夜のお願いを聞いて、自分の脳内で理解する。
すると途端に、身体がぶわあっと熱を出した。
「む、無理ですっ!」
「顔真っ赤やな。……かわええ」
勢いのまま熱い顔を上げると、今度は胸に押しつけ直すことなく聖夜の手が芽榴の頰に触れた。
なんのためらいもなく言われた「かわいい」が、聖夜から初めて言われたわけでもないのに、どうしようもなく嬉しくて、恥ずかしい。
「ほ、他に何かないんですか……」
「じゃあエロい格好して、俺にキスねだってくれるか?」
聖夜が楽しげにシレッと言ってのける。完全に無理だと分かって言っているのだ。
それは腹立たしいけれど、そのお願いは敬語をやめて名前を呼ぶこと以上に無理だ。
しかし、お礼をしたいと言ったのは芽榴だ。
完全に無理なことを言われたわけじゃない。むしろ、他人からすればそれでいいのか、という内容だ。
でも、聖夜相手だと気をつかう上に、緊張する。
「……聖夜、さん」
「なんで、『さん』つけるん。呼び捨てにせえよ」
「……私、弟以外呼び捨てにしたことないです」
「なら、なおさらしてほしいんやけど。つーかほら、敬語やし」
言い訳のつもりで口にしたセリフが、動機に変わってしまう。
聖夜はしっかり芽榴の背中に腕を回していて、逃げられない。おそらく名前を呼び捨てにするまで逃してもらえない。
芽榴は腹をくくって、目をぎゅっと閉じた。
「……聖夜。これで、いい……?」
ですか、と付け加えそうになるのをこらえてなんとか言ってみる。
すると、聖夜の顔が今まで見たことないくらいにだらしなく緩んだ。
「最高。もっかい言って」
「い、嫌です」
「ほらまた、敬語になってるで。慣れるまで離さんからな」
聖夜は愉快そうに笑っている。
無邪気に笑う、聖夜のこんな顔をきっと他の人は知らない。
芽榴だけに見せる特別な顔。それがわかるから、芽榴の顔も自然と緩んでしまう。
「ほんまに、かわいすぎ」
ただ、名前を呼ぶだけで、対等な言葉遣いをしただけで、こんなにも喜んでくれる。
そんな聖夜が、どうしようもなく愛おしく思えた。




