#13
その日、聖夜は芽榴の部屋に1、2時間ほど滞在すると、自分の家へ帰って行った。
芽榴には何も言わなかったけれど、おそらく帰ってからしなければならないことが残っているのだろう。
寝る暇を削ることになってまで、芽榴のもとに会いに来てくれた。
それが申し訳ないのに嬉しくて、沈んでいた心が聖夜のおかげで少しだけ晴れた。けれど聖夜が帰ると、やはり颯と風雅のことを考えてしまった。
みんなに会えるのが楽しくて、弾むように向かっていた学園への足取りが、今日はとても重い。
まるで生徒会に行かなくなっていたあの時期と似たような感覚だった。
幸いにも昨日からテスト期間に入って、生徒会はない。けれどこの会わない期間が余計に、2人との溝を深くなる気がしていた。
『お前はなんも気にせんでええから』
昨日、聖夜がずっと口にしていた言葉。聖夜は気休めで軽々しくそんなことを言わない。
泣いていてあまり深く考えていなかったけど、冷静になった今、その言葉がどういう意味なのか、考えてしまう。
「考えすぎ、かな」
芽榴は頭を左右に振り、深呼吸をして学園へと向かった。
学園はバレンタインの余韻を残しつつ、テスト前の緊張感が徐々に表れ始めていた。
しかし昨日チョコを渡しそびれた生徒が、役員に一日遅れで渡しに行っているという噂も耳に届いている。
そのせいもあって、昨日に引き続き少しだけ校内は浮足立ったまま。
そんな中、昼休みになって少し時間が経った頃、廊下で喋る生徒たちがやけに騒がしくなった。
「騒がしいわね。何かあったのかしら」
芽榴と問題を出し合っていた舞子が、困り顔で廊下に目を向ける。
この学園の生徒を騒がしくさせる原因の多くは、芽榴の友人たちだ。今回もそんなところだろうと舞子は芽榴のほうを見る。
芽榴が舞子に苦笑を返すと、突然放送が流れ始めた。
「生徒会役員は、至急応接室にくること」
慌てたような教師の声が校内に響く。騒がしさの理由を伝えるかのように流れた放送に、芽榴は目を大きく見開いていた。
「今日、生徒会で何かあるの?」
「ううん、そんなことは聞いてないけど……」
これは緊急の呼び出し。放送の声が颯ではなく、教師であるから確実にそう。そして芽榴の予想を確信に変えるように、廊下から生徒のはしゃぎ声が届いた。
「校門にすっげえでかい車が停まってた!!」
急いで応接室に向かうと、すでに風雅以外の役員が扉の前に集まっていた。
颯と目が合うけれど、すぐにそらされてしまった。
「あ……」
「あはは、風ちゃん遅いわねぇ」
颯と芽榴のあいだを取り持つように、来羅が明るい声で言葉を挿む。
来羅の気遣いがありがたくて、芽榴が来羅に笑いかけると、芽榴の背後から静かに風雅の声が聞こえた。
「遅くなってごめん」
いつもならうるさいくらいに元気に謝ってくる風雅が、真面目な姿で現れる。
本来、それが当たり前なのに、どうしても気まずくなってしまう。
芽榴と颯、そして風雅のぎこちない態度を見て、残りの3人は小さくため息を吐いた。
「そろったね。じゃあ入ろうか」
颯は平静を装って、そう声をかけると扉を開けた。開ける瞬間「何をしに来たか知らないけど」と小さくつぶやいたのを、芽榴はちゃんと聞いていた。
応接室の中には、理事長と校長と話をしている聖夜がいた。
恐縮している2人を相手に、聖夜は他所向きの笑顔で会話している。けれど芽榴たちが入ってきたのを確認すると、すぐに話を切り上げた。
「先日、役員の皆様に、イブの余興をしていただきましたので、そのお礼に……。わざわざ理事長先生と校長先生まで僕のために時間を割いてくださるなんて……」
「い、いえいえ! 琴蔵様がわざわざ我が校に足を運んでくださったのですから!」
そんなやり取りをくり返したのち、聖夜の声かけで応接室には聖夜と生徒会役員だけになった。
「それで……お忙しい琴蔵様が、いったい何の用ですか」
刺々しい物言いで、颯が聖夜に問いかける。聖夜は颯の質問に答える前に、不安な顔をしている芽榴へと視線を向け、ほんの一瞬だけ芽榴に優しく微笑んだ。
「別に。たいした用はあらへんよ。イブの余興かて、礼も何も合意の上やったしな」
聖夜は不敵な笑みを浮かべて、颯に返す。その態度が颯の感情を逆なですると分っているはずなのに、聖夜はあえてそんな態度をとった。
ちらりと風雅に視線を向けると、風雅は聖夜のことを視界にいれないように視線を下げたまま。
「俺たちを呼んだのは建前で、楠原に用だろう。なら、俺たちは失礼する」
颯が暴走する前に翔太郎が言葉を挿む。問題が起こる前に切り上げようとしてくれていたのだが、聖夜は首を横に振った。
「お前ら全員に用があるんは、ほんまや。芽榴にしか用がないんやったら、わざわざこんなとこ来んでも会えるしな」
その発言に、颯と風雅が即座に反応する。2人のまとう空気が変わるのを察して、即座に有利が聖夜に言葉を返した。
「用件があるなら、それだけおっしゃってください。昼休みもそんなに長くありませんから」
「ああ、せやな。じゃあ……言わせてもらう」
そう告げると、聖夜は立ち上がって颯のもとへと歩み寄った。
「……僕に、何が言いたいの」
「お前にも、そこで俯いとるやつにも、それから他のやつにも言っておくことがある」
聖夜は風雅のことをにらんで、来羅と翔太郎、そして有利に目を向けると、再び颯に視線を戻した。
「芽榴は、俺がもらう」
「……っ、琴蔵さん!」
芽榴が聖夜の言葉をさえぎろうとすると、聖夜が芽榴に鋭い視線を向けた。「黙って見てろ」とでもいうように。その視線を受けて、芽榴は口を閉ざしてしまう。
真正面からその言葉を受け止めた颯は鼻で笑った。
「わざわざそんなことを言いに来たんですか? お暇ですね」
「ああ、大事なことやからな」
颯の手は見てるこちらが痛くなるほど、きつく握りしめられていた。
「でも……芽榴はお前らが大事やからな。お前らが認めんことには、俺のそばにもおってくれんやろうし」
そう言いながら、聖夜は頭を下げた。
その行動に、颯と風雅以外の全員が目を丸くした。
「琴蔵さん、何やってるんですか!」
芽榴が慌てて駆け寄るが、聖夜は頭を上げない。
颯の前に頭を下げたまま、静かに言葉を続けた。
「俺が、卑怯な手使うて……芽榴をつなぎとめただけや。こいつは優しいからな。俺のこと好きやないまま、俺のそばにおるって言ってくれた。……それだけや」
芽榴が聖夜を好きではない。そう告げる聖夜の気持ちがどんなものか、芽榴には想像もできない。
けれどそれを聞いていた風雅が、とうとうこらえ切れずに口を開いた。
「それが分かってるなら……なんで、芽榴ちゃんを自分だけのものにしようとするの」
「風ちゃん……」
風雅の質問に聖夜は薄く笑った。
そして顔を上げ、聖夜はまっすぐに風雅のことを見つめ、答えた。
「お前やったら、どうする? 自分のこと好きやなくても、俺のそばにおってくれるって、芽榴が言ってくれたら……全力でつなぎとめたいって思わんの? 思わんのやったらそれは、そんだけの気持ちやろ」
そう告げられ、風雅は何も言えなくなる。自分が聖夜の立場なら、風雅もそうしていたから。
同じように、聖夜も風雅の立場なら怒っていたから、聖夜には風雅の気持ちが分かる。
「卑怯でもなんでも、芽榴にそばにおってほしいって……お前らもそう思ってるんやろ。……まだ芽榴を振り向かせられる可能性が残ってるのに、いじけとる暇あったら芽榴のために行動せえよ!」
聖夜は颯と風雅に向かって怒鳴り飛ばす。
「俺が嫌いなんやったら、俺に怒ればいい。芽榴に八つ当たりすんな。……お前らの機嫌損ねただけで、芽榴は泣くんや。そんくらい、お前らのことがこいつは好きなんや。それがどれだけ腹立つか、お前らに分かるか?」
聖夜のそばに、芽榴はいる。でも芽榴はいつだって役員のそばにいる。
そのことに、聖夜が毎日どれほど嫉妬しているか、それは役員にも芽榴にも理解できるものではない。
「芽榴はもらう。せやかて、芽榴がお前らの誰かを好きになってしまったんやったら、俺のものにはできん。……まだ勝負は終わってへん。俺はいまだにお前らの存在がむかつく。それくらい芽榴の中の俺の存在もお前の存在も変わらんのや、腹立つくらいにな!」
聖夜は颯の肩を掴んで、まるでぶつけるみたいに言葉を吐いた。
「こいつを泣かせる暇があるなら……こいつを惚れさせるくらい笑わせて、そんで俺から奪ってみろや! お前らはそれができるくらいの人間やって俺は思うてる。……せやから、お前らの存在が嫌なんや」
最後は小さな声で「なんや、俺カッコ悪……」などとつぶやいて、聖夜は俯いた。
そして少しの沈黙の後、颯は聖夜の手を振り払った。
「な……っ」
「君の言いたいことは聞いたよ。僕から言うことは何もない」
颯はそう告げると踵を返す。聖夜の「待てや」という越えに、足を止めるけれど振り返りはしなかった。
「僕は、君が嫌いだよ。本当に、死ぬほど嫌い」
「だから、そないなことは――っ」
「でも、芽榴のことに関してだけは、ずっと……憎いほど感謝してた。余計に、君を嫌いになるくらいにはね」
それは、はじめて颯が口にする本音だった。
「本当は芽榴に怒ってるわけじゃない。……ただ、僕にも気持ちを整理する時間くらいは許してほしいんだよ」
颯は芽榴のほうだけを向いて「ごめんね」と告げる。その瞳は昨日まで見せていた表情よりもはるかに優しかった。
「待って、颯!」
颯が応接室を出て行くと、来羅も彼を追いかけるように出て行く。部屋を出る前に来羅は聖夜に軽く頭を下げ、この場を走り去った。
扉がぱたりと閉まると、聖夜は風雅に視線を向ける。
何か言いたそうにしながらも、何も言えない風雅を見て、聖夜は眉を下げた。
「俺がおったら、話もできひんか。……言いたいことは言ったし、俺は帰る」
聖夜はそう言って、荷物を手にすると再び芽榴のそばに来た。
「帰り……俺の家に寄って」
芽榴にだけ聞こえるように小さくささやいて、聖夜も颯に続くように応接室を出て行った。




