#10
聖夜の気持ちを芽榴は受け入れた。
恋人になったということなのか、それは分からなくて、聖夜に尋ねようと思ったけれど、なんとなく穏やかな空気を壊したくなくて、それは聞けなかった。
でも、「そばにいる」ということを芽榴は約束した。だから少なからず、他の誰よりも聖夜が特別な存在になったことは間違いない。
その後は、聖夜の部屋でチョコを作り直して、一緒にチョコを食べただけ。
聖夜は終始機嫌がよかったけれど、芽榴を困らせないようにするためか、あの告白以降は「好き」という言葉を口にしなかった。
ただその代わり、ソファーに座っている間、聖夜は芽榴の手をずっと握っていた。まるで、芽榴がそばにいることを確かめるみたいに。
そうしてバレンタイン当日が訪れた。
おかげで、学園は朝からずっとにぎやかで、生徒たちはいつもより明るく、騒がしい。
朝のホームルームが始まる前、芽榴のもとには、麗龍学園のバレンタインにおけるメイン人物の一人がやってきていた。
「藍堂くんが、教室にくるなんて珍しいね」
芽榴の席にやってきた有利に、芽榴は驚いた声を出す。
有利も「そうですね」と困り顔で笑っていた。F組では有利のことを好きな女子、主に宮田あかりがそわそわしていた。
「蓮月くんから伝言を頼まれまして……」
「蓮月くんから?」
芽榴が問い返すと、有利は「はい」とゆっくり頷く。そしてその伝言を口にした。
「今日はなかなか会いに行けないので、放課後一緒に帰りたい、とのことです。だから教室で待っていてほしい、と」
有利は伝えながら苦笑していた。風雅が会いに来られない理由は、言われなくても分かる。だから芽榴は「大変だねー」とのんびりした声で答えた。
そうして、芽榴は手提げ袋を手に取って中からチョコの箱を取り出した。
「これ、藍堂くんに作ったんだけど……もらってくれる? いっぱいもらってるなら、全然……」
「もらいますよ。当たり前じゃないですか」
有利は芽榴が言い終わる前に答えて、芽榴の手から優しくチョコを受け取った。そして困り顔のまま首を竦めた。
「僕だけじゃなく、蓮月くんも柊さんも……皆さん、楠原さんのチョコを楽しみにしてますよ」
みんなチョコをたくさんもらうだろうからと、不安がっている芽榴の心を落ち着かせるように、有利はそう伝えてくれた。
風雅は金曜にも欲しいと言ってくれた。来羅もきっと笑顔で受け取ってくれる。翔太郎は、文句を言いながらもきっと突き返しはしないだろう。
問題は――。
「神代くんとは、まだ仲直りできていないんですか?」
有利が心配した声で、芽榴が考えていることを話題にあげた。そのとおりだから、芽榴は笑って答えることしかできない。
「なら、そのチョコで仲直りしてください。神代くんも楠原さんのチョコは欲しいはずですから」
「そー……かな」
「そうですよ」
有利が優しく励ましてくれる。
このチョコで仲直りすることはできるかもしれないけれど、芽榴が昨日決意したことを知れば、また颯は怒るだろう。それが分かるから、芽榴はぎこちなく笑うことしかできなかった。
昼休みになって、芽榴は翔太郎を探しに空き教室へと向かった。
おそらく翔太郎にもたくさんチョコが用意されているはずだが、翔太郎はその現実から逃げるために人のいない教室に隠れているだろう。
おかげで他の役員よりも渡しやすいのだが――。
すでに五カ所ほど空き教室を回っているが、翔太郎は見当たらない。
困ったな、と思いながら、ほぼ諦めの気持ちのまま次の空き教室を開ける。すると――。
「あらら、翔ちゃん。誰か来ちゃったわよ」
「貴様が鍵を閉めていないからだろ、馬鹿……って、なんだ、楠原か」
教室の中には人気者の男子2人がいた。今、芽榴が探していたのは翔太郎だけだったが、来羅にも会いたかったから都合がいい。
ドアが開いた瞬間は「まずい」という表情をしていた2人だが、芽榴の顔を見た瞬間、安堵の表情を浮かべた。
「るーちゃんだ! おいでおいで」
来羅は明るい表情で、自分たちの座る席へと手招きする。芽榴もその手招きにつられるように、来羅と翔太郎のもとへ歩いた。
「来羅ちゃんも葛城くんと一緒にいたんだね」
「うん。去年もそれなりにチョコもらってたんだけど、今はこの姿だから、去年とは勝手が違うのよねぇ。あ、でもるーちゃんのチョコは欲しいな」
語尾に音符でもつきそうなくらい愉快に来羅は告げる。
男子の格好をするようになった来羅には、女装をしていた頃よりもはるかに多くのチョコが用意されていた。
来羅は「呼び出しは面倒だから翔ちゃんと一緒に隠れてるの」とウインクしながら答える。
「貴様が一緒だと、こっちが迷惑なんだが」
「あら、私のおかげでさみしくなかったでしょ?」
「冗談のつもりならもっとおもしろいことを言え」
翔太郎はいつにもまして不機嫌だ。芽榴は苦笑しながら、とりあえず先に来羅へチョコを渡した。
手提げ袋から一つだけ箱を取り出すと、翔太郎の顔がさらに険しくなった。
「来羅ちゃん、これ」
「わぁ、ありがとう!」
来羅は目をきらきらに輝かせて笑った。そうして横目に翔太郎を見て、くすくすと声を漏らす。
来羅に笑われて、翔太郎はさらに眉間の皺を深くした。
「あー……っと、葛城くん」
「……なんだ」
「ちゃんと葛城くんにも用意してるんだけど、その……もらってくれる?」
芽榴がそう尋ねると、翔太郎の表情が少しだけ柔らかくなる。翔太郎は芽榴から視線を逸らしながら、小さく口を開いた。
「誰も、もらわないとは言っていない」
「毎度言ってるじゃない。女子からのチョコはいらないって」
芽榴が思っていたことを来羅が代弁してくれる。すると翔太郎はうっと喉を詰まらせた。
「貴様らだって、毎度言っているだろうが」
「私はちゃんと、るーちゃんのは欲しいって言ってますぅ」
来羅が堂々と答えると、翔太郎はまたも口を閉ざす。何も言えない代わりにプルプルと体を震わせ始めた。
「あはは、葛城くん。せっかく作ったから、もらってくれると嬉しいなー」
芽榴は翔太郎をなだめるように言って、翔太郎の分のチョコを手提げ袋から取り出す。
翔太郎は芽榴からチョコをもらうと、消え入りそうな小さな声でお礼を言った。その様子を、来羅も嬉しそうに見ている。
「で、他のみんなには渡せた?」
来羅は話題を変える。今日は自分たちを含めて役員に会うのは難しい。だから心配してくれているのだろう。
「来羅ちゃんと葛城くんが一緒にいてくれたからだいぶ助かったよ。藍堂くんは朝、蓮月くんの伝言で会いに来てくれたからそのときに渡せて……」
「風ちゃんの伝言?」
「うん。放課後まで会えないから、帰りに待っててほしいって」
「あはは、るーちゃんのチョコは譲れないものねぇ」
もらい損ねたら自慢しようと思っていたのに、と来羅は楽しそうに笑って呟く。
そんな中、翔太郎は困ったような顔で芽榴のことを見ていた。
「それで……神代にはどうやって渡すつもりだ」
翔太郎の静かな問いかけで、教室に沈黙が訪れる。芽榴の歯切れ悪い言葉の欠片が、鮮明に響いてしまった。
「……チョコは、用意してるんだけどね」
質問の答えにはなっていない。けれど、その返答で芽榴がどうすればいいのか、迷っていることは2人に伝わる。
颯との喧嘩の理由を知っている翔太郎は、むやみに仲直りしろとは言わない。
「機嫌は損ねていても、貴様からのものを突き返すことはない。だからいつも通りの貴様で会いに行って、渡して来い」
翔太郎がそんな優しい声掛けをしてくれる。その言葉に来羅も驚いていたけれど、すぐに頷きながら翔太郎の言葉に続けた。
「そうだよ。気まずいからって変に気を遣わないで、普段通りに話しかけてみたら意外と颯の機嫌も直るかもしれないし!」
来羅がグッと拳を握り、「がんばれ」と言ってくれる。
「それに、どうしても颯に会いづらいなら私が一緒に行ってあげるよ?」
優しい提案。しかし、それに甘えるわけにはいかない。そうしてしまったら、永遠に颯と仲直りできない気がした。
といっても、単独で会いに行ってもきっと仲直りはできない。それでも――。
「ううん、大丈夫。一人で行くよ」
颯を怒らせると分かっていても、芽榴には伝えなければいけないことがあった。
 




