#08
次の日、芽榴は東條グループのオフィスにいた。
ちょうどバレンタイン前ということもあって、芽榴は東條に渡すチョコを持って来ていた。
「芽榴の手作りか。嬉しいよ、ありがとう」
目尻を下げて、東條は嬉しそうにそれを受け取る。
芽榴も喜んでもらえたことが嬉しくて、小さく笑みを返した。
「お忙しいのに、時間を割いてくれてこちらこそありがとうございます。アメリカに行く前に、教わりたいこともあって」
東條家について、東條グループについて、芽榴が知らないことはたくさんある。
どうせアメリカに留学に行くなら、自分が帰ってくる場所がどういうところなのか、把握した上で挑みたい。
そう思って、芽榴は東條にアポをとっていた。
「日本にいるあいだの、数少ない休日なのに、友人と会わなくていいのかい?」
「できるだけみんなと一緒にいたいですけど、同じくらい東條社長と会える日も多くないですから」
今まで会うことすらかなわかった相手。それがやっと会えるようになって、今度は物理的に会えなくなる。
だからこそ、芽榴にとって東條も、この数少ない時間の中で会っておきたい人なのだ。
「あ、そーだ。これ、修学旅行のお土産です」
東條へのお土産は風雅との小樽観光中に見つけたガラス細工の置物。東條は箱を開けると、感嘆しながら光に反射する鮮やかな色を眺めていた。
「すごく綺麗だ。ありがとう。ここに飾らせてもらう」
気に入ってくれたらしく、東條は早速自分のデスクに飾る。
重治がこのあいだ言ってたとおり、東條は表情を緩ませて本当に嬉しそうにしていた。
「ん、何か私の顔についているかな」
「あ、いえ。東條社長がシーサーのキーホルダーですごく喜んでたって話をこのあいだ聞いたのを思い出して」
「……楠原か」
芽榴が答えると、東條は恨めしそうに視線をそらす。そうしてため息を吐きながら、芽榴に視線を戻した。
「こうやって榴衣の話をしたことは、あまりなかったね」
東條は感慨深そうに呟いて、ほんの少しだけ恥ずかしげにそのときのことを話してくれた。
「嬉しかったんだ。榴衣からのプレゼントが。たとえどこにでも売ってあるような、ありふれたものでも、榴衣が私のためにわざわざ選んでくれたものだったから」
言葉以上に表情が、東條の榴衣への思いを伝えてくれていた。とても優しい顔。そんな顔をいつも榴衣に見せていたのだろう。そう思うと、芽榴もなんとなく嬉しい気持ちになった。
「学校も違って、なかなか会う暇もなかったからね。たった少しの時間でも一緒にいられるだけで、幸せだったよ」
――幸せやよ。……俺は。芽榴とおれるなら、いつでも、どこでも……どんなときでも――
以前、聖夜が眠りながら芽榴に告げた言葉が頭をよぎった。
東條が榴衣に寄せていたような、そんな特別な感情など聖夜にはない。そう思うのに、芽榴にはなぜか、東條の姿が少しだけ聖夜と重なって見えた。
「芽榴は、そういうふうに思ってる人はいないのかい?」
東條の質問に、すぐには答えられなかった。
東條が榴衣に抱いていた「好き」という感情。それと同じ感情が自分の心に存在してるのか、自分てもよく分からない。
けれど、1つだけ分かっていることがあった。
「……一緒にいてあげたいって思う人は、います」
芽榴はつぶやくように、真剣な顔でそう口にしていた。東條もその返答は予想外だったみたいで、少し驚いた顔をしていた。
「生徒会の子たち、かな?」
そう考えるのが、妥当。
もちろん、芽榴にとって、生徒会のみんなは一緒にいたい人。
でも今つぶやいた「一緒にいてあげたい」の感情はそれとは少し違った。
だから芽榴は首を横に振る。
「……東條社長と、少し似てる人です」
その後ちゃんと本題に入って、夕方に芽榴は東條グループのオフィスを出た。
今日は帰ってから、明日聖夜にあげるチョコを作らなければならない。
芽榴が地下鉄へ向かおうとすると、目の前に見知った顔が現れた。
「よぉ、久しぶり」
「……簑原さん?」
「待ち伏せ成功〜。って、なんで疑問形? 俺以外に誰に見える?」
「あなたにしか見えませんけど……やっぱり髪暗いと違和感あって」
「ははは、似合うだろ〜」
聖夜の件で学園に来た時に、すでに慎の暗い髪を見てはいるが、やはりまだ違和感がある。以前の明るい髪より好感はあるのだが、芽榴も本人にそれを言うつもりはない。
「で、どうしてこんなところにいるんですか」
「言ったろ、待ち伏せ」
「私をですか?」
「そう」
芽榴があからさまに嫌そうな顔をすると、慎は愉快そうに笑う。「なぜ」などと聞けば、「教えなーい」などとうざったい返事がくるのは分かっているため、芽榴はため息だけを返した。
「人の顔見てため息吐くなよ。失礼だな〜」
「……すみません。私、これから家でやらなきゃならないことがあるので、寄り道はできません。それじゃあ」
そう言って、芽榴は歩き出す。しかし、慎は芽榴の隣を歩いている。
「あの、だから……」
「別に寄り道しなくていいし。あんたが家に着くまで、俺の暇つぶしになってよ」
慎の行動の意図が全く理解できない。
しかし芽榴の理解など求めていないとでも言うように、慎は「ほら行くぞ」と言って、芽榴の少し前を歩き始めた。
地下鉄を降りるまでは、慎が宣言通り簑原家にちゃんと戻ったことや、近況を話しただけ。
慎にしては、まともな話を続けるな、などと思っていたのだが、地下鉄を降りて、人気が少ない道に入った瞬間、本題が始まった。
「で、さ。このあいだ、聖夜があんたの家に泊まったって、本当?」
唐突に切り替わった話。
聖夜が慎に伝えたのだろうか。だとしても、芽榴と聖夜のあいだに、やましいことは何もない。
「そうですけど。琴蔵さんに聞いたんですか?」
「ああ。あんたに会いに行ったら、熱があってそのまま泊めてもらったって」
その説明通りだ。それ以外に語ることはない。
けれど慎のほうは、そのことについて聞きたいことがあるみたいだった。
「まあ病人だし、追い返さないだろうけど。でも夜中ずっと同じ部屋にいたんだろ? それってどうなの」
「でも、別に何も……」
「それは結果論」
芽榴の言い訳を塞いで、慎は言葉を続けた。
「で、聖夜と頻繁に連絡取り合うようになって、明日は聖夜のお宅訪問」
すべて事実。そうなるまでのあいだに、いろいろなやり取りがあったとしても、慎には関係ないこと。
事実は、慎が要約したことと変わらない。
「聖夜のこと、好きなの?」
そう問われるのは当然。でもやはり、その質問の答えは曖昧なまま。
「聖夜は琴蔵家の次期会長。当然、お見合い話はたくさんきてる。いつまでもフラフラしてられないの、分かってるだろ」
「琴蔵さんは、私のことをそういうふうに見てな……」
「いい加減にしろよ」
笑みを消した慎が、芽榴を逃さないように腕を掴んだ。そして言い聞かせるように、その手に力を込めた。
「いっ……」
「本当は分かってるだろ。聖夜の気持ち。知らないふりしてたいだけなんじゃねぇの」
違う。そう言いたいのに、慎がその言葉を言わせてくれない。
慎の真剣な言葉が、聖夜は芽榴のことが好きなのだと、その確信に導いていく。
何度か考えては、違うと切り捨てたこと。
聖夜にとって、芽榴は本当に大切な友人。数少ない心を許せる人。
そうなのだと、本気で芽榴は思っていた。
「聖夜の気持ちに答える気が一切ないなら、もう聖夜に会うな。今の状態をずっと続けるなんて、聖夜の時間を無駄にするだけだろ」
慎の言うとおり。なのに、聖夜に会えなくなることを拒む自分がいる。
その気持ちが芽榴の顔には映し出されていた。
「でももし、少しでも聖夜に気持ちがあるなら……本当に好きなのかとか、そんな余計なこと考えんのやめて、今すぐにでも聖夜を……選べよ」
慎の表情が微かに歪む。聖夜のことを思ってなのか、それとも他の理由でなのか。慎はまるで自分のことみたいに真剣だった。
「楠原ちゃんを幸せにできるやつはたくさんいるかもしんないけど、聖夜を幸せにできるのは楠原ちゃんだけなんだから」
そう言って、慎は芽榴の手を離した。
「じゃなきゃ、諦めつかねぇままズルズルいっちまう」
慎はハハッと自嘲するように笑う。
その言葉の主語が誰なのか、それは慎にしか分からない。
「言いたかったのは、それだけ」
まるでケジメをつけに来たみたいに言って、慎はいつものふざけた態度に戻っていた。




