#05
学園に行く途中の分かれ道まで、芽榴は聖夜と一緒に歩いた。
「家までお迎えに来てもらったほうがよかったんじゃないですか?」
寒さで微かに身を震わせる聖夜を見上げ、芽榴はそう声をかける。
この先の道を曲がって大通りに出たところで車を待たせているらしいのだが、どうせ迎えに来てもらうなら家まで来てもらえばよかったのに、と芽榴は困り顔をした。
「お前ん家まで迎えに来てもらうと、いろいろ説明が面倒やねん。本家にも筒抜けになるし」
「どっちにしても夜どこにいたのかって追求はあると思いますけど……」
聖夜は、一般人の家に安易に寝泊まりして許される立場の人間ではない。多くの縛りと監視があって、聖夜がそれをくぐり抜けてわざわざ芽榴に会いに来たことを、芽榴はちゃんと分かっていた。
「うまいこと言えばなんとかなる。お前は何も気にせんと、学校行きや」
「ややこしいことになりそうなときは、ちゃんと連絡してくださいね」
芽榴が心配そうな視線を向けながら聖夜に告げると、聖夜は「ああ」と優しく微笑んだ。
「……せや。連絡といえば……」
そして、ふと何かを思いついたように聖夜は芽榴にそれを手渡す。
「それ、お前にやる」
「え?」
芽榴が渡されたのは白色の携帯だった。
「だ、だめですよ。こんなの」
「なら貸すだけ。やから、持ってて。そのほうがお前と連絡とりやすいやろ」
「でも、琴蔵さんの携帯が……」
芽榴に渡せば聖夜の分がないのではないかと芽榴が焦り顔になると、聖夜が説明を付け加えた。
「それは俺の予備の携帯や。普段使うとるやつは別にある。昨日の夜焦って家出たから間違うてそれしか持ってきてへんくて……でもちょうどよかったわ」
満足げに言って聖夜は操作の仕方を簡単に説明してくれる。
「いつも使うとるほうのスマホが使えんようなったときの予備やから、電話帳も俺の普段使いのスマホと、使いの運転手と、慎くらいしか入ってへんし……こっちに連絡くることはほぼあれへん」
聖夜は芽榴に持たせた携帯ごと芽榴の手を握る。
「俺の電話だけ、とればええから」
その携帯があれば、聖夜が芽榴の家に気を使うことなく芽榴に電話ができる。
本当に気兼ねなく連絡がとれるのだ。
「でも他のやつとそれで連絡とるのはあかん」
「しませんよ。琴蔵さんの携帯なんですから」
聖夜と連絡をとるためだけの携帯。
だから学園へ持っていく必要はない。常に部屋に置いておけばいい。
「……じゃあ、借りておきますね」
分かれ道、芽榴は聖夜から携帯を受け取って、学園への道を進んだ。
学園の門をくぐり、芽榴は2学年棟にある自分の靴箱へと向かう。
少し前までは素通りしていた靴箱だが、今はちゃんと靴をそこに置いている。芽榴はローファーを脱いで、上履きを取り出そうと靴箱の扉を開けた。
「……手紙?」
中を覗くと、上履きの上に紙がのっている。今まで靴箱に入っていた手紙と言えば、主に風雅ファンからの苦情文ばかりであったため、芽榴は少し身構える。
上履きとともに取り出し、手紙というよりはただのメモ用紙と言った方が近いものに目を通した。
『学校に来たら、そのまま生徒会室にきて』
綺麗な文字。差出人の名前を見ずとも、文字だけで誰からのものから分かる。
昨日今日で考えれば特に、彼から呼び出されることも理解できないことではない。
芽榴は小さく息を吐いて、彼からの手紙をスカートのポケットにしまう。そして言われた通り、そのまま本棟の生徒会室へ向かった。
ノックをして、中から聞こえた「はい」の言葉を了承と受け取り、生徒会室の扉を開ける。
「おはよう、芽榴」
会長席の机に軽く腰を預け、颯が立っている。
芽榴が来るまで、本を読んでいたみたいだ。しかし、芽榴が生徒会室に入ってくると、颯は本をパタンと閉じて芽榴に視線を向けた。
「おはよ、神代くん」
芽榴は挨拶を返して、鞄とマフラーを近くの机に置いた。
空気は少しだけピリピリしている。雑談で場を和ませたほうがいいのかもれないが、そうしたところできっと和むことはない。
それを分かっているからこそ、芽榴は単刀直入に颯に話題を振った。
「神代くんの用事は……なに?」
芽榴が眉を下げながら尋ねる。すると颯は机から体を離して、芽榴のほうへと歩み寄ってきた。
「……連絡したの? あのお坊ちゃんに」
「したよ」
誤魔化したところで、颯は答えを聞いて分かっているのだから無意味。芽榴が即答しても、颯は特に大きな反応は示さずに質問を重ねた。
「それで?」
「それだけだよ」
「本当に?」
話をややこしくしないために、芽榴は「連絡した」というだけで話を済ませようとしていた。聖夜が家に来たことは、さすがの颯にも分からないこと。
そう思っていたのだが、颯は訝しむような視線を芽榴に向けたままだ。
「電話して、大丈夫そうだったからそれだけで……」
「それは意外だね。あのお坊ちゃんなら、芽榴から電話が来たってだけで頭が浮かれて飛んで会いに行きそうだけど」
言葉の節々に棘が生えた物言いで、颯がつぶやく。
正確な予想を立てている颯に驚きながらも、芽榴はそれがバレないようにへらっと笑ってみせた。
「来ないよ。あの人も忙しいから」
「芽榴」
颯が強い口調で芽榴の名を呼ぶ。同時に強い力で腕を引かれ、芽榴の顔が微かに歪んだ。
「神代くん、腕痛い」
聖夜の話、二人きりの室内、近い距離。
修学旅行での給湯室での一件を思い出し、芽榴は颯を拒もうと腕を引く。しかし、颯の腕はびくともしない。
颯と2人で聖夜の話をして、うまく収まった試しなどない。だから今すぐに話を切り上げたいのに、颯がそうしてくれない。
――好きな子には僕だけを見てほしいって――
またあのときみたいに勘違いするようなことを言われて、頭の中をかき乱されたくない。
芽榴が颯を鋭い目つきで見上げると、颯は目を細めた。
「もし琴蔵さんと会ったとしても、琴蔵さんはもう無理やり私をここから転校させたりはしないよ」
「分かってるよ。でも……」
颯は苦しげに言葉を吐いて、芽榴の肩に顔を埋めた。
「僕は……あの男にだけは芽榴をとられたくない」
「とられたくないって……だから、琴蔵さんは……」
「お願いだから、会わないで」
もう何度言われたのか分からない。颯は本当に聖夜のことが嫌いだ。聖夜のことを認めているからこそ余計に、対抗心や嫉妬が強い。
けれど何度言われても、芽榴はそのお願いだけは聞き入れることができなかった。
「ごめん。……約束は、できない」
「それが僕の一生のお願いって言っても?」
「……うん」
芽榴がそう答えると、颯の身体が芽榴から離れた。芽榴の目の前に立つ颯の顔は、表現するには難しい伏具合に表情を歪ませていた。
「あの日、意地でも芽榴がラ・ファウストに行くのを止めればよかった」
けれど芽榴が聖夜と出会わなければ、芽榴は前に進むことができないままでいた。
「せめて……僕の知らないところで出会ってくれればよかったのにね」
そうしたら、颯は聖夜を嫌いになることはなかったかもしれない。意固地になって、こんなみっともない姿で芽榴を引き止めることもしなかったかもしれない。
最悪の形で出会って、聖夜の力も、聖夜の芽榴だけに向ける真摯な気持ちも認めざるをえなくなった――それが颯を支配する現実。
「話はそれだけ。……朝からごめんね」
颯は話を切り上げて、読みかけの本を手に取り、生徒会室を出て行こうとする。
「神代くん」
芽榴が呼び止めると、颯は芽榴に背を向けたまま立ち止まった。
「ごめんなさい。……私は、琴蔵さんのこと放っておけない」
芽榴が静かに伝える。颯は振り向かない。
「うん……知ってる」
小さな返事だけを残して、颯は生徒会室を出て行った。
 




