#02
「るーちゃん。はい、これ。修学旅行の写真」
放課後の生徒会室、来羅が修学旅行の写真を封筒に入れて配っていた。
「ありがとー。うわっ、こんなにいいの?」
封筒の中を確認すると数十枚写真が入っている。芽榴が慌てて顔を上げると、来羅は「いいのいいの」と手をひらひら振る。
「これは有ちゃんに」
「ありがとうございます」
有利も来羅から封筒を受け取って、すぐに中身を確認する。
来羅のくれた写真は、とても画質のいい、綺麗なものばかり。
「夜景も綺麗に写ってるー」
「さすが柊さんですね」
「えへへっ、ありがとう。で、これは風ちゃんのだから後で渡すとしてー」
来羅はそんなふうに呟きながら、一際分厚い封筒を手にしたまま自分の席に戻った。
風雅は修学旅行前にあったテストの成績が安定に悪く、補習に引っかかってしまったのだ。
「蓮月くんが写ってる写真、そんなにあるの?」
「ううん。そういうわけじゃないの」
来羅は苦笑して、頬をかきながら会長席へと視線を向ける。黙々と仕事をしていた颯が、来羅の遠慮がちな笑い声を聞いて小さなため息を吐いた。
「それをあげたら、ずっと写真ばかり眺めて勉強に身が入らなくなりそうで不安だね」
「……でも修学旅行の写真なんだし、思い出して浮かれちゃうのは仕方ないよねー」
芽榴がそんなふうにフォローすると、斜め前で翔太郎が咳払いを挿んだ。
「言っておくが、その封筒の中に入ってる写真は蓮月本人以上に貴様の写真が入っているんだからな」
「え」
芽榴は即座に来羅を見る。目が合った来羅は誤魔化す気もないらしく、素直に「そうだよ」と答えてくれた。
「風ちゃんに、るーちゃんの写ってる写真は全部ちょうだいってお願いされちゃって。……ごめんね?」
つまりその封筒の中には風雅が写っている写真に加え、芽榴が風雅以外の人と写っている写真が入っているらしいのだ。
「写真を1回10秒見るのに対して単語10個覚えろ、とでも言っておこうかな」
仕事を進めながら、颯がボソッと呟いていた。
それから1時間が経過したころ、風雅が生徒会室にやってきた。
来羅に写真を渡され、風雅は補習の疲れを一瞬で吹っ飛ばし、浮かれモードに入るのだが――。
「わああっ、今日はこれ眺めて癒され……」
「風雅」
風雅の顔が一気に青くなってしまうほど、低い恐ろしい声が室内に響き渡る。
「その写真を眺める余裕があるからには、次のテストは期待してもいいんだよね?」
満面の笑みの颯が、頬杖をついて風雅に尋ねている。「ひえっ」と喉をひきつらせる風雅に、翔太郎は呆れ顔だ。
「毎度毎度、貴様はよく飽きもせずに神代を怒らせようと思うな」
「思ってないよ! オレだって颯クンに怒られてたくないし!」
そんなふうに風雅と翔太郎が言い合いを始める。風雅がきゃんきゃんと泣きわめいて、翔太郎がガミガミと反論している、そんな図だ。
今の今まで怒っていた颯はというと、今は外の様子に気を取られている。
颯だけではなく、ほぼ同時に芽榴も外の騒ぎに耳を傾けていた。
風雅と翔太郎の声で少し分かりづらいが、校庭からやけに騒がしい女子の声がする。それに来羅と有利も気づき始め、自然に翔太郎も口論をやめて押し黙った。そうすると一人騒ぐ風雅も、自分の声にかぶせて聞こえる外の声に気が付いた。
「この手の女子の歓声に、まったくいい予感がしないよ」
颯は何事かを予想して、そんな言葉を口にする。
芽榴も、他の役員も、まったく同じ予想をしているために颯の発言に苦笑を返すしかない。
あの2人のうちのどちらか、またはどちらも訪れた――その予想が全員の頭の中に浮かぶ。
すると、ちょうど風雅のスマホが着信を告げた。
「うわ……最悪」
スマホの画面を見て、風雅がげっそりした顔をする。そして風雅はうんざり顔のままスマホを耳にあてた。
「はい……もしもし」
『あー俺、俺。悪いけどお前に用はなくてさー。そこに楠原ちゃんいるー?』
風雅の耳元からこぼれる声が、芽榴にも聞こえてくる。誰と聞かずとも分かる。――簑原慎だ。
「嫌い合ってるのに、ちゃんと番号交換してるんですね」
有利が的外れなところに感心している。すると、それが聞こえていたみたいで風雅が即座に反応した。
「違うよ! 簑原クンがオレのファンの子と番号交換して、勝手に番号登録して前に迷惑電話してきたから知ってるだけ!」
有利に説明すると、風雅はスマホを耳に当て直し、そのままの勢いで慎に怒鳴り散らす。
「芽榴ちゃんはいませーん。残念でしたー!」
『あ~、俺、校門の前にいるから、下りて来いって伝えて』
「だからいないってば!」
『はいはい。んじゃ、生徒会室まで行けばいい? たぶん会長さんの機嫌が悪くなると思うけど大丈夫? 俺知らねーよ?』
慎が楽しげに言っている。このまま風雅が何を言おうとも、芽榴が下りてこなければ、慎は本当に生徒会室まで乗り込んでくるだろう。
芽榴がため息を吐きながら立ち上がると、颯が芽榴の行動を止めた。
「神代くん?」
「校門前は人の目が多すぎて何かあった時にこっちも対処できない」
「……でもあの人はたぶん帰らないよ」
「だから、招き入れてあげるよ」
颯が薄く笑んで告げる。その発言に全員が目をギョッとさせた。
「僕は今から事務室で外部生の入校許可を取ってくるから……風雅と来羅で迎えに行ってあげて」
そんなふうに指示を出しながら颯はさっさと生徒会室を出て行った。
生徒会室の隣の会議室。
そこには生徒会役員6名とラ・ファウスト学園の男子生徒1人が向かい合うようにして座っている。
「うわぁ、俺相手にすげーおもてなしだな? あいにく、今日は聖夜はいないんだけど」
愉快げに言って慎はケラケラと笑う。いつもならその態度が姿とあいまってチャラさ倍増なのだが、今は少しだけ違う。
髪の毛を黒く染め、軽く癖をつける程度に収めた姿は、以前のチャラさが消えて、微かに彼独特の気品を感じさせていた。
「芽榴ちゃんに用があるならさっさと済ませて帰りなよ」
風雅はすこぶる機嫌が悪い。慎のことをにらみつけながら風雅が告げると、慎がまた面白おかしそうに笑った。
「楠原ちゃん」
「……はい」
芽榴が返事をすると、慎は寸前まで携えていた笑みを消して、真剣な顔で尋ねてくる。
「聖夜から……何か連絡来てない?」
「え?」
慎の質問に、芽榴が反応する。同時に颯も、その質問の意図を探るみたいにして目を細めた。
「来てない、ですけど」
「そっか。やっぱり」
「……何か、あったんですか?」
芽榴が顔をしかめて尋ね返すと、慎はまたいつもの読めない笑顔を浮かべて「べっつに~」と適当な返事を返してきた。
「最近、学園にもこねーし、連絡してもたまに返ってくるくらいだからさ。……俺も今はあんまりそばにいてやれねーし、なんか一人で面倒なこと考えてそうだな~と思って」
「……それと芽榴と、何か関係があるのかい?」
慎が独り言のようにして続けた言葉に、颯が鋭く切り返す。すると慎はやっぱりケラケラと笑った。
「別に。ただ、聖夜の考え事の一因ではあると思うけど」
「そんな言い方したら芽榴ちゃんが気にするでしょ?」
「こんな言い方しなくても、人のいい楠原ちゃんは気にするんじゃねーの?」
挑発するような物言いで慎が答えると、有利が風雅を、翔太郎が颯を制御するように、彼らの傍に立った。
「はははっ、穏やかじゃねーな。俺も聖夜もとことん嫌われてる?」
「……用件が済んだなら帰りなよ」
風雅が慎を睨みつける。
すると慎は鼻で笑って、細めた視線を芽榴へと向けた。
「080――――XXXX」
慎が数字の羅列を読み上げる。芽榴がそれをちゃんと聞いているのを確認して、慎は立ち上がった。
「聖夜の番号。暇があったら、そこにかけて」
「――ちょっと!」
「別に紙で渡したわけじゃないんだからいいだろ? 1回しか番号言ってないし、強要はしてない」
慎は澄ました顔で言ってのける。
口頭でいきなり数字の羅列を告げて、その1回きりで正確に覚えられる人はなかなかいない。颯ですらその番号の記憶はあっても確信をもって言えない。
けれど、芽榴に対してだけはそれでも紙にメモを残したのと同じこと。
むしろ誰でも捨てることのできるメモに書くよりも、確実に芽榴の頭に残るやり方だった。
慎はそれだけ言い残すと、満足げな顔で会議室を出て行った。
「なんだか今日は精神的に疲れたわね」
その日の帰りは来羅に送ってもらっていた。
結局、慎が帰ったあとは颯の機嫌が悪く、いつも元気な風雅も一言もしゃべらない事態に陥っていたのだ。
来羅がため息を吐いたのを見て、芽榴は苦笑する。
「ごめんね、私のせいで」
「るーちゃんのせいじゃないでしょ? 颯と風ちゃんは特にあの2人とは相性が悪いから仕方ないわよ」
来羅は肩をすくめる。出会いこそ悪かったが、最近のあの2人の芽榴への対応は芽榴の利になるものが多い。だから少なくとも来羅の中で、有利や翔太郎の中で2人の印象はそれほど悪いものではなくなっていた。
颯と風雅もそれはきっと理解している。分かっていてもどうにもできない部分があるのは仕方のないことだ。
「それに……るーちゃん、電話するつもりでしょ? 琴蔵さんに」
来羅が優しい声で聞いてくる。芽榴が顔を上げると、来羅はニコリと笑顔を返してくれた。
「あんなこと聞いちゃって、心配でしょ? るーちゃんにとって、琴蔵さんは悪い人じゃないものね」
颯や風雅がどんなに嫌ってても、芽榴は聖夜を嫌いになることはできない。嫌うつもりもなかった。
芽榴が遠慮がちに頷くと、来羅はよしよしと背中をなでてくれた。
「誰にも言わないから……って言っても、颯も風ちゃんも分かってるから機嫌悪かったんだと思うけど」
だからきっと2人は「電話するな」という念押しの言葉も芽榴に言わなかったのだ。
「ちゃんと、連絡取れるといいね」
来羅が励ましてくれて、少しだけ颯と風雅に対する罪悪感のようなものが軽くなった気がした。
家に帰り、重治が練習で作っている夕飯を美味しく食べて、お風呂を済ませると、時刻は9時前になっていた。
少し遅い時間だからと迷いつつも、家の電話の子機を手にして部屋のベッドに腰かける。
芽榴は慎から教えてもらった数字の羅列を頭に浮かべた。
ピッピッと機械音を鳴らしながら数字のボタンを押して、静かに耳を当てた。
「……出るかな」
少しだけ不安に思いながらも繰り返される呼び出し音を聞く。
何回目かのコールで、ずっと鳴っていた音が消え、その声が芽榴の耳に届いた。
『……芽榴?』
少し掠れた声で名前を呼ばれる。最初の言葉が「もしもし」でないことに芽榴は眉を下げた。
おそらく聖夜の携帯に芽榴の家の番号がちゃんと登録されているのだろう。
「はい。夜遅くにすみません」
『急に、どしたん? 何かあったんか?』
芽榴から突然電話が来て、聖夜はかなり慌てているようで、声音からも芽榴を心配している様子が伝わってきた。
「簑原さんが、琴蔵さんと連絡取れないって」
『……あいつは大げさな。仕事に集中しとるだけやで。俺のことは心配せんでええよ』
「本当に、大丈夫ですか?」
『大丈夫やって』
聖夜の返しが少しだけそっけなく感じる。忙しいのか、芽榴の電話を切り上げようとしているのか、そのどちらもなのか――聖夜の気持ちを想像して、芽榴は眉を下げた。
「ごめんなさい。大丈夫だったら、いいんです。簑原さんもあんまり顔出してないって聞いて、息抜きとかあんまりできてないんじゃないかなって……勝手に思っちゃって」
『……』
「じゃあ、また……」
『芽榴』
芽榴が電話を切ろうとすると、聖夜が静かに呼び止めた。
気分を害してしまったのではないかと不安に思いつつ、芽榴は小さく返事をする。
『ごめん。……会いたい』
「……え?」
『会いに行っても、ええか?』
小さな頼りない声で聞かれる。
まるで聖夜の声じゃないみたいに、弱々しい声で聞かれて、芽榴は思わず「はい」と答えていた。
『すぐ行くから……家で待っとって』
そう告げられると、芽榴の耳に通話の切れた音が響いた。




