#17
荷物の減った部屋の中。
芽榴は自分のベッドの上に座って、手にした写真立てを見つめていた。
その写真は、修学旅行の夜、みんなで撮ったもの。
芽榴の隣には颯と風雅がいて、来羅と芽榴の距離は遠い。
写真に写る来羅はもうそのときすでに女装はしていなかった。でもこのときの芽榴はまだ、来羅のことを意識したりはしていなかった。
『芽榴は来羅が女装をやめたから来羅を好きになったんじゃない』
颯のあの言葉を芽榴は思い返す。
芽榴の背中を押すような颯の言葉が、胸を詰まらせた。
「なんで……好きになっちゃったんだろ」
写真に写る芽榴は、変わらないことを望んでいた。
あれからまだ長く時間が過ぎたわけでもないのに、来羅も、芽榴も、抱える思いが大きく変わってしまった。
それがいいことだったのか、悪いことだったのか、芽榴にもわからない。
「……でも、やっぱり好きなんだ」
否定しても、考え直してみても、答えは変わらない。
芽榴は写真立てをそっと抱きしめた。
「まだ、間に合うかな」
たとえ後悔することになったとしても、これが本心なら伝えなければ意味がない。このまま胸に閉じ込めておいても、この想いが心にかかって、引きずるばかり。
そんなことも、もう十分すぎるくらい分かっている。
だから――ちゃんと伝えよう。
それが、アメリカに行く前に、芽榴がやり残してる最後のことだ。
テストが終わり、各クラスではテスト返却が行われていた。喜びの声や悲しみの声が各所から聞こえてくる。
昼休み、舞子は芽榴の答案用紙を見て感嘆の声をあげた。
「さっすがー。今回も主席を死守したね」
「うん、なんとか」
芽榴が笑顔を返すと、芽榴に近づいてきた滝本が大きな声で「すっげぇ!」と感想を口にする。
「また1位かよ。安定だな、ほんと。昔の俺と順位近かった頃のお前が懐かしいぜ」
滝本はしみじみといった様子で昔の芽榴のことを振り返る。手を抜いていた頃のことを思い出されるのはなんとも複雑な気分だった。
「でも、俺も楠原に勉強教えてもらってから順位あがってんだぜ? 次のテストも……」
そこまで言いかけて滝本は口を閉ざす。次のテストは4月。高校3年生になってからのテストだ。
芽榴が苦笑すると、舞子が滝本のお腹を肘で殴った。
「ってぇ!」
「バカ、本当バカ。あっち行ってよ」
「悪かったのは謝るけど、お前も謝れ! 痛ぇだろ!!」
仲良くケンカをする2人を、芽榴は優しく笑って見つめる。そうして芽榴は徐ろに立ち上がった。
「……ん? 芽榴、どこ行くの?」
「ちょっと、生徒会室に」
「昼休みに? ああ、でも今日からまたお仕事再開だもんね。いってらっしゃい」
少し不思議そうにしながらも、舞子は笑顔で芽榴を見送ってくれた。
昼休みの生徒会室には、来羅がいる。颯や有利もいるかもしれないけれど、とにかく来羅に会うことが先決だった。
あとのことは来羅に会ってから考えればいい。
けれど実際会ってちゃんと来羅に声をかけれるのか、ちゃんと話ができるのか、そんなことを考え出したら生徒会室に向かう足取りは重くなった。
生徒会室に向かうため、階段を下りる。そこで芽榴は足を止めた。
「あれ? 芽榴ちゃん」
階段を上ってこようとする風雅が、目の前にいた。
「どこ行くの?」
風雅は小さく笑って芽榴に問いかける。風雅は立ち止まることなく階段を上がって、芽榴の立つ段の2段下で止まった。
風雅がどこに行こうとしていたかは聞かなくても分かる。彼の教室はこの一つ下の階にある。彼が昼休みにこの階段を上るのは、芽榴に会いにF組にくるときだ。
「……生徒会室に」
「生徒会室? 何か仕事あったっけ? 颯クンから呼び出された?」
風雅が不思議そうな顔で尋ねてくる。無邪気な質問が今の芽榴には少しだけ苦しかった。
「ううん。ちょっと……来羅ちゃんに、用があって」
ためらいがちに芽榴はそう答えた。
すると、風雅の表情がわずかに曇って、彼の手が芽榴の腕を掴んだ。
「蓮月くん? なに……っ」
風雅は芽榴の手を引いて、階段を上ろうとする。まるで芽榴を生徒会室から遠ざけるみたいに、風雅は芽榴の手を引っ張った。
その行動に芽榴は驚きながら、抵抗するように自分の腕を引いてみる。しかし、風雅の手を払うことはできない。
「私、生徒会室に行くって……」
「来羅に会うのは、急ぎの用事?」
風雅が笑顔で聞いてくる。その笑顔がどこか不安定に見えて、芽榴は口を閉ざした。それを見て、風雅はほんの少し申し訳なさそうな顔をした後、ニッと歯を見せて笑った。
「じゃあ、昼休みの芽榴ちゃんの時間はオレがもらっていい?」
風雅に連れられて、芽榴は屋上前の狭い踊り場にやってきた。
人気の少ないその場所は、二人で内緒話をするにはちょうどいい空間だった。
「結構ここ、先約いるんだけど……今日は誰もいないね」
風雅はそんなふうに呟いて、階段に足を投げ出すようにして腰を下ろす。「芽榴ちゃんも」と隣に座るよう促され、芽榴は風雅の隣に座った。
「へへっ、ちょっとカップルみたい」
嬉しそうに言って、風雅は芽榴に笑顔を向ける。芽榴はその笑顔に返すことができなくて、風雅から目をそらした。
「ねえ、芽榴ちゃん」
続いて響いた芽榴を呼ぶ声はとても小さくて、とても静かだった。
「来羅に会って……どうするの?」
芽榴が視線を風雅に戻すと、泣きそうな顔の風雅が芽榴の目に映った。やはり見るべきではなかったと芽榴は手を握り締める。
「それは……」
「好きって、言うの?」
風雅はちゃんと分かっていた。いつからそれに気づいていたのかは分からない。
でも風雅は芽榴の想いに気づいていて、そして気づかないふりをして芽榴のそばにいた。
「ごめん、やっぱり言わないで」
風雅は力なく笑うと、芽榴のことを抱きしめた。
「芽榴ちゃん。オレ、芽榴ちゃんのこと好きだよ。大好き。オレが一番芽榴ちゃんを笑顔にするよ」
風雅の「好き」には慣れっこになっていたはずなのに、紡がれる言葉はとても痛くて苦しい。
この「好き」はいつもの「好き」と意味が違っていた。
「オレを選んで、芽榴ちゃん。来羅のこと好きでいいから」
頷いて、とお願いするみたいに、風雅の腕が強く芽榴のことを抱きしめた。
「はじめて、本気で好きになったんだ。芽榴ちゃんのことだけが、ずっと、ずっと、好き」
重くのしかかる想いが溢れて、芽榴の肩を濡らす。
風雅が泣いていることは、その声から伝わっていた。
「オレが芽榴ちゃんのこと好きって、それだけじゃダメなのかな?」
それでもいいからそばにいてほしい――そんな風雅の想いが、真っ直ぐすぎて、芽榴の視界まで崩れていく。
「……ダメ、だよ」
言葉にしたら、視界は乱れて壊れた。
「それはダメだよ。……蓮月くん」
芽榴は風雅の胸を押す。離れるのを拒む風雅を、それでも突き放して、芽榴は風雅の目をまっすぐに見つめた。
「私は、蓮月くんのこと好きだよ」
そう告げて、風雅に考える間を与えないように、芽榴は素早く言葉を続けた。
「でもその『好き』は蓮月くんが私にくれる『好き』とは違う」
芽榴にとって風雅は大好きな友人、芽榴の人生を変えてくれた大切な友人、それ以上でもそれ以下でもない。
どんなに待っても、どんなに風雅のそばにいてもきっと、この気持ちがこれより他に変化することはなかった。
「だから……ごめんなさい」
ずっと言わずにいた、風雅への返事を芽榴は口にする。
はっきりと言葉にした芽榴を見て、風雅は涙をこぼしながら笑っていた。
「振るのに……『好き』なんてずるいでしょ、芽榴ちゃん」
かすれた声が、芽榴の心を締めつける。無理やり笑う風雅の姿が切なくて、それ以上は見つめていられなかった。
「ずるくても、好きだよ。芽榴ちゃんのことが……好きで好きでたまらない」
風雅はその気持ちを心の中に抑え込むように、目からあふれる涙をグイッと片腕で拭い去った。
「でもきっと、その気持ちは……みんな一緒だね」
そう呟いて、風雅は芽榴の手に触れた。
「芽榴ちゃん。もう『好き』って言わないから……それでも覚えてて」
芽榴の涙を指で優しく拭いながら風雅は笑って言った。
「オレにとって芽榴ちゃんはずっと特別で、ずっと大好きな女の子で……」
好きよりももっと強い、それが風雅がずっと芽榴に抱き続けた想い――。
「オレの、憧れだよ」
ぎゅっと握りしめた手から、言葉以上に風雅の気持ちが芽榴の心に流れてきた。




