#15
芽榴のいなくなった教室で、来羅は机に伏せていた。
芽榴からもらったチョコをそばにおいて、泣きそうな顔をした芽榴の顔を来羅は思い出す。
苦しげに息を吐き出して目を細めると、教室の扉が開いた。
扉の方を見ずとも、そこに芽榴の姿がないことくらい来羅は分かっている。だから扉の前に誰がいようとも、がっかりすることも悲しむこともなかった。
「翔ちゃん」
来羅が移した視線の先には翔太郎がいた。
「戻ってきたの? あー! もしかして盗み聞きぃ? 悪趣味なんだからぁ、もう!」
空元気を見せて、来羅は翔太郎を出迎える。翔太郎が来羅の冗談めかした言葉に、すぐに反応しないとのろからして、翔太郎がさっきの芽榴と来羅のやり取りを知っていることは明白だった。
「盗み聞きするつもりではなかった。これは本当だ。……ただ、貴様らも長居はしないだろうと思って、教室の外で待っていた」
芽榴と来羅が出て行った後、またこの教室に居座るため。けれど翔太郎がこの教室にこだわるとも思えない。
おそらく誰かが下手にこの教室を訪れないよう、見張ってていてくれたのだろう、と来羅は悟った。
「翔ちゃんは優しいなぁ」
そうして漏れた来羅の声はひどく小さくて、震えていた。
「……柊」
翔太郎の声が心配そうな色を帯びているのは、きっと気のせいではない。翔太郎にこんな顔をさせるほど、今の自分がみっともない顔をしているのだと、分かる。
「ちょっとね……ううん、たぶん自分で思ってるよりずっと期待してたんだと思う。るーちゃんが私を意識してくれてるんじゃないかなって」
来羅は感情の抜け落ちた笑い声を残す。
最近の芽榴は、明らかに来羅ことを意識していた。来羅自身、芽榴が意識してくれるように『男子』として芽榴の前で振る舞うようにしていた。
だから期待していたのだ。
自分の『好き』の言葉で、少しは芽榴が心を揺らしてくれるのではないか、と。
けれど芽榴の口からすぐに出てきたのは『ごめんなさい』の一言だった。
迷うこともなく、かつて芽榴に告白した他の男子と同様に、来羅はすぐに答えを示され、芽榴に振られてしまった。
「少しは迷ってくれるかなって……流れがうまくいけば、OKもらえるかなって、調子乗ってたね」
女装をやめてしまえば、自分が一番芽榴に意識してもらえるとうぬぼれていた。
「ずっと女装をしてた私を、るーちゃんが男子として好きになるわけないのに」
「……そんなことは」
翔太郎が静かに否定の言葉を告げようとする。しかし、来羅はにっこり笑顔でその言葉を止めた。
「大事な友達より、るーちゃんを選んだ罰だよ」
おどけたように言ってみせた言葉の中には、来羅の後悔と反省、深い意味があった。
そんな来羅に近づいて、翔太郎は来羅の前の席に静かに腰掛けた。
「……違う。貴様は俺たちより楠原を選んだわけじゃない」
翔太郎は来羅のことを見ない。閉じた扉を眺めながら、呟くようにして言った。
「ただ単純に、楠原を好きだっただけだろう」
役員みんながそう。想いは複雑でも形は単純。みんな、純粋に、ただ1人芽榴だけを好きなのだ。
その気持ちを貫くことを、誰も責めはしない。他の役員への裏切り行為だとも思わない。
同じ気持ちを抱いているからこそ、翔太郎はそう口にすることができたのだ。
「俺はちゃんと伝えた貴様を、認めることはしても蔑むことはしない」
翔太郎の、遠回しの慰めが来羅の心を包み込む。
「……じゃあ、胸貸してくれる?」
「甘えるな。気持ち悪い」
変わらない辛辣な返しが心地よくて、芽榴に振られたショックからは戻れないけれど、少しだけ心が軽くなった気がした。
「……芽榴ちゃん」
風雅と帰る、薄暗い帰り道。
風雅を見上げる芽榴の目は、少しだけ赤く腫れていた。
「チョコ、ありがとう。……本当に嬉しい」
その言葉が嘘ではないと伝えるように、風雅は芽榴にだけ見せる特別な笑顔を向けた。
彼の両手には、今日渡されたたくさんのチョコが入った紙袋がある。そんな大荷物を持って、わざわざ送ってくれなくていいと芽榴が頼んでも、風雅は引かなかった。
「すごい量だね」
「でも、去年より少し減ったよ?」
「それでも見たことない量だよ」
静かに交わされる会話は、当たり障りない言葉ばかりを選んでいた。
そのせいか、流れる空気は少し重くて窮屈だ。
――ごめん、なさい――
頭の中には自分が口にした愚かな答えが木霊している。
でももし、来羅の気持ちを受け入れていたなら、それはそれで自分の狡さや浅ましさに頭を打たれていただろう。
結論として、今の芽榴に正しい答えなどない。
来羅の好きになってくれた芽榴はもうどこにもいないのだから。
沈黙が訪れれば、言い訳と最低な自分を責める言葉が頭を巡る。そんな芽榴を、やはり風雅が真剣な顔で見下ろしていた。
「あはは……ごめんね。暗くなっちゃって……」
風雅は何も聞かない。さっき風雅の胸で泣いていたときもずっと、彼は「大丈夫だよ」とひたすら芽榴の背中をさすってくれていた。
「……芽榴ちゃん」
「ん?」
風雅の呼び声に、芽榴はすぐに反応する。赤くなった目尻を下げつつ視線を返すと、風雅は「ううん」と首を横に振った。
「なんでもない」
風雅はそう答えてニッと笑った。
夜は眠れなくて、来羅とのことを考え込まないように、芽榴はテスト勉強に挑んでいた。身が入っていたかと聞かれると、微妙なところだが、何もしないよりはマシだった。
足取り重く、学校に行って、靴箱にたどり着く。
昨日は朝から賑やかだった校内が、今日はもういつも通り。
バレンタインの余韻を残さない学園の空気にホッとしつつ、芽榴は靴を履き替えて廊下に出たのだが――。
「「あ」」
C組の靴箱のほうから、来羅が現れた。
お互いの顔を見て、そんな間抜けな声がもれてしまう。
挨拶しなきゃ、と声を出そうとして、その気持ちとは反対に芽榴の顔が熱を持って芽榴から言葉を奪った。
思わず目をそらしそうになった芽榴に近づいて、来羅が芽榴の腕に触れた。
「おはよう、るーちゃん」
ふわりと舞う来羅の香りに、芽榴はハッと顔を上げた。
「……お、はよ」
芽榴が来羅の挨拶に答えると、来羅は嬉しそうにニコッと笑った。いつもと変わらない優しい笑顔を、芽榴に向けた。
「来羅ちゃん……?」
昨日の告白が夢だったのかもしれないと、ほんの少しだけ思ってしまう。それくらい来羅の態度はいつも通り。
それはとてもありがたいことなのだが、芽榴は不安げに来羅の名を呼んだ。
「なぁに?」
「……えっと、その……」
何と聞けばいいのか分からず、芽榴は視線を彷徨わせる。そんな芽榴を見て、来羅は小さくクスリと笑った。
「昨日言ったことは本当だよ? 私の本当の気持ちだから」
芽榴の考えていることを察したのか、来羅がそう口にする。
その言葉に、芽榴は顔が赤くなるのを抑えることができなくなった。
「もうっ、るーちゃんってば、そんな顔しないでよ。期待しちゃうじゃない」
赤く熱を持った芽榴の頬に、来羅のひんやりした手が触れた。
「本当はるーちゃんと会ったら何話せばいいかなって、ちょっと迷ったりもしてたんだけど、るーちゃんの顔見たら、なんでもいいから話さなきゃって焦っちゃった」
来羅は照れくさそうに頬をかいて、首を傾けた。
「今日るーちゃんと話さなかったら絶対これから気まずくなっちゃうもん。そんなの、絶対イヤだから」
滝本も山本もそうだった。告白の後どうしようもなく気まずくなって、それが芽榴は嫌だった。
来羅ともそうなってしまったらどうしようと、今の今まで考えていたのに。
そんな芽榴の心ごと、来羅はすくいあげてしまった。
「今日一番に会えてよかった」
そんなことを言われて、胸が苦しくならないはずがなかった。
「来羅ちゃん……」
――好き、大好き。
心の中で思いは溢れてしまう。
「……ありがとう」
優しい来羅のことが大好きだ。
昨日よりもはるかに募った気持ちを、それでも芽榴には口にすることができなかった。




