30 荒療治と約束
閉会式が行われる。
先ほどまで、二年生だけが騒がしがったはずのグラウンド。今では学年全員がザワザワしていた。特に女生徒のあたりが。
壇上に立つ翔太郎が静かにするよう告げてもなかなか静まらない。
「神代、止めろ。貴様のせいだろう」
翔太郎が背後の本部テントを見て恨めしそうに言う。
全体を巻き込んだ騒ぎの原因は颯と、現在颯に治療されている最中の芽榴にある。
倒れそうになった芽榴を支えた颯はあの後、芽榴を抱き上げた。所謂お姫様抱っこだ。
グラウンドの真ん中でそんなことをされ、羞恥に抵抗を試みる芽榴だったが、足もろくに動かせず、そのままテントに連行されたのだ。
颯の行動に対し、男子は尊敬、女子は芽榴への嫉妬や羨望などさまざまな理由をもって騒ぎ始めたというわけだ。
男子の中でも紅組応援団長だけは「颯クンに先越されたーっ!」と頭をガシガシッとかきながらうな垂れていたらしいのだが。
本部テントにいる颯はそれが何かと問わんばかりの様子で、湿布を片手にニコリと微笑んだ。
「会長のサポートをするのが副会長の仕事じゃないか? 翔太郎」
「今、貴様がすごく身勝手な人間に見えたぞ」
翔太郎はこれ以上の抗議は無駄だと悟り、生徒の静粛に努めることにした。
翔太郎が一人で閉会式を取り締まる中、時折本部テントのほうから悲鳴があがった。
「ひぃ……っ!」
芽榴は右足をピクピクさせる。右足をたどっていけば、颯の手にたどり着く。颯は芽榴の右足に湿布をしっかりと貼り付けるためグッと押さえつけたのだ。
「い、いい、痛いからっ!」
「うん。痛くしているからね」
「な……っ!!」
文句を言おうとする芽榴は再び患部を触られ、声にならない悲鳴をあげた。
騎馬戦の怪我人と騎馬戦に続く応援合戦で失神して倒れた女生徒が多数いたために医務テントは満員。医務教員も手が離せないということで芽榴の治療は颯が受け持っている。
「……っ、ていうか、藍堂くんはいつまでそうしてるのー?」
芽榴は自分の座る椅子の隣で正座をしている有利を見た。
有利はやはり止めるべきだったと責任を感じてしまい、さっきからずっと地面に正座をしているのだ。
「優勝したんだし、終わり良ければすべて良しって言うじゃん」
「ですが、僕が止めていれば……」
「もう、こんな怪我大したことな……ぬぎゃーっ!!」
芽榴の言葉は絶叫へと変わる。目の前の颯は容赦ない。今度は包帯を巻きつけているのだが、もはや締め上げる要領なのだ。その満面の笑みはいっそ怒っているようにも見え、芽榴はそれにさえ悲鳴をあげた。
「『大したことない』なんて言わないよね? いつ怪我のことを僕に言ってくるかと思えば、最後まで言ってこない。忠告したのに走る。本当に困った子だよ。大事に至らなかったからいいものの……」
「ご、ごめんなさい」
颯が芽榴に対して怒るのは初めてのことで、颯の心配が身に沁みて伝わる。
「有利。正座はもういいよ。翔太郎の手伝いに行ってくれ」
「……はい」
有利は颯の指示に従い、ゆっくりと立ち上がってテントから出て行った。
颯と芽榴はテントに二人きりになる。途端に颯は一切何も喋らなくなり、本気で怒らせてしまったようで芽榴は困ってしまうのだった。
「神代くん」
黙々と包帯を巻いていた颯の肩がピクリと反応する。芽榴は颯の返事を待たずに言葉を続けた。
「迷惑かけて、本当にごめんなさい」
自分の我儘でやり遂げたのに挙げ句の果てには颯に治療をさせてしまっている。迷惑をかけたくなかったのに結局かけてしまったのだ。芽榴は伏目で心からの謝罪を告げた。するとしばらくの沈黙の後、颯が大きな溜息をついた。芽榴は上目がちにそんな颯の様子をうかがった。
「なんで怪我してすぐに僕に言わなかった?」
颯は答えを待っているのか、包帯を右足に添えたまま巻くのをやめていた。
芽榴には颯の考えが分からない。言わずとも、颯は芽榴の怪我に気づいていた。それでも言う必要があったというのか。
「大したことない、から」
少し言葉が途切れてしまうのは、さっき〝大したことない〟と言って颯が怒ったからだ。でも、そう思ったのは事実で、だから誰かに怪我のことを言う必要性を感じられなかった。
「大したことないわけない」
「でも、それはあくまで私的感情になるでしょ? みんながそう思うとは限らない。この怪我を大したことないって思う人だっているよ。それに怪我をして痛いのは私だし。怪我のことを言ったってみんなには関係ないし、迷惑がかかるだけじゃん」
芽榴が言い終えると、颯は再び溜息をついた。何も言わず、包帯を巻き始める。その様子をボーッと見つめていると急に痛みが走る。
「誰が迷惑だって?」
颯が包帯を持つ手にグッと力をいれ、芽榴の右足が締まる。芽榴は痛みに体をピクピクさせた。
「い、痛いですっ!」
「当たり前だよ。これはお仕置きなんだから」
颯はいつもの不敵な笑みを零す。危ない黒い笑みだが、芽榴はそれに何となく安心した。
「芽榴」
「はいぃっ」
芽榴は太ももを押さえて痛みに耐えている。痛くて思わず大きな声が出てしまうが、そんなのに気を配っている余裕はなかった。
「芽榴の助けを迷惑だなんて僕は絶対に思わない。それどころか、僕は頼ってもらえないほどに頼りない人間かと思ってしまうよ」
「そんなこと……!」
「うん。芽榴がそんなことを思ってないことは分かってる。でも、僕は芽榴に約束しただろう? 君のすべてを肯定するって」
包帯を巻き終えた颯は芽榴と向き合った。痛みから解放された芽榴が涙目で颯を見ると、颯は「ごめんね、やりすぎた」と笑っていた。
「芽榴。だからね、これからは僕を頼って。僕じゃなくてもいい。とにかく一人で抱え込まないでくれ」
芽榴の目が大きく見開いた。
誰かを頼るなんて、芽榴の頭の中にそんな言葉はなかった。この学園に来るまで、家族以外に自分を受け入れてくれる人間など芽榴にはいなかったのだ。誰も助けてはくれないし、庇ってもくれない。だから自分のことは自分で何とかする。それが芽榴にとっての当たり前だった。
そんな芽榴にとって颯の言葉はとても新鮮で、そして優しかった。
「約束だ。いいね? 芽榴」
颯が芽榴の頭を撫でる。騎馬戦のときと同じだ。芽榴は不思議とそれだけで心がポカポカになるのだ。
「神代くんは魔法使いみたい」
「え?」
芽榴がクスクスと笑うと、颯も微笑んでくれた。
「じゃあ、顔を出そう」
颯が紳士のように手を差し出す。芽榴はその手を取るのを少し渋るが、歩きにくいのは事実であるため「よろしくお願いします」と苦笑した。
テントから出てグラウンドに顔を出すと、優勝旗をもった風雅とすぐに目があった。心配そうな顔をしている風雅に、芽榴は親指と人差し指で丸を作り、ニコリと笑った。すると風雅も安心したようで、隣に立つ来羅がそんな彼を見て笑っていた。
颯に手を引かれ、芽榴を支える役目は有利へと移った。
まだ罰が悪そうにしている有利の頬を引っ張って悪戯に笑うと、ようやくいつもの雰囲気で「痛いです」と薄い笑みを見せてくれた。
颯は閉会の挨拶をするため、壇上で翔太郎と交代する。
降りてきた翔太郎は芽榴の隣に並び、文句を言い始めるが、芽榴は終始笑っていた。
「これで麗龍学園体育祭を終了致します」
颯の声がマイク越しに響いた。
来訪者の拍手がたくさん聞こえる。
「楠原。さっきから、何を笑っている?」
芽榴に対する不満を延々と述べてもニコニコしている芽榴を翔太郎は怪訝そうに見ていた。
隣で芽榴を支える有利も不思議そうに芽榴を見ていた。
「何でもないー」
芽榴は笑った。
夕焼けが綺麗な、最高の体育祭だった。




