#09
生徒会が終わって、家へと帰る芽榴の隣には翔太郎がいた。
さっきまでは風雅がいて、彼がずっと会話を続けてくれていた。けれど2人になった今、芽榴と翔太郎のあいだには気まずい空気が流れている。
「……楠原」
翔太郎が何を考えているのか、芽榴にも分かる。むしろそれ以外は考えられなかった。
「柊と、何があった?」
翔太郎は「何かあったのか?」とは聞かない。芽榴と来羅のあいだに何かあったことを確信して問いかけてきた。
生徒会室に行く前の、芽榴の不自然な行動を見れば、翔太郎がそう尋ねるのも不思議なことではなかった。
そして、それを誤魔化すことがとても難しいことだということも、芽榴は分かっていた。
「……分からなくなっちゃって」
自嘲気味につぶやく。すると翔太郎は「何が?」と問いかけるように、芽榴を見下ろした。
「来羅ちゃんが男の子だって……分かってたつもりだった」
来羅が男で、その上で女子の格好をしていた。それを芽榴はちゃんと理解しているつもりだった。
「でも私は……何も分かってなかったのかもしれないね」
来羅のことを、男子と思って接することはなかった。かといって、彼を女子と思って過ごしていたわけでもない。
だからこそ芽榴は、来羅が女装をしていなくても、すぐにその人が来羅と気づけた。
自分が来羅のことを、どう思って一緒にいたのか。今まで迷いもしなかった答えに霧がかかって、芽榴の頭はぐちゃぐちゃになった。
「何も分かってないわけがないだろう、馬鹿め」
「あはは……バカかも」
芽榴がマスク越しに元気なく笑うと、翔太郎は隣でため息を吐いた。
「もし分かっていなかったとして、貴様は分からないまま、アメリカに行く気か?」
翔太郎が立ち止まる。足音が消えて、芽榴もそこに立ち止まった。
翔太郎の口から「アメリカ」という単語がもれて、芽榴は肩を揺らす。
修学旅行が明けてから、みんなが意図的にその話題に触れないようにしていることは知っていた。その話題に触れれば、嫌でも別れがちらつくから。
けれど現実として、芽榴がここを去る日は近い。もう1ヶ月をきっていた。
「それは……嫌だ、けど」
芽榴の声が詰まる。
わだかまりを残したまま、前に進めるとは思わない。きっと今のままやり過ごしてアメリカに行けば、モヤモヤした気持ちが芽榴の行く先を塞ぐだろう。
それは分かっている。分かっているけれど、こんなぐちゃぐちゃの気持ちでどうやって来羅と向き合えばいいのか、芽榴にはその方法が見つけられなかった。
バレンタインが近づくにつれ、浮かれた空気が学園中に広がる。
休み時間になれば、どこのクラスも誰にどんなチョコを渡すかという話で盛り上がり始める。F組も例にもれず、そうだった。
「あたしはフラれたけど、藍堂くんにあげるもん!」
有利ファンの宮田あかりが堂々と宣言した。それを聞いてクラスメートが感嘆の声をあげている。
「がんばれ、宮田」
「わたしは神代くんにあげたいけど……もらってくれるかな」
そんな話が繰り広げられている。芽榴はその日もマスクをしたまま、ボーッとクラスの様子を遠目に眺めていた。
すると、女子トイレから帰ってきた舞子が芽榴に話しかけた。
「バレンタインかぁ。芽榴は役員に何あげるの?」
芽榴が役員にあげることは決定事項らしい。もともとあげる予定でいたから、舞子のその尋ね方も間違いではない。
けれど今の芽榴は少し、迷っていた。
「まだ、考え中で……」
「あ、そうなの? もう決めてるのかと思ってた。でもまあ、芽榴があげるものならなんでも喜ぶでしょ。役員は」
舞子が芽榴の机に頬杖をついて、そんなことを呟く。芽榴は視線を下げ、その言葉には返事をしなかった。
来週はテスト一週間前で生徒会はお休み。金曜日の今日は最後の生徒会の日で、仕事は忙しい。でもモヤモヤ考える暇もない忙しさが、今の芽榴にはありがたかった。
「はい、るーちゃん。これ、そのファイルにいれておいて」
「……あ、うん。……わかったー」
来羅が芽榴の席に近づいて、紙を数枚渡してきた。
「疲れたら、適度に休憩とってね。紅茶淹れてあげる」
来羅はそんな気遣いを口にして、芽榴に笑いかけてくれる。
芽榴が不自然な態度をとった後も、来羅はずっとこんなふうにいつもどおりだった。芽榴の態度が変だと気づいてないのではなく、彼はおそらく芽榴のためにそうしてくれている。
昨日の放課後一緒に帰った時も、ぎこちない芽榴を相手に当たり障りない会話をしてくれていた。
来羅に気を使わせて申し訳ない気持ちは募るのに、芽榴は来羅を避けずにいることだけで精いっぱいだった。
今だって、来羅に返す芽榴の笑顔はぎこちない。マスクで幾分カモフラージュできているといっても、不自然なのだ。
「……芽榴ちゃん」
そんなふうに笑う芽榴を見て、風雅がもの言いたげに声をかけてくる。芽榴が風雅に視線を向け、風雅が口を開くと、その上から声がかぶさった。
「風雅」
奥の席にいる颯が、風雅を呼んだ。それが自然の流れだったのか、故意的なものだったのか分からないまま、風雅が颯の呼びかけに反応した。
「……その仕事終わったら、棚を片づけておきなよ」
「え……え!? オレ、何かした!?」
一瞬間抜けな声を出した後、風雅は何かの罰だと思い込み、声を荒げる。そんな風雅に対し、颯はため息を吐きながら「違うよ」と訂正した。
「来週、お前の大量の貰い物をそこら中に散乱されたら困るから。先に、置く場所を確保しといてってこと」
颯が冷静に説明すると、風雅は「あ」と今度は納得したような声を出した。
芽榴も少し考えて理解した。有利から以前聞いた、去年のバレンタインの話が頭をよぎる。風雅は教室に置ききれなくなったチョコを生徒会室に保管して、生徒会室が大変なことになったらしい。
おそらく颯が言いたいのは、そのチョコの置き場所を今回は事前に用意して、部屋を散らかすな、ということだ。
「去年の量を考えると、そこの棚は全部空ける方向で整理したほうがいいんじゃないですか?」
有利が提案するように言うと、風雅は手を横に振りながら苦笑した。
「今年はたぶんオレ、少ないよ。……むしろ、来羅のほうこそスペース確保しておいたら?」
風雅が来羅に視線を送りながら、問いかける。すると来羅はパソコンの画面から目を離すことなく、小さな息を吐いた。
「私は風ちゃんと違って、もらう気ないから大丈夫」
さっき芽榴に話しかけた時は明るかった声音が途端に冷たくなった。本当に、他の女子の話題を振ると、来羅はあからさまな態度をとる。
芽榴が役員にチョコをあげるか迷っている理由はまさにこれが原因だった。
来羅はきっと芽榴のチョコを受け取ってくれる。親しい友人からのチョコとして、受け取ってくれるはずだ。
でも自分のことを好きな女の子、ファンからのチョコは、受け取らない宣言をしている。
今の芽榴は、他の女子と変わらない。来羅の嫌なことを考えている女子なのに、のうのうとチョコを渡していいのか、芽榴には分からなかった。
「オレだって別に、むやみやたらにもらってるわけじゃ……」
「断りきれずに無闇にもらっていただろうが」
翔太郎の鋭いツッコミに、風雅は「うっ」と唸る。そして「ああもう!」と声を荒げてテーブルを叩いた。
「今年のオレは芽榴ちゃんのチョコがもらえれば、それでいいもん!」
そうして、風雅が芽榴に笑いかけてくる。その笑顔を見ても、今の芽榴は困り顔をするしかない。
「私も、それだけでいいよ」
パソコンの画面と向き合ったまま来羅がぽつりと呟いた。
その声ははっきり芽榴の耳にも届いていて、だからこそ芽榴は余計に、どうすればいいのか分からなくなってしまった。
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この度、書籍化が決定いたしました。
詳しくは活動報告にて説明しております。
下の書籍化のお知らせのリンクから活動報告に飛べますので、ご覧になってください。




