#06
芽榴は湯気の上がる蒸し器をボーッと見つめる。
頭の中では、昨日の来羅の発言がずっと繰り返し再生されていた。
――私が誰かと付き合うなら、相手はるーちゃん以外考えてないよ――
来羅がどういうつもりで言ったのか、芽榴には掴み切れなかった。
結局、来羅が女装をやめたきっかけも曖昧な答えで終わって、芽榴の頭はフル回転中だ。
「一番、仲いいから……って意味、だよね」
芽榴がたどりついた結論はそう。それ以外は考えられない。
あのとき、とっさに何も言えないまま戸惑ってしまった自分が恥ずかしくて、芽榴はため息を吐いた。
「うーん、いい匂い。もうすぐできあがり?」
奥の部屋で洗濯物を畳んでいた真理子がキッチンへやってきた。もうすぐ時間を迎える蒸し器からは甘い香りが漂っていた。
「うん。お母さんたちの分もちゃんと作ってるよ」
今は、来羅の家にお土産で持っていくお菓子作りの最中だ。お菓子作りをすれば、必ず真理子が欲しがってくれるのは分かっている。だから芽榴はちゃんと真理子たち家族の分も用意していた。
「わーい、芽榴ちゃん特製のとろとろプリン! 圭が部活から帰ってくる前に食べちゃお!」
「こらこら……」
冗談と言いたいところだが、真理子は本当に残さず食べることがある。そういうときはだいたい圭が非常に不機嫌になっているのだ。そのせいか、圭のほうも、真理子より先に芽榴の手作りお菓子にありついたときは全部たいらげるときがある。
困った似たもの親子だ。
真理子はるんるんといった様子で、芽榴がプリンを取り出すのを見つめている。
蒸し器から取り出したプリンは艶やかなクリーム色。カラメルの焦げ茶色と美しい比率で絡み合っていた。
「わあぁ、おいしそうっ! 今すぐ食べたい……」
「そしたら圭たちが食べるときに、食べられないよ?」
「圭の分を食べればいい!」
「よくないよ」
芽榴が呆れ顔をすると、真理子が楽しげに笑った。
「来羅くんの家かぁ。ご両親、すっごくベッピンさんだろうなぁ」
来羅の姿を思い浮かべ、真理子はそんなふうに呟く。そのイメージと違わぬどころか、もしかすれば今真理子が抱いているイメージよりも美しいご両親だ。
ただ、少し家庭事情が複雑なだけ。
といっても、楠原家の家庭事情も複雑さで言えばなかなかのものなのだが。
「だから、芽榴ちゃんも負けないように綺麗にしていこうね!」
「そこは対抗しなくても……」
「だめ! かわいくなる素質があるのに、それを無駄にしてはいけません!」
来羅と似たようなことを真理子が言ってくる。それがおかしくて、芽榴はカラカラと笑った。
今日の服装は少しだけ大人っぽく、赤紫を基調としたチェックのタイトスカートに、キャメル色のショート丈ニット。
それに合わせて、真理子が髪もアップにしてくれている。
「榴衣さんに、似てきたね。……芽榴ちゃん」
芽榴の髪を結いながら、真理子が感慨深そうに呟いた。
今日の格好は特に、榴衣がよくしていた格好と似ているらしい。
「……そう?」
「うん。きっと重治さんと東條さんも同じことを言うと思うわ」
真理子はいいことを思いついたように、机に置いていたスマホを手にとって芽榴を写真に収めた。あとで重治に送るらしい。重治に送れば、おのずと東條にもその写真は回るだろう。
「……恥ずかしいよ」
「自信もって! 榴衣さんは大学時代美人さんで有名だったんだから。他学部の子からも紹介してってうるさくお願いされたくらい!」
そんな話を聞かされると、母もすごい人だったんだな、としみじみ思う。そんな母と似ている、というのは嬉しいけれど、本当にそうなのかな、と不安にも感じるのだ。
「来羅くんの女装姿にも張り合えるくらい!」
その言葉で、芽榴はもっと不安になった。
持っていくお土産のプリンもばっちりラッピングをして、身支度もきちんと整え終わり、芽榴は真理子と来羅が来るのを待つ。
お昼の12時を過ぎてしばらくすると、インターホンが鳴った。
「来羅くんだぁ」
芽榴よりも先に玄関へ向かった真理子が、来羅を見て嬉しそうに手を叩く。
「こんにちは。るーちゃん、迎えに来ました」
来羅はライトグレーのハイネックにダークグレーのチェスターコート、そして黒のスキニーという細身を駆使した格好で現れた。
女装のときは明るい色の服が多かったため、ガラリと印象の変わる服装に、真理子が「ふわぁ」と愉快な声を上げた。
「来羅くん、すっごくかっこいい」
「ありがとうございます。でも、真理子さんの後ろにいる子は、私が隣に並ぶの気後れしちゃうくらい、かわいいんですけど」
来羅が少し体を傾けて、玄関に足を進める芽榴に手を振ってくれた。
「でしょ! 今日は大人っぽくしてみたの! かわいいでしょ!」
「とっても」
「来羅ちゃん……」
彼の言葉はきっとお世辞ではない。でもやっぱり女装をすれば誰よりかわいい来羅に言われるのはなんとも言えない。それに、今の来羅は誰が見ても「かっこいい」の一言に尽きるはず。彼が気後れすることは絶対にないのだ。
「もうっ、どっちもかわいいし、かっこいいんだから! 来羅くん、今日はよろしくね。ご両親にもよろしくお伝えください」
真理子はぺこりと来羅に頭を下げる。
そして、芽榴は真理子に見送られながら来羅と一緒に家を出て行った。
「じゃあ、お昼食べに行こっか」
芽榴の歩くペースに合わせて、来羅が歩いてくれる。来羅がそう提案して、人差し指を立てる。
「私、行きたいお店があるんだけど、そこでいいかな?」
来羅が小首を傾げて聞いてくる。
いつもの来羅の仕草だ。昨日の発言など、来羅はまったく気にしていない様子で、やっぱりすべて芽榴の考えすぎなのだ。
芽榴はそう実感し、笑って頷いた。
地下鉄の駅へ向かい、近くのビルの地下にある隠れ家のようなお店に、来羅はやってきた。
落ち着いた雰囲気のカフェで、ランチがいろいろ選べるらしい。結構人気なようで、待っている人もいるみたいだ。階段を下りてすぐの椅子に、女性がたくさん座っている。
「いらっしゃいませー」
店頭にやってきた店員さんが、来羅を見て頬を染めた。
もちろん、周囲に座って待っている女性客もそう。
「2名で予約してる、柊です」
「柊様、ですね。すぐにご案内します!」
準備がいいというか、来羅は待たなくて済むよう、事前に予約をしていてくれたらしい。芽榴が感心する隣で、来羅がクスクスと笑った。
その来羅を見て、周りの女性たちがため息を吐いている。
「ここ、本当はクリスマスに来ようと思ってたの」
席について、来羅がメニューを見ながら呟いた。
クリスマス、来羅とはちゃんと遊べなかった。だから休日に来羅と2人で遊びに出かけるのは、これが初めてになる。
「雑穀米が美味しくて、ランチもヘルシーなのからガッツリ系までたくさんあるから女の子に人気なの。……ママとたまに来てて」
来羅はそう言って、さっき自分を案内してくれた店員さんに視線を向けながら苦笑する。何回かこの店に来たことはあるけれど、店員に頬を染められたのは今日がはじめてだったらしい。おそらく今日の来羅と以前の来羅が同一人物だとは思っていないだろう。
「まあ、気づいたら気づいたでビックリだし、気まずいけど。……それより、るーちゃんはどれにする?」
「どれもおいしそうだから、迷ってるんだよね。……来羅ちゃんは?」
「私はー……」
そうして少し2人で悩んだ後、店員に注文をした。
芽榴は店内の雰囲気を味わうため、建物の造りに目を向ける。煉瓦造りのような壁と、机の材質がうまくマッチして雰囲気が漂う。
そんなことを思って1人楽しんでいると、来羅がジッと芽榴の顔を見ていることに気がついた。
「……来羅ちゃん? 何か、顔についてる?」
芽榴が顔をパチパチと叩くと、来羅はあははと笑う。
「何もついてないよ。かわいいなぁと思って、見てただけ」
頬杖をついて、来羅は楽しそうに言った。芽榴は半目になるが、それを聞いていたらしい周囲の女性客が、芽榴の代わりにざわついた。
「来羅ちゃんまで蓮月くんみたいにならないで」
「今日のるーちゃんは誰が見ても、そう言うはずだよ。風ちゃんならきっと絶叫しちゃう」
風雅の場合は本当にしそうだから怖い。想像して黒目を上向かせていると、来羅が「だーめ」と声を上げた。
「何が?」
「ふふっ。なんでもなぁい」
来羅はいたずらっぽく笑う。芽榴が不思議そうに眉を寄せると、来羅はまた「だめよ」と言って、芽榴の眉間に触れた。




