29 優勝と至福
芽榴と有利が召集場所へ向かうと、滝本が大きな身振りで並ぶ場所を教えてくれた。
二年の代表選手が何人か走って、滝本、芽榴、そしてアンカーが有利という走順だ。
「楠原! 一位で来てやるから安心して待ってろよ!」
「おー。それは頼もしい」
芽榴はパチパチと手を叩く。有利は心配そうに芽榴のことを見ていたが、芽榴はあえて何も言わなかった。
「芽榴! 頑張って」
舞子が駆け寄ってきて芽榴に言う。舞子の顔には明らかに心配と書いてあった。
百メートル走の結果、そしてアンカーにつなぐ大事な順番に芽榴はいるため、代表選手からの視線は痛い。ただ抗議の声があがらないのは今芽榴の目の前ではしゃいでいる滝本のせいだろうが。
舞子にもそれが伝わっているのだろう。それを知って応援してくれる舞子に、芽榴は「ありがとう」と心から感謝した。
「それでは体育祭最終種目、代表リレーを行います!」
元気よく放送委員によって告げられる。
選手が立ち上がる中、芽榴は「よしっ」と両頬を叩いた。
「嘘だろ……」
男子一周、女子半周で男女交互につなぐ代表リレーが始まった。
そして芽榴の目の前にいる滝本が珍しく頭を抱えて困っていた。
「ビリだねー……」
さすがの芽榴も困り顔だ。
それもそのはず。紅組がビリなのだ。
最初の滑り出しは順調だった。
しかし、途中のバトンパスが失敗し、一気に最下位へと転落。大きな差がついてしまったのだ。
「マジかよ……。せめて俺のところで二位にしねぇと……楠原が走って、藍堂もさすがにこのままじゃ……」
滝本が弱気な発言を似合わない小声でボソボソと言っている。
芽榴はそんな滝本の様子がおかしくてたまらなかったが、今の状況で延々と弱音を吐かれるのは嫌だった。
芽榴はうなだれる滝本の頭をチョップした。
「いってぇ!!」
「らしくないよ、滝本くん」
涙目の滝本はキョトンとした顔で芽榴を見た。
「滝本くん、一位でバトンパスしてくれるんでしょ? あれ? できないのー?」
芽榴は挑発的に笑う。単純に眉を顰める滝本を見て、芽榴は噴き出した。
「ムードメーカーくんがここで落ち込んでどーすんの? ほら、盛り上げてー」
「……っ!」
滝本はハッとし、芽榴に「サンキュ」と言って立ち上がった。
「おらおらー! 声だせー! こんなんすぐに追いつくぜー!」
滝本はいつもの大声で叫ぶ。芽榴は「うるさいー」と文句を言うが、その顔は楽しげに笑っていた。
しかし、差は少ししか縮まらない。舌打ちをした滝本はブンブンと腕を回し、位置についた。
滝本にバトンがまわると、二年の意気が戻る。さすがは滝本だ。自称ムードメーカーは伊達ではない。
滝本は唇を尖らせ、背をピンっと張り、ものすごい勢いで走った。
差はどんどん縮まる。滝本が長く走れる、男子一周のルールが幸いした。
「楠原ー! わりぃー! 一位じゃねーけど!」
テイクオーバーゾーンにまだ入っていない位置で滝本が叫ぶ。そんな元気が残っているならもうちょっと速く走れと言いたいところだが、彼は十分すぎるほど役目を果たしていた。
滝本は一年と同着で芽榴にバトンを渡す。
歓声は絶頂だ。
すべては一瞬の出来事。
芽榴は一歩踏み出す。激痛が全身を駆け巡る。
芽榴は顔をあげた。見えたのは真剣な顔でリレーを見ている東條賢一郎の姿。
懐かしい顔。幼い頃、自分が走る時、見に来てほしいと何度も願った顔だ。
願いは叶った。その人は今、芽榴の目の前で芽榴を見てくれていた。
芽榴は薄く笑い、前へ前へと足を動かした。痛みなんてもう分からなかった。
「楠原ー!」
「るーちゃーん!」
「芽榴ー!」
「楠原さーん!」
「芽榴ちゃーん!」
いろんな声が聞こえた。
また応援されている。これはただの自己満足なのかもしれない。
それでも走りたい。勝ちたい。
前へ、前へ。
足がちぎれても、意識が朦朧としても、そんなのは関係ない。
感覚のない足を一生懸命動かし、地を踏んで、その度に右足が壊れそうなほどに軋む。
あと少し。
芽榴は飛んでいきそうなほどに腕を振った。
「楠原さんっ!」
有利の声がする。
芽榴はグッとバトンを持つ手に力をいれ、有利にそれを渡した。
チラと横を見れば、三年生が同じくバトンを渡している。
一年生はまだ後ろにいた。
芽榴は誰よりも速かった。
芽榴はふらつきながらも白線の内側に入り、有利の姿を追う。
有利は速い。もうすでに三年生は追い越していた。
二年のテントから聞こえる歓声は今日一番。風雅や来羅の演舞に対するそれよりもはるかに興奮していた。
有利がゴールテープを切る。
優勝は高等部二年生。二連覇達成だ。
「よっしゃぁぁぁぁああああ!」
滝本の喜びの声を機に二年生が万歳で喜ぶ。
舞子やF組の生徒が飛び跳ね、それに混ざって松田先生もお腹を揺らす。
風雅と来羅は片手をパンっと合わせて笑っていた。
有利は代表リレーの選手に胴上げされている。
本部テントでは翔太郎が安堵の溜息をついていた。
そのどれもが芽榴には嬉しかった。
ホッとして肩の力が抜けると同時に全身の力も抜けていく。
倒れかけた芽榴を支えたのは颯だった。
「神代くん。勝ったー」
芽榴が幸せそうに笑うと、颯は困ったように笑った。
「無茶をして……。よく、頑張ったね」
颯が耳元で囁く。その声がとても心地よかった。




