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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
Route:葛城翔太郎 おまじないどおりの恋物語
369/410

#20

 芽榴と翔太郎が本当に付き合いだし、学園は改めて2人の噂で持ち切りになっていた。

 面と向かって翔太郎をからかいに向かう勇者はいないものの「あの葛城翔太郎が……」とつぶやく声は本人に丸聞こえだ。

 もとより注目を浴びるのが嫌いな翔太郎は、ここ数日それだけでかなり疲れていた。


「はぁ……」


 放課後の生徒会室、翔太郎が3度目のため息を吐いた瞬間、まず風雅がバンッと机を叩いて吠えた。


「翔太郎クン! 一番幸せなくせに何なの、さっきから!!」

「……うるさい。大声を出すな」

「出したくもなるよ! オレ、悪くないよね!?」


 風雅が勢いよく顔を振り、会長席に視線を向ける。


「そうだね。珍しく風雅は悪くない。翔太郎、あんまりため息を吐くなら、仕事増やすよ?」

「な……っ」

「神代くん、そこは減らすところなんじゃ……」

「ん?」


 翔太郎をかばおうとした芽榴だが、颯の爽やかすぎる笑顔を前にしてはもう何も言えない。


「あははー」

「楠原、諦めるな!」

「芽榴ちゃんに怒らないでよ!」

「翔太郎、追加」


 ドスン、と恐ろしい音が鳴って、翔太郎の前に塔が立つ。翔太郎が絶望的な表情を浮かべると、来羅が軽やかに笑った。


「颯、いじめないであげてよ。るーちゃんと過ごす学園生活が恋しすぎて、ため息がでちゃうのよねぇ?」

「ちが……っ」

「へぇ、違うのかい?」


 来羅に勢いよく反論しようとした翔太郎だが、満面の笑みを浮かべる颯を見て言葉を詰まらせてしまう。


「葛城くん、疲れてるならいろいろ全部代わりましょうか?」


 続けて無表情の有利が参戦する。

 気遣うような有利の言葉に、翔太郎は目を細めた。


「その『いろいろ』とはなんだ……」


 翔太郎はうんざりした顔で再びため息を吐く。

 他の生徒からからかわれない分、生徒会室ではからかわれ放題だった。








「葛城くん、大丈夫?」


 生徒会を終えて、2人きりで歩く夜道。

 白い息を吐き出しながら、芽榴は心配そうに翔太郎を見上げた。


「……別に、気にしなくていい」

「と言われても、顔が疲れてるよー」


 芽榴がそう言って顔を覗き込むと、翔太郎はため息を吐く。


「……疲れてはいるが、きついわけじゃない」


 そして覗き込む芽榴の顔を押し除けた。

 頬に触れる翔太郎の手が冷たくて、芽榴の体が少しだけ震える。


「寒いか?」

「まー、冬だしね。……葛城くんの手、すごく冷たい」

「冬だからな」


 翔太郎は芽榴と同じことを言う。それがなんとなく嬉しくて、芽榴はへへっと照れ笑いを浮かべた。


「……まったく、貴様は」


 翔太郎は困り顔で芽榴のことを見つめている。

 芽榴が不思議そうに首を傾げると、翔太郎の手が遠慮がちに芽榴の顔から離れた。


「葛城くん?」


 水色のマフラーからのびた髪がこぼれ、さらりと揺れる。


「冷たい手は……嫌か?」

「え? 嫌も何も、寒いから仕方ないでしょー」

「そうじゃなくて……だな」


 翔太郎は言いかけて、マフラーで口元を隠した。

 耳まで赤くした翔太郎を見て、芽榴は余計に困惑してしまう。


「葛城くん? どーし、た、わわっ!」


 また翔太郎の顔を覗き込もうとする。けれど芽榴は翔太郎に引っ張られて、バランスを崩してしまった。


「え、葛城くん、なに……あ」


 何事かと驚く芽榴だが、不意に自分の手元が視界に映って、そこで口を閉じた。

 翔太郎に握られた手。

 ただ引っ張っただけならもうすでに離れているはずの手は、いまだに繋がれたまま。

 翔太郎が何を言いたかったのかやっと理解して、途端に芽榴は頬を染めた。


「……あの」

「……うるさい」

「まだ何も言ってないよ」


 翔太郎らしい返事に芽榴は思わず笑ってしまう。

 こういうふうに手を繋ぐのは今日がはじめてだった。

 そしてもう数えられるくらいしか、こうする時間は残されていない。

 寂しいけれど、残された時間が少ないからこそ翔太郎から近づこうとしてくれているのだとも思えた。


「……冷たい手は、好きみたい」


 芽榴は消え入りそうな声で、ポツリとつぶやいた。

 そんな小さな声でも、2人の歩く静かな夜道は鮮明に響かせて翔太郎に届けてしまう。

 翔太郎は聞こえないふりをして何も言わないけれど、握りかえしてくれる手が全部伝えてくれた。


「楠原」


 名前を呼ばれ視線を上げると、まだ恥ずかしそうな翔太郎が目に映る。

 

「……次の日曜日、俺に時間をくれないか」







 次の日曜日、それは芽榴が日本にいるあいだに迎える最後の休日だった。

 アメリカに発つのは金曜。その休日を過ぎても学校ではまだ会える。

 けれど一日中一緒に過ごせるとしたら、その日が最後だった。


「え、芽榴姉。……デート?」


 日曜の朝、メイクアップした可愛らしい姿の芽榴を見て圭がそう質問してきた。

 芽榴は「デート」というワードに気恥ずかしさを感じつつも、ゆっくり頷く。


「でも翔太郎くんがデートのお誘いなんて、想像つかないわ」


 真理子はどんなふうに誘われたのかと興味津々に尋ねてくる。

 芽榴自身、翔太郎が誘ってくれたことには驚いていた。

 相手が翔太郎でなければ今日芽榴がデートに行くのも当然の話なのだが、圭も予想外だったみたいで驚いた顔をしている。


「……俺が芽榴姉といる予定だったんだけど」


 圭はほとんど聞こえないような小さな声で呟くと、それをかき消すように大きめの声を重ねて続けた。


「よかったね、芽榴姉。ゆっくりできるのは今日くらいなんだし、楽しんできなよ」

「う、うん。ありがと」


 笑顔の圭に、芽榴も笑顔で返す。

 圭が小さい声で何を言ったのか聞き返したいのに、圭の笑顔に塞がれて芽榴は何も聞けない。

 そして圭はスマホを片手に洗面所へと向かった。


「お母さん、圭が何言ってたか聞こえた?」

「え? ……よかったね、楽しんできなよ?」

「その前に何か……」

「……あはっ、芽榴ちゃん、デートに緊張しちゃってるのね。やだ、初々しい!」


 真理子が元気に芽榴の背中を叩いてはしゃぐ。

 そのせいで完全に話は逸れてしまい、真理子のテンションにつられるまま芽榴はこれから向かうデートのことで頭がいっぱいになった。








 待ち合わせ場所は駅前の本屋だ。

 早く着いたら寒いから中に入って本を見ておけ、と言われていたため、芽榴は言われた通り本屋の中で時間を潰す。


「……経営学、経営学」


 芽榴は暇つぶしに経営学の本に目を通そうと、専門書のコーナーへ向かった。経営学の本が置かれている棚を見つけ、まだ読んでいないタイトルを探す。


「何か、お探しですか?」

「え?」


 棚を見つめていると、男性書店員から声をかけられた。

 本屋はよく来るが、書店員から声をかけられるのはこれが初めてで、芽榴は目を丸くしていた。


「あ……探してますけど、特に決まったタイトルを探してるわけじゃないです」

「そ、そうですか。えっと、あの、あ……経営学関係の本をお探しなんですか?」


 芽榴はすぐに話を切り上げようとするが、書店員はやけに熱心に本を探そうとしてくれている。

 ここまで親切な書店員もいるのだな、と感心していると後ろから聞き知る声が飛んできた。


「楠原」

「あ、葛城くん」


 芽榴は書店員と話している途中だったが、すぐに翔太郎の声がする方を振り向いた。


「おはよー」


 笑顔で翔太郎に挨拶をし、芽榴は再び書店員のほうを向き直る。しかし、芽榴が向き直った時にはもう書店員はその場からいなくなっていた。


「あれ……?」

「貴様がこっちを振り返っているあいだに、飛んで逃げていったぞ」

「え、なんで?」

「……知らん。本を探してもらっていたのか?」


 芽榴は首を横に振る。すると翔太郎は訝しむように眉を寄せた。


「なら、何を話すんだ?」

「どんな本を読みたいのか、アバウトに教えてくれればそれらしいのをお勧めしてくれるって」

「頼んでもないのにか?」

「すごく親切だよねー。あ、経営学に興味あったのかな」


 芽榴がのんきに笑っていると、翔太郎が盛大にため息を吐いた。


「馬鹿か、貴様は。あの書店員の意図するところは俺でもわかるぞ」

「え?」

「……面倒だから説明はしない。それより、行くぞ」


 翔太郎は呆れ顔で言うと、すぐに書店を出て行こうとする。


「葛城くん、書店に用があったんじゃないの?」

「ない。ここなら無闇に声をかけられたりしないだろうと思っただけだ。……そうでもなかったみたいだが」


 芽榴は翔太郎の横に並んで、書店から出て行く。

 しばらく駅前の歩道を歩くが、そのあいだ翔太郎の手と芽榴の手は触れそうで触れない距離にあった。

 一度も繋いだことがなければたぶん気になることはなかっただろう。でも一度繋いでしまえば気になって、芽榴は自然と翔太郎の手に視線を向けていた。


「葛城くん……」

「なんだ」


 手を繋ぎたい、と言おうとした。けれど芽榴の口からうまく声は出て行かない。けれど呼びかけて「なんでもない」と言うのも変な気がして、芽榴は慌てて言葉を繕った。


「どこ、行くのかなって」

「……ああ。それなんだが」


 翔太郎はちょうどいい、と呟いてその場に立ち止まった。


「楠原さえ大丈夫なら、そこの映画館で何か観てみるかと。無理そうなら、他にも考えてはいるが」

「映画館……」

「まだ行ったことがないだろうと思って提案しただけだ。無理はしなくていい」


 映画館は芽榴にとって行けない場所のひとつだった。でもそれは同時に、芽榴がまだ行ったことのない場所、初めての場所でもあった。


 暗いところに慣れてきたからといって、好んで暗い場所に行きたいわけではない。

 翔太郎はそのことを十分分かっている。だから別のプランも考えた上で提案してくれているのだ。

 翔太郎の気遣いが嬉しくて、芽榴は無意識に笑顔を浮かべていた。


「私、映画館行ってみたい」

「……本当か?」

「うん。葛城くんと行くならたぶん大丈夫」


 芽榴はえへへと笑って翔太郎を見上げた。

 すると翔太郎は困ったようにため息を吐きながら芽榴の頭に手を乗せてくる。そしてそのまま翔太郎の手に軽く力が入って芽榴の顔は下を向いた。


「わわっ、葛城くん、何するのー」

「だらしない顔をしてるからだ。下を向いてろ」


 芽榴の目には翔太郎ではなく、自分たちの足元とアスファルトの地面が映っている。

 それでも翔太郎が今どんな顔をしているか、なんとなく想像がついて芽榴はクスクスと笑った。







 映画館に着いて、芽榴と翔太郎は上映スケジュールを確認していた。

 今の時間からなら恋愛映画かアクション映画、あとはミステリー映画が待ち時間もそんなになく、ちょうど見られそうだった。


「葛城くん、どれがいいー?」

「楠原が選べばいい」


 翔太郎は上映スケジュールをボーッと見つめて答える。

 芽榴に選ばせてあげようという心遣いのようにも思えるが、この翔太郎の様子では選ぶのが面倒で芽榴に投げただけだろう。


「わかりやすいなー」

「何がだ」

「なんでもないよー。うーん、見たいものかー」


 芽榴は顎に手を当て、考える。どれも見たことのないものだから興味がないことはない。

 しかし翔太郎が見そうなものと考えると、簡単に1つに絞れた。


「……あ、じゃあせーので1番見たいの指差そうよ」

「なんだそれは。面倒なことをせずに選べばい……」

「はいはい、せーのー」


 お小言を口にしようとした翔太郎を遮って、芽榴は楽しげに声を上げる。芽榴の合図が響くと翔太郎も素直に指をさしてくれた。

 2人がさしたのはまったく同じ、ミステリー映画だった。


「よし、じゃあこれにしよー」


 芽榴は「やっぱりねー」と笑いながら、券売機に向かう。しかし翔太郎が芽榴の手を掴んで引き止めた。


「……恋愛映画じゃなくていいのか?」

「え? だって葛城くんもミステリー映画がいいんでしょ? もしかして恋愛映画がよかったの?」

「いや、俺はミステリー映画がいい。……でも女子は恋愛映画が好きだろう」


 翔太郎が小さな声で言う。それがおもしろくて、芽榴はあははと笑った。


「楠原!」

「あー、ごめんね。うん、私も恋愛映画は嫌いじゃないよー。でも今日はミステリーな気分。それに、世の中の女子も映画イコール恋愛映画ってわけじゃないと思うよー」

「そうなのか……?」

「はい、これで女子への偏見がまた1つ消えたねー」


 芽榴はパチパチと小さく拍手する。翔太郎はおどけた芽榴の様子に文句を言おうとするが、芽榴の言うことも事実であるため言葉を呑み込んでいた。





 チケットを購入して上映10分前になり、芽榴と翔太郎はゲートをくぐる。その間ずっと芽榴の前を歩いていた翔太郎だが、上映されるスクリーンの扉の前に来るとゆっくり芽榴のほうを振り返った。


「葛城くん?」

「……一応、な」


 そう言って、翔太郎は芽榴に手を差し出した。

 それはただの気遣いなのか、それとも手をつなぐための口実なのか。両方だったらいいな、なんて思いながら芽榴はずっと視線で追っていた翔太郎の手を握った。


 扉を開けると、芽榴の予想よりは明るい少し大きな部屋の中が目に映る。


「まだ上映前だからな。映画が始まれば暗くなる」

「そうなんだ」


 そうつぶやいて、芽榴は翔太郎と繋いだ手を見つめる。上映前が明るいなら今から手をつなぐ必要はない。

 そこまで考えると、しっかりと繋がれた手がとても愛おしく思えて芽榴は小さな声で笑った。


「何を笑ってる」

「楽しみだなーって」


 はにかんで笑って返すと、翔太郎はやっぱりため息を吐いた。

 芽榴と翔太郎の席は真ん中より少し上の方の席で、真ん中の列の1番右端。そこに座って芽榴は周囲の様子を確認する。

 カップルはあまり多くなく、1人で見に来ている人や同性の友人同士で見に来ている人が多かった。


「なんか緊張するねー」


 映画館独特の空気に芽榴は緊張してしまう。加えて、肘掛けに繋いだままの手を乗せているのが見えてしまい、余計に心臓がうるさく鳴っていた。


「……映画館で緊張するのは貴様くらいだ」


 翔太郎は他所を向いたままそんなふうに言って、芽榴と繋いでいない方の手で頬杖をつく。

 映画館に何度か来たことがあるのだから翔太郎が緊張しないのは当然。けれど手を繋ぐのはお互い慣れないことのはずだ。それなのに余裕そうな翔太郎が少し恨めしくて、芽榴は繋いだ手の力を抜いた。


「……っ」


 翔太郎の手から芽榴の手がわずかに離れる。すると翔太郎はすぐに繋いでいる手に視線を向け、そしてまたすぐに顔を背けた。


「葛城くん?」

「……手、離したいなら……離す」


 そう言う翔太郎は耳まで真っ赤にしている。突然翔太郎が恥ずかしがる理由など1つしか思い当たらない。

 繋いだ手を見たら緊張してしまうのは翔太郎も同じ。それが分かって芽榴はもう一度翔太郎の手を繋ぎ直した。


「ううん。……繋いでいてほしいです」


 芽榴は小さな声で答える。翔太郎の耳は依然赤いまま。翔太郎は他所に視線を投げていた。


 そうして上映がスタートし、照明がゆっくりと落ちる。

 少しだけ不安で芽榴が唾を飲み込むと、翔太郎がさっきよりも強く芽榴の手を握ってくれた。

 たったそれだけ。でもそれだけのことで、芽榴はざわつく心を落ち着かせられた。


 芽榴たちが選んだミステリー映画は、少しホラー要素が強かった。話が進むごとに登場人物の狂気的な行動が続き、心臓に悪いシーンが増えていく。

 芽榴も内心かなり驚いてはいるのだが、それ以上に翔太郎のほうが反応を示していた。


「……っ」


 背後から突然現れた登場人物に、翔太郎がビクッと体を揺らす。それと同時に芽榴の手を掴む手にも力が入った。

 地味に怖がっている翔太郎が面白くて、芽榴は声を殺して笑ってしまう。


「……笑うな」


 芽榴が肩を小刻みに揺らしているのに気づいたらしく、翔太郎が眉を寄せて小声で告げる。しかし目の前で進行するストーリーにまたしても翔太郎がビクついて、芽榴は笑いをこらえようと俯いた。


「……楠原」


 翔太郎の怒った低い声が耳元でする。芽榴は「ごめんね」を言おうと眉を下げたまま顔を上げた。

 するとちょうど翔太郎が芽榴の顔を覗き込もうとしていたらしく、互いの顔が異様に近づいてしまった。


 互いに驚いたことは、繋いだ手の反応で分かっている。

 芽榴も翔太郎も視線を彷徨わせるけれど、どちらも顔を離そうとはしない。


 なんとなく、そうしたほうがいい気がして芽榴は目を閉じようとした――が。


『きゃあぁぁああああああああ!!!』


 そこで映画のヒロインが絶叫し、同時にものすごい爆音が響く。芽榴も翔太郎も驚いて、思わず体を離して席にしっかり座りなおした。


 映画のせいか、それともキスしそうになったからか、芽榴の心臓は破裂しそうなくらいバクバク音を鳴らす。けれどそれすら嬉しくて、楽しくて芽榴はまた声を殺して笑った。






 映画を見終わって、2人は途中起きたことについて触れることなく街中を歩いていた。手はずっと繋いだまま。

 映画の感想を言い合って、学校のことも話しながら30分くらい歩くと、水族館近くの景色の綺麗な橋にたどり着いた。


 冬は日が落ちるのが早い。まだ5時だけれど、もう夕日が沈みそうだった。

 翔太郎とここに来るのは2度目。あのときも2人でここに立って、綺麗な夕日を眺めていた。あのときと今と景色に変わりはない。それなのに――。


「あのときより、キラキラして見える」


 夕日を映す芽榴の瞳は同じくらいキラキラしていた。

 あのとき隣にいた翔太郎は大切な友人。今隣にいる翔太郎は大切で大好きな恋人。

 変わったことはたったそれだけ。でも見える景色さえ変えてしまうくらい、大きな変化だった。


「……楠原」


 名前を呼ばれて芽榴が夕日から翔太郎に視線を移すと、翔太郎の鞄から紙袋が現れた。

 その光景もクリスマス後のあの日と同じだった。


「え?」

「前に作ったのは駄作だったが……今回はうまく作れた」

「え?」


 驚きすぎて芽榴はもう一度聞き返す。

 聞き返しながら袋の中身を確認していた。


「クマ!」


 袋の中にはクマのぬいぐるみが入っている。翔太郎の発言からして、これもおそらく翔太郎の手作りだ。


「え……でも、なんで……」

「留学祝い……と言うにはだいぶ粗末なものだが」

「そ、そんなことないよ!」


 芽榴は袋から取り出したクマを抱きしめて首を横に振る。


「すごく……すごく嬉しいよ」


 青いリボンをしたクマは芽榴の腕の中、愛らしい顔をして翔太郎のことを見上げていた。


「あのクマも1匹じゃ寂しいだろうから……隣に置いてやれ」


 あのクマ、というのは赤いリボンをつけたクリスマスプレゼントのクマのことだろう。青いリボンをつけたこのクマは赤いリボンをつけたクマと対になるように作られたようだ。


「……うん。このクマさんたちは寂しくないように……」


 そう答えようとして、芽榴は声を喉に詰まらせた。鼻の奥がツンとして、視界が揺らいだ。


「楠原……」

「ごめんね、葛城くん。せっかく……せっかく隣に、いられるようになったのに。……遠くに行っちゃって」


 やっと付き合い始めて、それなのに芽榴はもうすぐいなくなってしまう。また会えると分かっていても、それでも寂しい。

 翔太郎にも寂しい思いをさせてしまう。そう思うと、胸が苦しくて涙が止まらなくなった。


「……これは言うつもりじゃなかったんだが」


 翔太郎はそうつぶやいて、芽榴の頭を優しく撫でた。


「そのクマは俺の代わりと思って持って行ってくれるか。……俺を忘れないように」


 涙で霞む視界の向こうで、翔太郎が眼鏡を外して薄く笑っている。

 芽榴に視線をあわせるように腰をかがめて、翔太郎は芽榴の涙をぬぐった。


「……忘れるわけないよ」


 このクマがなくとも、忘れるわけがない。

 でもその思いは目に見えない。このクマだけがそんな思いを形にしてくれる。翔太郎と自分を繋いでくれる。そう思うと、胸がいっぱいになった。


「……葛城くん、大好きだよ」


 せめて言葉を残したくて、芽榴は溢れる思いを口にした。

 翔太郎の手は冷たくて、でも心地よい。その手に芽榴は自分の手を重ねる。


「楠原」


 周りの目を気にしながら、翔太郎の顔が近づいてくる。芽榴はそれに応えるように、涙をこぼしながら目を閉じた。

 ほんの少しだけ、でもたしかに触れた唇はすぐに離れた。


 薄く目を開けると、まだ翔太郎の顔はすぐ間近にあった。


「好きだ。……楠原。絶対に1年で帰ってこい」


 翔太郎の優しい声が、頭に響く。翔太郎の瞳が芽榴を見つめている。


 絶対に帰ってくる。

 これはおまじない。

 絶対に叶うおまじない。


 芽榴は翔太郎の胸にしがみついて「もう一回」と背伸びをした。




【Route:葛城翔太郎 END】


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