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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
Route:葛城翔太郎 おまじないどおりの恋物語
358/410

#09

 東條グループのオフィスの前に立ち、芽榴は深呼吸をする。上を見上げればどこまでも続いているように見える建物。地上にいる芽榴からは見えない場所に、東條はいつもいるのだ。


「……高い」


 素直な感想が溢れる。東條のいる場所は芽榴から遠い。でも芽榴は1年後その場所に立てる人間になることを決めていた。ここから見えないその場所に立つのだと、距離を実感して緊張してくる。


「楠原芽榴さんでいらっしゃいますか?」


 そんな芽榴にスーツ姿の女性が声をかけてくる。東條から伝えられている、水野という秘書の方だ。


「こんにちは」

「こんにちは。社長から承っております。どうぞ」


 秘書の水野は丁寧な所作で芽榴を招き入れる。物腰やわらかい水野の笑顔を見て少しだけ芽榴の緊張が解れた。


 エレベーターに乗り、水野に連れられて社長室の前にたどり着く。水野が部屋の扉をノックして中にいる東條へ芽榴の来訪を告げてくれた。


「水野です。楠原様をお連れいたしました」

「ああ、ありがとう。通してくれ」


 東條の声が返ってくる。東條の許しを得て、芽榴は社長室へ足を踏み入れた。


「失礼します」


 十年ぶりに足を踏み入れる。社長室の様子は芽榴がかつて最後に見たときとは変わっていた。十年という長い月日を実感しながら芽榴は部屋を見渡す。そうして中にいる東條と、琴蔵聖夜に目を向けた。


「よく来てくれたね、芽榴。こちらへ座りなさい」


 東條に促され、芽榴は東條の隣の椅子に向かう。すると東條の向かいに座っていた聖夜が立ち上がって芽榴に軽く頭を下げた。


「お久しぶりです、楠原芽榴さん」


 聖夜が綺麗な笑顔で挨拶をしてくる。天下の琴蔵聖夜に頭を下げられること自体普通はありえないことなのだが、芽榴は聖夜の姿を見て眉を下げながら聖夜に頭を下げた。


「お久しぶりです。琴蔵さん」


 聖夜との挨拶を済ませ、芽榴は東條の隣に座る。今日は聖夜を交え、3人で今後の東條グループについて話すことになっていた。琴蔵家と東條家の関係は密接。聖夜は琴蔵家の次期後継で、芽榴もいずれはそうなる人間だ。早めに話を進めておいて損はない。


 2時間近く話をした頃、東條に急な電話が入る。ちょうどいい時間でもあるため、東條は芽榴と聖夜に少し休憩をとるよう告げる。そして迎えに来た水野と一緒に社長室を出ていった。


 社長室に芽榴と聖夜は2人きり。向かいあって座ったまま、聖夜はひとつ息を吐いて紳士然とした態度を崩した。


「ほんま久しぶりやな、芽榴」


 嬉しそうに、でも少しだけ不服そうに、聖夜は改めて芽榴に挨拶をする。さっきの芽榴への挨拶は琴蔵家の聖夜が述べたもの。これは家柄を背負わない聖夜からの挨拶だ。


「修学旅行以来ですね。相変わらず忙しそうで」

「お前のためやったら何があっても時間割く言うとるんやからたまには会いに来ればええのに」


 聖夜は組んだ膝に頬杖をついてため息を吐く。芽榴がそうしないことを分かっているのだろう。どこか諦めているような声音に芽榴は苦笑した。


「元気そうで何よりです」

「お前から会いに来てくれたらもっと元気になるんやけどな」

「どういう理屈ですか、それ」


 そっぽを向いて呟く聖夜に芽榴はカラカラと笑って返す。顔は他所に向けたまま、けれども視線は芽榴に向けて、聖夜は元気な芽榴の姿をジッと見つめた。


「お前の方こそ元気そうやな」

「え?」

「……もっと寂しそうにしとるんやないかって、思うててんけどな」


 聖夜は「違ったみたいで、安心した」と薄く笑う。アメリカ行きを役員に告げた芽榴はもう自分の運命から逃げられない。告げる前も、逃げるつもりはなかった。それでも宣言した今、芽榴の行く道は明確に役員と離れることを示した。


「まあ、ほんまに寂しそうにさせとったら俺が殴り込みに行くところやったけどな」


 聖夜なら本当にしかねない。芽榴の苦笑を見て、聖夜は肩を竦めながらソファーの背にもたれた。


 少しの沈黙が流れる。聖夜は目の前に置かれた紅茶を口にして、フッと小さく息を吐いた。


「なあ、芽榴」

「はい」

「……ちょっと真面目な話しよか」


 そう切り出して、聖夜は芽榴に問いかける。


「今後の東條家のためを思うなら、自分は誰と結婚するべきやって思うとる?」


 唐突な質問。けれど東條家の今後を話している今、そういう話があがってもおかしくはなかった。

 芽榴は少しだけ目を見張り、唾を飲む。

 その答えは芽榴が東條家にいた頃からずっと分かっていた。今でもそう。不足のない正解は芽榴の目の前にいる。


「琴蔵さんです」


 祖母も望んだ。聖夜と結婚して、琴蔵家の後ろ盾を確固たるものにすること。それが一番の正解だ。


「せやな。……一緒におってお前の利になるんは俺が一番や」


 でも芽榴はそれを断った。そうする気はない、と。聖夜が大切だからこそ、利用するために聖夜と結婚する気はないのだ、と。それを聖夜も知っているはずだった。


「役員の誰かと一緒におってもお前はちゃんと幸せになれるよ。お前のこと幸せにせん男なんて俺が潰したるからな」

「私はまだ、誰かと結婚するなんて……」

「葛城翔太郎と毎日2人で会うとるって慎から聞いとる」


 慎と聖夜のあいだで、芽榴の話は筒抜けだ。翔太郎と会っていることは間違いではない。けれどやましいことなんて何もないのだ。芽榴と翔太郎はただの友達。信頼できる友人関係でしかない。

 

「葛城くんとはそういうんじゃなくて……っ!」

「今はな。別に葛城だけのこと言うてるんちゃう。俺以外なら誰でもそうや」


 聖夜の寂しげな顔が芽榴の目に映る。


「俺は家のために誰かと結婚する。そうずっと決まっとる」


 芽榴もそうだった。けれど東條家から逃れ、自由になった芽榴は、東條家に戻ることになってもそれを強いられることはない。


「どうせ家のために結婚するんやったら……俺はお前がええよ」


 芽榴は聖夜から目をそらさない。そらしてはいけないと思っていた。


「そう言ったら……お前は俺のために結婚してくれるか?」


 聖夜は少なからず芽榴のことを大事に思ってくれている。好きか嫌いかで言えばきっと好きの領域にいるのだと、それくらいのことは芽榴も自覚している。だからまったく気持ちもない誰かと結婚するよりは自分と結婚するほうが聖夜にとってはマシなのだろうと理解できる。

 聖夜のために、芽榴が何かを返せるとしたらそれくらいしかないのかもしれない。でも芽榴は頷くことができなかった。

 一瞬、芽榴の頭によぎる姿は聖夜じゃなかった。


「……なんて言うてみただけや」


 聖夜は鼻で笑って目を閉じた。試しに言ってみただけ。そう伝える聖夜の姿はどこか儚くて、芽榴は表情を曇らせた。


「……ごめんなさい」

「なんで謝るんや。別にお前は何も言うてへんし、答えんかったんも悪いこととちゃうやろ」


 聖夜の声は優しい。きっと聖夜から見たら芽榴は恵まれた人間に映るはず。でも聖夜は絶対に「お前はええよな」なんて言わない。いつだって芽榴のことを気遣ってくれる。

 だからこそ芽榴は少しでも聖夜の心が軽くなるようなことを言ってあげたかった。


「……もしかしたら」


 こんなセリフは決して聖夜を救うものにはならないかもしれない。それでも――伝えたかった。


「もしかしたら……この先いつか、琴蔵さんにもすごくすごく大切な人ができるかもしれません」


 まだ長い道のりの先で、そんな人に出会えるかもしれない。だからまだ「どうせ」なんて言って諦めないでほしかった。その気持ちは所詮しょせん芽榴の押し付けがましい気持ちでしかないのかもしれない。それでも聖夜にそんな諦めた顔をしてほしくない。


「だから、まだ私でいいなんて、そんなふうに諦めないで……未来に期待してみましょうよ」


 芽榴は聖夜に笑いかける。頼りない笑顔になってしまう自分を恨めしく思いながら芽榴は聖夜に精一杯の笑顔を見せた。


「……お前がいい、って言っても答えんくせに」


 聖夜はハーッと大きなため息を吐いて広い天井を見上げる。でもその顔は少しだけ穏やかで、芽榴の心を落ち着かせた。


「大切な人、な。この先で出会える気はせんけど……せやな。……諦めるんは早いか」


 聖夜はクスリと小さく笑った。


 今聖夜の中にいる『大切な人』を芽榴は知らない。その人がいなければ聖夜が『当然だった政略結婚』を虚しく思わずに済んだことも、芽榴は知らずに聖夜を励ます。


 芽榴を優しく見つめる聖夜の心も、芽榴はずっと知らないまま義理チョコを渡していた。

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