#01
修学旅行が終わり、穏やかな日常が再開する。麗龍学園の2年E組ではいつも通り、仏頂面をした葛城翔太郎が机の上を片付けていた。
4限目の授業が終わり、今は昼休み。翔太郎は教科書やノートを鞄に直し、前の休み時間に購入しておいたサンドウィッチを片手に教室を出て行く。
向かう先は安心快適な仮眠をとれる空き教室だ。
翔太郎が教室を出て行くと、目の前をものすごい勢いで通り過ぎていく男子生徒が目についた。彼のクラスは1つ下の階。走って通り過ぎた先にはF組しかない。
「……楠原か」
翔太郎はF組に走っていく風雅を見つめ、肩を竦める。F組の扉の前まで走った風雅はその教室の中を覗いて、翔太郎の予想どおり「芽榴ちゃん!」と元気に叫んだ。
風雅が中に入るとF組からは賑やかな声がもれる。なんとなくそんなF組の様子が気になって、翔太郎は逆方向へ向けていた足先をF組へと向け直した。
「芽榴ちゃんのお弁当、今日もおいしそーっ!」
F組を覗いて奥の方の席を確認すると、そこには風雅と植村舞子、滝本浩、そして芽榴がいた。
「俺は唐揚げもらったぜー」
「は!? 滝本クン、ずるい!」
「もらったんじゃなくて、とったんでしょ。滝本」
風雅と滝本が仲良く話している。そこに舞子も混ざって、その様子を見ている芽榴は楽しそうに笑っていた。
「蓮月くんも食べるー?」
「え、いいの!? じゃあ、あー……」
「はい。とって食べてねー」
「ひどいよ!」
元気な風雅に笑いかける芽榴を見て、翔太郎は踵を返す。廊下を歩く翔太郎は少しだけ穏やかな顔をしていた。
「あとはー、A4用紙を8セットとインクセット5個と黒インクはプラスで5個、それからホッチキスの芯を3セットとクリップをたくさん」
翔太郎の隣で来羅がメモ用紙を読み上げる。放課後、普段は生徒会業務をこなす時間に、翔太郎は来羅と備品の買い出しのためホームセンターへと来ていた。
颯に渡されたメモ用紙に書いてあるものをとりあえず買い物カゴに入れていく。
「用紙類とインクセットはこっちだな」
案内表示を見ながら翔太郎はさっさと目的の場所へと向かう。ゆっくり歩く来羅は眉を下げ、早歩きをする翔太郎を呼び止めた。
「翔ちゃん、もっとゆっくり動きましょうよ。そんなに慌てなくてもいいじゃない」
「別に慌ててない。ただ、早く終わらせられるものは早く終わらせたいだけだ」
「まっじめー」
茶化すように言って、来羅は小走りで翔太郎の隣に並ぶ。いつもは視界の端で揺れていた金色の髪が、今はもう映らない。男子の格好をして歩く来羅は、翔太郎にとってもまだ少し違和感があった。もちろん、男子の格好をした来羅のほうが一緒に歩きやすくて好感を持っているのだが。
「ねぇ、翔ちゃん。重いからカゴ持って」
「俺もすでにカゴを持っているだろ。見えないのか」
翔太郎と来羅はそれぞれ買い物カゴを持っていて、入っている中身も同じくらいだ。来羅にだけ重たいものを持たせているわけでもないため、翔太郎はばっさりと来羅の願いを断った。
「あぁ、女装してたら『女の子に重い物持たせるのー?』って叫んでやるのに」
来羅は渋々といった様子で買い物カゴを抱えながら、そんなふうに呟いた。女装姿の来羅を見て、まず彼を『男』だと認識するものはいない。だから来羅がそう叫んでしまえば、翔太郎は店中から非難の目を向けられてしまうだろう。
来羅が女装をしていないことに安堵しながら、翔太郎は用紙類が補充してある棚の前で立ち止まり、A4用紙を8セット自分のカゴに入れた。
けれど8セットもいれると、かなりの重さになってしまい、翔太郎はカゴから半分取り出して来羅のカゴに移そうとする。
「……柊。半分持て」
「えぇ……。自分でとったものは責任持って自分で運びなさいよ」
来羅はにっこり笑って持っているカゴを後ろに隠す。翔太郎が眉を寄せる姿を来羅は楽しんで見ていた。
「……柊」
「あはは! そんなに怒らないの。すぐカリカリするんだから」
結局すぐにカゴを元に戻して、来羅は翔太郎から用紙セットを半分受け取る。自分のカゴにいれて「重ーい」とぼやきながら次の場所へと向かっていた。
「仕事、どれくらい進んでるかしら。私たちが帰る頃には終わってるっていうのが理想よね」
「所詮理想だな」
修学旅行中に溜まっていた分がまだ消化できていないのに加え、日々の仕事は減ることを知らない。だからこそ翔太郎と来羅は早く買い出しを終えて学園に戻らねばならない。
「やっぱりそうよね。あぁあ、どうせ風ちゃんはまたるーちゃんに助けてもらってるんでしょうね」
「買い出しを蓮月に任せれば仕事は、はかどったかもしれないが」
「風ちゃんを行かせたら、女の子に囲まれて買い物なんてできないわ」
翔太郎と来羅でさえ、たまに同じ歳くらいの女子高生に声をかけられる始末だ。風雅がここにいれば相当な頻度で声をかけられ、すぐに終わるはずの買い出しがいつまでも終わらない。
「はぁ……」
そんな話をしながら歩いていると、来羅が大きなため息を吐く。翔太郎が「どうした」とたいして興味もなさそうに声をかけると、来羅は唇を尖らせた。
「風ちゃん、昼休みもるーちゃんに会いに行ってるのよねぇ」
「ああ……そうみたいだな」
その状況を翔太郎は実際に目にして知っている。けれども風雅がそうすることは予想外のことでもなく、来羅が唇を尖らせるほどのことでもない。
「それがどうした」
「るーちゃんと接する回数でさえ風ちゃんに負けてて、なんだか不服じゃない?」
「……別に」
来羅の問いかけに翔太郎は共感しない。最初から風雅は芽榴を追いかけ回して、出会った時からすでに芽榴といる時間は風雅のほうが長かった。だから芽榴と接する回数で風雅と張り合おうと思ったことすらない。
「そこに勝敗があるのかも疑問だが」
「あるわよ。長く接してる分アピールできるんだから」
来羅はそう言うが、芽榴と一番長く接している風雅のアピールが届いているかと聞かれれば疑問が残る。けれども考え方を変えれば、風雅ですらアピールが届かないのに自分たちの数少ないアピールが届くはずもない、ということだ。
「るーちゃんがこっちにいるあいだに少しは進展させたいじゃない。……翔ちゃんだって本当はそう思ってるくせに。ムッツリなんだから」
「その言い方はやめろ」
来羅の「ムッツリ」発言に翔太郎はあからさまに顔をしかめる。すると来羅は良いからかい文句を見つけたと目を輝かせた。しまったと思ってもどうしようもないため、翔太郎は咳払いを挟んで話を元に戻す。
「俺は……別に貴様が思うようなことは、思わない」
翔太郎は眼鏡を押し上げながら、さっきの来羅の発言を否定する。それは本心で、だからこそ翔太郎はムキになるわけでもなく冷静に答えていた。
「こっちにいる時間が残り少ないなら、むしろ俺みたいな人間と一緒にいるべきではないと思うしな」
「……どうして?」
「俺といたところで、俺が楽しい話題を展開できると思うか?」
翔太郎は逆に来羅へと尋ねる。翔太郎が他人と楽しく笑い声をあげながら話すところなど見たことがない。あってクスリと笑う程度だ。あとは冷静な返しか怒ってるかのどちらか。当然楽しい話題を提示できるはずもなく、来羅は「無理ね」と即答していた。
「ならばせめて、残りの期間くらい楽しいやつと一緒にいたほうがいいだろう」
風雅と話して、芽榴は楽しそうに笑っていた。その姿を見て翔太郎の心の中に一番に浮かんだ感想は「よかった」だった。
きっと今の芽榴が抱えている不安は大きい。翔太郎はその不安に気づくことができても、拭い去ってあげることはできない。
それができるのはやっぱり風雅みたいに芽榴を笑顔にできる側の人間だ。
「柊は蓮月寄りだからな。貴様は一緒にいて、あいつを元気付ければいいと俺は思う」
「……翔ちゃんはそれでいいの?」
来羅が翔太郎の顔を覗き込んで聞いてくる。その顔には「本当に?」と疑問が書いていて、それを見て翔太郎は苦笑するしかなかった。
「ああ。……それで、問題ないだろう」
旅立つ芽榴に自分ができることは、ただ芽榴が楽しい毎日を送る姿を見守るだけ。
翔太郎の立ち位置を例えるなら芽榴の2つ隣。決して隣ではないことをちゃんと理解していた。




