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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
Route:簑原慎 嘘つきな恋物語
346/410

#17

 肌寒い朝。久しぶりに芽榴は目覚まし時計の音で目を覚ました。


 こんなにも熟睡したのは久しぶりで、いつもは気怠い体も今日は軽く感じる。体を起こして深呼吸をすると、昨日の出来事が思い起こされた。


「……夢じゃ、ないよね」


 呟いて口元が緩む。

 昨日慎と想いを通わせて、慎の恋人になった。それは夢でも嘘でもない。


 目を閉じれば、笑った慎の顔が浮かぶ。


 何が楽しいわけでもないけれど、たったそれだけのことで芽榴はカラカラと笑った。






「芽榴ちゃん」


 玄関で靴を履いていると、真理子が肩をちょんちょんとつついてきた。


「お母さん? 何ー?」


 真理子はニコニコと笑って、芽榴のことを見ている。2階に通じる階段にチラッと視線を向けた後、芽榴の耳元に顔を寄せた。


「あの人……簑原慎さんって、もしかして簑原外務大臣のご子息だったりする?」


 真理子が少し緊張した様子でそんなことを尋ねる。おそらく昨日から簑原慎という男について考えていたのだろう。昨日のことを思い出しながら芽榴は苦笑する。彼女が慎のことを気にするのも当然だった。


 昨日はあの後、長い長い寄り道の末に慎が芽榴を家まで送り届けてくれた。以前一緒に帰っていたときは家の門の前で姿を消していた慎だが、昨日はちゃんと玄関先まで赴いたのだ。


『おかえり、芽榴ちゃん。遅か……っ! え? ええっ? ラ・ファウストの人!? えっ!?』


 芽榴の隣にいるラ・ファウスト学園の制服を着た男を見て、真理子はかなり動揺していた。真理子の叫び声にも似た大きな声を聞いて、重治も圭も慌てて今から顔を出した。


 よくよく考えてみると、家族で慎と会ったことがあるのは圭だけだった。だからいきなり現れたラ・ファウストの男に真理子が驚くのも当然で、芽榴は苦笑していた。


『えっと……お母さん、この人は……』


 どこから説明しようか迷いながら、とりあえず慎の紹介をすることにした。しかし芽榴が言葉を選んでいる間に、隣で慎が真理子たちに頭を下げていた。


『簑原慎です』


 顔を上げ、慎は薄く笑みを携えて自分の名を口にする。その所作は、芽榴の知っている簑原慎から想像することもできないほど丁寧で、芽榴はポカンと口を開けていた。


『家に送り届けるのが遅くなってすみません』


 そんなふうに謝って、慎はもう一度頭を下げる。


『……誰ですか、あなた』


 いつもと違う慎の姿を見て、芽榴は唖然としながらボソッと呟く。すると慎がすぐにこちらを向いて『うるせぇよ』と口パクで笑った。


『芽榴さんとお付き合いさせてもらってます』


 そうして、家族全員に衝撃を与えるセリフを笑顔で吐いて慎は帰った。


 真理子の好きな『イケメン』で、なおかつ芽榴の恋人となれば、真理子が慎の素性を知りたがるのも普通だ。


 有数の名家が通うラ・ファウスト学園。そして『簑原』という姓。慎が簑原外務大臣の子息であることを推測するのは難しくもない。


「……うん。そーだよ」


 芽榴が眉を下げて笑うと、真理子は目を丸くした。


「やっぱり!? えぇーっ、すごいっ! 馴れ初めは? なんでそうなったの?」


 恋話大好きな真理子は食い入るように聞いてくるが、もう家を出なければならない時間だ。それに馴れ初めや慎の過去についてはなかなか話しづらい。


「学校あるから。そのうち話すねー」


 芽榴はそんなふうに笑って、家を出て行く。すると階段をものすごい勢いで駆け下りてきた圭が「芽榴姉待って!」と叫んだ。





 登校途中、圭にも慎のことをいろいろ聞かれるのではないかと考えていたのだが、芽榴の予想とは裏腹に圭はあまりそのことについて聞いてはこなかった。


「……あの人、雰囲気変わったね」


 圭が慎について口にしたのはそれだけ。慎と付き合うことについて賛成も反対もしなかった。ただ「芽榴姉が嬉しそうならいいや」と笑ってくれた。





 学園に登校してしばらくすると、F組がざわつく。舞子と朝の挨拶を交わしていた芽榴はそちらを振り返って「あ」と声をもらした。


「楠原」


 翔太郎が鞄を肩から提げたまま、教室に入ってきた。自分の教室にも寄らず、そのままF組にやってきたらしい。その理由に思い当たって、芽榴は翔太郎に笑いかけた。


「……大丈夫、そうだな」

「うん。約束どおり」


 目の前に立った翔太郎に、芽榴は穏やかな笑顔を見せる。すると翔太郎の後からもう1人、F組を騒がせる男子が駆け込んできた。


「芽榴ちゃん!」


 どこから走ってきたのかと聞きたくなるほど、激しく息切れをして風雅がF組にやってきた。


「蓮月……何してる」

「翔太郎クンこそ、なんでいんの!」


 風雅と翔太郎はお互いに目を合わせて驚いている。その様子を見て、芽榴はカラカラと笑った。


 久々に響く、芽榴の軽快な笑い声に風雅と翔太郎はすぐに反応する。そして2人とも微かに表情を柔らかくした。


「芽榴ちゃん」


 風雅はしゃがんで、椅子に座る芽榴と視線を合わせる。そして手にしていたスマホを顔の横で揺らした。


「簑原クンから……連絡あった」


 どこか悲しそうに風雅は笑う。その笑顔に申し訳なさを感じながらも、芽榴は「……うん」と風雅の言葉に相槌を打った。


「蓮月くんの言うとおり……いいことあったよ。だから……」


 昨日交わした風雅との約束。風雅が言いたかったことも今はちゃんと理解できている。こんなことを風雅に言うのは酷なことなのかもしれない。けれどやっぱり言わなければいけないと思った。


「……ありがと、蓮月くん。葛城くんも……ありがとう」


 約束どおり、心からの笑顔を見せる。とびっきりの笑顔で、風雅と翔太郎にお礼を言った。


 すると、そんな芽榴たちの会話についていけなかった舞子が首を傾げながら話に入ってきた。


「何の話? 何かいいことあったの?」


 興味津々な舞子に、芽榴は少し照れくさそうにしながら昨日恋人ができたことを話す。芽榴がそれを口にした瞬間、舞子だけでなくF組中が騒がしくなった。





 芽榴に彼氏ができたこと、そしてその相手がラ・ファウスト学園の生徒であることは瞬く間に学年中に広まった。


 そしてそれは例外なく役員の耳にも届いていた。


「とうとう、ですか」


 昼休みの生徒会室、有利が少しだけ寂しそうに呟く。その声を聞いて来羅は肩を竦めながら笑った。


「でも、元気のないるーちゃんを見続けるよりはよかったなって思うわ」


 休み時間に見かけた芽榴の姿は、ここ最近のどんよりした雰囲気をどこかに吹き飛ばしたみたいだった。春の陽気をまとうような、明るい芽榴の笑顔を来羅は久しぶりに目にしていた。


 芽榴から元気を奪ったのは慎だ。でもそんな彼女に再び元気な姿を与えたのもまた慎だった。


「でも昔みたいに他の女の人と会っていたり、また楠原さんのことを傷つけたりすることがあれば……今度こそ楠原さんにやめることをお勧めします」


 今までのことを総合して考えれば、有利の慎に対する不信感は仕方のないものだ。本当は今すぐにでも『やめておいたほうがいい』と伝えたいところ。

 けれど芽榴が慎を選んで、幸せに笑っている以上有利に文句は言えない。


 少しだけ不満そうな有利を見て、来羅はクスリと笑った。


「でーも、もうオススメする日は来ないんじゃないかしら」

「柊さんは……簑原さんのこと信用してるんです?」

「いいえ」


 来羅は即答する。別に慎のことを信用しているわけではない。

 ただ来羅は、慎なら聖夜を選ぶと思っていた。琴蔵聖夜が芽榴のことを好きな以上、慎は芽榴を傷つけることになってでも自分の気持ちを隠すのだろう、と。


 けれどそんな慎が聖夜よりも芽榴を選んだ。それだけで慎の覚悟は来羅に分かる。


「でもきっと、るーちゃんへの気持ちだけは……あの人らしくないくらい真面目だと思うわ」


 来羅はそんなふうに言って笑った。





 放課後の生徒会室は昨日の重たい空気などかき消えて、以前のような明るい空気に戻っていた。


「蓮月、早くしろ!」

「そんな急かさないでよ! 雑になるよ!」

「私が手伝うよー」

「甘やかすな、楠原!」


 そんなやりとりが楽しげに響いている。仕事はたくさん積み重なっているのに、全然疲れることはなかった。


 帰宅時刻が迫って、芽榴は少し時間を気にしながらいつものように校舎のチェックへ向かおうとする。

 みんなの後について生徒会室を出ようとすると、颯がそんな芽榴を呼び止めた。


「芽榴」

「……神代くん?」


 久々にその声で名前を呼ばれた気がした。あの保健室での一件以降、芽榴は颯とまともに話していなかった。


「……何ー?」


 少しだけぎこちなくなりながらも、芽榴は颯に笑いかける。首を傾げて用件を尋ねると、颯が薄く口元を緩めた。


「今日はもう、帰っていいよ」

「え?」


 いきなりそんなふうに言われて、芽榴は戸惑ってしまう。「どうして?」と問いかけると、颯は時計に視線を向けた。


「もうあと残ってるのは、校舎のチェックだけだから」

「でも……」

「彼氏が待ってるんだろ?」


 颯の視線が芽榴へと戻る。颯の顔がほんの少しだけ儚げに見えた。


「……待ってるかもだけど、でも……仕事はちゃんと最後まで」

「お願い、芽榴」


 残ると言おうとした芽榴に颯が強めの口調で言った。


「僕がね……今は、簑原くんに会いたくないかな」


 颯は苦い笑みを浮かべ、芽榴にもう一度「だからお願い」と告げた。

 芽榴が最後まで仕事をやり遂げれば、役員全員で階下に降りることになる。そうなれば、颯も、風雅も、役員みんなが慎に会うことは免れない。


「明日からはちゃんと最後まで残ってもらうから。……今日だけ、お願い」


 颯は芽榴に歩み寄って、芽榴の頭に手を乗せる。優しいその手は、ずっと変わらない。芽榴を安心させる、良き友の手だ。


「……よかったね、芽榴」


 芽榴の頭をポンポンと叩いて、颯は生徒会室を出て行った。芽榴が最後に見た颯の顔は少しだけ笑っていた。






 颯の言葉を受け入れて、芽榴は一人で校舎を出る。門の方では、数週間前にもよく見ていた光景が広がっていた。


 門に背中を預けて、ラ・ファウスト学園の制服を着た慎がスマホをいじっている。眼鏡をかけているところからして、今日もずっと図書室にかじりついていたのだろう。


 そんな彼はやっぱり周囲の女子の視線を引きつけていた。


 周りで女生徒が「かっこいい」と耳打ちしあってるいることも、慎ならちゃんと把握しているはずだ。

 昔の彼なら笑いかけたり手を振ったり、ひどいときには連絡先を交換している。


 でも今は、そのどの声にも反応を示していなかった。


「簑原さん」


 小さな芽榴の声。周囲のざわつきに紛れそうな声だった。けれど慎は聞き漏らすことなく、すぐに芽榴へと視線を向けた。


 芽榴を見て「早いじゃん」と笑ってくれる。その笑顔にどうしようもなく胸が高鳴った。


「あれ? 役員は?」

「最後の仕事を……」

「楠原ちゃんはしなくていいわけ?」


 慎が当然の疑問をぶつける。けれど芽榴はそんな疑問より先に慎の「楠原ちゃん」という呼び方に反応してしまった。

 昨日は名前で呼んでくれたのに、と思いきりがっかりした自分が少しだけ恥ずかしい。


「えーっと……その……」

「……あー、なんか察したわ」


 心の中で飛び交ういろいろな感情を整理しながら芽榴が声を漏らすと、慎が「言わなくていいよ」と苦笑した。


「まあ、そうだろうな。……ちょっと挨拶しようと思ったんだけど。……そのうち会えるか」


 慎は軽く息を吐いて肩を竦める。慎の『挨拶』という単語で昨日のことを思い出し、芽榴はクスッと笑った。


「何、その笑い」

「いいえ、別に。……明日には会えると思いますよ。……明日は最後まで残るって、神代くんと約束したんで」

「へぇ……約束ね」


 慎は目を細めて笑う。そして芽榴の手をとって、自分の指を芽榴の指に滑らせた。

 その瞬間、門前の騒がしさが熱を増す。明日には『芽榴のラ・ファウスト学園の彼氏』の顔画像まで学園中に回ることだろう。


「み、簑原さん」

「いいだろ? 付き合ってんだし」


 慎はハハッと笑って、芽榴の手を引いた。学園を出て、芽榴の帰り道とは逆方向へと歩き出す。


「え? 簑原さん」

「せっかくなんだし寄り道しよーぜ。寒いからなんかあったかいの飲みたい」


 慎は空いている方の手でスマホをいじる。どうやら近くのカフェを検索しているようだった。「どこも微妙だなぁ〜」などと楽しげに呟きながら画面を何度もタップしている。


「あの、簑原さん」

「何」

「えっと……家に遅くなるって連絡したいんですけど」

「ああ、それならしといた」

「へぇ、そーです……は!?」


 芽榴の間抜けな声を聞いて、慎はケラケラと笑った。


 あらかじめ芽榴と寄り道することを決めていた慎は、芽榴が帰宅時間を気にすることも予想済みで、すでに真理子へその旨を連絡したらしいのだ。


 前から分かっていたが、本当に準備のいい男だ。芽榴が半目で慎のことを見つめると、そんな芽榴の顔を見て慎がまた笑った。


「嫌なら、送るけど?」


 そうして楽しげにわざとそんなことを聞いてくる。その証拠に慎は目を眇めて笑っているのだ。


「嫌じゃ……ないですけど」


 だから芽榴は意地を張ってそんな可愛げない返事をしてしまう。けれど慎がそれで終わらせてくれるはずもない。


「そっか〜。嫌じゃないってことは別に好んで行きたいわけでもないってことだもんなぁ〜。それはなんか悪い気するよなぁ〜」


 白々しさしか感じられない台詞を吐いて、横目に芽榴の様子をうかがってくる。

 慎が何を言わせたいかくらい芽榴にも分かる。けれどそれを言ったら負けな気がして、芽榴はなかなか言い出さない。


「ふーん。……じゃあやっぱ帰るか」


 慎はそう言うと、本当に踵を返してしまう。だから芽榴は慌てて慎の手を引っ張った。


「あ……」


 引っ張ってすぐに「しまった」と思うけれど、もう遅い。ニヤリと笑った慎がこちらを見ていた。


「楠原ちゃん? どした? 帰るんだろ?」


 楽しげにそう尋ねてくる。さすがの芽榴も、もう観念するしかなかった。


「……一緒に、行きたいです」


 小さな声で素直な気持ちを伝えると、慎は満足げな表情を浮かべる。そして芽榴の頭をよしよしと撫でた。


「よくできました〜、楠原ちゃん」

「……バカにしないでください!」


 芽榴が睨んでも慎は肩をすくめて笑うだけ。


 きっと慎のペースに逆らおうなんて、何年かけても無理。そんなことを芽榴は実感していた。


 


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