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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
Route:簑原慎 嘘つきな恋物語
345/410

#16

 目の前に簑原慎がいる。

 言いたいことはたくさんあるのに、声が出ない。ただまっすぐ慎のことを見つめていた。


「『元気だった?』……って、聞こうとしたけど……その顔じゃ元気なわけねぇよな」


 複雑そうな顔をして慎が言った。その言葉に、芽榴は震える声で反応した。


「誰の、せいだと……思って……」

「……俺のせい?」


 芽榴が精いっぱい振り絞った声に、慎が声を重ねる。そうして慎は苦い笑みを浮かべていた。


「最低なこと言って傷つけたのに、それでもまだ俺のためにそんな顔してくれんの?」


 慎の優しい声が夜の闇に溶ける。芽榴の想った簑原慎がそこにいて、心が切なくなるほど締め付けられた。


「……毎日考えてます。……バカだって、わかってても……毎日毎日、簑原さんのことばかり、考えてました」


 考えてもどうしようもないのに、過去は何も変わらないのに、頭の隅でいつも慎のことを考えていた。


 あの日どうしていたら、慎は今も隣にいてくれたのだろう、と。


 また傷つけられるかもしれないのに、それでも慎に会いたかった。

 ずっとずっと会いたかった。


 心が苦しくて泣きそうになる。俯いたらやっぱり涙がこぼれてしまった。


「まだ何も言ってねぇのに……泣くなよ」


 慎が困ったように言って、少しだけ腰をかがめた。芽榴の背丈に合わせ、芽榴の頬をつたう涙を拭ってくれる。


「もう……会えないって、思ってました」


 だからこそ今この瞬間が嬉しくて、慎が会いに来た理由も分からないのに、涙がどんどん溢れた。


「うん。……そのつもりだった」


 茶色いマフラーから覗く口が白い息を吐き出す。慎はまだそのマフラーを巻いてくれていた。


「でもやっぱ、我慢できねぇものってあるんだな」


 慎の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。抱きしめられる感触、求めていた温もりを全身で感じて、芽榴の涙は質量を増す。


「……俺に会いたかった?」


 芽榴は慎の肩に顔を埋める。もしかしたらまた「これで満足か?」と笑われるだけなのかもしれない。

 それでもよかった。それでも今この瞬間、慎に抱きしめられていることが幸せだった。


 声が出せなくて、代わりにギュッと慎の背中を握りしめる。慎の肩でコクコクと頷くと、慎がクスリと笑った。


「俺も……会いたかった」


 芽榴のことをさっきよりも強く抱きしめて、慎は芽榴の頭を撫でてくれた。


「ひどいこと言って、ごめん。……ごめんな」


 謝るなんて慎らしくない。芽榴を置いていったあの日の「ごめん」と、言葉は同じなのに意味合いは全然違った。


「嫌いって言ったのも……他の女と変わんねぇって言ったのも……全部俺の嘘。……今から言うことが全部本当だって。……こんな俺の言葉、まだ信じてくれる?」


 抱きしめられたまま、尋ねられる。耳元で響く慎の声が愛しくて、溢れた涙が慎の肩を濡らした。


「信じ、ます。……信じたい、です」


 たとえ慎の言葉が嘘でも、その嘘ごと信じてしまいたかった。溺れるほどに信じたかった。


「そっか……。なら、よかった」


 芽榴の返事を聞いて、少しだけ慎の体が離れた。


「簑原さん……っ」


 すがるように伸ばした手は慎の手に絡め取られる。同時に、慎のもう片方の手が芽榴の頰に触れていた。


「……バーカ。……離すかよ」


 余裕ありげに笑って、慎は芽榴の口を塞いだ。


 芽榴の姿は慎の影に覆われる。

 乱れた熱い息が冷たい空気に溶けて白く色づいた。


「ふ……ぅ、……んっ」


 慎の指が絡まって、強く強く芽榴の手を握りしめる。


 ここはいつもの帰り道。そんなことも忘れてしまうくらい、慎のことしか考えられなかった。


「……芽榴」


 慎の声でその名が紡がれる。驚いて目を開けると、片目を少しだけ開けた慎と目があった。


「みの……ら、さ……ぁ、くるし……っ」

「……あと、もうちょっと……だけ」


 息が上手く吸えなくて、苦しい。でも離れたくはなくて、慎にしがみついて全部を受け入れた。


 無理なことをして唇が離れた途端に腰を抜かしてしまう。そんな芽榴を支えて、慎は困り顔で笑っていた。


「ごめん。……ずっと、したかったから」


 その顔はほんの少し申し訳なさそうで、芽榴をからかうための冗談でも嘘でもない。慎の本当の気持ちなのだと、そんなふうに思えた。


「こんなにさ……やめらんないキスとか、離したくないとか……。他の女と同じはずねぇじゃん」


 慎が芽榴の髪をいて、芽榴の額にキスをする。


「ずっと触りたくて……でも触れなかった。本当はためらわずにこうしたいって、何度も何度も思ってた」


 嘘みたいな、これが本当。

 慎のついた嘘がすべて流れ落ちていく。綺麗な思い出が色づいて、また新しい記憶を重ね始めていた。


「嫌いなわけねぇだろ」


 それは初めて会ったときからずっと、慎がついてきた最大の嘘。


「……好きだ」


 どんな嘘も霞ませる、それが慎の本当の気持ちだった。


「嘘で塗り固めようとしてもさ、この気持ちだけは……全然消えてくれなかった」


 それを聞いて、芽榴は目を抑えた。涙を止めたいのに止まらない。慎に伝えたいことがありすぎて仕方ないのに、喉が痙攣してやっぱり声が出せない。


「バカ……。泣きすぎ。そんなに泣いたら、明日ひでぇ顔になって……結局俺が葛城翔太郎に怒られんじゃん」


 慎の笑い声が耳に心地いい。歪んだ視界の先で、慎が顔をくしゃくしゃにして笑っている。その顔がちゃんと見たくて、芽榴は何度も何度も涙を拭った。


「嘘つきは、罰があたる……から……少しは……怒られて、くだ、さい」


 ひっくひっくと喉を鳴らしながら芽榴がそんなふうに言うと、慎はハハッと楽しげに笑った。


「ひっでぇの。でもいいよ。……それで奪えるなら、罰くらい何度だって受けてやる」


 目を擦る芽榴の腕を掴んで、慎は芽榴の顔を覗き込む。ぐちゃぐちゃな顔を見つめられるのは抵抗があるのに、慎から目をそらせない。


「今すぐ全部信じろなんて言わねぇよ……。信じきれなくてもいい。最低なことした俺を、ずっと責め続けてもいい」


 慎が芽榴に与えた傷は深い。それがたとえ嘘でも、慎が望んでいなかったことだとしても、その事実は揺るがない。


 今告げられてる優しい言葉も、もしかしたら全部嘘かもしれない。そんなふうに疑われても仕方がない。簑原慎はそれだけの嘘をつき続けてきた。


「でも絶対……聖夜よりも誰よりも俺が、一番幸せにするって……約束するから」


 慎がまっすぐ芽榴のことを見ている。高鳴る鼓動は、きっと慎にも伝わっていた。


「だから俺に……全部預けて」


 どちらからとも言えない。引き寄せられるようにして唇を重ねていた。


 何度重ねても足りなくて、苦しいのにもっと慎を感じていたくて、芽榴は慎の胸にしがみつく。


「……握るなら、こっち……だろ」


 慎の胸を掴んでいた手を解いて、慎は芽榴の指に自分の指を絡めた。


「好きって……言って?」

「……好きです」

「本当?」


 キスの合間にそんなことを言って慎はクスクスと笑っている。そうして一際大きなリップ音をたてて、少しの間だけキスをやめた。


「ね……俺も好き。……芽榴」


 芽榴の視線が慎のそれと絡まる。


 また名前を呼ばれた。気のせいじゃない。さっきのキスの最中も呼ばれた名前。慎に呼ばれるだけでこんなにもドキドキしていた。


「なま……え」

「ずっと……呼んでみたかったから……。ダメ? ……なわけないか」


 頰を紅潮させる芽榴を見て、慎は嬉しそうに呟いた。


「自分ばっかり……そんな余裕、たっぷりで……」


 慎の口づけに応えることで必死な芽榴は、自分を茶化して笑顔すら見せる慎を恨めしく思う。でもそんな芽榴のつぶやきを聞いて、慎は「どこが」と鼻で笑った。


「全然、余裕ねぇの。……分かんない? 帰せなくなりそうで……本当、どうしよっか」


 慎はいつもの調子で言って、当分終わりそうにない口づけを再開する。

 その仕草も反応もやっぱり余裕がないようには見えない。けれど芽榴の手を何度も何度も確かめるようにして握り返す、慎の手からは少しだけ必死さが感じられた。


 外の空気は冷たい。2月の冷気で溢れているのに、今は暑いくらいだった。


「好き……です。……簑原さん」


 熱に浮かされるみたいにして、呟いていた。その声はちゃんと慎に届いて、応えるみたいに深い口づけを届けてくれる。


 本当に、嘘みたいだった。

 願っていた現実が目の前に広がって、嬉しくて嬉しくて、自然と笑顔が咲いていた。


 再び慎と交わることのできた今。その今が、未来まで繋がることを約束した。


 薄く目を開ければ、夢中でキスをしている慎の顔が映った。その向こう側を見れば、真っ暗な空が芽榴を見下ろしている。


 すべてを飲み込んでしまいそうな真っ暗な空。


 星の見えない空はどこまでも真っ黒に染まっている。それなのにもう不安にはならない。


 芽榴に見えるのは、何にも染まることのない、綺麗な黒い空だった。

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