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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
Route:簑原慎 嘘つきな恋物語
337/410

#08

 慎は視線をそらさない。

 自分のベッドの上、押し倒された芽榴と押し倒している兄。

 解かれたネクタイと、胸元まで開いた黒のワイシャツ。

 慎は乱れた姿の芽榴を真顔で見つめていた。


 凌はそんな慎の顔を見て、堪え切れないほど嬉しそうに笑っている。芽榴は耐えられず、慎から目をそらした。

 慎の登場で凌の手の力が緩み、急いでベッドの上に起き上がる。でも凌は、起き上がった芽榴の腕を掴んで離さない。


「兄さん……ここで、何してんの」


 慎の声は冷静で、それがとても怖いと感じる。


「俺の、部屋で……そいつに……」


 慎はそこまで言うと、何かの糸が切れたようにこちらへ歩み寄った。そして芽榴の腕を掴んで兄から引き剥がすと、自分の背にかばった。


「いいところで入ってくるなよ、慎。お前へのプレゼントは、まだ全然準備できてない」

「何のプレゼントだよ……兄さん」


 慎の声は怒りで震えていた。芽榴は少し痺れた体で慎にしがみつく。震えの止まらない芽榴を見て、慎の顔が歪んだ。


「こいつに……何した」

「ちょっと眠くなって、しばらく動けなくなる……そんな薬を飲ませただけだよ」


 凌は反省する様子もなく、むしろ楽しげに言う。慎は凌の胸ぐらをつかんだ。


「み、簑原さん!」

「慎。僕に手を出していいのか?」


 凌は悲痛に歪んだ慎の顔を見て、嬉しそうに笑っている。


「僕を殴ってみろ? また昔みたいに、お前が壊れるまで遊んでやるよ」


 その言葉の残酷さに、芽榴も眉を寄せる。けれど慎は凌の言葉に反応しない。彼の胸ぐらを掴んで、冷たい視線を送っている。


「言いたいことは……それだけかよ」

「……っ、なんだ? その口の利き方は!」


 冷静な慎の姿に気分を害して、凌は慎に殴りかかる。けれど慎は凌の腕を避けて、彼の腕を掴んで床へと押し倒した。


「言いたいことはそれだけかって聞いたんだよ。答えろよ……クズ野郎」

「慎……っ、お前! ふ、ふざけるなよ! 運良く避けられたからって……っ」

「本当は分かってんだろ? 俺がわざとあんたに殴られてたことくらい。楽しかったか?」


 慎の声はひどく落ち着いていて、それゆえに異様な恐怖を感じさせる。さっきまで不気味に笑っていた凌も、今は顔を青ざめさせていた。


「慎……い、いい気になるなよ? お前は所詮出来損ないの……っ」

「ああ、そうだよ。だから一緒に……堕ちるところまで堕ちちまおうぜ?」


 慎はそう言って、自分の制服の胸ポケットに差していたボールペンを取り出す。カチッと音を立ててペン先を出すと、それを勢いよく振り上げた。


「慎……何をっ」

「み、簑原さん! ダメ!」


 芽榴は咄嗟に、慎の腕を押す。力は全然入っていないけれど、少し軌道をそらすくらいはできた。


 凌の耳のすぐ横、ボールペンが床に突き刺さっている。微かに凌の耳には血が滲んでいた。


「ああ……外した。次は成功させるから」


 慎はボールペンを引き抜こうとする。でも芽榴がそんな慎の手を止めた。

 慎の両手に触れ、芽榴は首を左右に振った。


「やめて……ください」

「なんで?」


 慎は芽榴のことを睨む。芽榴は慎の質問に答えられないまま、ただ首を横に振った。


「し、慎…。冗談、よせよ? こんなの僕とお前の……遊びだろ? む、ムキになるなよ?」


 凌は青ざめた顔で、慎の機嫌をとろうとしている。でも凌を見下ろす慎の顔色はまったく変わらない。


「ああ、遊びだよ。全部。だから文句言わず付き合ってやってたけどさ……。さすがに、こいつに手出して『遊び』はねぇよ」

「こ、こんなこと……前にもあっただろ? お前の女を僕が」

「前と一緒にすんな。こいつは俺の女じゃねぇよ。……全部分かってて、わざとこいつを選んだんだろ?」


 慎の目は殺意に満ちあふれている。


「こいつは聖夜のものだ。聖夜に逆らって、あんた馬鹿じゃねぇの? 俺が何しなくても、それだけであんた終わりだぜ?」


 凌の体が震えている。慎の言葉が怖いのか、それとも慎自身が怖いのか、答えはきっと両方だ。


「父さんに、全部報告させてもらう。あんたは家から追放だ。自業自得だろ?」

「や、やめろ。慎! それだけは……っ」

「あんたが俺にしたことと同じだろ? これは遊びなんだからさ」


 慎はそう言って凌の体を引き起こす。


「もう……鬼は交代だ」


 捨てるようにして、兄の体を放り投げた。立ち上がる慎にしがみつく兄を、慎は蹴り飛ばす。


「早く出てけよ。……まだいる気なら、次は本当に外さない」


 慎はそう言って、凌に歩み寄ろうとする。凌は泣きそうな顔で首を横に振り、そのまま部屋を出て行った。


 壊れた扉から兄が出て行く。きっとこれから、取り繕う手段を考え始めるのだろう。


 慎は苛ついた様子で、近くにある机を蹴った。


 壊れた扉も、乱れたベッドも、すべてが汚れて見える。


 芽榴はしゃがみこんだまま、立てない。体が震えているのは薬のせい。でも慎の兄に襲われそうになった恐怖も要因の一つだと思う。


 慎は芽榴の前に、一緒になってしゃがみこんだ。


「なんで……兄さんの誘いに、乗ったんだよ」


 慎の声が少しだけ感情をのせていた。辛そうな、苦しそうな、そんな声に、芽榴の心が締め付けられる。


「気をつけろって……忠告しただろ?」

「だから、ですよ」


 芽榴はボタンの外れたワイシャツを合わせて皺になるくらい握りしめた。


「簑原家に戻って……お兄さんから殴られる回数が増えてますよね? 会うたびに、傷が増えてるの、私だって気づいてますよ」

「だから……だから、なんだよ?」


 慎の兄に会ったところで、芽榴には何もできないことくらい分かっていた。

 それでも、もし何かできるなら芽榴は慎のためにできることをしてあげたかった。


 慎が芽榴にそうしてきたように、芽榴も慎のために動きたかった。


「俺のため? 笑わせんなよ。誰がこんなこと頼んだんだよ!」


 慎の怒鳴り声が辛い。慎の顔が切なく歪んでいる。

 慎のために何かしたかったのに、結局芽榴は慎に心配をかけて、彼にこんな顔をさせることしかできない。


「私が……、簑原さんのために、何かしたいと思ったらダメですか?」


 芽榴は滲む涙を懸命に堪えて、問いかける。震える声はどうしても鼻にかかってしまう。


 そんな芽榴の問いかけを、慎は鼻で笑った。けれどその顔は芽榴よりも苦しげに歪んでいる。


「じゃあ、あんた……俺のためなら、なんでもできんの?」


 慎は芽榴の腕を掴んで、ベッドまで連れて行く。芽榴の体を持ち上げて、そのままベッドに寝かせた。乱暴に動いて見えるのに、触れる手も芽榴を横たえる腕も信じられないくらい優しい。


 横たわる芽榴に覆いかぶさった慎は、そこでまた芽榴のことを責めた。


「兄さんにこんなふうにされて、なんで抵抗しねぇの。それも、俺のため?」

「それは、ちが……」

「なんで……、俺のためなんて……言うんだよ」


 慎の泣きそうな顔に、芽榴は息を止める。慎の悲痛で歪んだ顔から目がそらせなかった。


「簑原、さん……」


 芽榴が声をかける。すると慎は深呼吸をして、ハハッと笑った。乾いた笑い声はとても悲しく響く。


「楠原ちゃんが俺のために、本気で何かしたいって思ってんならさ……今ここで俺の相手してよ」


 慎は笑っている。口角は上がっているのに、目は全然笑っていない。芽榴にはどうしても慎が泣きそうな顔をしているようにしか見えなかった。


「俺のためならなんでもできるんだろ? じゃあ、あんたを俺の好きにさせろよ」

「簑原さ……」

「……できないだろ?」


 慎は呆れるような声で言って、芽榴の手を離す。芽榴の考えの甘さを指摘するように、わざとひどいことを言って慎は芽榴に思い知らせた。


 芽榴が、慎にできることは何もないと。慎は芽榴を必要としていないと。


 他の女の子にできることも、芽榴にはできないのだと。


「何もできないんだから……中途半端なこと言うな」


 慎は芽榴の腕を離して、芽榴から離れようとする。でも、芽榴がそんな慎を引き止めた。


「何……」

「……できます」


 芽榴は小さな声で答える。やけくそというわけではない。その気持ちも、嘘ではなかった。


「は?」


 慎の瞳が揺れている。珍しく、動揺した慎の姿に言い知れない満足感はあった。


「できますよ。……なんでも」


 芽榴は慎のブレザーを掴んで、上半身を少しだけ浮かせる。

 やり方なんて分からない。きっと下手くそだと思う。それでも、芽榴は慎にキスをした。


 触れるだけのキスをして、間近にある慎の顔を見つめた。


「何、して……」

「これが……私にできることなんでしょ?」


 怖くないかと聞かれれば、もちろん首を横に振る。怖いけど、それでも芽榴は慎のことを選んだ。


「……震えてんじゃん。笑えねぇ冗談……やめろよ。……本当にやめろ」


 慎はそう言うが、芽榴から離れられないでいる。芽榴を振り払うことは簡単なのに、慎はそうしない。


「なんでだよ。なんで……っ、バカ女」


 慎は泣きそうな声で呟く。

 そして、そのまま芽榴にキスをしていた。


 初めての、芽榴の拙いキスを思い出せなくするくらい、慎の口付けは深く甘い。


「絶対……後悔するからな」


 慎はそう呟いて、芽榴のことを押し倒す。


「いいですよ……それでも」


 慎のために、何かしてあげたかった。その想いが恋だったのか、偽善だったのか、芽榴にも分からない。


 優しく触れる慎の温もりが、嬉しかった。その気持ちだけは偽りない本当。

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