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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
Route:簑原慎 嘘つきな恋物語
330/410

#01

 簑原家の一室、部屋を書棚に囲まれたそこは外務大臣、簑原忠人ただひとの書斎だ。

 窓に面した場所には必要以上に大きなデスクがある。大型のデスクトップパソコンの隣には本が山積みになっていて、残りのスペースは手紙や意見書といった類の紙類で埋まっていた。


「大変そうだね。……父さん」


 簑原慎は父のデスクを整理しながら父を気遣う。父は今、デスクの前の座椅子で慎が提出した紙面を眺めているところだ。

 大事なものがちゃんと分かるように父のデスクを片付けてあげると、父は満足げな顔をした。


「すまないな。最近整理できていなかったから助かる」

「これくらい手間じゃないよ」


 きちんとした身なりで、利口な行動をする、そんな慎を父は嬉しそうな顔で見ている。

 3年前、すべての権限を放棄したときから慎は放蕩息子を演じ続けた。それ以前も慎がいい子でいたことはない。慎は常に「出来損ないの弟」を演じていた。

 そんな慎が真面目な姿で、自ら再び権限を得て父の前に立った。そのことを父は喜んでいるのだろう。どういうわけか、父は昔から慎の演技を見抜いているみたいだった。『琴蔵聖夜』という男を利用してまで慎をつなぎとめたくらいだ。もしかしたらそれが兄のかんに触っていたのかもしれない。


「なかなかいい考えだ」


 父は目を通した紙面を、片付いたデスクの上に置く。慎が提出したそれは、現在父に与えられている政治に関する課題だ。3年のロスタイムがある慎は父に頼み、こうして一から政治学を学んでいる。


「しかし、これは現在の国際状況でのみ成立する方策だ。もっとあらゆる場合を想定した方策も考えられたら、今回の課題はクリアだ」


 再提出になった紙面を父に返される。目を通してくれたことに慎が感謝をすると、父は薄く笑った。


「まだ本腰を入れて1ヵ月も経たないのに、吸収がいい。……りょうでさえまともな課題を提出してくるまでに半年以上はかかった」


 凌、というのは慎の兄の名だ。優秀な兄と比較されても、褒められるなら喜ばしいこと。けれど慎はハハッと息を吐くように笑って自分を下げた。


「兄さんは15のときから始めて、俺は17……もうすぐ18だよ? 開始の年齢が違いずぎるから比較なんてできないし……そんな歳からこんな難しいこと考えられてる兄さんはすごい」


 慎は言葉を詰まらせることなく言って、ニコリと笑う。自分の中で用意されている台詞は、言うことに慣れすぎて迷うことも間違うこともない。

 そんな慎を、父は困り顔で見つめている。


「兄を尊敬するのはいいが、それではいつまでも兄の下だ」


 父はそう告げて、パソコンの電源を入れる。今から仕事を始めるのだろう。慎は邪魔にならないよう一礼をして、部屋を出て行こうとする。


「慎」


 呼び止められて、慎は立ち止まる。


「もう、お前は簑原家の人間だ。……琴蔵の架け橋になる役はお前の好きにやめていい」


 慎が聖夜に仕えるのは、慎が簑原家から消えるための条件だった。簑原家に戻った今、慎にその負担を続けさせる必要はない。

 慎は扉の取っ手に手をかけ、顔だけ父を振り返った。


「……利用できるものは、利用しようよ。琴蔵は、今後も使える札だ」


 慎は手に力をかけ、扉を引く。「失礼します」と声をかけ、書斎を出て行った。





 書斎を出て、小さくため息を吐く。俯くと、前髪が顔に垂れて暗い自分の髪が目に映った。


「……似合わねぇ」


 自分の前髪を摘んで、慎はほぼ黒の髪を見つめる。真面目に生きようとしている自分は新鮮だが、違和感だらけだ。

 けれどふと、1人の少女のことが頭に浮かんで慎は苦笑する。彼女はきっと「そっちのほうがいいです」と答えるだろう。そんなことを考えながら、歩き出す。


 しかし、少し歩いてすぐに慎の歩みは止まってしまった。


「……慎」

「兄さん……」


 廊下の先、こちらへやってくる兄の姿がある。慎は変わらず笑ったまま「父さんに?」と兄へ話しかけた。笑顔の慎に対して、兄の顔はとても険しい。


「お前も、行ってたのか」

「まあ……少し」


 そう答えれば、兄がどういう行動に出るかは分かっていた。分かっているのに、慎は言葉を言い換えない。


 静かな廊下に響く鈍い音。


 慎は前髪を掴まれ、そのまま壁に後頭部を打ち付けられる。痛みはたしかに感じているけれど、慎は笑ったまま。そうしてそのまま頰を殴られた。


「慎……お前出しゃばるなよ。お前が今さら何したって無駄なんだよ。その馬鹿な頭で……父さんに媚びを売るな。……お前は出来損ないなんだからさ」


 兄は慎を馬鹿にして満足げな顔をする。慎を罵って見下して愉悦に浸ると、まるでオモチャを投げ出すように慎のことも投げ捨てた。そうして、気が済んだ兄は父の書斎へと向かっていく。慎のことなど、もう眼中にない。


「……無駄だと思ってんなら、怒るなよ」


 慎は笑って、殴られた頰を摩る。少しの痛みと我慢で兄の怒りを簡単に鎮められるのなら、慎はそれを選ぶ。


「本当……単純だろ?」


 慎は脳裏に浮かぶ心配顔の少女に、問いかけた。






 ラ・ファウストの図書室。

 無駄にでかい室内。でもそこに生徒はいない。ここを生徒が寄り付かない場所にした張本人は、自分以外誰もいない図書室を見て笑う。


「……空っぽ」


 1ヶ月前まで、ここは慎のオモチャ箱だった。


 簑原家に戻ってから、遊んできた女生徒たち全員を切った。しばらくは慎にふられた女たちが悪あがきをしに図書室まで来ていたが、今はそれも落ち着いていた。


「……これと、これでいっか」


 慎は父に渡す課題の参考になりそうな本を数冊手に取る。今まで図書室にどんな本があるかを気にしたことはなかったが、政治関連だけでも良質な本がたくさんあった。


 それらの本を持って、図書室の一席に荷物を置く。少し長めの前髪はピンで上にあげ、コンタクトを外した。代わりに、縁が鼈甲べっこう色の眼鏡をかける。完全に勉強モードに入って机に向かうと、図書室の扉が開いた。


「慎、おるか? ……誰や、お前」

「ははっ、ひっでぇな。いい加減見慣れろよ」


 聖夜が図書室に入ってきた。勉強モードに入った慎の姿は今までの慎とは別人だ。もちろん聖夜はこの姿をもう何度も見ているのだが、あまりの不自然さに必ずそう告げてくる。


「なんや。父親に課題出したんちゃうんか? 新しいやつか?」

「もっと視野広げた答え書けってさ、再提出」

「だっさ」

「ははっ、うぜぇ〜」


 聖夜は慎に話しかけながら、慎の前の席に座る。普段特務室にいる彼が、わざわざ図書室に赴いたことに、慎は薄く笑った。


「寂しかった?」

「アホか。虫唾が走ること言うなや」


 聖夜は不機嫌に言って、頬杖をつく。しかし図書室を出て行こうとしないのだから、慎の言ったことはおそらく当たっているのだろう。慎はプッと吹き出した。


「慎……」

「いやいや、すぐ終わらせるから待ってろよ。コーヒーでも飲み行こうぜ、聖夜ちゃん」

「その呼び方やめろって言うとるやろ! んなこと言うとらんで、はよ終わらせろや!」


 聖夜は慎の頭を近くにある本で叩くと、その本をパラパラとめくり始めた。つまらなそうにそれを読みながら慎のことを待っている。





 ――琴蔵の架け橋になる役はお前の好きにやめていい――





 父の言葉が頭をよぎる。こんな聖夜を見て、命令がなくなったといえども聖夜から離れようとは思えない。


「聖夜」

「……なんや」


 聖夜は本に視線を落としたまま、慎の声に耳を傾ける。聖夜がこんなにも気を許す相手はおそらくあの少女と、慎だけだ。


 父の命令のまま、聖夜とはじめて会話をした時のことが今ではとても懐かしく思える。




 とあるパーティーで、慎は聖夜に声をかけた。当時2人は15歳。


『簑原家の……次男』

『うん、そう。出来損ないのほう』


 挨拶に出向いた慎に、聖夜は警戒心しか見せていなかった。それを慎は分かっていたが、それでも聖夜からの信用を得なければならなかった。自分の自由のために。


『仲良くしよーぜ。聖夜くん』

『……名前で呼ばれるのは、好きじゃない』


 それから慎は何度も聖夜とコンタクトをとった。ラ・ファウストの中等部校内でも声をかけるようになった慎に、聖夜はある日こう言った。


『今まで一切、僕に話しかけもしなかったのに……どういうつもり? 媚売りのつもりなら無駄なことはやめたほうがいい』


 それまで慎はラ・ファウスト学園に名前だけ置いて、ほとんど通ってはいなかった。通っても、自分のことを好きだと言ってくれる女子と少し遊んで帰る。その頃からすでに、放蕩息子の名を広めていた。

 その歳で頂点の座に居座り続ける聖夜とは正反対。だからこそ聖夜は慎に嫌悪感を丸出しだった。でも慎はそれが嫌だとは思わなかった。


『そう。媚売りだよ、媚売り。俺は琴蔵聖夜を利用したい。だからそっちも俺を利用しちゃえばいい』


 軽い口調で慎は言った。しかし、その言葉に込めた気持ちは半端なものではない。慎はそのときすでに決意していた。


『俺があんたの願いを、望みを……全部叶えてやるよ』


 その言葉通りに、慎は聖夜の口にした願い、望み、すべてを叶えた。

 慎がそれらすべてを叶えられるだけの力量を持っていたことに聖夜は驚いて、だからこそ彼の『出来損ない』の名に疑問を抱いた。


 聖夜が慎を受け入れるのに、そう時間はかからなかった。


『利用するだけやったら……友人ちゃうやろ。やるからには全部徹底しろや』




 それから慎は、聖夜とずっと一緒にいる。

 最初は聖夜のことをただのお坊ちゃんだと思っていた。聖夜のために動く理由は、自分を守るためという理由でしかなかった。


 それがいつからだろう。純粋に聖夜のためを思って、動くようになったのは。


「……何笑っとんのや」


 聖夜を本当の友人と思い始めたのは、幸か不幸か、彼女に出会ってからだ。聖夜が出会った頃のまま、慎にとって『ただのお坊ちゃん』でいてくれたなら、きっと今頃楽だった。


「別に、なんでもねぇよ」


 キリがいいところまで課題が進んだため、慎は聖夜と休憩をとることにする。使い終わった本を片付けながら、慎は薄く笑っていた。


 慎の記憶の中にいる少女は、いつも困り顔をしている。彼女の笑顔なんて、まともに見たことはない。呆れ顔や困り顔ばかり。


 本気で聖夜から奪おうとしても、慎には彼女を幸せにできる自信がない。だからきっと彼女もそんな慎を選ばない。


「……俺は、聖夜を裏切らない」


 慎は呟いて、本棚に分厚い本を直した。

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