#14
バレンタインが終わって、テスト期間に入った。
芽榴と有利は来週のテストに備え、生徒会室で勉強している。
「ひゃあ……るーちゃんの勉強法って何度見てもすごいわねぇ」
同じく生徒会室で勉強している来羅が芽榴のほうを見てそんなふうに感嘆した。普段翔太郎が座っている席で彼は勉強している。
颯は図書室、翔太郎はすでに帰宅して勉強しているらしい。
「そー……かな」
疑問系にしようとしたが、世界史の教科書をペラペラとめくり続ける勉強法は芽榴にのみ有効なものだ。芽榴は苦笑しつつ語尾のトーンを下げた。
「オレもそうできたら成績あがるかなぁ」
芽榴の隣で英語を解いている風雅がそんなふうに呟くと、来羅が条件反射の勢いで「無理無理」と笑った。
「記憶力があっても全教科満点なんて、そうそうとれないわよ」
「それは同感です」
来羅の意見に、有利が同意した。黙々と数学の問題を解いていた有利が口を動かしたため、芽榴は少し驚いて彼のノートに視線を向ける。ちょうど手をつけていた問題を解き終わったところらしい。
「はぁ。次のテストは前よりいい順位とりたいなぁ」
「蓮月くんは蓮月くんのペースで成績のばせばいいと思うよー」
英語の参考書を見つめてため息を吐く風雅を、芽榴は笑顔でなぐさめる。「元気を出して」と言う代わりに、彼の肩をポンポンと叩いた。
「るーちゃん、あんまり風ちゃんを甘やかしちゃダメよ。ここはズバッと突き放す勢いで……」
慌てたように芽榴と風雅の会話に入り込んだ来羅だが、言葉の途中でハッと息をのみ、苦笑まじりに言うのをやめた。
来羅に視線を向けると、視界の端に有利の姿も映る。彼はシャーペンの芯を替えているところだ。
「来羅ちゃん?」
「ごめんなさい。喉つまらせちゃって」
そんなふうに伝える来羅は依然苦い顔をしたままだ。どうしたのだろうと芽榴が首を傾げると、芽榴の思考を遮るように風雅が身を乗り出してきた。
「芽榴ちゃん、芽榴ちゃん。ここ教えて?」
風雅が芽榴に近寄って、芽榴の前にプリントを見せる。簡単な英語の問題だが、芽榴は風雅の手元を覗き込んだ。
「ああ、風ちゃん! それ英語でしょ? ほら英語教えるの得意な人が図書室にいるから、行きましょ!」
「え? ちょっと来羅!」
来羅が無理やり風雅の腕を掴んで教室を出ていく。風雅は「颯クンのとこ!? やだよ!」と叫んでいるが、来羅はそれも無視して風雅を生徒会室から連れ出した。
「来羅ちゃん、どうしたんだろ」
芽榴は首を傾げながら閉まる扉を見つめる。「ね?」と意見を求めるように有利のほうを見ると、有利がシャーペンをカチカチと鳴らして芯の出具合いを確かめた。
「さあ……どうしたんでしょうね」
有利はシャーペンの芯を見つめながら答えた。そんな有利を見て芽榴は肩を竦める。そしてそのまま頬杖をついた。
「何か別のこと考えてるでしょー」
「え? なんでですか?」
「なんとなく」
驚いたような有利の反応を見て、芽榴は優しく笑った。おそらく以前の芽榴なら気が付かなかっただろう。最近有利と過ごす時間が増えて、有利のことを知りたいと思うようになって、有利の少しの表情変化が分かるようになってきた。
「少し他のことを考えてました、けど……こういうの気づかれるのは初めてです」
「へへっ、すごいでしょー」
有利と過ごした時間はまだ役員のみんなにも及ばない、少ない時間だ。けれど少しずつ、ちゃんと有利のことを分かってきた。
それが嬉しくて、芽榴は曇りのない笑顔を見せる。そんな芽榴の笑顔を見て有利はやはり困ったように笑っていた。
「来羅、何」
「何じゃないわよ」
生徒会室を出た来羅と風雅は図書室には向かわず、生徒会室から少し離れた、同じ階の男子トイレの前にいた。
「有ちゃんの前でまで、るーちゃんにベタベタしないの」
「してないよ。いつも通りじゃん」
風雅はそう言って目をそらす。すると来羅が「ほら、故意にしてるじゃない」とすかさず突っ込んだ。
「るーちゃんは有ちゃんのことが好きで、有ちゃんとうまくいってるの」
「……なら、オレが何しても崩れないよ」
風雅があいだに割り込んで、それで崩れるならその程度だと風雅は答える。その風雅の意見に納得できず、来羅は顔をしかめた。
「いくら有ちゃんでもあんなの不安になるわよ。だってるーちゃんが……」
「オレといるときのほうが楽しそうでしょ?」
来羅は言葉をつまらせたままだ。風雅の意見を否定できない来羅を見て、風雅は苦笑した。
有利といるときより風雅といるときの方が芽榴は楽しそうに声をあげて笑う。それは役員みんなが気付いていることだ。
「オレは来羅みたいに『いいヤツ』にはなれなかった」
風雅は視線を落としてそう呟く。心を押し殺した来羅は芽榴のことを見守るだけ。それは他から見ればいい人だ。だから心のままに動く風雅は悪い人になる。
けれど、本当に正しいのがどちらなのかは来羅にも風雅にも分からなかった。
テストも無事に終わって、2月も後半。芽榴の旅立ちが近づいていた。
そして芽榴と有利、そして風雅の関係は当人たちが思っている以上に噂になっていた。
「楠原さんと風雅くんってあいかわらず仲いいねぇ」
「風雅くん、いまだに毎日会いに来てるもん。彼氏みたい」
「本当の彼氏さんもかっこいいけどねー」
F組女子がそんなふうに話している姿がたびたび廊下で見受けられる。冗談話として言われているが、実際の2人の様子はたしかに「付き合っている」と言われても疑わないレベルのものだ。
「芽榴ちゃん、今日髪型かわいいね」
「そう、かな……? 舞子ちゃんから教えてもらってしてみたんだー」
昼休み、F組にやってきた風雅に言われ、芽榴は照れた顔をした。いつもは無造作におろしているだけだが、今日は横の髪を編み込んでいる。
「芽榴ちゃんは何してもかわいいけどね!」
「それじゃあ、今の意見は全然参考にならないねー」
風雅の付け加えた言葉により、芽榴は半目に戻る。やはりそんなに似合っていないかな、と髪を触る芽榴を見て、風雅は慌てたように「いや! 今日は特別かわいいよ!」と恥ずかしげもなく言ってきた。
「蓮月くんの意見は参考になりませーん」
「ほんとだって!」
芽榴が風雅の意見をあしらうと、風雅が「芽榴ちゃーん」と嘆き始める。それを見て芽榴はカラカラと声に出して笑った。その笑い声を、風雅は満足げに聞いている。
「本当にかわいいよ。でも、どうしたの。今日何かあるの?」
「え? あ……ううん。特に何もないいんだけどね」
風雅に問いかけられて、芽榴は頬をほんのり赤らめる。
「たまには、女の子らしくしたいなーって……思ったり、して」
言いながら恥ずかしくなって、どんどん声が小さくなる。それ以上は答えなかったがその顔と発言で、誰のためにそうしているかはバレバレだ。それが分かるため、余計に照れくさくなって芽榴はため息を吐きながら両頬を覆った。
「そっか……」
そんな芽榴の姿は髪型もあいまってとてもかわいらしいのに、風雅は苦い顔をして笑っていた。
放課後、生徒会室でいつも通り仕事をして有利と2人で帰る。芽榴は有利と暗い夜道を歩いていた。
白い息を吐いて、マフラーで口元を覆う。今日は少し寒い。
「寒いですね」
「うん。今日はお鍋かなー」
「今日は楠原さんが作るんですか?」
「ううん。寒い日はお鍋ってお父さんがよく言ってるから、なんとなくー」
最近は芽榴断ちの練習で、重治や圭が料理の練習をしている。十年前までは真理子の料理を食べていた2人だが、芽榴の料理を口にして十年。舌が肥えたために今回は自分たちで頑張るらしい。
「鍋ですか。……温まりますよね」
「ねー」
芽榴はカイロをシャカシャカと振って手を温める。ぼーっと前を見ていると有利の視線を感じて、芽榴は不思議そうに彼へ視線を返した。
「あ、カイロいるー?」
「いえ。……そうじゃなくて」
そう言って有利が芽榴の編んだ横髪に触れる。生徒会室であった時に何も言われず、気付いていないのだろうと思っていたため、芽榴は驚いて肩を揺らした。
「似合ってます」
有利は薄く笑った。有利にそう言ってほしくて結った髪だ。願いが叶って自然と顔がにやけてしまう。芽榴は慌ててマフラーを頬のところまで持ち上げた。
「……ほんと?」
「かわいいです。生徒会室で勉強してるときもずっと思ってました」
風雅が何度も言ってくれた「かわいい」の言葉。けれどたった1回有利が告げる「かわいい」はそれだけで芽榴の心に響いて、気持ちを弾ませた。
「えへへ……」
芽榴はマフラーで顔を隠すが、目元が垂れてだらしなく笑ってしまい、全然隠しきれない。
単純だな、と芽榴は自分で思う。
「蓮月くんもそう言ってくれたから変ではないと思ったんだけど……蓮月くんの評価はいまいちあてにならないから」
芽榴がそう言うと、有利の顔色が少し変わる。芽榴の髪を触る手がピタリと止まった。
「……藍堂くん?」
「蓮月くんは、まだ……会いに来てますか」
有利が静かに問いかけてくる。おそらく昼休みのことだろう。芽榴が答える前に、有利は「来てますよね」と言葉を連ねた。
「うん。でも、別に……」
「知ってます。前からそうでしたもんね」
有利と付き合う前からそうだった。付き合い始めてからそうなったなら文句も言えるが、付き合う前からしていた行動になかなか文句は言えない。
風雅がいまだに「友達として会いに行ってる」と言い張っているからなおさらそうだ。
「蓮月くんといるときの楠原さんは……すごく楽しそうですし、僕も楠原さんが楽しそうにしているほうがいいです」
「え……? ま、待って。確かに蓮月くんと話すのは楽しいけど……。でも私は、藍堂くんといても」
「いいです。そこをフォローされると少し悲しいので……」
有利は眉を下げ、困り顔で芽榴の言葉を遮った。
芽榴本人も否定できない。それは事実だった。
「でも……」
有利は何かを言いかけて、やめる。続きが気になって芽榴は「言って」と迫るが、有利はその先を言わない。
気まずい雰囲気が流れた。さっきまでいつもどおりの穏やかな空気が流れていたのに、今はそれが一変していた。
「藍堂く……」
「嫌なら嫌って、はっきり言わねぇとその女は分かんねぇよ」
芽榴の声にかぶせて、その声が聞こえる。芽榴も有利も目を丸くして、声のする方へと目を向けた。
「簑原、さん」
電灯が照らす位置までやってきて、その顔が明らかになる。髪色が暗くて、一瞬誰か分からない。スーツにロングコートと、珍しくきっちりした格好。たしかに簑原慎がそこにいた。
「……楠原さんに、用ですか」
有利はすぐに芽榴を自分の後ろに隠す。慎がこの時間にこの道にいる理由は考えなくても分かることだ。
警戒する有利を見て、慎が笑った。
「怖い怖い。あ、木刀は出すなよ? さすがにあんたに敵う気がしないから」
慎はヘラヘラ笑ってそんなふうに言う。
「まあ、邪魔なら出直すけどさ。見た感じ、今日はもう帰ったほうがいいんじゃねぇの?」
慎が有利のほうを見て、提案するようにして告げる。その発言で、慎が今の芽榴と有利の状況を理解していることは分かった。
きっと数分前の状況なら、慎は割り込むことなく帰っていたのだろう。
「楠原ちゃんは俺が送るよ。ああ、心配すんなって、俺はあの馬鹿と違ってわきまえてるから。人のものには手出さないぜ?」
慎の申し出を、それでも有利は渋る。芽榴を後ろにかばったままの有利を見て、慎はため息を吐いた。
「そのまま2人で帰って、気まずさ増すだけじゃねぇの? 冷静なうちに帰ったほうがいいと思うぜ?」
今度の言葉は真剣な声音で告げられた。真面目な顔をする慎は、颯と同じか、それ以上の風格を見せる。
慎の言っていること自体、間違ってはいない。今の状態で有利と一緒にいても、よくて沈黙、悪くて口論するしかない気がした。
「藍堂くん……。ここで、いいよ」
「……楠原さん」
有利が振り返る。有利は何か言いたげで、でもやはり何も言わない。
「はい。……また、明日」
有利は歯切れ悪く言って、芽榴を慎のもとに残して先の道を歩いて行った。
芽榴は有利の背中を見つめる。彼の背中が見えなくなるまで見つめて、そして慎のことを見た。
「……お久しぶりです」
「そうだな。その久しいあいだに彼氏まで作った楠原ちゃんを祝福しにきたんだけどさ」
慎は呆れるように笑った。
「俺との約束、忘れてんじゃねぇよ」
茶色のマフラーが揺れる。芽榴の髪を揺らす風はいつもより冷たかった。
21時に次話更新します!




