#11
宮田と一緒に教室に戻って、芽榴はそのまま自分の席へと向かう。宮田と笑顔で帰ってきたこともあってか、宮田の友人も舞子も2人に何を話したのか聞かなかった。
「でも藍堂くんと芽榴がねぇ……予想外ってわけでもないけど意外だわ」
「そうかな……?」
「私は神代くんか風雅くんと付き合うって予想してたから」
昼食をとりながら、舞子はそんなふうに言う。芽榴が苦笑していると、教室が少しだけ騒がしくなった。
「芽榴ちゃん!」
扉の方を向くと、風雅がいる。明るい声と笑顔、有利と芽榴が付き合い始めたことを知っているクラスメートたちは風雅の変わらぬ登場に驚いた顔をしていた。
芽榴の目の前にいる舞子も、そして芽榴自身も風雅のことを見て驚いていた。
「蓮月くん……」
「今日、どこもかしこも芽榴ちゃんと有利クンの話で持ち切りで……オレはショックで死にそうだよ」
風雅は冗談っぽく涙を拭うふりをしながら芽榴と舞子のほうへと近寄った。芽榴と有利のことを知っていて、会いに来たらしい。そんな風雅を気にしたのか、滝本もこちらへとやってきた。
「蓮月。お前、何しに来たの?」
「何って……そりゃあ芽榴ちゃんのお祝いと、慰めてもらいに」
「本人に慰めてもらってどうすんだよ」
呆れ顔の滝本にも笑って返し、風雅はそのまま芽榴へと視線を向けた。
「……有利クンに負けちゃったね、オレ」
そう告げる風雅は少しだけ寂しそうだった。風雅が重ねてきた告白の返事をしないまま、芽榴は有利を好きになって有利を選んだ。風雅に対する申し訳ない思いがあふれて、芽榴の表情が曇りそうになる。すると、風雅がさっきと同じように笑った。
「おめでと、芽榴ちゃん」
寸前に少しだけ見せた寂しそうな表情も雰囲気もどこかへ消えていた。祝福する風雅の笑顔は作り笑顔じゃない。でも、芽榴はなんとなく違和感を覚える。
「あり、がと」
「うん。あ、でもあんまりオレの前でいちゃつかないでね! オレ、泣いちゃうよ?」
そんな冗談を言って芽榴を笑わせようとする。その風雅はいつもと変わらない。芽榴は笑って風雅に答えた。
芽榴と風雅がいつも通り仲良く話し始めたため、舞子は自分の席に滝本をおいて席をはずす。女子トイレへ向かおうとして、教室を出ようとすると慣れないその姿とぶつかった。
「あらら、ごめんなさい。植村さん」
男子の制服を着た来羅だ。修学旅行が終わってからずっと目にしている姿ではあるが、まだ慣れない。一瞬言葉を詰まらせてしまうが、舞子は「芽榴に?」と来羅にF組訪問の理由を問う。
「るーちゃんっていうか……もしかして、風ちゃん来てる?」
来羅はそう問いかけながらF組の中を覗いていた。風雅ほど目立つ人間は教室を見渡さなくてもすぐに目につく。来羅は風雅の姿を確認すると、眉を下げた。
「やっぱり」
「やっぱり?」
来羅のつぶやきに舞子が首をかしげる。すると来羅は小さくため息を吐いた。
「何してるのよ、風ちゃん。……有ちゃんとるーちゃんのこと聞いて落ち込んでるかと思ったら……るーちゃんに会いに来たりして」
「変に気を使うより、いつも通りにしてていいと思うけど」
舞子が今の風雅の対応について擁護すると、来羅が舞子のほうを見て「いつも通りだからダメなんだよ」と低い声を出した。
「……風ちゃんの『いつも通り』はるーちゃんのこと大好きなままってこと」
「それで、よくない?」
「有ちゃんのことを気にせず、るーちゃんをあきらめないってことだよ」
来羅の言いたいことが舞子にはいまいちよくわからない。でも次の言葉で納得できた。
「風ちゃんは、るーちゃんのこと諦める気も引く気もないよ」
舞子は芽榴と風雅のことを見た。楽しそうな芽榴の姿がそこにはあって、有利がこれを見たらと思うと、複雑な気持ちが広がる。来羅の困り顔の意味が、舞子にも分かった。
F組の2つ上の階の演習室。電気もついていない空き教室の扉が勢いよく開いた。
「起きろ、翔太郎」
教室の中心の席で当然のように仮眠休憩をとる男子に颯が言う。颯に起こされた翔太郎は眼鏡をかけないまま、不機嫌に顔を上げた。
「なんだ、神代……。ここは生徒会室じゃないし、昼休みだぞ」
「テスト一週間前に入ったら仕事できないんだから、昼も仕事だよ」
「……他のやつらに声をかけていないのか」
「暇そうなお前にだけだよ」
颯はそう言って、翔太郎が仮眠をとっている机まで歩み寄る。そしてその前の机に紙束を置いて自分の腰を軽く預けた。
颯が生徒会室ではなく、ここに仕事を持ってきた理由を思い、翔太郎はため息を吐いた。
「今日くらい休めばいいだろう。……今やって貴様の仕事に身が入るのか?」
「いつやっても同じだよ。どういう意味でそれ言ってる?」
颯が横目に翔太郎を見る。すると翔太郎は視線をそらして芽榴からもらった伊達眼鏡を手に取った。
「芽榴と有利のことを言ってるなら……むしろ何かに没頭したい気分だよ。お前は休む? まあその理由なら受理してあげるけど」
「俺はそんなことで休むほど馬鹿じゃない」
翔太郎は眼鏡をかけ、ちょうどいい位置にブリッジをもっていく。颯の横顔を見つめながら、翔太郎は頬杖をついた。
「……蓮月は、動いてるぞ」
翔太郎の言葉を聞いて、颯は薄く笑う。その言葉の意味はおそらく『貴様は動かないのか』だろう。
有利と付き合い始めたのだから、見守るのが普通だ。風雅の行動は褒められたものではない。
「有利の横でも芽榴が笑ってるならそれでいいよ、僕は」
「それは本音か?」
長年の付き合いはこういうとき不便だと颯は思う。特に芽榴のことになれば、颯の建前も嘘も全部バレバレだ。
「僕は……これ以上傷つきたくないだけだよ」
芽榴は颯を友達以上に思っても恋愛対象として思うことはない。そのことを颯はもう、痛いほどに分かっていた。
颯を友達だと喜ぶ芽榴を見るのも、恋愛対象になろうとして玉砕するのも、颯は嫌だった。
臆病かもしれない。けれど颯の言いたいこともよく分かって、翔太郎はそれ以上何も言わなかった。
昼休みが終わる少し前。
有利は昼食をとっていた生徒会室から帰ってきて、D組の前まで来ていた。クラスに入ろうとして、前から来る人物を見て有利は立ち止まる。
彼の教室はD組のある3階の1つ下。そして彼がやってくる方向には、F組がある。
廊下の女子の視線を浴びながら軽やかに廊下を歩く風雅に有利は視線を向けていた。
「あ、有利クン」
「……蓮月くん」
有利のことを見て、風雅はニコリと人懐っこい笑みを浮かべる。有利が少し視線をそらすと、風雅はあははと笑った。
「聞いたよ。芽榴ちゃんとうまくいったんだって? おめでと」
風雅が笑顔で祝福してくることに安心する有利だが、すぐにその不自然さに有利は顔を歪めた。
「……はい。ありがとう、ございます」
風雅はそのまま有利の横を通り過ぎようとする。けれど有利は彼の腕を掴んで引き止めた。
「有利クン?」
「あの……楠原さんのところに、行ってました?」
有利は無表情で風雅に問いかける。すると風雅は何も問題ないだろうと言わんばかりに、ためらうことなく頷いた。
「ダメ? 有利クンと付き合っても、オレは芽榴ちゃんの友達だもん。……変える気ないよ?」
「あ……いえ、別に……それはいいんですけど」
修学旅行が明けてからずっと、風雅が芽榴に会いに行っていた理由は、少しでも芽榴に振り向いてほしかったからのはずだ。
今日芽榴に会いに行った理由も、今までと変わっていない気がして有利はそんなふうに尋ねた。
風雅は『友達』と口にしたが、有利にはその単語すら引っかかって聞こえる。
言葉をためらったまま手を離さない有利を見て、風雅は堪忍したように苦笑した。
「うん、嘘。……ごめんね、有利クン」
風雅はそう答えて、少し腰をかがめて有利との距離を詰めた。
「オレは明日も芽榴ちゃんに会いに行く」
「……蓮月くん。あの、こんなこと言うのは違う気がしますけど……楠原さんは僕と」
「有利クンの彼女になったとしても、オレは芽榴ちゃんが好きだよ。……芽榴ちゃんもオレといるときは、誰といるときよりも楽しそうに笑ってくれる」
風雅は有利の言葉を遮って、自分の思いを告げる。その事実は、有利か一番気にしていることだ。
「オレにもまだ可能性はあるよ。……突き放されるまで、オレは芽榴ちゃんを諦めない」
風雅はそう言うと、一歩下がって有利と距離を取る。有利の表情は変わらない。でも心の中は乱れに乱れていた。
「ごめん、有利クン」
風雅は視線をそらして、今度は本当に申し訳なさそうに謝る。そして有利に背を向けた。
風雅が階段を下りて廊下から姿を消すと、今度は有利の後方から愛おしい声が聞こえた。
「藍堂くん?」
「……楠原さん」
振り返ると芽榴がいる。有利のことを見て、表情を柔らかくしてくれた。どうやら掃除場所に向かうらしく、手には何も持っていない。
「今から掃除場所行くー?」
「あ、はい……。本棟の1階に……」
「じゃあ、近いね。一緒に行こー」
芽榴が小首を傾げて可愛らしく誘ってくれた。有利は素早く教室に荷物を置いて、芽榴と一緒に掃除場所へと向かう。
芽榴は有利の前でもちゃんと笑っている。有利は自分に言い聞かせるが、風雅の言葉が尾を引いていた。
「あの、楠原さん」
「んー?」
本棟の方へ向かう渡り廊下を歩きながら、有利は芽榴のことを見つめる。すると芽榴も有利のことを見つめ返してくれた。
芽榴の伸びた髪が揺れ、大きな瞳には有利だけが映っている。
――芽榴は有利の隣にいる。
有利は芽榴の手を握り、立ち止まった。芽榴の驚いた声が聞こえ、廊下を歩く数人の生徒がこちらに視線を向けるけれど、有利は気にしなかった。
「藍堂くん?」
「好きです」
静かに紡がれた言葉が、他の人に聞こえたかは分からない。でも確実に芽榴には届いて、芽榴は顔を赤くして視線をそらした。
「い、いきなりどーしたの。ここ、学校だよ?」
「楠原さんは……どうですか」
「だ、だから……」
「楠原さん」
学校で、周囲の視線もある。2人きりの空間ではないからためらう芽榴に、有利は答えを急かした。
芽榴は少し困り顔をするけれど、有利の真剣な顔を見て、次に周囲へと視線を向けた。
数人の生徒はいるが、距離はある。
芽榴が有利の手を強く握りしめ、うつむいた。
「……好き、だよ」
小さな声で芽榴は答えた。
遠慮がちな答え。でも今の有利には、それだけで十分だった。
恥ずかしそうな芽榴の顔はとても可愛い。風雅は芽榴のとびきりの笑顔を知っているけれど、有利は風雅の知らないこの顔を知っている。
芽榴は隣にいてくれる。そう思って、有利は芽榴と掃除場所へと向かった。




