#10
月曜日。
別教室での授業が終わり、教室へと戻る。芽榴はいつものように舞子と一緒にクラスへと帰っていた。
「再来週はテスト期間かぁ。やだなぁ」
「ねー」
憂鬱なつぶやきをもらしながら、芽榴と舞子はのんびりと歩く。芽榴は歩きながらちらちらと舞子の様子をうかがっていた。
昨日有利の家で起きたことをまだ舞子に言えていない。言いたいけどどう言えばいいのか分からないまま、今に至る。
「来週は来週で、バレンタインだし。バレンタインといえば……今年も役員はすごそうね」
「え? あー、そうだね」
舞子に言われ、来週の月曜がバレンタインであることをまじまじと考える。役員が大量にチョコをもらっている姿は容易に想像がついた。
有利もきっと、いろんな女の子からもらうのだ。
「……あ」
そんなことを考えながら階段をのぼり、廊下に出るとD組の前に差し掛かった。
偶然か、ちょうど廊下に出てきた有利の姿を見つけ、マヌケな声を出す。その声が聞こえるはずもないのだが、まるでその声に反応したかのように有利がこちらを振り返って芽榴を見つけてくれた。
「楠原さん」
「……お、おはよー」
昨日の告白もあって、顔をあわせるのが恥ずかしい。でもなんとか頑張って挨拶をしてみると、有利がクスッと小さく笑った。
「おはようございます。昨日は、眠れましたか?」
「うん。えと、おかげさまで……?」
自分で言っていておかしいと思う。でも有利と両想いだと分かって安心して、昨日ぐっすり眠ることができたのは本当だった。
「それはよかったです。僕はなかなか寝つけませんでしたけど」
「え? だいじょーぶ?」
有利がそんなことを言うため、芽榴は即座に心配顔をする。顔色はそんなに悪く見えないが、疲れているのではないか。芽榴がそんな気遣いを口にしようとすると、有利は困ったように少し眉を下げた。
「嬉しくて、眠れなかっただけです。体調はむしろいいですよ」
有利は特に恥ずかしがる様子も見せずに言って、芽榴の頰に触れた。
「夢じゃないみたいで、よかったです」
ここは廊下だというのに、有利はためらう様子を見せない。芽榴はボッと顔を赤くして一歩後ろへ下がり、有利の手から頰を離した。
「あ、あー、次の授業の準備あるし、行くね! じゃ、じゃあ……また放課後」
動揺やら好意やら何一つ隠せないまま、芽榴は声を裏返しそうになりながらも早口で言って、自分のクラスへと向かう足を早めた。
そんな芽榴の後ろを舞子が小走りで追いかけてきた。「芽榴」という聞きなれた呼びかけで、舞子のほうを見ると、舞子の好奇心にあふれた瞳が芽榴を見ている。
有利との様子を見ていたらしい何人かの生徒が、舞子と同じように興味津々な顔で芽榴のことを見ていた。
「ね、どういうこと? 金曜まで藍堂君のこと避けてなかった? てゆーか、距離置いてたんじゃないの? あんなの、どう見ても……」
舞子が次に言う単語の想像がつく。有利は芽榴の「彼氏」だ。そう、頭でちゃんと理解すると顔の熱が耳まで伝わっていった。
「……両想い、だったみたいで……」
「え?」
「えっと、だから……その、昨日……付き合うことに、なりました」
語尾はほとんど聞こえないくらいの声で言った。でも舞子は大事なところをちゃんと聞けていたようで、目を大きく見開いた。
「え!? 付き合い始めたって……藍堂くんと!?」
驚きのあまり舞子の声が大きくなる。そのせいで芽榴の様子に気を配っていた生徒たちの耳に、その情報は簡単に伝わった。
約2時間前に漏洩した「芽榴と有利が付き合い始めた」という情報は、すでに学年中を飛び越え、他学年にまで伝わっていた。
「あちゃあ……ごめんね、芽榴。驚きすぎて……」
芽榴に向けられる好奇な視線に対し、舞子は芽榴のほうを向いて申し訳なさそうに謝った。今もクラスの視線は芽榴の席に向いている。
けれど、そのことについて照れくささはあっても舞子を責める感情はなかった。
「ううん。隠すつもりはなかったから……全然」
きっと有利もそうだ。でなければさっき、不特定多数が見ている廊下で大胆に昨日の話を持ち出すことはしないだろう。
ただ少し、広まるのが早かっただけ。そんなふうに言って芽榴は舞子に優しく笑いかける。すると舞子の背後からある人物がやってきて、芽榴の笑顔が強張った。
「楠原さん」
「……宮田さん」
宮田あかりが芽榴の席にやってきた。宮田とよく一緒にいる女子は宮田の行動に焦って、彼女の腕を引いた。
「み、宮田! 楠原さんのところに来てどうしたの。ほら購買行くよ」
芽榴から引き離すように、クラスメートが宮田の腕を引く。でも宮田は「ちょっと待って」と真剣な声で彼女に答えた。
「楠原さん、ちょっと話せる?」
舞子も複雑な表情をするだけで、口出しはしない。
有利と付き合うと決めたとき、覚悟していた。芽榴は宮田の問いかけに頷いて、彼女と一緒に教室を出た。
宮田と一緒にやってきたのは一つ上の階の空き教室だ。窓際まで進む宮田に対して、芽榴は教室に入ってすぐに立ち止まる。
顔は自然とうつむいていた。宮田の「楠原さん」と呼びかける声だけでは感情を判断できない。けれど次に来る言葉はなんとなく予想できていた。
「藍堂くんと付き合い始めたってほんと?」
宮田あかりは有利のことが好きで、修学旅行に芽榴を仲介して彼に近づき、そしてふられた。
ふられた理由が自分であることも、今の芽榴は分かっている。
「……う、ん」
「藍堂くんのこと、好きなの?」
有利のことをずっと友達だと言ってきた。そうして宮田にも協力した。それなのに有利と付き合い始めた芽榴に、宮田が不審感と嫌悪感を抱くのは当然だ。
「……好きだって、気づいて」
声が震える。宮田の協力までしていたのに、修学旅行が終わって有利のことが好きだと気づいて、有利の恋人になった。
とても身勝手で、最低だ。
有利に他に好きな人がいると思ったとき、とても辛かった。だから、今の宮田の気持ちが痛いほど分かる。
「藍堂くんとは友達だって言っておいて……ずっと、そう言ってて……なのに、藍堂くんのこと、好きになって……ごめ」
「なんで謝るの? 藍堂くんのこと好きになるのは、謝ることなの?」
宮田の問いかけに、芽榴は顔を上げる。「ごめん」と言おうとした口は開いたまま固まっていた。
「藍堂くんはかっこいいもん。そんなの、あたしよく分かってるし……楠原さんが好きにならないのが疑問だったくらいだよ」
「あ……」
「あたしはふられちゃったけど、それだけで楠原さんに文句は言わないよ。そんなことしたら藍堂くんに嫌われるし、かっこわるいし、楠原さんとも仲悪くなって、いいこと一つもないもん」
宮田はそんなふうに言うけれど、表情は辛そうだ。本当は文句も言いたいのだと思う。それでも言わないのは、芽榴のためというより有利のためなのだろう。
「ただ……楠原さんはずっと藍堂くんのこと友達だって言ってたから、今もそう思ってるのに付き合い始めたのかなって」
それが気になって、宮田は今こうして芽榴に尋ねているらしい。
「そんな気持ちなら、やっぱり文句言おうと思ってた。でも……ちゃんと、好きになったんだ?」
芽榴はゆっくり頷く。すると宮田は深く息を吐いて、肩を竦めた。
「そっか。……楠原さんなら、他の人にとられるよりいいかな。距離が全然違うから自分に言い訳ができるし」
宮田は芽榴から視線をそらして折り合いをつけようとする。
宮田は本気で有利のことが好きだった。それがひしひしと伝わって、芽榴は心が痛かった。
「あたしが協力してって言ったとき……本当はもう好きだった?」
宮田が今度は申し訳なさそうに問いかけてくる。もしそうだったなら、宮田も同じくらい芽榴のことを傷つけることになっただろう。でも実際そうではなかった。だから芽榴は首を横に振る。
「好きだったのかもしれない。……でもあの時はまだ、本当に『友達』だと思ってた」
たしかにそう思っていた。そして、宮田と一緒にいる有利を見て、不安になったのも事実だった。
「……ごめんなさい」
「だから、謝らないでって」
「好きになったことは、謝らない。でも……自分の気持ちにも藍堂くんの気持ちにも、全然気づこうとしなくて……宮田さんのこと傷つけて、ごめんなさい」
それは謝らなければならない。これが身勝手な芽榴に見せられる最大の誠意の気持ちだった。
その気持ちを宮田も受け取ってくれたようで、複雑そうな表情を見せつつも笑いかけてくれた。
「それ、藍堂くんにも謝りなよ? 楠原さんが全然気にしてくれないって、悩んでたんだから」
宮田は窓の外を眺め、こちらへと戻ってくる。そして芽榴の前に立った。
「藍堂くんのかっこいい写真ゲットできたら、ちょうだいね! 楠原さん」
以前と同じように、そう言ってくれる。それはさすがにもう了承できない頼みだけれど、芽榴は宮田の優しさが嬉しかった。
「ありがとう……宮田さん」
舞子や滝本に、委員長、そして宮田あかり。
ずっと友達なんていなかった芽榴に、いつのまにかこんなにも友達ができた。
F組でできた友達はとても優しくて、大切な芽榴の宝物だ。




