#04
久しぶりの学校、久しぶりの生徒会。
芽榴たちは修学旅行で不在にしていたあいだ、溜まりに溜まった生徒会活動に追われていた。
「ああもう! なんでこんなに仕事多いんだよ!」
芽榴の隣で風雅が嘆く。すると風雅の前に座る翔太郎が掴んだ書類の山で彼の頭を激しく叩いた。
「いっだい!」
「貴様が一番仕事していないだろう! 貴様の分の仕事まで楠原が手をつけているぞ! いい加減甘えるな!」
「まーまー、そう怒らないで」
「楠原! そもそも貴様が蓮月に甘いから」
いつもと同じ翔太郎の説教が室内に木霊する。翔太郎の怒鳴り声を聞いても、芽榴はそれほど気にする様子もなくヘラッと笑っていた。
「こーら、翔ちゃん。るーちゃんを怒らないでよ。怒るなら風ちゃんにして」
「来羅! オレもかばってよ!」
「かばいたくなるような行動をしてみろ!」
パソコンで文書を作っている来羅も混ざって、風雅、翔太郎と3人の口論が始まる。そうして室内はまた一段とうるさくなった。
「みなさん元気ですね」
「だねー」
静かに仕事をする有利が芽榴のほうを見て、そんなふうに声をかけてくる。芽榴は書類に視線を落としたまま、彼の言葉に返事をした。
「……楠原さん」
「んー?」
「あの、何か怒って……ますか?」
そう問いかけられて、芽榴はすぐに顔を上げる。「そんなことないよ」と即答しようとした。けれど有利の視線を真正面から受けて、芽榴はすぐに顔を書類の方へと落としてしまう。こんな態度をして、有利がそんなふうに思うのも当然だ。
「ううん、全然」
「そう、ですか」
本当に怒ってはいない。でも有利の顔がまともに見れない。
有利の祖父と功利に言われたことを、気にしないようにしているけれどそんな芽榴の意思とは裏腹に、心はそのことをかなり気にしてしまっていた。
今までだって舞子やクラスメートに似たようなことを何度も言われていた。
しかし彼の家族が言うことは、たとえ同じ意味のものであっても深みが違う。彼のことをよく知っている人たちの言葉は特に信頼性があった。
有利が、自分のことを好きなのかもしれない。
「あー……。あ、葛城くん」
「だから貴様は……っ、なんだ、楠原」
ちょうど来羅に茶化されて怒っているところの翔太郎に、芽榴は声をかける。芽榴の呼びかけに反応した翔太郎は芽榴のほうを振り返った。
「その書類ってできあがった分? だったら私のも終わったから持っていくよー」
「終わった……が、今神代が仕上げた分を持っていってるだろう。まだ分量がたまってからでもいいと思うが」
「うん。でもほら、あんまり量多いと神代くんも持っていくの大変だし、回数分けたほうがいいよー」
芽榴はもっともなことを言って、翔太郎の終えた分と自分の終えた分の仕事を持って立ち上がった。
「じゃあ、ちょっと行ってきまーす」
有利との会話を打ち切り、芽榴はさっさと生徒会室を出ていった。
明らかに不自然な様子の芽榴に、有利は不審そうな顔をする。
「あの、僕……ちょっとお手洗いに行ってきます」
そんなふうに行って、有利は芽榴を追うように生徒会室を出て行った。
しかし残された3人から見れば有利の行動のほうがはるかに不自然で、各々顔を見合わせて首を傾げた。
「有利クン?」
「……楠原を追いかけたな」
「何かあったのかしら」
来羅はパソコンの隣に置いている紅茶を一口飲み「先越されたかしら」などとボソッとつぶやく。
すると風雅がその言葉に素早く反応して、それを火種に再び3人の口論が再開した。
「楠原さん!」
後ろから聞こえた有利の声が、芽榴を呼び止める。芽榴は立ち止まり有利のことを振り返った。視線は有利の目からはずして、彼の鼻元に向かっていた。
「藍堂くん? どーしたの。仕事残ってるでしょ?」
「……あの、僕も……持ちます」
有利は芽榴の問いに答えず、そんなふうに言う。そして芽榴の書類をもらおうと芽榴のほうへと手を伸ばしてきた。
「え、いいよー」
「いえ、貸してください」
量としては多くない。それを有利が半分持とうとしていて、芽榴は抵抗する。すると不意に有利の手が芽榴の腕に触れ、次の瞬間には芽榴の腕が書類を手放していた。
「あ、わわっ」
バサバサッと音を立てて紙が散らばる。芽榴は慌ててその場にしゃがみこんで、紙を拾い集めた。目の前に立っていた有利も急いで紙を拾う。
「い、いいよ。藍堂くん」
「すみません。僕が強引にもらおうとしたので……」
有利はそう言って拾った書類をそのまま自分の腕に持つ。
初めて会話した時もそう。有利は芽榴の不注意でばらまいた書類を拾って持って行ってくれた。
あの時は素直に有利に感謝して、有利をいい人だと思うだけだった。でも今は――。
「藍堂くん、あの……本当に私一人で持てるから」
芽榴は自分で持っていくと、その一言にしがみつく。できれば今は有利と一緒にいたくない。
「……僕のこと、避けてますか?」
いきなり問われて、芽榴は目を丸くする。でも有利がそう思うのも仕方がなくて芽榴の心はただただ申し訳なさで溢れた。
「もしかして……また功利に、何か言われました?」
有利が表情を少しだけ変える。少しだけ心配そうな顔をした有利が同じ目線で芽榴を見つめていた。
「違うよ。ははっ、昨日も今日もちゃんと話してるし、避けてるわけないじゃん」
芽榴は笑う。いつも通り、有利と会話をしている。露骨に避けているわけではなかった。
「でも、昨日から……僕は楠原さんと目を合わせてません」
有利の指摘は的確だった。芽榴はいつも目を見て話す。それは芽榴自身が心がけてしていることだ。しかし昨日今日の芽榴は有利と目を合わせられていない。芽榴と過ごす時間が多い人ほど、その事実には容易に気がつく。
「ほんとに……本当に、避けてるわけじゃないから」
「でも……」
「あのさ、藍堂くん」
こんなふうに有利が芽榴を心配するから、みんなが勘違いするのだ。芽榴自身が勘違いしてしまうのだ。
芽榴は心の中でそう呟いて、ゆっくり口を開いた。
「藍堂くんに、好きな人はいる?」
問われた有利の目が少しだけ大きく開いた。有利はゴクリと唾を飲み込んで「……はい」と静かに答える。
その返事に心が締め付けられる。芽榴はそんな感覚を無視して笑ってみせた。有利の好きな人が誰なのかは、聞かない。
「だったら私は……藍堂くんと少し距離を置いた方がいいと思う」
「……え?」
チラッと見える有利の顔が明らかに動揺している。でも芽榴は自分の意見を変えようとは思わない。「冗談」などと笑い飛ばすつもりもない。
「藍堂くんと私は、他の役員みんなと一緒。ただの友達だって私はちゃんとそう思ってるよ」
そう、言い聞かせている。芽榴は苦笑しながら言葉を続けた。
「でも周りは……藍堂くんのおじいさんも、功利ちゃんも勘違いするよ。私だってたまに勘違いしそうになる」
「楠原さん、あの……」
「だからきっと、藍堂くんの好きな人も勘違いすると思うの。それは……よくないと、思うから」
芽榴は深呼吸をする。速くなる鼓動をできるだけ鎮めて、芽榴は有利の目を見た。
瞬間、心臓はトクン、と大きく脈を打つ。
「だから……しばらく私のことは放っておいて」
できるだけ彼を責めない柔らかい口調で言ったつもりだ。けれど言葉は酷く身勝手。芽榴は自分のことを大嫌いだと心の中で叫ぶ。
「楠原さん……ちょっと待ってください」
「……ごめん」
有利の制止の言葉は聞かない。芽榴は有利のプリントをほぼ無理矢理に奪うと、そのまま廊下を駆けていく。
有利は追ってこない。振り向いてそう判断した芽榴は走るペースを落とし、最終的にその場で立ち止まった。
「でもきっと、これは……間違ってないよね」
誰に答えを求めるわけでもない。ただ自問自答をして、芽榴は自分を肯定してみる。
こんなことをする必要があったのか、本当の答えは分からない。でもきっと、芽榴が有利と距離を置くことで、有利と有利の好きな人がこれ以上傷つくことはない。
でも、芽榴は――。
「……友達、だから」
有利はただの友人だ。有利はきっとそう思っている。だから芽榴もそう思う。
有利は仲のいい、ただの友人。
何度も指切りをした、大切な友人。
「……友達の、はずだから」
共に流れ星に願った、大好きな友人だった。




