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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
Route:藍堂有利 流れ星に願う恋物語
310/410

#01

 修学旅行明けの休日。

 いつものように目を覚まし、少しボーっとした頭で稽古着に着替え、顔を洗いに向かう。自室を出て長い廊下を静かに歩いていると、曲がり角で誰かとぶつかった。


「すみません。大丈夫で……」


 使用人の誰かだろうと思い、声をかける。しかし、その声は途中で途切れた。ぶつかった相手を見つめる、藍堂有利の瞳は大きく見開かれていた。


「あいたたー。こっちこそごめんね。怪我してないー?」


 有利の視界に飛び込んだ姿も、そののんびりした口調も、間違いようのない、芽榴のものだ。


「え……? あの、なんで……楠原さんが、僕の家に?」


 自分の声がやけにマヌケに聞こえる。有利の問いかけに、芽榴はキョトンとした顔をして、次の瞬間には「忘れちゃったのー?」と笑っていた。


「花嫁修業をしにくるって、おじいさんと約束したから」

「は、花嫁!?」


 こんなに声を荒げたのは久々のことで、自分で自分の声に驚いてしまう。もちろん、聞いている芽榴も驚いているようだった。


「なんで、そんなに驚いてるのー?」


 けれどすぐに芽榴は楽しそうにからからと笑ってしまう。事態をのみ込めていないのは有利だけだ。


「だって、花嫁って……その、相手は……」


 祖父との約束で花嫁修業をしにきたというなら相手は考えるまでもない。その事実は嬉しいけれど、思考が全然追いつかない。


「相手は、目の前にいるよ」


 薄く笑った芽榴が有利の胸に手を当てる。有利は自分の体がどんどん熱くなっていくのを感じていた。まったく理解には及んでいないけれど、この状況下では何もかもがどうでもよかった。

 近づいてくる芽榴の頬に触れ、有利は自らも芽榴に寄り添う。互いに目を閉じて、その唇が触れ合うまであと少し――。


 そこで、有利は目を開ける。

 視界に映るのは芽榴ではなく、自室の天井。今までの事態が夢であったことを理解するのに時間はいらない。夢であるのが当たり前なのだ。


「なんて夢……見てるんでしょう」


 有利は自分の顔を押さえて大きなため息を吐く。芽榴への想いが強くなりすぎて、とうとう願望が夢に出てきてしまったかと有利は自分に呆れた。






 朝の夢のせいで邪念がなかなか抜けない。そんな中途半端な状態のまま有利は朝稽古を始めた。集中しきれないまま振るう竹刀に覇気はなく、有利は自分でも稽古の意味がないと溜息を吐く。


 芽榴がアメリカに行く。そのことを3日前に有利は知った。驚きはしたけれど、どこかで納得している自分がいた。

 芽榴の才能や立場を思えば、その決断は妥当。それでも急な話だとは思う。

 アメリカに行って、がんばってほしい。それは有利の本音だ。でも同時に芽榴を引き止めたいと思う気持ちが心の中にはある。


「まだ……全然伝えられてないんですよ」


 有利はそう呟いて竹刀をジッと見つめる。

 有利としては全面的に芽榴へ好意を示しているつもりなのだが、芽榴はまったく気づいてくれていない。


 修学旅行のときもそうだ。他でもない芽榴が宮田あかりとの仲介をしようとしたときには本当に心をえぐられるような気分だった。

 でも結局、芽榴は怒ってみせた有利のことを気にしてくれた。


「……希望はありますよね」


 自分で自分を元気付ける。情けないけれど、そうでもしないと考えが悲観的なものにしかならないのだ。


 十分すぎるくらい芽榴のことを考えた有利は、自分の両頬を叩き体に喝を入れる。


「よし……やるかぁ!」


 スイッチを入れ替える。そうしてやっと真面目に朝稽古を再開した。






 朝稽古を終え、軽くかいた汗をシャワーで流す。そして軽い和装のまま有利は用意されているであろう朝食をとるために、居間へと向かった。

 午前9時。朝食としては遅い時間に入るかもしれない。けれどまだ「朝」の領域だ。


「失礼します」


 功利が朝食を準備して待ってくれているだろう。そんな予想をしながら有利は居間の戸を引く。そして目を大きく見開いた。


「……あ。藍堂くん、おつかれさまー」


 目の前に芽榴がいる。その声もしゃべり方も芽榴のものだ。有利は瞬きを繰り返すが、目に映る風景は何一つ変わらない。

 いつか見たことのあるエプロンを身につけ、芽榴がそこにいる。おそらく有利の分である朝食を机の上に並べていた。


 芽榴が有利の家にいるはずがない。またこれは夢の続きだ。そう思って有利は自分の頬を思いきり叩くが、それでも視界は切り替わらない。鈍い痛みだけが頰に残った。


「藍堂くん? ……だいじょーぶ?」


 突如自分を殴った有利を見て、芽榴が心配顔をする。食事を並べ、立ち上がった芽榴は有利へと近づいて、彼の頰の具合を気にするように手を伸ばしてきた。


「赤くなってるよー。どれだけ強く叩いてるの」


 芽榴は困ったように笑って「冷やすー?」などと聞いてくる。けれど有利は自分の頰の痛みなど興味もなく、自分の頰に触れる芽榴の手を握った。


「……楠原さん、ですか?」

「他に誰に見えるー?」


 芽榴がカラカラと笑いながら尋ね返す。この返し方は間違いなく、楠原芽榴だ。

 でもどうして芽榴が有利の家にいるのか。有利が不思議に思うと、背後に別の気配が近づいた。


「兄様、何してるんですか?」


 振り向くと、功利が有利を呆れ顔で見ている。その視線は芽榴の手を握る有利の手に向かっていた。有利はそれを察してすぐに芽榴の手を放す。


「功利……。これはどういうことですか」


 功利は冷静な様子だ。それだけで、この事態の原因が妹にあることを有利は理解できた。


「楠原さんに、受験勉強見てもらおうと思いまして。もう1ヶ月きりましたから。そしたら楠原さんが朝食作りも手伝ってくださるとおっしゃってくれて……」

「……さも当然みたいな顔で何を言ってるんですか」


 有利は溜息を吐きながら額に手を当てる。


「受験勉強なら、僕に言ってくれれば僕が見ますよ」

「でも楠原さんのほうが兄様より成績いいですよね? どうせならトップの方に教えてもらいたいですもの」


 功利はさらっと答える。有利も成績で言えば麗龍の上位5人の一人だ。しかし、芽榴はトップ。功利の言いたいことも分からなくはない。

 反論できず、有利が「う……っ」と唸ると、それを見ていた芽榴が「まーまー」とのんきな声で兄妹の口論に割り込んだ。


「私も暇だったし」

「でも楠原さんは……」


 日本にいる時間が少ない芽榴は、他にもしたいことがあるだろう。役員の誰かや舞子と出かけたり、家族と過ごしたり、少なくとも有利の家で功利の受験勉強に付き合うことに彼女の少ない時間を使うべきではない。


 有利がそんなことを考えていると察したのか、芽榴は「いいのいいの」と笑って言った。


「功利ちゃんとも久々に会いたかったし。暇になったらおじいさんの囲碁の相手でもさせてもらうよー」

「……いいんですか?」

「うん。それよりほら、朝ごはん冷めちゃうよー?」


 芽榴は明るく言って、有利に食事をとるよう促す。美味しそうな食事が並べられた机の前に座ると、芽榴はお盆を戻しに部屋を出て行った。


「……功利」

「なんですか?」


 部屋の戸が閉まり、芽榴が出て行ったのを確認すると小さな声で有利は妹の名を呼ぶ。


「本当に……受験勉強を見てもらうために、呼びましたか?」


 功利の成績なら麗龍の合格は難しくない。それでも念には念を、ということで芽榴を呼んだのかもしれないが、功利は自ら進んで人に頼るようなタイプではない。

 有利が目を細めて功利を見ると、彼女は肩を竦めた。


「兄様、全然進展してないみたいですから。妹のささやかな協力です」

「やっぱり……。頼んでませんよ」

「でも楠原さんを見て、顔がほころんでましたよ?」


 功利はどこか楽しげな声で言う。


「ああ、そうでした。私って問題を解いてる時は1人になりたいので、そのあいだはぜひ兄様が楠原さんのお相手をお願いしますね」


 最初から仕組んでいたことを、さも今思いついたことのようにして功利は言ってのける。

 祖父のお気に入りである芽榴は、いつのまにか両親と、最大の問題児である妹のお気に入りにまでなってしまった。


「頑張ってくださいね、兄様」


 恐ろしい妹だ、と有利は心の中で呟く。

 しかし芽榴と過ごす時間をもらえたことは素直に嬉しくて、芽榴が作ってくれた美味しい朝食も気づけばすぐに平らげていた。

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