#15
勉強会は順調に進み、テストは無事終了した。風雅は「できた」とは言わなかったけれど、それなりに手応えがある顔をしていた。
芽榴については言うまでもない。
あれから、風雅との距離は縮むこともなければ離れることもない。曖昧で、複雑な関係はまだ続いていた。
テスト期間が終了し、生徒会が始まる。3月も近づき、高3生の卒業も近い。ということで、今日の生徒会の作業は卒業式に向けての軽い準備だった。
芽榴と風雅、そして来羅は卒業式で使う花飾り作り。他のメンバーは通常業務だったり他の仕事だったりと別々に行動している。
「うわっ、あー……また失敗した」
風雅はガクッと肩を落として、溜息を吐いた。和紙で花飾りを作っているのだが、紙の性質上力をいれすぎると容易に裂けてしまう。風雅が裂くのはこれで3度目だった。
「るーちゃんのこと見ながらやってるからでしょ」
「見てるのは否定しないけど、普通に難しいんだよ」
来羅が笑いながら注意すると、風雅は肩を竦めて軽く息を吐く。本来ならそれは失敗作で捨てることになるのだが、芽榴が慣れたように、風雅から失敗作を受け取った。
「……うん。これもここをこうすれば……はい、裏の方の飾りで使えるよー」
器用に手を動かして、芽榴は風雅の裂いてしまった部分を隠し、花飾りを完成させた。その姿に、風雅と来羅は2人して「おぉ……」と感嘆する。
「失敗作が3個とも救われたわねぇ」
来羅はそう言って風雅に「よかったわね」と笑いかけた。昨年のこの作業では、風雅が10個ほど失敗作してしまい、颯に怒られてしまったのだ。
「今年は怒られずに済みそう。ありがと、芽榴ちゃん」
風雅は芽榴に笑いかける。けれどその笑顔には力がない。今日の風雅は朝から少しだけ元気がなかった。
「……蓮月くん。もしかして、体調悪いー?」
笑顔を向けられてこんなことを聞くのもどうかと思ったが、芽榴は自然と尋ねていた。
「え? ああ、ちょっとお腹痛くて」
そう言って風雅はやはりぎこちなく笑う。芽榴は一層不安げな顔つきになり、代わりに来羅が大きなため息を吐いた。
「どうせ、消費期限過ぎたチョコを無理やり全部食べたんでしょ」
来羅の言葉に風雅は思い切り「図星」と言わんばかりに肩を揺らして反応した。
「え……バレンタインの?」
「そう。風ちゃんってば、変なとこ律儀だからあんな大量にもらってるのに毎日食べて、ちゃんと消費するのよ」
風雅がもらったチョコの量を芽榴は直に目にして知っている。あれを全部食べたのかと思うと「体は大丈夫か」の一言に尽きる。
来羅を始め、他の役員は少しは口にするものの、さすがに全部は食べられないため、申し訳ないけれど他の人に食べてもらったり譲ったりとあらゆる手段を使っているらしい。
周りがそうしているのに、それでも風雅はちゃんと消費しているのだ。
「何が入ってるか、分からないのに」
「こわいこと言うのやめてよ」
来羅のつぶやきに風雅は顔を青くする。変なものが入っていなくても消費期限が切れたら体に良くはない。
全部食べるのは偉いけれど、お腹を壊してしまっては意味がないだろうと芽榴は困った顔をした。
「……蓮月くん」
自分も風雅にチョコをあげた1人であるため、少なからず責任を感じてしまう。風雅が欲しがったとはいえ、チョコをあげた時点で風雅のチョコ消費量を増やしてしまったのだ。
「でも全部食べてみて、やっぱり芽榴ちゃんのチョコが一番美味しかった。それ実感できて、オレ的には幸せ」
芽榴が視線を下げたのに気づいたのか、風雅がそう言ってきた。
風雅の言葉を芽榴は素直に嬉しいと思う。今までは何とも思わなかった台詞にドキドキする。この気持ちはきっと風雅に特別なものだ。
「やだ、風ちゃん。寒いこと言わないで」
「寒い!?」
でも、だからこそ――。
「ねえねえ、芽榴ちゃん。ここ折るとき裂きそうにならない?」
「えー……ならないけど、本当に裂けそーだね」
風雅が芽榴に近寄って尋ねてくる。一定の距離を保って。
前まで抱きつくことすらいとわなかった。けれどあれ以来風雅が意図的にこの距離を保っていることくらい知っていた。
友達の線を超えた今でも、風雅がそうする理由は分からない。
しばらくして花飾りが結構できてきたため、芽榴は花飾りが満杯に入ったダンボールを持って立ち上がった。
「これ、いっぱいになったから一旦会議室に持ってくねー」
「オレも行く!」
「1人でいいよー。そのあいだにたくさん作っておいて」
風雅がついてこようとしたが、2人も必要ないため笑って断った。
「……オレはずっと一緒にいたいのになぁ」
芽榴の後ろ姿を見つめながら風雅はつぶやく。そのままため息を吐く風雅を見て、来羅は困り顔で笑った。
「……よかったわね、風ちゃん」
「え?」
来羅が何に対して言っているのか分からなかった。けれど少し考えたらその意味に思い当たった。
「有利クンから聞いた?」
「ええ。テスト前日に心理攻撃を受けたって、お昼に」
来羅が楽しそうに伝える。
テスト前の土日。本当は芽榴と2人で図書館デートをしたいところだったのだが、先週同様芽榴は東條グループにそっちの勉強をしに行ってしまったため、風雅は例のごとく有利の家で勉強していた。
そしてそのとき有利にバレンタインの出来事をうっかり話してしまったのだ。
「有利クンの成績下がったらオレのせい!?」
「バカねぇ。有ちゃんはそれくらいの心理攻撃で崩れないわよ」
来羅は肩を竦め、そして芽榴が出て行った扉のほうをジッと見つめた。
「るーちゃんが嫉妬ねぇ。……かわいいでしょ?」
「ものすごく」
即答する風雅に来羅は「のろけないでよ」とデコピンを食らわした。けれどやはりうらやましいらしく、来羅は痛がる風雅の前で「いいなぁ」とため息をこぼす。
来羅も複雑な心境のはずだ。けれど風雅が気を使わないように、落ち込んだ姿を見せないようにしているのだろう。
変わらず明るい態度の来羅に、風雅は安心していた。
すると、来羅が新しい和紙の袋を開けながら風雅のほうを見てニヤリと笑った。
「あんまりかわいいからって、暴走して嫌われないようにね」
来羅はからかうようにして告げる。彼の言う「暴走」の意味を理解して、風雅は視線をそらした。そしてなんとも言えない顔で苦笑いをする。
「え、もう手を出したの!?」
風雅の反応を見て勝手に驚く来羅に、風雅は「違うよ」と苦笑いのまま否定した。
「むしろその逆。……手つなぐのがやっとだよ」
風雅がそう答えると、来羅はキョトンとする。けれどすぐにお腹を抱えて笑い始めた。
「なんで笑うの!」
「だって風ちゃん、一ヶ月交代の彼女ともやることやってたくらいなのに。……真剣なんだなぁと思って」
来羅は「いいことよ」と風雅の慎重な態度を肯定する。好きだから大事にしたいのだろう、と。それは風雅の中で確かに存在する思いだ。
ニコニコと笑う来羅に、風雅は苦笑いを返した。
「まだ芽榴ちゃんの返事待ちだし、今はいいんだけどさ……」
今はその慎重な態度でいい。手をつなぐまでで留めておくのは正解だ。けれどもし芽榴がいい返事をくれても、風雅は芽榴に手をつなぐ以上のことはできない気がしていた。
「オレ、芽榴ちゃんに触るの怖いんだ」
風雅は情けない顔でそう告げる。それを聞いた来羅は「え」と間抜けな声をもらしていた。
「怖いって……手は繋いでるんでしょ?」
「それも、かなり怖くて……手震えてんの芽榴ちゃんも分かってると思う」
芽榴と手をつなごうとすると、手が震えてしまう。芽榴に問われた時のために「寒さのせい」とか「緊張して」とか、いろんな言い訳を考えてはいるが、芽榴は聞いてこない。
「本当はさ、前みたいに抱きしめたいしキスもしたい。本当なら全然慎重になんかなれてないよ」
それが風雅の本音だ。芽榴に触りたい。けれど触れないのだ。
「ファンクラブともめた後さ……オレ、反省のためにしばらく芽榴ちゃんに触らないようにするって決めたんだ。だから抱きつくのもやめたし……」
「それは、なんとなく気づいてたけど」
風雅が芽榴に抱きつかなくなったことを生徒会メンバー全員が察していた。以前は1日に数回見ていたその姿を見なくなったのだから、彼らには簡単に気づく。芽榴本人もそれに気づいていた。
「そしたらさ……いざ、抱きしめよう、手つなごうって思うと……あのときのことが頭に浮かぶんだ」
芽榴に触ろうとすると、ボロボロになった芽榴の姿が浮かぶ。そうしたら自然と手は震えて、抱きしめることもできなくなった。
「芽榴ちゃんのことすごくすごく好き。好きだから……怖いんだ」
好きになればなるほど、また失うのが怖い。また傷つけてしまうのが怖い。
「どうしようもないね、オレ」
「風ちゃん……」
風雅は力なく笑った。こんな不安は過去でも塗りつぶさない限り、消えはしない。
分かっていても、風雅はどうしようもできずにいた。
芽榴が生徒会室の隣の会議室に行くと、そこには颯がいた。
「おつかれー」
芽榴はのんびりした声でそう挨拶しながら、部屋の中に入る。颯は入ってきた芽榴を見た瞬間、安心するように表情を柔らかくした。
「お疲れ様。ちょうどいいところにきたね」
「ちょーどいい?」
意味深な颯の言葉に芽榴が首をかしげると、颯は爽やかに笑った。
「今から卒業証書の名前をチェックするんだけど。芽榴がいたら早いと思って」
確かに芽榴が手伝えば早いだろうけれど颯がしても、それほど時間はかからないはずだ。
「神代くん1人で十分でしょー」
「時間短縮だよ。他にもやることはあるから」
そこまで言われると断れない。名前の照らし合わせならそれほど時間もかからないだろうと思い、芽榴は颯の前の席に座った。
名簿をサッと暗記すれば、あとは証書を一枚ずつ確認すればいいだけ。芽榴はどんどん3年生の卒業証書をめくっていく。
「そういえば、芽榴……」
作業をしている途中で、颯が芽榴に声をかけてきた。作業途中であるため、芽榴は視線を証書に向けたまま返事をした。
「何ー?」
「……風雅と付き合ってるの?」
その質問に、芽榴は目を丸くする。そして証書に向けていた視線を颯へと向けた。
「どう、なのかな」
微妙な返事をする芽榴に、颯は困り顔をした。否定しないということは、それに近い状態ではあるということだ。
「……風雅としては、嬉しいだろうね。あいつはずっと芽榴のことが好きだったから」
颯は複雑そうに笑っていた。対する芽榴も表情を少し歪ませていた。
「本当に……そうなのかな」
芽榴の発言に颯は不思議そうな顔をする。芽榴もこんなことを呟いてる自分に驚いていた。
芽榴と風雅は付き合ってはいない。でもそれに近い状態でいる。恋人の真似事をして、うまくいけば恋人になるのだろう。
だから芽榴が気持ちをちゃんと整理できれば、うまくいく――はずだった。
「芽榴? どう、し……」
颯の心配そうな声が歯切れ悪く消えた。その理由は分かっている。分かっているから芽榴は顔をあげられなかった。
「ごめん……。証書汚すと悪いから、やっぱり私は……」
芽榴は目を擦りながら、席を立つ。そのまま扉を開けようとして、颯に腕を掴まれた。
「風雅と何かあったの?」
「何も……ないよ」
「ないわけないだろ?」
颯が心配そうに聞いてくる。優しい声で問われると、もうだめだった。目に留まっていた涙がこぼれる。
「……芽榴」
「違う……違うから」
何を否定しているのか、自分でも分からなくなり始めていた。慌てて涙を拭うけれど、新たな涙が目に浮かんできて、芽榴は両手で顔を塞いだ。
これは颯に相談するようなことじゃない。
風雅の行動の理由はきっと風雅にしか分からない。
恥ずかしくなるほど好きだと言うくせに、風雅の手はいつも震えている。
近すぎた距離は徐々に離れていって、もう元には戻らない気がしていた。
「……あいつが泣かせてどうする」
颯は溜息を吐くと、芽榴のことをそのまま抱き寄せた。
芽榴は驚いて、一瞬声を喉に詰まらせる。颯の胸に顔を押し付けられ、颯の香りが鼻腔に広がった。
「や…、神代く……離し」
呆然としたまま芽榴は抵抗した。頭によぎるのはこんなときでもかつて芽榴を抱きしめていた風雅の姿だった。
颯に抱きしめられているのに、風雅のことが頭から離れない。
「まだ付き合ってないなら……僕を彼氏にしてみる?」
上から降ってきた言葉に芽榴は固まった。
颯が何を言っているのか分からない。これはきっと冗談。修学旅行の日と同じように、芽榴を戸惑わせる冗談だ。
芽榴は自分にそう言い聞かせて息を整えた。
「その冗談……すごく面白くない」
強く言ってみせても鼻にかかる声は頼りない。
「本当にね……」
芽榴の言葉を肯定する颯の声は小さくて切ない。
そんな颯の声音のせいか、それとも自分の心が不安定なせいか、芽榴は颯の胸で頭をなでられたままでいた。
風雅に抱きしめられた記憶はちゃんと頭に残っている。
だからこそ今自分を抱きしめている温もりが、鼻に届く香りが、風雅のものでないことを芽榴は実感して、涙をにじませた。




