#12
結局、朝のホームルームの時間になっても風雅はF組に現れなかった。颯の言っていたとおり、ホームルームの時間ギリギリに登校したのだろう。他クラスの女子に友チョコを渡しに行ったF組女子の数人が「今年もB組すごいねー」などと言って戻ってきた。B組が「すごい」理由など風雅以外考えられなのだから、風雅がすでに登校していることは芽榴にも分かった。
「風雅くん、いつ来るかねぇ」
1限が終わり、休み時間に入っても風雅が現れないため舞子がそう呟いた。
「昼休みじゃないかなー。約束してるし……一応」
最後に頼りなく「一応」と付け加えて芽榴は苦笑する。約束、といっても一緒にテスト勉強をするだけ。今日一日勉強しなくても問題はない。むしろ昼休みまで勉強する熱心な人間のほうが少ない。
「呼び出されたら、そっちを優先しないと」
「風雅くんがもらいたいチョコなんて芽榴のだけだけど」
舞子が頬杖をつきながら不満げに言葉を吐いた。風雅のことだから最大限女子の呼び出しには答えるだろう。今日という日は1日限りだけれど、勉強をする日はこれから一週間たくさんある。それでも風雅が自分より他の子を優先すると思うと、芽榴の心は穏やかではなかった。
次の休み時間になると、芽榴は空き教室の前に来ていた。
教室にいても現れるはずのない風雅の姿を求めて扉を見つめ続けてしまうため、芽榴は手提げを持って教室を出て行った。
そしてやってきた先は1つ上の階にある演習室だ。2、3ヶ所空き教室を回り、次にやってきたのがその場所だ。
「失礼しまーす」
他の生徒がいることも考えて小さく挨拶をいれ、芽榴は教室の中に入る。
すると教室の端の席で人影が大きく揺れた。
「誰だ」
椅子が動く音が大きく響き、翔太郎が反応する。芽榴は翔太郎の反応を見てクスリと笑った。
「なんだ……貴様か」
「驚かせてごめんねー」
教室に入ってきたのが芽榴だと分かると、途端に翔太郎は安心した様子で肩をなでおろした。
「休み時間のたった10分でも逃げてるのー?」
「念には念を、だ。どうせ直接渡しにきたところで、俺はろくな受け答えをしないのだから、やつらとしても俺のロッカーに突っ込んでおくほうが無難だろう」
うんざりした様子で翔太郎が告げてくる。そう言われると、やはり渡しづらくなるのだが、ロッカーに詰め込むくらいなら直接渡して突き返されたほうがいい。
といってもそれは、翔太郎の罵言雑言には慣れている芽榴だからこその意見だ。
「で、貴様がここに来たということは……俺に用があるのだろう?」
「まーね。葛城くんとしては嫌な用かもしれないけど」
芽榴は苦笑まじりにそう言って翔太郎の前にチョコを出した。即座に「いらん」と言われることも視野に入れておいたのだが、翔太郎は案外素直にそれを受け取った。
「え」
「何か文句があるのか」
翔太郎が不機嫌にそう言うため、芽榴はいえいえと両手を横に振った。芽榴が受け取ってくれたこたに対してお礼を言うと、翔太郎は「それはこちらの台詞だろう」と呆れ気味に答えていた。
「それよりさっさとあの馬鹿にチョコを渡しに行け」
続けるようにして翔太郎がそんなことを言う。芽榴が不思議そうな顔をすると、翔太郎は彼のスマホに次々と届く〝お馬鹿さん〟からのメッセージを芽榴に見せた。
『芽榴ちゃんに会いに行きたいけど、巨大な壁が!』
『オレも翔太郎クンみたいに隠れようかな』
『芽榴ちゃんからチョコもらった?』
これらのメッセージに対して翔太郎は一言『黙れ』と返しているだけ。けれども翔太郎に送られているメッセージのほとんどすべてに『芽榴ちゃん』と入ってるのを見て、芽榴は困ったように笑った。
「……私も渡せるように善処するよ」
「そうしてくれ。でないと充電が切れる」
切実に翔太郎がお願いし、芽榴は肩を竦める。そうして次の授業に向けて翔太郎と一緒に階下の教室へと向かった。
そうして時は過ぎ、昼休みはすぐに訪れた。舞子と一緒に弁当を食べ、諸々の支度が終わる頃、廊下の辺りが騒がしくなる。
「あ……」
その騒がしさに、芽榴の顔は自然と綻んだ。
「芽榴?」
「芽榴ちゃん! いるよね!?」
舞子が首を傾げるのと同時、扉を開けながら断定的な問いかけが聞こえた。
風雅が現れたことで、もちろんF組は騒がしくなる。B組の状態を知っている生徒たちは「どうやって抜けて来たんだ?」と少し驚いている様子だ。
「いるよー……って、わ!」
「ごめん! とりあえず急いで避難!」
風雅は教室の中に入ってくると席についている芽榴の手を強引に引っ張った。まるで誰かに追われているような言い方だが、おそらく追われているのだろう。
「待って、荷物……」
「お前、慌ただしいなぁー」
「仕方ないじゃん! オレだって滝本クンみたいにのんびりしたいよ!」
「な……っ」
風雅の近くにやってきた滝本に対し、風雅が息切れしながらそう答える。風雅の発言を聞いて、クラスが笑いに包まれた。もちろん滝本は「蓮月!!」と風雅に迫っていたが、風雅もそれに答えている場合ではないようで、芽榴が手にした荷物を素早く受け取った。
「植村さん、芽榴ちゃん借りるね!」
「どうぞどうぞ」
芽榴が荷物を持つのを確認すると、風雅は芽榴の手を引いて慌ただしく教室から出て行く。そんな芽榴たちのことを舞子は楽しげに見ながら手を振っていた。
廊下に出ると、風雅は芽榴の手を離した。周りの目があるからそれは当然なのだが、芽榴はなんとなくそれを寂しく思う。
「図書室には、さすがに追いかけてこないだろうから」
だから図書室で勉強しようと風雅は提案してくる。それについて断る理由はない。図書室でなら落ち着いて風雅にチョコを渡せるだろうと思い、芽榴は頷いて風雅の後ろをついて行った。
「ごめんね。芽榴ちゃんに迷惑かけないようにしたいんだけど」
「まだかかってないから大丈夫だよー」
すでに申し訳なさそうな顔をしている風雅に対して、芽榴は困り顔で答える。おそらく風雅は駆け上がるようにして図書室へ向かっていることに対しても申し訳なさを感じているのだろう。
「鬼ごっこしてるみたいだねー」
「そんな楽しいものじゃないよ……。芽榴ちゃんになかなか会えないし」
風雅が目を細めて遠くを見るようにして言う。その言葉が嬉しくて、芽榴は照れ臭そうに笑った。
「蓮月く……」
「風雅先輩!」
風雅の名前を呼ぼうとした芽榴の背後から、別の女の子の声が響いた。そこは数メートル先の突き当たりに図書室が見える場所で、青ざめた顔の風雅と同時に芽榴も声がしたほうを振り返っていた。
先輩と呼んだことから1年生だろう。ここは2学年棟で、他学年の生徒がわざわざやって来ていることに、芽榴は驚いていた。
「ああ……えっと、前原さん、だっけ」
「奈子です」
風雅の問いに女生徒はそう返す。風雅が苗字を間違えたわけではない。おそらく名前で呼んでほしいということだ。
気は強そうだが、可愛らしい顔立ちの女の子だ。今の状態の芽榴と比較すればほとんどの男子が彼女を選ぶだろう。
「あはは、えっと……オレ今から勉強するんだけど」
この日に風雅を探す理由は一つ。あえて風雅はそんなふうに言って女生徒を敬遠しようとする。芽榴が傍らにいるのだから、だいたいは気を使って改めて渡しに来るか、風雅を借りれないかと芽榴に許可をとるところだが、前原奈子という後輩は違った。
「風雅先輩にチョコを渡しに来ただけです。そんなに時間はとらないからいいですよね」
奈子は芽榴を見てそう告げる。まさか風雅もいる空間でここまで敵対心をむき出しにされるとは思っておらず、芽榴は少し怯んだ。
「な、奈子ちゃん。えっと……場所変えようか」
「そんな、蓮月先輩に手間をかけさせたくないです」
「いや、でもね……」
風雅は青ざめた笑顔で奈子を説得しようとする。けれど奈子は風雅から視線を外して芽榴のほうを見た。
「楠原先輩は風雅先輩の彼女じゃないですよね」
突拍子もなく尋ねられ、芽榴は反射的に頷く。もちろん風雅は芽榴の即答にショックを受けているのだが、そんな風雅の反応はお構い無しに奈子は満足げに「なら、問題ないですよね」と話を進めた。
そして芽榴の返事も聞かず、奈子は手に持っていたオシャレな紙袋を風雅に渡した。
「……ありがとう」
風雅は頰をかきながらぎこちなくお礼を言う。奈子は嬉しそうに笑って風雅に挨拶をしてから階段を降りていった。
奈子がいなくなると、2人のあいだには沈黙が流れる。風雅も「あー……」と何とも言えない声を出していた。
「えっと、あの……芽榴ちゃん」
「……図書室、行こ」
今のは風雅が悪いわけではない。チョコを渡した奈子が悪いわけでもない。おそらく芽榴が風雅の彼女なら、奈子も引き下がったはずなのだ。
ただの友達である芽榴には口出しなどできない。
だから芽榴は平然とした顔で笑って、ぎこちない様子の風雅を連れて図書室へと入った。
「芽榴ちゃん。ここってさ……」
図書室に入ると、その空間の性質上風雅にチョコを持って来る女子はいなかった。風雅がいることに少しざわつく程度で済んでいる。
「そこは……ここのグラフを使って、数値を照らし合わせると……」
勉強が始まれば、さっきのぎこちなさは自然と消えていた。けれど風雅の隣の椅子に置かれた、隠しようのないチョコの紙袋は嫌でも芽榴の視界の端に映り込む。
分かっていても目の前で渡されるのは結構な衝撃だった。
――楠原先輩は風雅先輩の彼女じゃないですよね――
頭の中で後輩の声が幾度となく再生される。
彼女でもないのに風雅の隣に居続けるのは、やはりわがままなのだろうか。そう自問する芽榴に、風雅は優しく笑いかけてくる。
「芽榴ちゃん、眉間寄ってる」
風雅の笑顔を見ると心が切なくなって苦しい。心に残るモヤモヤは広がり続けて消えてはくれない。
「蓮月くん。あの……」
「ん?」
その笑顔は、もう芽榴だけのものではない。風雅が何と言っても、それが事実だ。
「ううん、なんでもない」
芽榴は笑った。そして視界の端に映る紙袋を見つめながら、手提げ袋を椅子の影に隠した。




