#01
修学旅行が終わって、東京に帰ってきた。
学校もすぐに始まって普段通りの日常が始まる。けれど楽しい修学旅行の余韻からはなかなか脱け出せない。2学年棟からはどこからともなく笑い声が聞こえていた。
けれど、いつまでも浮かれ気分でいてもらっては困る。人生そう甘くはないのだ。
「…………堀内、蓮月……」
B組のホームルーム、新堂先生に名前を読み上げられた蓮月風雅は顔を青くしていた。
「以上10名は前回の英語の課題テスト下位者だから補習に行くこと」
新学期のはじめ、修学旅行前に行われた課題テスト。風雅の結果はというと、安定に悪かった。ファンの子といろいろあったときほど悪くはなかったけれど、普通に考えて悪いほうだ。
勉強はしていた。していたけれど、修学旅行前と年明けの浮かれ気分で、ほとんど身が入っていなかったのだ。
「颯クンに殺される……」
補習に引っかかったことは今日中に颯にバレるだろう。英語以外の補習は免れているだけマシだが、その後颯から受ける恐ろしい説教は想像に難くない。
風雅は額を机の上にぶつけた。
補習になれば放課後の時間も削れて、生徒会にも行けない。そうなれば、芽榴にも会えないのだ。
「……オレの貴重な時間を補習に潰されるなんて……っ」
風雅はグスンと鼻をすすりながら呟く。
――私はアメリカに行くよ――
修学旅行の最後の夜、芽榴に伝えられた。
急な話で実感は全然わいていない。けれど芽榴が近々遠くに行ってしまうことだけは理解できている。
だから風雅は残された時間を無駄にはできないのだ。補習に引っかかっている場合ではない。
「ああ……なんでオレってこんなバカなんだろ」
アメリカに留学できてしまう芽榴とは正反対に、風雅は学園のテストですら補習に引っかかってしまうレベルだ。今回だって英語以外の教科も補習ラインギリギリの成績だ。改めてそれを考えると、本当に自分が情けない。
颯や他のみんなみたいに頭がよければ、それだけでも芽榴と釣り合って見える。不服に思うけれど、役員の中で自分が一番芽榴と釣り合っていないのは事実だ。
「……っ、先生!」
そう思ったら自然と風雅は手を挙げていた。ホームルームを終わらせようとしていた新堂先生はいきなりのことで「ど、どうした?」とかなり驚いていた。
補習で時間が潰れるのは惜しい。けれどバカなままの自分では、芽榴の隣に並べない。風雅にとって、芽榴と一緒にいることも大事だけれど、それを最優先したところで芽榴の風雅に対する視線は変わらない。
「あの……オレ」
芽榴がここにいるあいだに、変わりたい。芽榴の隣に並べる自分に変わりたい。
「全教科補習受けます!」
昼休み、芽榴はいつものように舞子とF組の教室で昼食をとっていた。
「そういえば、芽榴聞いた?」
お弁当を食べる芽榴に、サンドイッチを食べながら舞子が尋ねてくる。芽榴は首を傾げて舞子に話の続きを促した。
「風雅くん、全教科補習受けるんだって」
「あらー……それは神代くんに怒られそーだね」
芽榴はそう言って苦笑する。風雅が補習に引っかかること自体珍しいことではないため、特に驚きはしない。
けれども芽榴の記憶によれば、昨日貼り出された順位表で風雅は197位。ワースト100位をギリギリ抜けていた。全教科引っかかるほど酷い結果ではなかったはずなのだが、と芽榴が少し不思議そうな顔をすると、舞子が「違う違う」と言葉を付け加えた。
「本当に引っかかってたのは英語だけで、他の教科はわざわざ自分から受けたいって言い出したらしいのよ」
「へ?」
予想外の情報に芽榴は目を丸くする。
補習など受けたがる人はいない。あの勉強嫌いの風雅なら特にそうだ。ということで、学年でもそれが噂になっているらしい。
「また、なんでだろーね?」
「あんたなら知ってるかと思って聞いたんだけど」
舞子にそう言われて、芽榴はハハハと笑った。風雅と一緒にいることが多いからといって、芽榴が彼の全部を知っているわけではない。けれども周りは風雅のことなら芽榴が知っているだろうという認識だ。
たった一年でここまで知れ渡ったのも、紆余曲折あるけれど風雅の芽榴への一途な愛情表現の賜物だろう。
「残念ながら知らないよー」
芽榴はそんなふうに答える。けれどすぐにハッとした顔になって困った顔で笑った。
「あー……噂をすれば」
「は?」
芽榴の意味深な発言に、舞子は首を傾げる。すると廊下のほうが少しだけ騒がしくなった。
芽榴が教室の扉の方に目を向け、舞子もつられるようにして扉の方を見つめる。するとまもなく、そこから学園のアイドルが顔を出した。
「芽榴ちゃん!」
教室に入るや否や、風雅は芽榴の名を呼んだ。芽榴の予想通りに風雅がこの場に登場して、舞子は驚いた顔で芽榴のことを見た。
「あんた、予知能力でもあるの?」
いつかの真理子と同じようなことを言われ、芽榴は苦笑する。
「蓮月くんが来るときって、だいたい廊下の奥の方から徐々に騒がしくなるから……分かりやすいんだよー」
芽榴は平然と答えるが、舞子にも他の人にもその分かりやすさが分からない。
舞子が感心するように息を吐くと、風雅も2人のところにやってきていた。
「ん、どうかしたの?」
風雅が不思議そうな顔で尋ねてくる。楽しげな笑顔を見せる風雅に、F組の女子がざわついた。もはやそれすらも風雅がやってきたときの恒例の光景だ。
「ううん。別にー。蓮月くんこそ、どーしたの?」
以前は毎日クラスにやってきていた風雅も、あの事件以降は用事があったり、耐えきれないレベルで芽榴のことが恋しくなったりしたときにしか芽榴のクラスには来ない。そんな彼がやってきたのだから理由はその2つ。
「荷物まで持ってきて」
芽榴は風雅の姿をマジマジと見て付け加える。今日は鞄まで持ってやってきているのだ。その荷物からして、おそらく彼がここにきた理由は前者だろう。どんな用事だろう、と芽榴が首を傾げると風雅が芽榴の前に手を合わせた。
「オレ、全教科補習受けるんだけど……生徒会もあるし補習課題できるだけ早く終わらせたいから予習、っていうか本当は復習のはずなんだけど……しようと思って……」
「それなら……」
風雅の発言に対して、芽榴は「図書室に行ったほうがいいんじゃない?」と告げようとしたのだが、芽榴がそれを言い終わる前に風雅は言葉を畳み掛けた。
「でもオレ1人で勉強しても分かる気しないから……これから昼休み、芽榴ちゃんに範囲のとこ教えてもらいたいです!」
風雅は「お願い!」と芽榴に頼み込んだ。鞄まで持ってきているのだから、風雅が本気で勉強しようとしているのは分かる。
「別にいーけど……神代くんとか藍堂くんのほうが教え方上手いんじゃない?」
芽榴が困り顔で言うと、風雅の肩があからさまにギクッと揺れた。
その様子を見ていたクラスメートたちは半目で笑っている。芽榴の鈍感ぶりに慣れてしまった舞子と、そのそばにやってきた滝本は風雅を哀れむようにして見ていた。
「芽榴ちゃんが一番上手だから!」
「いや、そんなことは……」
「ほ、ほら……期末も芽榴ちゃんが教えてくれた日本史が一番点数よかったし!」
風雅は必死に頼み込む。自分から全教科補習を言い出したくらいだ。風雅も勉強のやる気はある。けれどその分、芽榴に教えてもらいたい、という気持ちくらい許してほしい。
そんな風雅の考えは芽榴以外の全員にちゃんと伝わっているのだ。
「だって日本史は……」
「とにかくオレは芽榴ちゃんの教え方が一番分かるの! お願いします!」
もう拝み倒す勢いで、風雅は懇願していた。別に風雅に勉強を教えたくないわけではないため、芽榴は苦笑しつつも風雅に顔を上げさせた。
「いーよ。私でよければ」
「ほんと!? やったーっ!」
芽榴の了承の言葉を聞いて、風雅は無邪気に喜び始める。飾らない風雅は少しだけ情けないけれど、芽榴はそんな彼にこそ弱いのだ。
「オレ、本気で頑張るから!」
「うん、期待してる」
芽榴と風雅が一緒にいられる時間は残り少ない。そんな中で風雅は、自らの努力と忍耐力を引き換えに、芽榴の昼休み時間独占権を得るのだった。




