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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
Route:神代颯 すれ違いの先の遠回りな恋物語
287/410

#18

 芽榴が旅立つ朝。

 芽榴は生徒がまだ登校していない早朝に、麗龍の生徒会室にいた。


 飛行機の時間はお昼より前。まだ今日という日に、ほんの少しだけれど芽榴に残された時間はあった。


 昨日風雅に言われて、一生懸命考えた。自分が颯にできること。本当に最善のことが何なのかを。

 お互いのためではなく、自分のために一番どうするべきなのかを考えた。


「勝手かな。……でも、神代くんも同じだもんね」


 芽榴は会長席の前に立つ。そこに颯はいない。

 空白の席に向かって言葉を投げかけても返事はない。


「直接言えなくてごめんね」


 芽榴はそう言って、右手に持っていたものを会長席に置いた。それがコトン、と小さな音を立てる。


「不器用同士、これでいいよね」


 芽榴は笑って、生徒会室を出て行った。






 颯はいつも通りの時間に学園にやってくる。聖夜に告げられた言葉が延々と頭を離れなくて、颯はほとんど眠れなかった。


 何度も芽榴の家に電話をかけようとはしたけれど、夜遅くに呼び出していいものなのかも分からず、結局朝を迎えていた。


 自分から終わらせておいて、芽榴に今さら何と言えばいいのかも分からない。情けない姿をさらしたくない。そう思えば思うほど、どんどん泥沼に入っている気はしていた。


 教室に入って、荷物を置く。

 クラスにはもう何人か生徒が登校していて、その風景もいつもと変わらない。何一つ、変わらないのだ。


 1年前の自分に、戻るだけ。芽榴がいない日々とはつまり、そういうことだ。


「神代くん」


 颯は自分の名を呼ばれて顔を上げる。取り繕うように爽やかな笑顔をのせた。


「何?」


 クラスの女子に話しかけられて颯は優しく問いかける。マフラーを外し、荷物を整理しながら颯は女生徒の声に耳を傾けた。


「先生が準備できたら理事長室に行くようにって」

「ああ……うん。分かった」


 式典は一限目が始まる頃、開催される。颯はその前に理事長室に行って、理事長と校長とともに式典の場所へと向かうことになっていた。今回は颯1人で十分ということで、補佐もいない。


「式典に参加するんだよね。頑張って」


 女生徒が先生からの伝言の後にそう付け加えた。




 ――頑張って――




 颯の頭の中では、芽榴の声が聞こえる。昨日芽榴が颯に言ってくれた「がんばれ」という声が女生徒の声にかぶさった。


「神代くん?」


 驚いた顔の颯に、女生徒は不思議そうな顔をする。それに気づいて、颯はハハッと力なく笑った。


「ありがとう。……頑張るよ」


 1年前の自分に戻る。それすらもう叶わない。

 1年前の颯は芽榴の存在を知らず、女生徒の応援の言葉に寂しさを感じることもなかった。


 もう芽榴がいない日々を当たり前だと思えていた頃には、戻れないのだ。


 颯はそれを実感しながら式典の準備のために生徒会室に向かった。





 生徒会室までの道のりが長く感じる。

 芽榴のことを思いながら歩けば、一層距離は長くなっている気がした。


 今頃、芽榴は空港に向かっているのだろうか。それとももう空港に着いていてボーッと時刻を待っているのだろうか。


 自分のことを少しでも思い出してくれているだろうか。


 すべて、芽榴のそばに駆けていけば分かること。逃げて全部投げ出した颯に、それを知る資格はない。


 苦しい感情を抱えながら、颯は生徒会室までたどり着いた。


 そこには颯と芽榴の思い出がたくさんある。すべてここで始まったのだ。

 颯はゆっくり扉を開けて、中に入る。




――神代くん、おつかれさまー――




 声は、すぐに颯の頭の中に響いた。けれどそこに彼女の姿はない。

 まだ時間も経たない今日だけで何度目だ。颯は自嘲気味に笑う。これから先ずっと、事あるごとに芽榴の姿を想って過去にしがみついて、颯は前を向けない。


「君は……進める?」


 芽榴がいつも座っていた席を見つめ、颯は苦しげに尋ねる。返る言葉はなくて、切ない想いだけが宙を舞った。


 颯はそのまま会長席へと足を進める。けれどその足は会長席の手前で止まった。

 会長席には、ボイスレコーダーが置いてあった。昨日の帰りには置いていなかったもの。


「これは来羅の……、いや……」


 取り上げて、颯は考える。このボイスレコーダーは来羅が以前作ったものだ。けれど颯の記憶が正しければそれは、芽榴がラ・ファウスト学園に初めて赴いたとき、来羅が芽榴に渡しているはずだった。

 確か、ことが終わって芽榴がそれを返そうとしたのを来羅が芽榴にあげることにしたのだ。だから、よく覚えている。


「ここに、来たのか」


 颯は苦笑した。そのボイスレコーダーの中には、どんな別れの言葉が紡がれているのだろうと、思えば思うほど再生ボタンは遠のく。

 けれど芽榴の本当の想いが聴けるとしたら、もうこのボイスレコーダーより他に手段はなかった。


 たとえ、どんな言葉でも受け入れる。芽榴の言葉なら全て肯定すると誓った颯なら、そのボイスレコーダーに隠された想いは全部汲み取れるはずだ。


「……全部、肯定するよ」


 颯は心を決めて、ボイスレコーダーの再生ボタンを押した。するとボイスレコーダーからはザーザーという雑音が響き、そして愛おしい声を響かせた。


『あーあーあー……録音できてる、かな』


 マイクテストのような出だしに、颯はクスリと笑う。それで少しだけ颯の緊張は和らいだ。


『神代くん』


 ボイスレコーダーの向こう側で、芽榴は咳払いを挿み、そのまま颯へと言葉を紡いだ。


『これ聞いてるってことはボイスレコーダーにちゃんと気づけたんだよね。式典の準備で、神代くんは生徒会室に来るだろうと思って、ここに置いておきました』


 芽榴は颯の行動をちゃんと把握していた。おそらくこの学園で一番、颯の目に触れやすい場所は生徒会室の会長席だ。下手にクラスの机の上や引き出しの中に置いておけば、失くなったり気付かれなかったりする可能性がある。

 冷静に正しい判断をした芽榴を思い、颯は薄く笑う。


『えっとー……何から言えばいいのか、分からなくて……言いたいことはたぶんまとまらないと思う。すごくめちゃくちゃなこと言うと思うし……本当に言葉が下手くそだけど……神代くんなら許してくれるよね』


 芽榴の照れた笑い声が聞こえた。

 静かな室内に木霊する芽榴の声。目を閉じれば本当に芽榴がそこにいるかのようだった。


『まず最初にね……。短い間だったけど……神代くんの恋人になれてよかった、です』


 恋人という言葉が照れ臭いのだろう。芽榴は敬語になって、それが芽榴らしくて、颯は笑った。


『神代くんはたまに自分のことをさげすむけど……私にとっては本当に完璧な人で、私なんかが隣に並んでいいのか不安になるくらい……』


 芽榴の言葉に、颯は息を吐く。それはこちらの台詞だと、困ったように颯は目を細め、そして続きの言葉に目を向けた。


『神代くんは、これからもずっと私の憧れで……たった一人の好きな人だよ』


 颯の息が一瞬止まった。

 それは芽榴の誓いだった。これから先もずっと、颯を想うという誓い。

 先のことなんて分からない。想いが変わらない保証などどこにもないのに、芽榴はそれを誓った。


『私もね、神代くんとあの日サヨナラしたことは間違いじゃないと思ったよ。……いつか神代くんに愛想つかされて重荷になるくらいなら……好きだと思われてるうちに、キレイな思い出のまま終わりたいって、その気持ちは分かったの』


 芽榴の声は悲しかった。きっとそれを口にしているとき、彼女はまた泣きそうな顔をしていたのだろう。

 芽榴に愛想つかすわけないのに、と颯が呟く声は芽榴には届かない。


 颯がそう思うなら、芽榴もそう思う。その肝心な事実に、颯はまだ気づいていない。


『でもね……私は、離れても神代くんに想ってもらえる自信なんてない』


 芽榴の気持ちは、颯と同じだ。颯が芽榴に想われ続ける自信がないのと同様に、芽榴も颯に想われていられる自信がなかった。互いに、想いつづける自信はあるのに、想われていられる自信だけがなかったのだ。


『神代くんの言うとおり……またここに戻ってきたとき、神代くんの想いも私の想いも変わらなければ、また笑って一緒にいられると思う。でも縛りがない関係は、それを保証してはくれないよ』


 縛りがあるからこそ、想いを受け取れる。その縛りが解けた今、芽榴と颯の想いは宙を舞って何一つ定まらない。縛りがないからこそ、余計に想いはすれ違って離れていくのだ、と芽榴は気づいた。そして、颯に伝えている。


『神代くん』


 芽榴が颯を呼ぶ。その声で呼ばれる喜びは、きっと他の人で補えるものではない。


『神代くんが他の子を好きになる姿は考えたくない。……神代くんが他の誰かを好きになっても文句ないなんて、嘘だよ。離れてたから仕方ないなんて、絶対に割り切れないから』


 自分たちの傷を減らすために、下した決断。けれど心が離れた時点で受ける傷は大きくて、その傷が少し軽くなったところで痛みに変わりはない。


『ごめんね。私は神代くんを縛るよ』


 芽榴から颯に歩み寄ろうとしていた。

 颯の想いが揺らがないように、芽榴は言葉を残す。


『私は神代くんのことが好きだよ。だから……』


 颯の体が会長席の隣にあるテーブルとぶつかる。そこはかつて、芽榴とオセロをした場所。


「……っ」


 颯の目が見開く。同時に、芽榴も最後の言葉を告げていた。


『私の想いは、神代くんのそばに置いていくね』


 テーブルの上に置かれたオセロの盤。敷き詰められた白と黒の石は同数。


 その配置は、芽榴と初めてしたオセロの結果と同じ。


 偶然ではない。これを意図的に作れるとしたら、それはたった一人、芽榴だけだ。


 あのとき颯が見ていた景色と今見ている景色はまったく違う。たった一年で、颯の心は大きく変わった。

 変えたのは他でもない芽榴だ。


『私からのメッセージはこれだけです。……神代くん』


 芽榴の終わりの言葉が室内に響いている。


『元気でね』


 芽榴がそう言って、レコーダーが音を切る。そのときすでに生徒会室には誰もいなかった。

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