#15
2月も終わりを迎える日曜日。
芽榴がアメリカに行く前の最後の休日だ。今週末にはアメリカへと経つことになっている。
正午より少し前、芽榴は遊園地のゲートの前にいた。今日は当初から颯と遊園地に行く予定で、いわゆるデートだ。
好きな人との初デート。颯と休日に2人で会うのは初めてではないけれど、芽榴はとても緊張していた。
颯の隣に並んで歩くのだ。恥ずかしくないように、芽榴はちゃんとお化粧をして、真理子に見立ててもらった洋服でやってきた。
真理子がニヤニヤ楽しそうに、芽榴のおめかしの手伝いをしてくれたことは言うまでもない。
「今日は、楽しまなきゃ」
芽榴はそう言って両手を握りしめる。すると、隣の方からクスリと笑う声が聞こえた。聞き知る笑い声に、芽榴はすぐ顔を上げた。
「おはよう、芽榴。ごめん、待たせたね」
芽榴の元に颯が歩み寄ってくる。芽榴は颯の顔を見た瞬間に、ふわりと頬を緩ませた。「おはよー」と嬉しそうに笑って告げると、周囲が少しだけざわついた。
颯は騒がしい周囲を一瞥すると、即座に芽榴の手を掴んだ。
「え……神代くん?」
少々強引に、恋人繋ぎをする。デートなのだから手を繋ぐことを拒否したりはしないのに、と芽榴が不思議そうな顔で颯を見上げると、颯はニコリと笑った。
「芽榴がナンパされないように、ね?」
颯はサラッとそう告げる。事実、芽榴を見て頬を染めていた男たちが颯の登場とその後の行動で、がっかりした様子で待ち合わせている友人たちと合流していた。
しかし、芽榴がそんなことに気づくはずもない。
「それは神代くんのほうでしょ?」
芽榴はそう言って周囲に目を向ける。颯がゲートのところにやってきてから、周囲の女性陣が騒がしい。加えて芽榴に対する羨望の眼差しまで熱い。
颯に向けられている女性陣の視線が気になって、芽榴は自分に向けられてる他の視線にはまったく気づかない。
「まあ、芽榴が嫉妬してくれるなら……声をかけられるのも悪くないかもね」
颯がそう言って目を眇める。その顔からして、その言葉は颯の冗談で芽榴への意地悪だ。それが分かるため、芽榴は半目になる。すると颯は楽しげに笑った。
「冗談だよ。芽榴にしか興味ないから怒らないで」
「……冗談に聞こえないから」
芽榴がむくれた様子で言うと、颯は困ったように笑って芽榴の頭を撫でた。
日曜日だけれど特にイベントもない日程だったため、人は多くても混雑というほどではなかった。
「芽榴は絶叫系とか大丈夫?」
「たぶん。あまり乗ったことないけど」
中学時代に圭と行った以来、遊園地には来ていない。けれどその時に乗った絶叫マシーンの類で気分が悪くなることもなかったため、芽榴はそう答える。
「神代くんは?」
「誰に聞いてるの」
一応尋ねてみたら、そんな返事がきた。芽榴は「ですよねー」と笑って颯と一緒に絶叫マシーンの列に並んだ。
自信満々に言っただけはあって、颯は頂上からコースターが降下するときも楽しげにハハッと笑い声をあげていた。芽榴はその隣で気持ちよさげに風を浴びている。
ものすごい速度でコースターが走っているのに、芽榴は顔色一つ変えない。「風気持ちいいなー」などとのんびり考えていた。
後ろでは女の子たちが「きゃあーーっ」とか「怖いぃっ」などと叫んでいて、芽榴はコースターがぐるぐる回る中、冷静にそれを聞いている。
そして「あれが可愛い女の子の正しい反応」と判断し、自分の可愛げない絶叫マシーンへの反応に半笑いを浮かべた。
努力はしてみたものの、コースターに「風が気持ちいい」以外の感想が浮かばず、いつのまにかコースターは元の場所に着いていた。
「芽榴? 気分悪くなった?」
「え? あ……違うよ。大丈夫だからー」
脱力している芽榴に颯が心配そうに問いかけてくる。芽榴は自分の恥ずかしい思考回路を悟られまいとそんなふうに言って両手を横に振った。
そういう感じで、芽榴と颯はアトラクションを周りながら、いつものように穏やかな時間を過ごす。
途中喉が渇いたため、ベンチに座って颯はホットコーヒーを芽榴はホットココアを飲んだ。
湯気のたつココアに息を吹きかけながら、前を通り過ぎていくカップルに目を向ける。
彼氏に体を密着させて楽しそうに笑う彼女。その彼女を愛おしむように見つめる彼氏。
颯にあんなことをしたら、喜んでくれるだろうか。でも、喜んでくれると分かっても芽榴にはハードルが高すぎる。
「次、お化け屋敷行こうぜ?」
「ええっ、絶対怖いよぉ」
そんなふうに言いながら通り過ぎていく。前に通り過ぎたカップルもお化け屋敷に行こうと話をしていた。きっとカップルで行く定番の場所なのだろう。
でも、芽榴には行けない。
「神代くん、お化け屋敷行きたかった?」
なんとなく申し訳なさを感じて、芽榴が颯に問いかける。すると颯はハハッと彼らしく優しい笑い声をあげた。
「まあ、カップルで行く人は多いね」
芽榴が表情を曇らせると、颯は薄く笑って「なんでか知ってる?」と問いかけた。
首を傾げる芽榴に、颯は理由を教えてあげる。怖がって助けを求めてしがみついてくれる彼女が可愛いから、と。
「でも芽榴はお化けに怖がったりしないだろう? それにお化け屋敷に入ったら怖がるとかいうレベルの話じゃなくなるしね」
暗所が無理な芽榴は、お化けではなく暗闇に怯えてしまう。それも可愛いというレベルを逸脱して怖がってしまうため、行っても不快になるだけだ。
「芽榴。僕は芽榴と一緒にいられればいいんだよ。無理に彼女らしいことしよう、とか悩まなくていいから」
颯はそれさえもお見通しだった。
颯のために可愛い彼女を演じようとして、でもハードルが高くてできずに落ち込む。そんな芽榴の気持ちを全部わかっていた。
「それに、芽榴が無理に頑張らなくても、可愛い芽榴なんて見ようと思えば簡単に見られるから」
「え?」
芽榴が顔をあげる。すると、颯はすかさず芽榴の額にチュッと音を鳴らしてキスをした。
一瞬何が起きたか分からず、でも分かった瞬間に芽榴の顔は真っ赤になった。
「か、神代くんっ!」
「ほら、簡単だろう?」
颯はそう言って悪戯っぽく笑った。公然ということもあって、額にしてくれただけマシだが、それでも芽榴の羞恥を煽るのには十分だ。
今日は元々の姿だけでも十分すぎるほど可愛いのに、その顔で照れられてしまえば、颯にとって芽榴以外に「可愛い彼女」など想像もつかない。
「だから僕は、こうしてるだけで十分」
颯は芽榴の手を握り、優しく笑いかけてくる。整った颯の顔を見ているだけで、芽榴は胸を高鳴らせた。
時間はすぐに過ぎていって、辺りはもう暗くなっていた。
観覧車のイルミネーションが綺麗に明かりを灯し始め、芽榴と颯のデートも終わりが近くなっていた。
「芽榴」
観覧車の箱の中、颯の声は外よりも鮮明に聞こえる。綺麗な夜の景色を見下ろして、颯は芽榴の名を呼んだ。
「んー?」
芽榴はいつもの自分らしく、のんびりした声で颯の呼びかけに応える。向かい側に座る颯は外を見下ろしたまま、薄く笑っていた。
「外、綺麗だね」
「うん」
芽榴は颯と同じように外の景色を見下ろす。まだ頂上には届いていないけれど、だいぶ観覧車は高い位置まで上っていた。
「……明日が来なければいいのにね」
颯はそう言って、目を伏せる。
その言葉の意味を、芽榴は知っている。今日1日、最後まで考えないようにしていたこと。けれど今日の終わりは近づいていて、そのことから目をそらしてはいけなかった。
「僕が決めたことなのに、勝手かな」
呟いた颯はゆっくり目を開けて、芽榴へと視線を向ける。その視線を受けて、芽榴は切なげに笑った。
「勝手だよ。神代くんは」
それでも、芽榴は颯の意見には逆らえない。颯の決断が勝手だったとしても、それを認めたのは芽榴で、颯にそんな不器用な答えしか見つけさせられなかったのは芽榴だった。
「うん。否定はしないよ、芽榴の言葉だから」
颯はそう言って、芽榴にキスをする。
「好きだよ。……離したくなんてないんだ」
そう思うなら、離す必要なんてない。芽榴はもう颯のものなのだから。
けれど「サヨナラ」は最初から決まっていた。芽榴が颯の恋人になった時、始まりの瞬間から終わりは決まっていた。
あの日、颯と想いを通わせたとき、颯はもう決めていた。
『神代くん……?』
『……本当に、どうするのが一番いいのかな』
キスをした後、颯は芽榴の肩でそう呟いた。あのとき颯がどうしてそんなことを言うのか、芽榴には分からなかった。
『きっと、僕は際限なく芽榴を求めて……手放せないんだ』
その言葉を嬉しく思った。颯がそれほどまでに想ってくれているのだと知って、芽榴は嬉しくてその気持ちに応えようと颯の背中に手を回そうとしていた。
『僕は君を引き留めて、君を僕のそばに縛ると思う。今でさえこんな偏った想い方なのに、きっと芽榴への想いはどんどん歪んでいくんだ』
芽榴の手は途中で止まっていた。颯を抱きしめ返すことができない。芽榴は颯の続きの言葉をなんとなく分かってしまったから。
『芽榴のことが好きだよ。この気持ちはずっと変わらずに、綺麗なまま残したいから』
最初からすべて終わることを分かっていて、颯は芽榴に提案した。
『最後に、芽榴がアメリカに行く前に……芽榴が僕のことを想ってくれた証が欲しいんだ』
アメリカに行く前まででいい。そう、颯は条件をつけた。
『だから、僕の恋人になって』
颯から離れていく芽榴に、颯を責めることはできない。颯の言葉は勝手だったけれど、全部が全部間違ってるとは言えなかった。
「私の想いは……ちゃんと届いた?」
芽榴が笑って問いかけると、颯は芽榴の髪に手を差し込んでキスをする。長い長いキスをして、少しだけ顔を離した。
目の前にいる颯の顔が、よく見えない。それは芽榴の視界が涙で歪んでしまっているからだった。
「届いたよ。……だからもう、大丈夫」
颯は笑っている気がした。「私は大丈夫じゃないよ」とそう告げれば何かが変わるのかもしれない。けれどそんな可愛げのあることを何も言えない芽榴は、颯の決断を受け入れることしかできない。
「私も……頑張れるよ」
平気なふりをして、どうして嘘なんか吐いたのだろう。涙の理由を、颯はどうして分かってくれないのだろう。
そうやって、また想いはすれ違っていく。
けれどそれが颯の愛し方で、それを知っているからこそある種の満足感はあった。
「芽榴……楽しかったよ。ありがとう」
涙に濡れた視界では、颯がどんな顔をして別れの言葉を告げたのかも分からなかった。




