#14
テストも無事に終わって、日本にいる時間も残りわずかとなった。来週末には月が2月から3月へと変わる。
正式に向こうの大学で授業があるのは4月からだ。けれどその前に適性試験やあっちでの生活になれるために芽榴は早めにアメリカへと向かわなければならない。
月替わりの後、しばらくすれば芽榴もアメリカへと旅立つことになっていた。
「芽榴姉、入るよ?」
芽榴の部屋の扉を軽く開け、圭がそう問いかけてくる。
ちょうど部屋の荷物をまとめていた芽榴は「どうぞー」と笑って、圭を部屋の中に通した。
「荷物の整理中?」
「うん。来週バタバタしたくないから、早めに準備できるものはしておこうと思ってー」
芽榴がそう言うと、圭は苦笑する。芽榴の部屋はもともと物が多く置かれていたわけではないのだが、余りにも片づきすぎていて部屋の中は寂しかった。
以前行った颯の部屋も、今の芽榴の部屋みたいに殺風景で寂しい場所だった。
そんなことを無意識に考えていると、まだ荷物に詰め込まずに飾っている写真を圭が手に取った。
「芽榴姉が修学旅行から帰ってきて一ヶ月が経つのか」
その写真は修学旅行の最後の夜、役員みんなで撮った芽榴のお気に入りの写真だ。帰り際に道を歩いていた人に来羅のカメラで撮ってもらったもの。
泣いてしまった後だったため、少し目が赤くなっていたけれどそれでも芽榴はとびきりの笑顔をしていた。
「そういえばさ……芽榴姉」
圭はその写真を見つめながら、そんなふうに芽榴へと声をかける。芽榴は「んー?」と荷物をまとめながら圭の声に耳を傾けた。
「神代先輩と、付き合ってんの?」
尋ねられた芽榴は荷物をまとめていた手を止め、少しばかり赤く染まった顔で「どーして?」と圭に問い返した。
「最近、芽榴姉を家まで送るのがずっと神代先輩だって……母さんが言ってた」
役員は芽榴を送り終えたとき、基本的に真理子と玄関先で喋ることになるのだ。だから真理子は毎日誰が芽榴を送っていたかを知っていて、その変化にいち早く気づいたらしい。
真理子がそういうことに敏感なのは知っているため、芽榴はそれほど驚かない。ただ少し照れ臭いだけ。
「うん。付き合ってる」
芽榴はそう答えてふわりと笑った。
嬉しそうに笑う芽榴を見て、圭は苦しげに笑みをこぼす。
「……そっか」
「圭?」
圭が見せた苦笑に、芽榴は首を傾げる。けれど圭は一つ息を吐くと、目をつぶり、そして芽榴にしっかりと笑いかけた。
「よかったね……芽榴姉」
圭に祝福され、芽榴は「うん」と笑顔で返事をする。けれど芽榴の嬉しそうな笑顔は徐々に切なげな笑顔に移ろっていて、それを圭は見逃さない。
「どうか、した?」
圭が遠慮がちに尋ねてくる。自分の心を隠しきれなくて、芽榴は頼りない顔で笑った。
昔は感情を抑え込むのなんて簡単だったのに、今の芽榴はそれをうまく制御できないでいた。その変化がいいものなのか、悪いものなのか、それは芽榴にも分からない。
「……仕方ないことだって分かってるんだけどね」
芽榴は俯いている。
あのとき、颯に「恋人になって」と言われた日のことを鮮明に思い返していた。
「一緒にいればいるほど、さよならは……したくないなって」
芽榴はそう言って、目元を手で覆う。涙が流れているわけではない。目を閉じて目の前を遮りたかっただけだ。
目を閉じているときは、目の前に颯がいなくても思い出の中の彼に会えるから。
「芽榴姉」
そんな芽榴のことを圭が後ろから抱きしめてくる。芽榴はその温もりに驚きはするけれど、突き放そうとはしなかった。
「神代先輩は芽榴姉のこと、好きって言ってくれたんでしょ?」
圭の声はすごく寂しげだった。きっと自分がこんな頼りない顔をしているからだろう、と芽榴はちゃんと分かっていた。
「……うん」
「神代先輩はさ、芽榴姉が遠くに行ったからって……芽榴姉への気持ちを忘れるような人じゃないっしょ?」
圭の言葉が耳に届いて、芽榴の頭の中では颯の声が響く。記憶の中で、颯は切なげに笑っていた。
芽榴は圭の言葉を肯定も否定もしない。しないのではなく、できなかった。したくなかったのだ。
「圭なら……そうする?」
芽榴は声が震えないように、ゆっくりと尋ねる。芽榴の問いかけに圭はハハッと困ったように笑っていた。
「うん。もし……芽榴姉が俺の彼女なら」
ただのたとえ話。けれど例えでも芽榴のことを「彼女」と称するのに抵抗があるのか、圭の声はとても小さかった。
「そばにいられるあいだは、ずっとそばにいて……。遠くに行くなら、俺のこと忘れないでほしいから……そばにいられる時よりずっと強く想うよ」
圭は「自分ならそうだ」と伝えてくる。それはあくまでたとえ話なのに、圭の声が優しすぎて芽榴の心は苦しくなった。
「両想いなら……想いの分は相手から返ってくるよ」
そう限定して、圭は芽榴のことをさっきよりも強く抱きしめた。
芽榴を抱きしめる圭の腕を、芽榴は両手で掴む。少し筋肉のついた腕は男らしくて、颯の腕とも似ている。けれどそれは彼の腕ではない。同じような温もりを感じても、それは颯のくれる温もりではない。
「神代くんは……こういうとこだけ、すごく不器用だからなー」
涙を堪えようとして漏れる笑い声は、乾いていた。
颯が、圭のように器用な想いを持っていたら、あのとき芽榴が颯の恋人になる条件は変わっていただろう。
きっと、条件なんていらなかったはずだ。
一緒にいればいるほど、颯への想いは深くなる。最初から戻れないことは分かっていて、それでも芽榴はもっと深くまで泥の中に浸かっていった。
颯も、颯のほうこそ、奥深くまで埋もれてしまっているはずなのに。
もうどうしたって元の場所にまで向かうことはできないのに、どうして――。
「……神代くんは、恋人としては最低だよ」
それでも好きな気持ちは変わらない。
颯が恋愛に不器用で臆病でも、そんなとこまで含めて全部好きになった。
「芽榴姉」
溢れる涙を拭おうとする芽榴を、圭は自分のほうを向かせるように反転させる。そして圭はそのまま芽榴を自分の胸に押し付けた。
「目擦ったら、明日赤くなるよ。……俺の服は濡れても問題ないから」
圭は芽榴に優しくそう言って、芽榴の髪を梳く。
芽榴の涙の理由を、圭はなんとなく悟ったのだろう。圭は芽榴に事情を聞くことなく、ただ何かを考えていた。
 




