#06
あの日以降、芽榴と颯はお互いに避けあうようになっていた。廊下で会ってもぎこちなく「おはよう」と言い合うだけ。生徒会室でも最低限の仕事の話と「おつかれさま」しか言わない。
もちろん、順番で芽榴を送るという役員同士の決まりからも颯は抜けた。あんなことを言って、あんなことをして、芽榴と一緒に帰れるはずがない。芽榴自身、颯がみんなの前で「自分の番を詰めろ」と言ったときには安心していた。
安心の中で、突き刺されたような痛みを感じたことも、芽榴は気のせいにした。
颯の告白に返事はしていない。颯もそのことについて触れてこなくて、今の避けあってる現状が答えのようなものだった。
だから余計に芽榴は颯の前に平然と立つこともできなかった。
そうしてあの日から1週間が経過しようとしていた。芽榴がこの学園にいる時間は刻一刻となくなっていく。それを惜しむ様子すら見せない颯とは裏腹に、芽榴の近くにはいつも風雅がいてくれた。
「芽ー榴ちゃん」
昼休みになると、風雅は参考書を持って芽榴の教室にやってくる。修学旅行が明けてから、それは恒例になっていて芽榴の隣の席の女子は慣れたように風雅に席を譲っていた。
「今日の小テストできたー?」
芽榴が尋ねると、風雅はハハハと頬をかいて余所見をする。普段より手応えはあるものの、勉強量に見合う結果ではないだろうと風雅は苦笑していた。
「そんなに早く結果は出ないよー。次もがんばろ」
芽榴がそういって笑いかけると、風雅は嬉しそうに笑う。そして芽榴の隣に座ってノートと参考書を開く。分からないところを芽榴に聞きながら、たびたび休憩を挟んで幸せそうに芽榴に話しかけていた。
風雅と話すのは楽しい。けれど、最近は風雅との話の途中でさえ芽榴はボーッとしてしまうようになっていた。
「でね、オレが翔太郎クンに――……芽榴ちゃん?」
「……。え? あ、うん、それで葛城くんは?」
風雅が心配そうに芽榴のことを見つめる。けれど芽榴はそれ以上風雅に心配させないようにニコリと笑って、風雅に話の続きを促した。
「……うん。それで、翔太郎クンが――」
風雅はそれに気づいていた。けれど芽榴のために何も聞かずに、芽榴を元気づけようと変わらず楽しそうな口調で芽榴に話を続けてくれる。そんな風雅の気遣いに甘えることしかできない自分が腹立たしい。でもだからといって、今の芽榴にはどうすることもできなかった。
「芽榴。何かあったでしょ?」
そして、黙ったまま何も言おうとしない芽榴に痺れを切らした舞子がそう尋ねてきた。
今は体育の時間で、芽榴たちF組女子は外周を延々と走らされているところだ。芽榴と舞子は一緒にゆっくりのペースで走っているため、少し話をしても息が上がることはなかった。
「……うん。少し、ありました」
舞子には本当のことを言おうと決めていた。けれど、颯のことを自分から言い出すのは恥ずかしくて、こんなことを舞子は知っても興味ないのではないか、などと思っていたらなかなか言い出せずにいた。だから舞子から話題を振ってくれたのは芽榴としてはありがたいことだった。
「相手は……神代くん?」
舞子が見事に言い当てる。芽榴が「どーして?」と驚いた顔で尋ねると、舞子は走りながら肩を竦めた。
「あんたと一緒にいたら分かるわよ。役員みーんな、何かにつけてあんたに会いに来てるのに、神代くんだけは来ないじゃん」
舞子にまで指摘されるほどに、今は芽榴と颯の接点がない。たった一週間、距離を置いただけでそんなふうに勘付かれてしまうほど、颯と一緒にいたのだと、芽榴は実感した。
「で、何があったの?」
舞子が困り顔で尋ねてくる。どうせまた些細な言い合いでもしたのだろうと舞子の顔には書いていた。
「……告白されました」
「え……は!?」
舞子は予想以上に驚いていた。芽榴の言う「告白」の意味をちゃんと確認するためか、舞子はわざわざ「好きって言われたの?」と直球で聞いてきた。
「うん。……それで、ちょっと言い合いになって……今に至ります」
丁寧語で話すところからして、芽榴がその話をするのにかなり抵抗を感じていることが伝わる。颯から告白されたときのことを思い出すと、自ずとキスのことまで頭に浮かんで赤面せずにはいられなかった。
「あんたって、告白された後に必ず相手ともめるわよね。滝本といい山本といい……」
舞子にそう言われ、芽榴は困り顔をする。芽榴だって、もめたくてもめているわけではないのだ。ただ気持ちに答えられない分、どうしても気まずくなってしまう。告白を断れば、もめることはしなくても気まずくはなるものだろう。
「でも……神代くんに返事してないんでしょ?」
舞子の問いかけに芽榴は「……うん」と小さな声で答えた。返事はしていない。それなのに芽榴と颯のあいだには大きな壁ができていて、余計に返事ができなくなっていた。
壁がなくとも、芽榴の心の中には颯を前にして堂々と伝えられる返事はなかった。
「まあ、アメリカに行く前に返事すればいいんじゃない? まだ時間はあるし、ゆっくり考えな」
どんどん顔色が悪くなるため、舞子はそんなふうに話を切り上げる。まだ聞きたいことはあったのだろうが、芽榴の背中をトントンとたたいて、舞子は走るペースを少しだけあげた。
放課後の生徒会室――最近はそこも居心地のいいものではなくなっていた。芽榴と来羅が委員会に行って、現在は風雅と有利、翔太郎そして颯の4人が生徒会室にいた。
颯が静かにプリントに文字を書き記す。カリカリとペンが紙の上を擦れる音が生徒会室に広がっていた。少し前まではサラサラと紙の上をペンが滑る耳に心地いい音がしていたのだが、今はそれも力が入りすぎているのか、不穏な音に聞こえる。
颯が今握っているペンは生徒会室に放置してある、ただのボールペンだ。彼の使い慣れた万年筆ではない。颯が芽榴からもらった万年筆を使っていないことに、その部屋にいる全員が気づいていた。
「……神代」
そしていい加減、その息苦しい空気に耐えかねた翔太郎が大きなため息とともに口を開く。翔太郎は沈黙が苦手な人間ではない。喋るのが得意じゃない分、沈黙には慣れている。そんな彼が耐えられなくなるほどにこの沈黙は苦しかった。
「何? 不備でもあった?」
颯は顔をあげず、手を動かしたまま翔太郎に問いかける。仕事に専念している姿は一週間前の何も手についていない上の空の状態に比べればマシだ。けれど他に何も考えないで済むように、暇があれば仕事や勉強を詰め込む姿は見ていて快いものではなかった。
「楠原と何かあったのか?」
翔太郎の言葉に颯の手がピクッと反応して止まった。翔太郎は疑問形で問いかけたが、彼とて颯と芽榴に何かあったことくらい分かっていた。
そんな翔太郎の前方で、風雅と有利は何も言わずに手元のプリントに手を伸ばす。翔太郎の問いかけも颯の反応も視界に入れていたのに、気づかないふりをした。
「……僕がいらないことを言って、泣かせた」
颯は顔をあげず、手も止めなかった。平然とした様子で颯は言ってみせるが、そう言い放った彼から放たれる空気は凍り付いていた。
そして颯の「泣かせた」という発言を聞いて、ほんの一瞬だが風雅と有利の手が止まった。
「泣かせたって……そんなにあっさり言うことか?」
翔太郎は眉間にしわを寄せて颯を非難するように声をあげる。けれど翔太郎の言葉を聞いても、颯は特に動揺も焦燥も見せることはなかった。
「あっさりしてるなら、わざわざお前が心配して声をかけるような状況にまでなってないよ」
口調は穏やかなのに、颯の言葉は冷たく響く。
芽榴と距離ができて、避けられて辛くないわけがない。冷静なフリをして全部取り繕っているだけだ。芽榴に全部ぶちまけて全部壊れて、前のように自分を取り繕えるようになっただけマシだった。
以前のような自分に戻るために、払った代償は大きすぎて、どっちにしたって颯を精神的に追い詰めるだけ。
芽榴に伝えた自分の本心を「いらないこと」と称した颯の気持ちなど、きっと誰にもわからない。分かりたくもないだろう。
「……早く――仲直りしろ」
翔太郎はあえて、颯の「いらないこと」が何だったのかを聞こうとはしない。きっとなんとなくその内容を察しているのだろう。
「できることならね」
颯はそう言って、フッと自嘲するように儚く笑う。
颯と翔太郎の会話を同じ部屋の中で聞いているのに、風雅と有利は一切口を開かない。ただ無表情に手元の仕事に集中する2人を横目に見て、颯は目を伏せた。




