238 岬と計画犯
起床時間になり、部屋に戻った芽榴は班員に来羅の班との合同での行動について話す。今日の観光班は偶然にも同じ宿泊班のうちの6人だったため、都合がよかった。
話をしてみると、相手が美少女来羅だと思っているだけに特に喜ぶ人もいなければ反対する人もいないため、今日の観光は来羅たちと回ることに決定した。
「柊さんって、計画的よね」
ジャージから制服に着替えていると、隣で着替えている舞子がそんなことを呟く。芽榴が首を傾げながら「計画的?」と尋ねると、舞子は「でしょ」と答えた。
「だって柊さんは芽榴と一緒に行動したかっただけなのに、わざわざ班合同で行動しようなんて……普通なら班を抜けて2人でって誘うとこでしょ」
舞子は言いながらプリーツスカートのファスナーをあげる。確かに舞子の言う通りだ。芽榴が新たに「じゃあどうして」という疑問にぶち当たるとすぐに舞子が答えを口にしてくれた。
「芽榴はよほどの理由がない限り、班行動抜けないし、そうなったら断るのにも気を使って……だからって抜けるにしても気を使うだろうし」
聖夜や慎のように滅多に会えない人だったり、風雅や翔太郎のときみたいにその場の流れで偶然一緒に行動、というのとは話が違う。
「柊さんならそこまで考えてそうじゃん。だから計画的」
来羅が何も考えずに合同の班行動を提案するとは思えない。舞子のその意見には芽榴も納得だった。
「どうしてもあんたと一緒に行動したかったんだねぇ」
「うーん。今日が特別だからだと思うよー」
芽榴が苦笑すると、舞子はまた芽榴の鈍感が始まる、と聞き流そうとするのだが、芽榴の放った「特別」という言葉が引っかかったらしく、それを問いかけてきた。
「今日、来羅ちゃん男バージョンが見放題なんだよー」
「は?」
「「「それほんと!?」」」
舞子と2人で話していたはずなのだが、芽榴の言葉に反応して周囲の班員がざわつく。芽榴が驚いて目を見開くのと、舞子が呆れたように目を細めるのはほぼ同時だった。
「楠原さん! それほんと!?」
「え、うん。今日1日男バージョンって…」
「よっしゃあぁぁああああ」
先ほどまで来羅班との行動に、それほど関心がなかったはずの班員たちが異様に盛り上がり始めた。
美少女来羅なら、格の違いを思い知らされるところだが、美少年来羅なら目の保養だ。そんな彼と一緒に回れるなど、嬉しいに決まっている。
「体育祭以来、柊さん男バージョン見れるのをどれだけ楽しみにしていたことか!」
「やったーーっ!」
何はともあれ、みんなが喜んでいるため、芽榴はホッとするのだった。
今日から3日間は函館観光が中心になるため、旅館も函館に移動になる。そのため、昨日の夜にまとめ終わっていた荷物の最終確認をして、それを手に持って芽榴たちはF組のバスへと向かった。
F組のバスの前にやってきて、荷物を運転手に渡す。すると、芽榴はそこでやっと周囲の騒がしさに気付いた。旅行中、生徒たちが騒ぐのはいつものことなのだが、それにしてもいつもより騒がしい気がする。そう感じたのと同時、耳に入ってきた騒ぎ声に芽榴は苦笑した。
「柊さんが男子の制服着てるの!」
「すっごい似合う! ヤバイ! 写真!」
という感じで女子が来羅について騒いでいる。もちろん騒いでいるのは女子だけではない。けれど男子の騒ぎは女子とは逆ベクトルのものだ。
「柊さんが……とうとう……」
「俺の目の保養が……っ」
C組を中心に男子生徒たちが、突きつけられた事実に対して愕然として憂いの呟きをもらしていた。予想に難くなかった生徒たちの反応に芽榴は困り顔を浮かべながら、その騒ぎの原因になっている人物の姿を探す。
せっかくなら来羅の男子制服を1番に見たかったな、などとなんとなく思いながら芽榴はC組のバスへと視線を向ける。バスの窓を眺めていると、後ろのほうの席でスマホをいじっている男子生徒が目に入った。というより、目を引き付けられた、というほうが正しいだろう。
「来羅ちゃんだ」
「え、どこ?」
思わず呟いた声に舞子が反応する。キョロキョロと辺りを探す舞子に、芽榴はC組のバスの中を指さして教えてあげる。儚げな美少年の姿を目にし、舞子は「さすが」と感嘆の声をあげた。それくらい男子生徒としての姿も様になっている。
舞子と2人で来羅のことをジッと見つめていると、向こうもその視線に気づいたようで、スマホに向けていた視線を来羅がこちらへと映した。芽榴の視線が来羅の視線と交差すると、先ほどまでの無表情が一変。来羅は笑顔で窓を開けていた。
楽しそうな顔で来羅が芽榴に手を振り、芽榴も手を振り返す。そのまま男子の制服が似合っていると伝えようとしたが、C組のバスとの距離を考えると、少し声を張らなければならない。そう考えると芽榴は言葉を躊躇してしまった。
「あ……」
マヌケにもれた声。ポカンと開いた口はその声と同じくらい芽榴の顔を阿保面にしてしまっている。きっとそのマヌケな顔は来羅にもしっかり見えていて、来羅は眉を下げて笑っていた。
「あ・と・で・ね」
はっきりとは見えなかったが、なんとなく来羅がそう口パクしたように見えた。だから芽榴は頷いて、そのまま舞子と一緒にバスに乗り込んだ。
函館に着く。新しい旅館に入るのは夕方以降ということで、指定された時刻まで自由行動となった。解散の合図がかかるとわりとすぐに来羅が芽榴のところへとやってきた。
「女子に誘われなかったー?」
来羅班と合流するには少々時間がかかるだろうと思っていた芽榴は驚きながら問いかける。すると来羅は「ああ…」と言ってペロッと舌を出した。
「早くるーちゃんのところに来たかったから、声かけられたけど全部スルーしちゃった」
「え」
なんでもないことのようにして来羅は言うが、それは如何なものかと芽榴は困った顔をする。けれど来羅はまったく申し訳なさそうな顔をすることなく、肩をすくめた。
「ま、どうせ断るんだし問題ないわよ」
「来羅ちゃん……」
「私、女の子には厳しいの。ね? 欠点見つかったでしょ?」
来羅はヘヘッと笑いながら告げた。その仕草はいつもなら可愛いはずなのだけれど、今日は少しばかり芽榴の胸を高鳴らせる。
そういうわけでロスタイムをくうことなく、芽榴班と来羅班の行動が始まる。バスに乗ってやってきたのは観光スポットとして知られる岬だ。
先日の有利班のときと同じで、やはり男女でいくつかのペアができていた。あのとき同様、舞子は昨年同じクラスだった男子と話していて、芽榴はというと、もちろん来羅の隣だ。
「冬の海辺って寒いねー」
「うん。風も結構強いかな」
班員たちの後ろをついていきながらのんびり遊歩道を歩く。たまにすれ違う人たちはいずれもカップルで、芽榴はここがカップルに人気の場所なのだとすぐに察した。
「蓮月くんとか好きそうだなー、ここ」
カップルのデートスポットを考えると、風雅のことがすぐに思い浮かぶ。ついでにいえば、簑原慎の顔もよぎった。彼らのデートスポット把握率は常人のレベルではない。
付き合った彼女の数や経験が関係しているのだろうが、こんなことを本人たちを前に言ったなら慎はうまくかわすだろうが、風雅が騒いで暴れること間違いなしだ。
「風ちゃんねぇ。他の子の前じゃ、ただのカッコつけだから」
「本当、別人だよねー」
「でも私はるーちゃんといるときの風ちゃんのほうが好きよ。気取ってなくて」
来羅は笑いながら告げる。芽榴もそれはずっと思っていることで、風雅自身にもそう伝えているため「私もー」と賛同して笑った。
「あ、来羅ちゃん」
笑っている途中で、自分がまだそれを伝えていないことを思い出して、芽榴は彼の名を呼ぶ。そして咳払いを挟んで意識を改めた。
「制服、すごく似合ってる」
きっと、その言葉はクラスの女子やそうでない女子にもたくさん言われているだろう。来羅がそれをちゃんと聞いているか聞いていないかはまた別の問題だ。今、分かっていることは芽榴の言葉自体が特別ではないということ。
「うん。ちゃんと聞けてよかった」
それなのに来羅は嬉しそうに言葉を返してくれる。長い睫毛に覆われた瞳は、とても優しく芽榴のことを見つめていた。
「これからは、この自分を大事にしたいな」
岬の先端へと向かいながら、来羅は言った。今まで隠してきた自分の姿を大事にする。それはつまり、この姿でいる時間を増やすということだ。喜ばしいことだけれど、あの可愛らしい来羅の姿を見る機会が減るのは少し寂しい気がした。
「自分が思ってたより全然周りは受け入れてくれるものなんだなあって、ちょっとビックリした」
来羅がその姿でいることに男子生徒たちは少なからずショックを受けていた。それは普通の反応で、来羅の予想の範疇だった。けれどそのことで来羅への接し方が大きく変わるわけでもなかったのだ。女子に至っては来羅のこの姿を歓迎している。
「昔は気持ち悪がられてたから、そのイメージが強かったのかな」
体育祭で一度だけその姿をさらしたことはある。けれどあのときは応援団のことで必死で周りの反応を気にする暇もなかった。
小学生のころは「女男」と言われ続けて、麗龍でも最初は陰口を言われて、来羅の中で「女装で始めたなら一貫して女装しなければならない」という考えが根底にあった。けれど今日はじめてしっかり周りの反応を見て、来羅はその考えを改めた。
「せっかくるーちゃんに助けてもらったのに、なかなか元に戻れなくて……結局問題は私の中にもあったんだ」
潮風に髪をなびかせながら、来羅はまっすぐ前を見る。その顔に、もう曇りは見えなかった。
「でも今、その問題が解決したんでしょ?」
芽榴は心地よい波の音に乗せて、優しく問いかける。これからの来羅の道は本当に来羅が選べる自由の道だ。
「なら、私は今度こそ笑顔で『よかったね』って言えるよ」
あの日――来羅の母が来羅を見てくれたクリスマス後のあの日、柊の下で「ありがとう」と言った来羅に芽榴は苦い笑顔をこぼすことしかできなかった。
あの日言えなかった祝福を、来羅が来羅らしくいられるようになった祝福を、芽榴は今度こそ笑顔で伝えた。
「でもそうだなぁ。この格好で生活し始めるなら一人称は『僕』とかの方がいいのかな? でも違和感あるわよね」
「言いやすいほうでいいと思うけど……。そうなったら私も来羅『くん』って呼んだほうがいい?」
「別にるーちゃんの好きなほうでいいわよ」
「ってなるよねー」
岬の先端から海に浮かぶ岩島を眺めつつ、2人は楽しげにそんなことを話して笑っていた。
カラカラと響く芽榴の笑い声と幸せそうな美少年来羅のことを、班員たちが羨ましそうに目を細めて見つめる。
その視線に来羅は気づいていたようだが、気づいてないフリを突き通すあたりやはり計画犯だな、と2人の後方で岬の岩を眺めながら舞子はしみじみと思うのだった。




