234 逆戻りとテディベア
「さて、と……葛城くん。ごめんけどスマホ貸してくれる?」
少年を見送り、芽榴が翔太郎に問いかける。翔太郎は一瞬「なぜだ」という顔をしたが、すぐに自分が芽榴を探していたわけを思い出し、そのことが後回しになっていたことに気づいた。
「あの子どものせいで……忘れていた」
芽榴にスマホを渡しながら翔太郎はため息を吐く。本当は会った時すぐに舞子たち班員に連絡をさせる予定だったのだが、あの男の子に翻弄されてしまって、すっかり忘れていたらしい。
翔太郎にお礼を言いつつ、芽榴は舞子の番号に電話をかけた。
「あ、もしもし、舞子ちゃん?」
『この声、芽榴? 今どこ!?』
知らない番号からの着信で舞子の『もしもし』の声は不安げだったが、芽榴の声だと分かると舞子は大きな声で芽榴の居場所を聞いてきた。
「えっと、今案内所の近くで……。葛城くんが探しにきてくれて……」
『……葛城くんと合流できたのね。ならよかった』
舞子はホッとしたように息を吐く。それから何があったのかを少し説明した後、芽榴と舞子は少し先のチンパンジーのいる生息ゾーンで落ち合うことになった。どうやら舞子たちは芽榴を探して、逆方向にどんどん向かっていたらしい。
舞子との通話を終え、芽榴は翔太郎に舞子との待ち合わせ場所を教えながら彼の手のひらに彼のスマホをのせた。
「なら、そこへ向かうぞ」
「え、1人で行けるよ。葛城くんも班の人と合流しなきゃでしょ? というか、なんで探しにきてくれたの?」
芽榴は一緒に待ち合わせ場所まで行こうとする翔太郎の腕を引いて、尋ねる。すると翔太郎は面倒そうな顔をしながら眼鏡の蝶番を押さえた。
「途中で貴様の班のやつと会ったら、貴様がいなくなったと聞いて……一応探しただけだ」
素直に「心配して探した」と言わないのは翔太郎らしい。けれど芽榴はその言葉がなくても、翔太郎の優しさをしっかり受け止められる。
「それに、俺の班員にとっては俺がいないほうが好都合だろう」
翔太郎が不貞腐れることなく言うため、芽榴は不思議そうに首をかしげる。「どうして?」と尋ねると、翔太郎はどこか呆れるようなため息を吐いた。
「俺の班は柊の班と一緒に行動しているんだが、俺がいたら柊は俺に構うから……ヤツらとしては不服なところがあるだろう」
「あー、なるほど」
「相手は男だが、それを知っててデレデレしているヤツらの意味が分からん」
翔太郎は芽榴とともに歩きながら、班行動の愚痴を語り始める。そういうわけで芽榴は班員との待ち合わせ場所まで翔太郎と一緒に歩くことにした。
待ち合わせ場所までは少し距離があり、どうせなら動物を見て回ったほうが楽しいため、芽榴は翔太郎と通り道の動物館を抜けながら歩いた。
「葛城くんはあざらし見たー?」
「確か……まだだったはずだが」
「癒されるから、後で班員と見て行きなよ」
芽榴は楽しげに言う。きっとこれが来羅なら「ほんと? 絶対見るわ」などとノリよく返してくれるのだろうが、翔太郎に限ってそんな反応が返ってくるわけもない。
そっけなく「ああ」と返事をする翔太郎も予想済みであるため、芽榴は特に気にすることもなく、綺麗に羽を広げるクジャクへと視線を移す。
その顔は芽榴にしては珍しく楽しげで、それは翔太郎にも伝わっていた。
「貴様……動物園は好きだったのか」
ポツリと翔太郎が呟く。芽榴は思わず「え?」と間抜けな声を出して視線を翔太郎のほうへと戻した。
実際問題として、動物園は嫌いじゃない。けれど、強調するような、それでいて限定するような「は」という発言に芽榴は首をかしげた。
「水族館はあまり乗り気じゃなさそうだったが……」
続けられた言葉に芽榴は目を丸くする。
確かに、クリスマス後に翔太郎から水族館に誘われた時、芽榴は特に嬉しそうな顔をしてはいなかった。回り終えた後こそ楽しかったと言ったものの、それさえも社交辞令のようなものだと翔太郎は考えているらしい。
芽榴からしてみれば、そういう翔太郎こそ1番乗り気ではなかっただろうと思うのだ。
けれど、翔太郎の言っていることはあながち間違ってもいないため、芽榴は軽く口に手を当てて何かを思い返すような仕草をした。
「でもそれを言うなら、あのとき行ってたのが動物園でも私はそれほど乗り気じゃないと思うよー」
芽榴はのんびりした口調で答える。それを聞いた翔太郎は「俺と行くからか」と若干拗ねた顔で言ってきた。
「え? そーじゃないよ」
今の言い方なら確かに「翔太郎と行くならどれも乗り気にならない」というふうにも捉えられる。自分では考えてもいない捉え方に苦笑しつつ、芽榴は言葉を続けた。
「まー、なんというか……人多そうだし、水族館も動物園も昔から敬遠してた場所ではあったんだよねー」
その言葉通り、芽榴は水族館や動物園といった類の場所に行くことはあまりなかった。行ったのも本当に数えるほどで、全て小中学の遠足で強制的なものだ。
その遠足も友だちのいない芽榴に楽しめるはずがなく、ゆえに芽榴はそういった類の場所は好きじゃない、というより興味の対象になりえなかったのだ。
だから重治も真理子も無理に芽榴を連れて行こうとはせず、翔太郎といった水族館は本当に久しぶりだった。
「でも、今は……楽しそうだが?」
翔太郎は躊躇いがちに告げる。それが自分の勘違いだったらと思うと恥ずかしいのだろう。けれど翔太郎の言う通り、芽榴は今、動物園観光を楽しんでいる。その理由を翔太郎に言うべきなのだが、どうも照れ臭くて芽榴は困ったように頰をかいた。
「……葛城くんと水族館に行ってから、こーいう場所が意外と楽しいところなんだなーって分かったんだよね」
芽榴は堪忍して、そう答える。
あの日翔太郎と行った水族館は最初こそたいして興味はなかったのだが、館内を出る頃には少し名残惜しい場所になっていた。
気の知れた人と行くと、本当に楽しい場所なのだなと実感して、今もまたあのときと同じように楽しめているのだ。
「子どもか、貴様は」
「うわ、ひどいねー」
翔太郎らしい返事に芽榴はカラカラと笑った。ひどいことを言われてもそれが本心ではないと分かるから、翔太郎の言葉がいくら辛辣でも芽榴は楽しく聞いていられる。
「あ、そーだ」
「どうした」
芽榴が歩きながら何かを思い出したようにポンと手を叩く。その様子を翔太郎は訝しげに見下ろしていた。
「あのテディベア、ちゃんと棚の上に飾ってるよー」
芽榴が翔太郎を見上げてニコリと笑う。そのテディベアが何であるかを察し、翔太郎の顔は突如として真っ赤に染まり上がった。
「貴様、わざとだろう!」
「いや、ちょーど思い出したから……」
「思い出すな!」
翔太郎の水族館といえば、直結して翔太郎がくれた人形が頭に浮かぶのは仕方のないこと。
あのプレゼントは真理子も予想外だったらしく、水族館から家に帰って、真理子に見せるとなぜか芽榴以上に喜んでいた。
実際、真理子が可愛いと絶賛するほどのテディベアをこの仏頂面が作ったのかと思うと、翔太郎には悪いがやはり面白い。
そういうこともあって、翔太郎としてはあの人形を作ったこと自体、彼史上最大の羞恥というべき事態でもあるのだろう。
「ごめんごめん」
芽榴が謝っても、翔太郎は他所を向いたまま返事はしない。それでも変わらず芽榴の隣を歩いているのだから、本気で怒っていないことだけは確かだ。
不器用の照れ屋は相変わらずだな、などと思いながら芽榴は翔太郎と静かに歩いて回る。
そうしてゆっくり時が過ぎて、舞子たちと合流するのだった。
修学旅行編も残すところあと10話、くらいです!4月からだいぶ長引いてしまい、すみません!今月中には修学旅行編終わらせる予定なのでお付き合いください!




