227 ツーショットと負け犬
「水、綺麗だねー」
芽榴は眼下に広がる綺麗な水を眺め、のんびりとした口調でそう呟く。
芽榴と風雅は特に何をするでもなく、2人で美しい運河に沿って歩いていた。
「写メ撮ろっかな。風景だけってのもあれだし、芽榴ちゃん入ってよ」
風雅はそう言って、綺麗な風景とともに芽榴を写真に収める。さりげなさを装って、しっかり可愛い芽榴の姿を自分のスマホに保存した。
「私も撮ってあげるよ」
嬉しそうな風雅の姿を見て、よほどこの風景を気に入ったのだなと思った芽榴は風雅にそんな提案をする。しかし、芽榴の姿を撮りたかっただけであるため、風雅は後ろめたい気持ちを感じながら断った。
「せっかくなんだし、撮ればいいのに」
「まあ、そうなんだけど。でも自分の写真を保存したくないっていうか……」
よく分からない言い訳でやり過ごそうとする風雅に、芽榴は首を傾げる。しかし、そんな2人の様子を近くで見ていたらしい新婚夫婦が芽榴たちに話しかけてきた。
「よかったら写真撮りましょうか?」
見知らぬ人に親切にされ、芽榴は素直に感動する。けれど今風雅が「自分の写真を保存したくない」と言ったばかりだ。夫婦の心遣いは嬉しいが、芽榴は首を横に振った。
「いえ、大丈」
「お願いします!」
しかし、断ろうとした芽榴の声にかぶせて風雅が頭を下げるとともに自らのスマホを夫婦の目の前に差し出した。
「は?」
「え? あ……えぇっと……ほらっ! せっかく撮ってくれるって言ってるんだし!」
芽榴が目を細めたことで自分の発言を思い出し、風雅は「ヤバイ」と慌て始めるが、すぐに最もらしい言い訳を口にした。風雅からしてみれば芽榴単体の写真も欲しいが、自分とのツーショットなど喉から手が出るほど欲しいに決まっている。
なんとなく風雅が考えてそうなことが分かって、芽榴は大きなため息を吐いた。
隣を鼻歌を歌いながら歩く風雅を芽榴は横目でジッと見つめる。
「蓮月くん」
「ん、何?」
「スマホばっか見てると危ないよー?」
芽榴は先ほどからスマホをいじって悩んでいる風雅にそう注意しつつ、風雅のコートの裾を引っ張った。特に風雅は道路側を歩いているため、心配になる。
「メール?」
「ううん。待受どれにしようか考えてる」
風雅はそう言って「どっちがいいかな?」と芽榴に尋ねてきた。意見を求めるほどのことなのかと思いながら画面に視線を向け、芽榴はピタリと固まった。
「候補はこれとこれなんだけど」
そう言って風雅が見せるのは、もちろんさっき撮った芽榴単体の写真とツーショット写真だ。
「どっちも却下」
「それはないよ!」
芽榴が困り顔をしてみせても、これだけは譲れないらしい。再び風雅は画面を見て悩み始める。どちらでもいいと芽榴は思うのだが、風雅の中ではいろいろ思うところがあるようだ。最終的には「どっちも待受にすることはできないの?」という芽榴の質問により、その考えを忘れていた風雅はハッとした顔で画面ごとに分けてどちらも待受にしていた。
「それにしても……オレってホントに写真写り悪いなぁ」
今度はツーショット写真をマジマジと眺めて風雅は自分に厳しいコメントを残す。しかし、写真の風雅を見た芽榴は首を傾げながら素直な意見を口にした。
「別に、いつも通りかっこいいよー」
芽榴に深い意味はない。それを風雅も分かっているが、風雅は言われた瞬間に顔を赤くした。
「芽榴ちゃん、素でそういうこと言うのやめて……」
「あー、嫌だった? ごめ」
「違う違う! そうじゃなくって、ああもう……っ、すっごく嬉しいから! でも照れ臭いの!」
顔から火が出そうなほどに風雅の顔が赤くなる。けれど対する芽榴の顔は透き通るように白い。
「言われ慣れてるでしょー?」
「そうだけど……芽榴ちゃんは滅多にそーいうこと言わないでしょ!」
「……言われてみれば、そーだね」
確かに芽榴がわざわざ「かっこいい」という言葉を風雅にかけてあげることはない。何せ、芽榴の前にいるときの風雅は泣いていたりニヤけていたり、まともな顔をしてることも少なければ、することもかっこ悪いことばかりなのだ。言わない以前に言う機会すらない。
「オレなんて、顔だけなのに……。顔もダメだったらもうどうしようもない」
そんな自虐を言って風雅はため息を吐く。
そして切り替えるように視線を再び画面に戻すのだが、やはり写真の中の自分の顔が気に入らないらしい。ついには「もっとかっこよく写れるようになりたい」などと本当にガッカリした顔で言い始める始末だ。芽榴からしてみればモデルのバイトをしていた男が何を言っているのかとツッコミたくてならないのだが。
「そんなにガッカリするなら消せばー?」
あまりに落ち込んでいるため、芽榴はそんなことを提案してみるのだが、もちろん風雅の顔がサーッと青ざめた。
「消さないよ。芽榴ちゃんとのツーショットだよ? たとえオレが半目だったとしても消さない!」
「それは、さすがに撮り直そうよ」
そんなふうに楽しげに会話を弾ませ、芽榴と風雅は仲良く観光をする。風雅は話題を広げてくれるため、2人のあいだに沈黙が訪れない。
楽しい時間を2人で過ごし、そろそろ舞子たちと連絡をとろうかと話し合っているところで、芽榴の動きが止まった。
「芽榴ちゃん? どうし……」
固まった芽榴の視線を追うと、そこには班行動中の山本がいた。
芽榴は慌てて風雅に意識を戻そうとするが、今度は風雅が山本に視線を向けたままでいる。滝本が知っていたくらいだ。やはり風雅もあのことを耳にしているのだろう。そう、芽榴は直感した。
「あ……」
そして山本もどうやらこちらに気付いたらしい。山本と行動している男子班も芽榴と風雅を見てソワソワし始めた。
気まずすぎるその状況を回避するためには、どちらかがこの場から離れるしかない。芽榴は風雅のコートを掴んだ。
「蓮月くん、行こう」
「……うん」
足早に芽榴は男子生徒たちの横を、そして山本の横を通り過ぎようとする。しかし、その瞬間山本は本当に小さな声で悪態をついた。
「最もらしいこと言ってたけど、所詮顔いい奴の隣歩きたいだけだろ」
山本の班メンバーもさすがに驚いたらしく、山本と芽榴に視線を向ける。しかし、山本の辛辣な言葉をまったく気にも留めていない様子で、芽榴は山本の横を通り過ぎていく。表情は変わらない。冷静にまっすぐ前だけを見ている。
そんな芽榴の隣で、風雅が山本の腕を掴んだ。
「な……っ」
「芽榴ちゃんに、謝りなよ」
山本は風雅の腕を振り払おうとするが、風雅の力が強すぎて振りほどけない。芽榴は風雅を止めようとするが、風雅の本気で怒っている顔に、思わず口を閉ざしてしまった。
「蓮月、やめろって。山本も!」
芽榴の代わりに山本の班の男子が止めに入るが、効果はない。
「は? なんで……俺がっ」
「芽榴ちゃんにひどいこと言ったから」
風雅らしくない、冷たい声が響く。
芽榴が何とも思っていなかったなら、本当に気にも留めずに通り過ぎていったなら、風雅も山本をこんなことは言っていない。けれど風雅はほんの一瞬でも、山本の言葉で芽榴の腕に力がこもったことに気付いていた。
「酷いのは、楠原のほうだし。お前には関係ねぇだろ。仲良いからっていちいち入ってくるなよ」
山本は再度放せと言わんばかりに腕を振り、そんな彼の姿を冷めた目で見つめながら風雅は山本から手を放す。けれど山本は謝ろうとはしない。それに苛立って、風雅は文句の口を開いていた。
「芽榴ちゃんへの告白が上手くいかなかったからって、そういう態度とるわけ?」
風雅が包むことなくズバッと指摘し、周りがざわつく。芽榴も慌てた様子で、風雅の腕を引っ張った。
「蓮月くん、もういいから!」
「……っ、ち、ちげーよ!」
意地になった山本は風雅を睨みながら否定してみせる。けれどその視線は泳いで定まろうとしない。山本の嘘は見え見えだった。
「じゃあ芽榴ちゃんに突っかかる理由を説明してよ」
嘘を分かっていて、風雅は山本を追い詰める。普段の優しい風雅ならそんなことはしない。どうやら風雅は本当にキレているらしく、山本の班メンバーも気圧されて山本から一歩後ろに離れた。
「……はっ、顔がいいと得だよな? そういうことしても様になるし、楠原に好き好き好き好きバカみたいに連呼するのも許されるもんな」
山本の侮辱の矛先が風雅へと移る。ともなれば、芽榴も黙っているわけにはいかないのだが、口を出そうとした芽榴を風雅が制した。
「顔は関係ないでしょ」
「ないわけないだろ。何回も告るとかキモいし、普通は避けられる。俺みたいなのは一回の告白さえまともに聞いてもらえねーのに、お前は顔がいいから受け入れられてるに決まってんだろ」
異常なまでに容姿にこだわる山本に違和感を覚えながらも、芽榴は顔を顰める。けれど今の芽榴に反論することはできない。山本の告白を聞かなかったのは芽榴で、その芽榴が今何を言っても山本を逆上させてしまうだけなのだ。
だから芽榴をかばうように、風雅が山本に相対する。
「芽榴ちゃんを、人の顔しか見てないみたいに言わないでよ」
「だって事実じゃ」
「それが事実なら……オレが初めて『好き』って言ったとき、無視して教室出て行ったりしてないでしょ!」
風雅の大きな声が響き、芽榴も山本も山本の班員も目を丸くする。それどころか、街を歩く一般人さえもが風雅に視線を向けていた。
言った後に、その発言が自虐すぎることに気づく。でも放った言葉は戻らないため、風雅はやけになってどんどん言葉を重ねた。
「オレだって、芽榴ちゃんに『好き』って伝えられるまでに何回も拒否られて無視されて……」
それでも最初の頃は何度も廊下を走って逃げる芽榴を追いかけた。そのことを風雅は懐かしく感じる。その分だけ、芽榴との距離が縮まったということだ。
「それ以前に、オレが芽榴ちゃんの前でカッコ良くいられたことなんてないし。……泣いたりニヤけたり、ほんとどうしようもないくらいかっこ悪いとこしか見せられなくて……」
落ち込みそうになりながらも、風雅は言葉を続ける。自虐でもなんでも言いたいことは、言わなければならないことはこの次だ。
「だから少なくとも、芽榴ちゃんが今オレと一緒にいてくれるのはオレの顔目当てじゃない。それに、一回拒否されたからって相手のことを悪く言うようなヤツにオレは中身だって負ける気ないよ」
風雅はそう言って、山本のことをまっすぐ見つめた。とても自慢できた話じゃない。けれど芽榴を守るためなら、メッキでできた自分の威厳などどうでもいい。それが風雅の譲れない持論だ。
「蓮月くん……」
「……っ」
山本が言葉を詰まらせる。それが決着だ。山本ももう言い返す言葉もなく、風雅も優しい顔つきで芽榴に視線を向ける。それを合図に、そもそもの原因である芽榴は山本を前にし、改めて頭を下げた。
「あの……山本くんに失礼なことをしたって後から気づいて……昨日のことは謝ります。あと、山本くんが嫌なら告白はなかったことにしていいよ。……私は遮って最後まで聞かなかったんだし、告白じゃないと言われればその通りだから」
芽榴は困り顔でそう言った。というのも、元々その予定で告白を遮ったつもりだったからだ。山本の気持ちを聞いたところで気持ちに答えられない。それなら、山本のためにも告白させないほうがいい。
けれど、山本のためを思ってしたことは山本本人には伝わらず、自ら告白したことを他人に言いふらしてしまうにまで至った。芽榴が不様な告白の始終を広める前に自らに都合のいい結論を言いふらそうと思ったらしいが、その時点で芽榴のことを分かっていない。
そんな男に芽榴のことを『好き』と言う資格もない。
恥ずかしくなった山本は顔を真っ赤にして、班の人とそのまま行ってしまった。
その後ろ姿を見て、芽榴はドッと疲れが押し寄せてしまい、その場にしゃがみこんだ。
「……あんなに怒られると思ってなかった。巻き込んじゃってごめんね」
安堵と疲労と申し訳なさ、いろいろな感情のこもる溜息を吐いて、芽榴は風雅に謝った。けれど風雅は優しい顔で芽榴の横にしゃがんで「芽榴ちゃんのためなら全然」と笑ってくれた。
「てゆーか、あそこまで山本クンが絡んできたのはたぶん来羅のせいだよ」
思わぬ風雅の発言に芽榴は目を丸くする。
「え?」
「来羅が今朝言ってたんだ。山本クンが芽榴ちゃんにフラれたこと根に持って悪口言ってたからボロクソに言っちゃったって」
風雅いわく、山本は昨日芽榴と話した後からずっと芽榴の悪口を言っていたらしい。山本と同じクラスの来羅の耳にもそれは届いており、来羅はその時点で山本が芽榴に告白してフられたことまで知っていたとのこと。けれど今朝、来羅の近くで食事をしていた山本が芽榴のことを『化粧しなきゃ可愛くないくせに、性格悪すぎ。俺すっかり騙されてた』と言ったのだという。
「で、来羅が頭にきて『あんたみたいな顔フツーの男こそ、そんなに性格悪かったら絶対モテないでしょうね。さすがるーちゃん、見る目あるわぁ』って言っちゃったんだって」
「来羅ちゃん…」
そういうわけで山本はさっきあんなにも容姿にこだわっていたのかと芽榴も察してしまう。
「でも、来羅ちゃんもかばってくれたんだね。あとでお礼言っておかなきゃ」
「まあ、聞いてたのが来羅でよかったよ。颯クンや有利クンが聞いてたら山本クン今ごろヤバイことになってる」
風雅が苦笑まじりにそう言い、芽榴は「ハハハ」と青い顔で笑った。その『ヤバイ』については深く追求しないことにした。
「それより、芽榴ちゃん」
「んー?」
お互いに立ち上がり、向かい合う。風雅を見上げると、風雅はどこか嬉しそうな顔をしていた。
「山本クンの告白を聞かなかったのは、山本クンの気持ちに答えられないって分かってたからなんだよね」
「……うん」
その言い方だと、あまりにも上から目線すぎるため、芽榴は少し不満げに眉を下げる。けれど意味としては正しいため、否定はできない。
「それが?」
「好き」
風雅が本当に嬉しそうな顔で、告げてくる。少し悪戯っぽく響く「好き」の言葉に、芽榴が首を傾げると風雅はヘヘッと笑った。
「オレ、芽榴ちゃんに好きって伝えられるから、まだ芽榴ちゃんがオレに答える気があるって思ってもいいんだよね?」
つまりはそういうことだ。さっきの話の流れだと風雅がそう捉えてもおかしくない。というより、それが事実だ。
芽榴は「しまった」と自分の浅はかな発言を後悔するとともに顔を赤くして、慌て始めた。
「そーいうことじゃ……っ、でも、山本くんのはそうだったんだけど……。いや、でもさっきのは……っ」
必死な顔で風雅に「そういう意味ではないのだ」と伝える芽榴は、いつもの冷静な芽榴の欠片すらなく、見ていてとても可愛らしい。
「芽榴ちゃん、好き」
風雅が優しい顔でもう一度そう言う。それはさっきの試すための「好き」ではなく、本当の「好き」だ。言われ慣れた「好き」でも、想いはいつも詰まっている。
素直に、他の誰でもなく芽榴のことが好きだと風雅は伝えてくれる。
比べるように、瞬時に浮かんだのは今朝の颯の顔だった。困ったような、呆れるような顔を彼はしていた。
「やっぱりダメだね……私」
俯く芽榴に、今度こそ「やりすぎた」と目の前で風雅が焦り始める。けれどそんな風雅に、芽榴は「違うよ」と言って苦い笑顔を向けた。
「こういうこともちゃんと分かるようになろうって思ったのに、思った途端間違えちゃった……」
不思議そうな顔の風雅に芽榴は小さな声でつぶやく。
「神代くんの『好きな人』が自分なのかもって……少しでも勘違いしちゃった自分が恥ずかしいや」
綺麗な運河を見つめ、芽榴は眉を下げた。
「…え?」
それを聞いた風雅は目を大きく見開いて、何も言えなくなっていた。
はぐれデートの終わりはそんなふうに歯切れ悪く、静かなものだった。




