226 追いかけっこと根回し
朝食を終え、芽榴たちは今日の行動予定である小樽へと向かった。麗龍貸切のバスで移動し、現地に着いたところで先生たちから解散の合図がかかり、班行動が始まった。
「水原さんたちどこ行っちゃったのかなー?」
「あ、あっちにいる。行こ、芽榴」
芽榴は舞子と一緒に班の子が集まっている場所へ向かおうとする。しかし、その途中で背後から滝本に腕を掴まれた。
「おい、楠原…って、うわっ」
芽榴が振り返ると、滝本は頓狂な声をあげて咄嗟に芽榴の手を放す。驚かれる理由に心当たりがないわけではないが、想像以上に驚かれたため芽榴は困り顔で笑った。
「滝本。何よ、その反応。失礼ね」
「だって楠原が休日でもねぇのに化粧とか珍しすぎだろ!」
舞子にジト目で見られ、滝本がそんなふうに反論する。滝本の言うとおり、芽榴は化粧をしているのだ。
「今朝してたか?」
「ううん。バスの中で水原さんたちにお願いされて……」
「はあ?」
ますます滝本は意味が分からないと顔を顰めた。
芽榴はいつも通り何もせずにバスに乗り込んだが、今日班行動を共にする「水原さん」たちに化粧をするようお願いそれ、バスの中で舞子から化粧道具を借りて今に至るのだ。
「水原がなんで楠原にそんなこと頼むんだよ」
「あ、私理由分かりました」
滝本の後ろから委員長が顔を出す。委員長は滝本たちと男女混合班で、滝本のことを探していたようだ。
「ズバリ、楠原さんの顔で男性を寄せ付けてナンパされよう大作戦ですね」
眼鏡を輝かせ、委員長がニヤリと笑う。滝本はそんな委員長を半目で見るが、対する舞子が「その通り」と感心するように手を叩くと、再び頓狂な声をあげた。
「まー……こんなので寄せ付けられるわけないんだけどねー」
芽榴が頬をかいて恥ずかしそうにマフラーで口元を隠した。しかし、滝本はそんな芽榴を見てさらに目を細めた。今でさえバスから降りた芽榴を見て、男子がざわついているのだ。役員の存在を知らない怖いもの知らずのナンパ男が放っておくわけがない。
「……植村、楠原から離れんなよ」
「あんたが心配するようなことにはならないわよ。芽榴に何かしようものなら役員がどこからともなく飛んできそうだから」
「それ以前に楠原さんがボコボコにするでしょうね」
心配そうな滝本を安心させるように、舞子と委員長が滝本の肩を叩いて物騒なことを言ってのけた。
「えーっと……。あ、滝本くん。何か用だったんじゃないのー?」
反応に困って視線を彷徨わせると、ふと滝本が自分を呼び止めたことに対する疑問が浮かんで、芽榴は首を傾げながら尋ねた。すると、滝本は「あ」と声をもらして頬を赤らめる。
「え」
「い、いや、その……別に気にしてるとかそんなんじゃねえんだけど、山本が楠原に告ったとかなんとかC組のやつが言ってたから」
滝本の目が泳ぐ。しかし、舞子と委員長は初耳なその情報に目を丸くし、すぐに告白された張本人に目を向けた。
「楠原さん、そうなんですか!?」
「なんで言わないの!」
「え、あ…だって告白されてないっていうか……未遂で終わったっていうか、終わらせたっていうか」
「「「は?」」」
芽榴の意味不明な弁論に3人の声がハモる。昨日山本に呼び止められて翔太郎が乱入したことまで説明すると、3人とも山本がいるであろうC組の群れを哀れむように眺めた。
「でも、滝本が知ってるってことは役員の耳にも入ってるだろうねぇ。その話」
舞子は芽榴を横目に見ながら肩を竦める。
「それがどーかしたの?」
「楠原さんをかっさらうのはナンパ男じゃないかもですね」
「はい?」
舞子と意思疎通したらしい委員長が楽しげにそんなことを言う。
「委員長、それどーいう……」
「舞子、楠原さん! 早く行くよー!!」
「滝本ーっ! 委員長に迷惑かけんなぁーっ」
互いにいろいろ追求したいことはあるが、それぞれ班のメンバーに呼びかけられ、芽榴と舞子、委員長と滝本は別々の行動に入ることになった。
そうして班行動が始まったのだが、現在芽榴たちの班は街をまともに歩けないでいる。水原の予想通り、否、予想を上回る勢いで男性に声をかけられるのだ。
「楠原さん効果偉大すぎる……」
「偉大っていうか、異常」
男性陣に囲まれ、班長水原がつぶやくと舞子が半目でそれに答えた。囲まれているとはいえ、視線は隣にいる少女にしか向かっていない。
これが、ナンパされないよりも辛いことだと班員は今さら気づくが時すでに遅し。
もはやナンパではなく記者会見に近い勢いでお茶に誘われている。
「その制服って東京の麗龍?」
「めっちゃ頭いいじゃーん」
「東京の話とか聞かせてよ」
質問攻めにあい、当の本人は目を回す。元々人と話すのが得意ではない芽榴からすれば、この状況はかなり苦痛だ。できれば早急に誰かに助けてほしい。来羅でも通ってくれれば自分には見向きもしないだろうなどと考えている芽榴だが、おそらく来羅が現れても半分はこの場に残るだろう。
「すみません。修学旅行中なんで」
「えぇー、いいじゃんいいじゃん。何かの縁ってことで?」
そんな軽口を叩いて、一人の男が芽榴の腕を掴む。反射的に男を投げ飛ばそうと芽榴は掴まれた腕を捻って相手の手を掴み返した。
「え」
「きゃああああっ! 待ってぇぇえええ!」
男が目を丸くするのと同時、少し遠くから女子の奇声とものすごい足音が聞こえ始めた。
その異様な雑音になんとなく安心感を覚え、芽榴の手が止まる。
「なんだ?」
「うわぁ、予想的中かな、これは」
「舞子、何笑ってんの」
班員も男共も訝しげに雑音のほうへ目を向ける中、舞子は一人クスクスと楽しげに笑っていた。
雑音が近くなるにつれ、その姿も浮かび上がる。芽榴が男たちに囲まれるのと同様、その雑音の中心人物も同じくらいの数の女子に追われている。
「あれ、風雅くん!?」
班員もその正体に気づく。後ろに大量の女子を引き連れ、風雅がこちらへと走ってきているのだ。なぜ単独行動なのかはさておき、このままでは歩道が大混乱に陥る。
「舞子ちゃん」
「ん?」
「連絡は蓮月くんのスマホにお願いします」
「え? ああ、うん。了解」
芽榴の一言で舞子には芽榴のしようとしていることが伝わる。班長水原は首を傾げているが、舞子の返事を聞いた瞬間、芽榴は掴んでいた男の手に力を込めてふわりと跳び上がった。
「よい、っしょ!」
そして周りを囲んでいる男たちの真上で宙返りをし、見事塞がれていた退路を切り開いた。一歩間違えれば男の渦に落ちて大惨事だったが、さすがは芽榴というところか。
突然な芽榴のアクロバティックな行動に男たちは唖然とし、数メートル後方にいる風雅は「め、芽榴ちゃん!」とヒステリックになっていた。
芽榴はそのすべてを無視して走り出した。
後ろの様子を伺いながら、しばらく走り続ける。周囲の視線は感じるものの、今はそんなことを気にしている場合ではない。
曲がり角で右に横切ると、すぐそこの右側に細い路地へと繋がるもうひとつの道があり、芽榴はすぐさまそこに身を隠す。
それから少しして、息切れした美男子がキョロキョロと目を回しながら現れたが、彼は路地に気づかずに通り過ぎようとした。
「蓮月くん!」
「……っ!?」
そのまままっすぐ走ろうとした風雅を、芽榴が引っ張って自分が隠れている細い路地に引き摺り込んだ。
すると同時に曲がり角を横切った女子がそのまままっすぐ直進して行き、辺りが一気に静かになった。
人の気配がなくなり、細い路地に横並びになって安堵のため息を吐いた。おそらく芽榴の倍の距離を走ったのであろう風雅は疲れてその場にしゃがみこんだ。
「はぁ、は……っ」
着ているコートを脱いで、風雅は手でパタパタと自分をあおぐ。顔にはうっすらと汗をかいていて真冬とは思えない状態だ。
でも前にもナンパ途中で風雅が現れ、こんなふうに路地にやってきたことがあった。少し違うものの、似た情景を思い出して芽榴の口元が少し緩んだ。
「クリスマスのときと似てるね」
風雅のことを上から見つめ、芽榴は静かにそう言った。芽榴の声に反応した風雅が顔を上げると、芽榴は微笑みかけ、それを見た風雅はすぐに顔を下げた。
「れん……」
「お、オレ、走って顔赤くなってるから!」
必死な声でそう言われ、芽榴はキョトンとした顔で困ったような返事をした。
「それより、蓮月くん。班の人は?」
「え? えっと、それは……」
芽榴は当然のことを聞いたのだが、聞かれた風雅はギクリとあからさまに肩を揺らす。上からは風雅の顔がイマイチよく見えないが、それでも風雅が焦っているのが芽榴には分かった。
「蓮月くん。まさか何も言わずに単独行動したとか……」
「そ、それは違うよ!」
風雅が慌てて否定すると、芽榴は風雅と同じようにしゃがみこんだ。
「じゃあ、どーしたの?」
今度はもう少し優しく尋ねてみる。すると風雅は「ああ……っ」と情けないため息混じりの呻き声をあげた。
「『芽榴ちゃん追いかけるから、ごめん』って言って……そのまま芽榴ちゃん探して走ってきた」
班の人たちの許可は聞いていないと風雅は言う。それは無断で単独行動を始めたのと同じではないか。そう芽榴が言おうとすると、風雅がその前に言葉を挟んだ。
「でも最初はちゃんと班行動してたんだよ!」
「最初って……まだ班行動始まって30分くらいしか経ってないよ」
風雅が芽榴を探し走っていた時間も考えれば、風雅が班の人と一緒にいた時間は10分くらいしかない。
「またなんでそんな意味分からないことしたのー?」
芽榴が困り顔で尋ねると、芽榴よりもさらに困った顔で風雅が見返してきた。
「……芽榴ちゃんが悪い」
「はいー?」
風雅が恨めしげに芽榴を見つめる。けれどその視線に恨みの感情がこもってるはずもなく、芽榴は思わず風雅の頭を撫でていた。
「芽榴ちゃん……」
好きな子に頭を撫でられるのは嬉しいけれど、格好悪い。入り乱れる感情を押し殺して、風雅は深呼吸をしつつ頭にある芽榴の手を握った。
「なんで化粧なんかしてるの」
風雅が少し低い声で尋ねてくる。一番答えにくい質問をされて芽榴は言葉を詰まらせた。すると芽榴の微妙な反応を見て、風雅の顔が一層険しくなった。
「あのね……あー、待った。芽榴ちゃんは勘違いするから、まず先に言っておくけど……化粧はすごく似合ってるし、すごくカワイイよ。うん、カワイイ。てかかわいすぎる! だから問題なんだよ!」
冷静な口調は最初で終わり、最後はほとんど叫んでいる。芽榴は泣きわめく勢いで喋る風雅に圧倒されながらも彼の話に耳を傾けた。
「芽榴ちゃんは化粧しなくても十分可愛いのに! なのに……バスから降りたら化粧してるし」
いろいろ訂正したいところもあるが、風雅がバスに乗る前も後もしっかり芽榴の姿をチェックしていたことに、芽榴は驚く。B組はF組のバスから遠いところに停めてあったはずなのだが。しかし芽榴がそのことを深く考える間もなく、風雅のヒステリックが度を増していく。
「男子みんな芽榴ちゃん見てるし、カワイイとか言ってデレデレしてるし!」
「そんなことな」
「でもそれだけならオレだって我慢するけど、写真撮ろうとしてるヤツいたし!」
芽榴に弁論する暇も与えず、風雅がどんどん言葉を重ねていく。写真のことに関してはご丁寧に『オレが片っ端から邪魔したけど!』と風雅が付け加えてくれた。それでも風雅の知らないところで誰かが芽榴を撮っているかもしれないと風雅は叫ぶ。
「それでイライラしてたのに、滝本クンが芽榴ちゃんのクラスの委員長とナンパがどうのこうのって話してるの聞こえてきて……っ!」
そこまで言って、またモヤモヤしてきたらしく風雅は「ああ…っ」と髪を掻きむしった。
「ごめんね、芽榴ちゃん」
「なんで謝るのー?」
今度はしおらしくなって風雅が芽榴に謝る。コロコロと変わる風雅の表情に少しばかり楽しさを感じながら、芽榴は風雅の隣で小首を傾げてみせた。
「だってさ……オレは芽榴ちゃんの友達でしかないのに、ヤキモチ丸出しでキモイし……てかカッコ悪い」
言葉にすると余計にそう思えてきたのか、風雅はさらに落ち込んでしまう。顔を膝に埋めて自己嫌悪に陥る風雅を見て、芽榴はやはり優しく微笑んだ。
「蓮月くん、ありがとね」
「なんで!?」
芽榴の言葉に風雅がガバッと顔をあげる。今の流れのどこに感謝するところがあったのか、風雅が疑問を顔に表すと芽榴はカラカラと楽しげに笑った。
「やりすぎだけど、要するに蓮月くんは私を心配してくれたんでしょ? だったらやっぱり『ありがとー』だよ」
「……芽榴ちゃんっ」
芽榴らしい優しい言葉に風雅の目が輝く。単純というか素直というか、風雅の態度は本当に分かりやすい。
「でも、とりあえず班の人にちゃんと連絡とって」
けれど、しっかり芽榴は風雅にやるべきことを促す。芽榴の言うこととなれば風雅も逆らえない。というより、逆らおうという気すら起こらないらしく、素直にスマホを取り出した。スマホを見てみると、班のメンバーから着信がたくさん入っていて風雅は「うわっ」とスマホを取り落としそうになっていた。
「あ、植村さんからもメールきて……る」
「どーしたの?」
舞子からのメールを読むと、風雅が固まった。不思議に思った芽榴が風雅のスマホを横から覗こうとすると、風雅が素早い動作でスマホを隠した。それが余計に不審で、芽榴が顔を顰める。
「なに……」
「あ、いや、えっと、なんか逆方向にいるみたいで、合流するの大変だから……しばらくオレといてって」
風雅が舞子からの伝言を芽榴に伝える。しかし、それを聞いた芽榴は少し考えるようにした後、首を横に振ってそれを拒否した。
「それだと蓮月くんの班の人に迷惑になるからいいよ。私、舞子ちゃんたちと合流する」
「えっと、オレの班の人も遠くにいるらしくって、合流すると時間削れるみたいで、だからオレの班も大丈夫!」
「……それほんと?」
あまりにも都合がよすぎる話であるため、芽榴は訝しむように風雅を半目で見た。
「ほ、ホントだよ!!」
風雅がそう言い、芽榴はジッと風雅を見つめる。風雅もそれに答えて芽榴のことを見つめるが、芽榴の無表情な顔を見てゴクリと唾をのみこんだ。その様子から少なくとも風雅の真剣さが伝わったため、芽榴もそれ以上の追及はやめることにした。
「じゃあ、せっかくだし、2人で観光しよっか」
「うん!」
風雅は両手をあげて「やったー!」と本当に素直に喜び始め、そんな風雅の姿を見て芽榴は困ったように肩を竦めた。
どこに行こうか観光案内を考える芽榴の横で、風雅は舞子への返信をうつために舞子から送られてきたメールを再びスマホの画面にあげる。
『風雅くんの班の人から連絡あって、風雅くんは無事芽榴を見つけてうちらの班と合流したことにしといた。今の芽榴は風雅くんといたほうが安全だろうから、しばらく2人で行動してて。いい時間になったら連絡ちょうだい。がんばってね、風雅くん』
1回目読んだときはとりあえず舞い上がって何も考えていなかったが、冷静になって2回目読むと、舞子の手際の良さに感嘆してしまう。
「ありがとうございます」
「……何やってるの?」
スマホに向かって頭を下げている風雅を、芽榴は心配そうに見つめていた。




