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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
修学旅行編
249/410

224 贈る言葉と未来予想図

 翔太郎と途中で別れ、松田先生の部屋にやってきて早30分。クラスメートに言われていた通り、誰にでもできる雑用をわざわざ押しつけられた芽榴は文句を胸の奥に閉じ込め、無心で松田先生のパシリ業をこなしていた。


「先生、プリント元に戻りましたー」


 バラバラになったプリントを順番にまとめあげ、最後にクリップで止め直し、芽榴は松田先生の目の前にプリントを置いた。


「おう! 早いな。助かった!」

「じゃあ、部屋に戻ります」

「あー、待て待て」


 立ち上がろうとした芽榴を松田先生がそう言って止める。芽榴は訝しむようにしながら、上げかけた腰を再び畳の上におろした。


「まだ何か残ってるんですかー?」

「ん、いや。そうじゃないんだが……」


 いつもは適当な態度の松田先生が妙に改まった様子で目の前に座っている。違和感だらけの先生の態度に、芽榴はなんとなく松田先生の考えていることが分かった。


「留学の件、一言も報告しなくてすみませんでした」


 芽榴がそう言うと、松田先生は少し驚きつつ「ああ……」と小さく返事を残した。


「楠原。お前は進路調査でも、留学の話はまったく書いていなかったから……。お前の実力から考えればありえないことじゃなかったが、その、やっぱり驚いた」


 H大学など、芽榴の中でさえほんの数週間前に決定した進路だ。元々、進路調査に中堅大学しか書いていなかった芽榴が役員になってやっと最難関のT大学を書き込むようになった程度。 松田先生が驚くのも仕方のないことだ。


「まさか俺の教え子が、東條グループの後継に選ばれるなんて、夢みたいな話だが……いまだに実感がわかなくてな。最後まで楠原には担任らしいこともできないままで。……やっぱりダメだな! これじゃ鼻も高くできん!」


 そう言って松田先生はガハハハと苦い笑みを貼り付けて大きな声で笑ってみせた。きっとそれは松田先生なりの寂しさと申し訳なさの混ざった反省なのだろう。


 そんな頼りない様子の先生を見て、芽榴はクスリと微笑んだ。


「そんなことないですよ」


 芽榴の言葉に、松田先生は不思議そうな顔をする。いつも根拠のない自信に満ち溢れた先生が、そんな顔をしていることがやはり芽榴には面白かった。


「確かに、先生は担任らしいことはしてませんけど」

「うっ」


 芽榴の容赦ない言葉に先生は表情を曇らせるが、芽榴はすぐに続きの言葉を付け加えた。


「私は松田先生が担任でよかったって思ってます」

「そ、そうか?」


 松田先生は疑いの目を向ける。それだけ松田先生は芽榴に対してろくなことをした覚えがないのだろう。実際、芽榴が松田先生に頼るというよりは松田先生が芽榴に頼っているのが基本姿勢だ。


「先生が初めてでした。私が頑張って結果だして、ちゃんと喜んでくれた先生は」

「はあ? それは別に他の先生も……」

「今はそうですけど、昔は違ったんですよ」


 芽榴はそう言って薄く笑みを浮かべたまま視線を落とした。思い出すのはどれも、芽榴の能力値の高さを認めたがらない教師たちの姿ばかり。この学園に来るまで、それが当たり前だった。


 もしも松田先生じゃなく、他の誰かが担任だったとしても麗龍の教師はみんな喜んでくれたのかもしれない。でもそれは結局結果論から見た推測で、本当のことはたった一つ、松田先生は芽榴の実力を疑うことなく認めてくれたということ。

 一度も芽榴に疑いの視線を向けず、それどころか芽榴を頼りさえしてくれた。


「だから私は先生の生徒でよかったって心からそう言えます。……それで十分じゃないですか?」

「楠原……」

「じゃあ、私もう行きますね」


 芽榴はそう言って立ち上がる。扉に手をかけると、もう一度松田先生が「楠原」と軽く呼びかけた。


「はい」

「俺も、お前の担任になれて嬉しかったぞ」


 どこか清々しい顔で松田先生はそう言う。その言葉が嬉しくて、芽榴は扉の向こうに消えて行きながら自然に笑顔をこぼしていた。








 夕食をすませ、入浴時間がそれぞれの班ごとに訪れている頃。

 一人、班員とは別行動をして広間で水を飲んでいる人影があった。


「……ぎさん、――柊さん」


 名前を呼ばれ、来羅はハッと水の入ったペットボトルを口から離した。


「あ、あら有ちゃん」


 目の前に現れたお風呂上りと思しき有利の姿を見て、来羅は少し上がり調子の声で有利の呼びかけに答えた。


「珍しいですね。柊さんがそんな格好でいるのは」


 有利がそう言って、机を挟んで来羅の向かい側に腰掛けた。有利は少し湿った髪をタオルで拭きながら、ウィッグをつけていないありのままの来羅の姿に視線を向ける。


「みんながお風呂終わったらすぐに入れるようにね」

「――――大変ですね」

「まあ、仕方ないわよ。分かっていても、私の裸見て気分を害さない男子はいないでしょ」


 来羅は平然とした顔で有利に言い、有利もまた否定できないために口を閉ざした。


 来羅が男であると連想させるような行為を周囲の人間(主に男子生徒)は好まない。だから来羅は学園でも生徒会室隣の男子トイレしか使わないし、いまだに男子の制服をまとわずにいる。

 母親の縛りがとけても、まだ世間の縛りが薄く残ってしまっていた。


「楠原さんも心配してましたよ」

「え?」


 有利の口からいきなり芽榴の名前が出てきて、来羅は少しだけ驚いてしまった。


「柊さんが旅行中も女装してるの、大変じゃないかって言ってました」


 有利は初日に芽榴と交わした会話の一部を思い出しながら告げた。


 来羅の女装が定着している今、誰も気づかない大変さを芽榴は気遣って、誰もしてくれない心配をしてくれる。


 その優しさは来羅の心に刺さるほど沁みていた。


「泥沼だなぁ……」

「柊さん?」


 来羅の不審な言葉に有利は首を傾げる。そんな有利の不思議そうな顔に答えるようにして、来羅は有利の名を呼んだ。


「……ねえ、有ちゃん」

「はい」


 来羅はペットボトルの中、揺れる水面を見つめて薄く笑む。元気のない来羅の姿を訝しみつつ、有利は来羅の言葉に耳を傾けた。


「私、やっぱりるーちゃんが好き」

「……知ってます」


 有利は面食らってしどろもどろになりながらもそう答える。けれど来羅はその有利の反応に言葉を返さず、自分の話の続きを口にした。


「私ね、本当のこと言うと……いつでも引けるって思ってたの。るーちゃんのこと」


 来羅の芽榴への想いは本物だ。けれど、いつだって来羅は一歩引いたところにいて、誰かに譲っていた。譲ることができた。


「でも、初めて思っちゃった……」




――仲良しごっこも終わりにしなきゃ――




「るーちゃんを譲りたくないな……って」


 芽榴に告白まがいなことをした颯に、素直に「頑張ったね」と言えなかった自分を思い出しながら来羅は悲しげに目を伏せる。黒紫色の髪が来羅の切ない想いを描くように小さく揺れた。


 颯から昨晩その事実を聞いてからというもの、来羅はずっとそのことを考えてはその綺麗な顔に影を落としていた。

 自分の思い通りにいかない歯がゆい感情が心に募って蟠りを残す。その感覚に苛まれ、今に至っていた。


「……何か、ありました?」


 そんな来羅のことを心配するように有利はゆっくり小さな声で尋ねる。

 その問いに答えるのは簡単。でも、それを口にしていいか迷った来羅はやはりその事実を告げることをやめていた。


「ううん。別になぁんにもないよ。……ただ」


 戯けたような返事の後、来羅は少しだけ改まる。真面目な顔つきで、今度はまるで呟くようにして口を開いた。


「もしるーちゃんが、たとえば有ちゃんと両想いになったとして……素直に祝福できそうにない自分が情けなくて」


 来羅は自嘲ぎみに言う。そんなことはもうずっと分かっていた。でもずっと、どこかで平気な気がしていた。それなのに、その未来が近くなると、途端に心が締め付けられる感覚に来羅は陥ってしまった。


 寂しそうに笑う来羅の姿を見て、有利も視線を微かに落とす。そしてすぐに有利にしては大きな溜息を吐いた。


「そんなの、僕は最初からですよ」


 有利はほんの少しだけ照れ臭そうに小さな声でそう言って、荒々しい様子で髪の水気をタオルで吹き飛ばした。


「祝福なんてできませんよ。たぶん僕がこれからどんなに頑張ったってそんなできた人間にはなれません」


 感情の乗らない平然とした顔で有利は淡々と告げる。


「でもきっと、辛いのは楠原さんに選ばれなかったほうだけじゃないですよ」


 選ばれたほうは選ばれなかったほうの想いを考えて辛くなる。そう考えればどっちにしたって辛いのは同じだ。


 心からの祝福なんてできやしない。それができたらきっと、こんなに辛い想いはしていない。でもそのまま態度ごと変えて掌を返したら、幸せを掴んだはずの2人まで辛くなる。


「祝福はできませんけどその代わり、僕は楠原さんと相手の方の前に変わらない態度で立っていようって、それだけは決めてます」


 祝福できなくとも、その現実から目を背けなければ話は違う。大事なのは「一緒に喜んであげること」じゃなくて、「その事実を受け止めてあげること」なのだ。


 それが、芽榴を好きになってしまった有利の決めた、起こりえる未来への決め事。


「有ちゃん。それかっこよすぎじゃない?」


 有利の言葉を理解して、来羅はクスクスと楽しげに笑う。すると有利も「やっぱり難しいですよね」と困ったような顔をした。


「それなら口だけの祝福を言う方が簡単よ、きっと」


 そうは言うけれど、なれるものなら有利の言うような男になってみたいとも来羅は思った。


「そんな私になれるかな……」


 さっきまで重かった心は少しだけ軽くなって、自然と来羅は有利にいつもの元気な笑顔を向けていた。

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