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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
修学旅行編
244/410

219 思い違いと願い事

 琴蔵家の別荘は予想していた通り、大きくて綺麗な造りをしていた。


 家の中を我が家のごとくして歩き回る慎に芽榴はついていく。聖夜のいる部屋に導かれながら、ふと慎が背後の芽榴に顔だけ振り向いた。


「何ですか?」

「……別に。聖夜の部屋、ここだから」


 どこか歯切れ悪く慎が答える。慎の視線は何かを芽榴に訴えていたけれど、芽榴にはそれが読み取れなかった。訝しげに芽榴は慎を見つめるが、慎は芽榴の追求の目から逃れるようにその扉を開けた。


「……失礼します」


 芽榴は最後まで慎の顔を見つめながら中へと入っていく。けれど慎が読めない笑みを崩すことはなく、芽榴はそのまま部屋の中にいる聖夜へと視線を向けた。


 大きな窓の縁に腰掛け、外の風景を眺める聖夜は大人びていて、そしてやはりどこか寂しげだった。


「……遅い」


 不機嫌に聖夜が一言そう告げる。聞いた芽榴は困ったような顔をし、背後から中に入ってきた慎はケラケラと笑った。


「これでも早かったほうだぜ? ったく、せっかちだなぁ〜、聖夜ちゃ」

「うっさいわ。お前は黙っとれ。イライラする」


 戯けた様子の慎に聖夜が鋭い視線を向ける。すると慎は「はいはい」と笑って、部屋の隅にある本棚のほうへと足を進めた。


 慎が隅っこの椅子に腰掛けて本を読み始めると、実質的に部屋の中は芽榴と聖夜だけの空間になる。


「すみません。抜けるタイミング見つからなくて遅くなりました」


 芽榴が頬をかきながらそう言うと、聖夜は小さく溜息を吐いた。


「そないなことで……ほんまに怒っとるわけないやろ」


 聖夜はいまだ窓の外に視線を向けたまま、芽榴と視線を交わそうとはしない。芽榴にはそれが偶然ではなく意図的なもののように感じられてならなかった。


「まあ、座れや」


 聖夜にそう言われ、芽榴は視線を少し先に設置されているソファーへと向けた。座る場所とすれば、慎の座る椅子を除けばそれくらいなため、芽榴はそちらへと足を進めた。


「旅行、楽しそうやな」


 文化祭のときも聖夜には似たようなことを言われた。あのときと同じような仕草と声音に、芽榴は苦笑する。


「はい。参加できるとは思ってなかったので、楽しいというよりは嬉しいって気持ちのほうが大きいですけど」


 椅子に座って芽榴がそう言うと、聖夜は面白くなさそうに小さく息を吐いた。


「お前が麗龍の旅行に参加できんかったなら、俺が個人的に連れて行ったる」


 冗談みたいな言葉も聖夜は本気で言ってしまうため、芽榴は反応に困って、ただ笑って誤魔化した。


「あんまり私を甘やかしちゃ駄目ですよ」

「甘やかそうとしても甘えんくせに、よう言うわ」


 聖夜は拗ねたように答える。今日部屋に入ってからずっと芽榴の前で不機嫌を隠さない聖夜に、芽榴は肩を竦めた。


「琴蔵さん」

「なんや?」


 いまだ聖夜は芽榴と目を合わせない。聖夜が不機嫌な理由を芽榴はなんとなく分かっていた。


「琴蔵さんが怒ってるのは……私の留学の話ですか?」


 芽榴がそう口にすると、聖夜の肩がピクリと揺れる。聖夜の素直な反応を見て、芽榴は視線を綺麗な深紅のカーペットに落とした。


「琴蔵さんは、喜んでくれると思ったんですけどね」

「……喜ぶ?」


 聖夜が眉を顰め、芽榴に視線を向ける。少しきつい聖夜の視線を受けながら、芽榴は静かに言葉を続けた。


「留学がうまくいけば……約束通り、私は琴蔵さんと同じ場所に立てますから」


 楠原芽榴として聖夜と同じ場所に立ってみせる。それは芽榴がクリスマスイブに聖夜と交わした約束だった。聖夜もそのことを忘れてはいない。


「せやな。嬉しかったで。でも……それが簡単にうまくいくことやないって、俺は分かっとる」


 それでも芽榴ならばちゃんとやり遂げる。そう聖夜は分かっていた。分かっていたからこそ、芽榴がそのために今まで以上に辛い荷物を抱えることも目に見えていたのだ。


「……お前がこれ以上身削らせる必要はないやろ」


 辛そうにそう言って、聖夜は窓の縁に預けていた腰を上げ、芽榴のほうへと歩み寄る。

 そうして芽榴の前にしゃがみこんだ聖夜は、芽榴の頬に優しく触れた。


「留学なんてせんでも、全部簡単にうまくいく方法があったのに、なんでお前はそれを選ばんやった?」


 その質問に、芽榴の瞳が揺れる。芽榴がみんなの元を離れずに、すべての折り合いをつける方法は確かにもう一つだけあった。そしてその方法を、芽榴は何より拒んだ。


「俺のとこ来れば、全部丸く収まるのに、なんでお前はそれを選ばんのや」


 歯がゆそうに聖夜は言う。聖夜と婚約するという、何より簡単で祖母も望んだ一番芽榴が苦しまずに済む条件を、芽榴は拒否した。それを聖夜は知っていて、それが納得できなくて聖夜は芽榴を追いかけてきたのだ。


「……琴蔵さん」


 芽榴は頬に触れる聖夜の手を掴む。そして自らその手を引き剥がした。


「そうまでして、辛い道を選んだ理由はなんや」


 芽榴に引き剥がされた手を一瞥し、聖夜は悲痛で顔を歪ませながら言葉を重ねる。


「……そないに俺と一緒になるんが、嫌やったんか」


 聖夜が導いた自問自答はただの思い違い。けれど、そう思い込んだ聖夜は誰より自分を傷つけていた。そしてその思い違いを正すことができるのは芽榴しかいない。


「……違いますよ、琴蔵さん」


 あのとき祖母の前に立っていた芽榴は、聖夜と結婚したいしたくないを考えていたわけではなかった。ただ単純に聖夜を巻き込みたくないという思いだけがそこにあった。


「琴蔵さんに助けてもらうのは、一番簡単そうに見えて、私には一番難しかったんです」


 そう芽榴が答えると、聖夜は顔を顰めた。苦しそうな聖夜の顔を見つめる芽榴もまた苦しそうな顔をしてしまう。


「琴蔵さんを利用してまで、私は楽になりたいとは思いません」


 生まれたときからずっと今でさえ重荷を背負い続ける聖夜に自分という重荷まで背負わせたくない。その思いは芽榴の聖夜に対する精一杯の優しさと敬意の表れだった。


「……なんや、それ」


 けれど聖夜は利用という形でもいいから芽榴にそばにいてほしかった。その思いを分かってほしくて、聖夜は芽榴に引き剥がされた手を今度は芽榴の腰へと回した。


「お前になら、俺は利用されても構わへん。お前だけが俺を利用してもええのに……」


 ギュッと力をこめて聖夜が芽榴を抱きしめる。切なげな声音とは裏腹に、聖夜の腕は強く芽榴を求めていた。


「琴蔵さん、苦し……」


 息が苦しくて、芽榴は聖夜の腕から逃れようとする。しかし聖夜はそれを許してはくれない。


「お前の優しさが……今は辛いわ」


 誰にも真似できない芽榴の優しさを、聖夜は好きになった。けれど今、聖夜を悲しませるのはそんな芽榴の優しさに他ならない。

 聖夜は芽榴の感触を確かめるように芽榴の首に自分の顔を埋める。同じとき芽榴の視界の端で、本に視線を落としていた慎が静かに顔をあげるのが見えた。


「琴蔵さん、私だって同じですよ」


 聖夜の熱い体温を感じながら芽榴は言葉を続けた。


「私のせいで琴蔵さんにこれ以上身を削ってほしくないって思ってます」

「……お前のせいで俺が身を削いだことなんてあらへん」

「ありすぎですよ。何言ってるんですか」


 聖夜の無理な言葉に、芽榴は苦笑混じりに返事をする。芽榴のために危ない橋を渡って、本家に謹慎になることもあって、芽榴が聖夜に募らせた感謝の気持ちの分、聖夜の身が削がれたと言っても過言ではない。


「けど俺はそれを嫌や思うたこともないし、俺が好きでやっとることや」

「……そうだとしても、それじゃ私が駄目になるんです」


 芽榴はそう言い、聖夜の胸を押した。


「……私はアメリカに行きます。今度こそ自分の足で立って、前向いて歩きたいですから」


 これ以上聖夜の優しさに甘えてしまえば、一生芽榴は一人で歩けなくなる。それでは何の意味もない。


「だから私が琴蔵さんにする最後のお願いは……『応援してください』って、それだけです」


 強く揺るがない意志を見せるために、芽榴はニッコリと笑ってみせた。曇りない綺麗な笑顔を見て、聖夜に告げられる文句は何一つ残らない。


「……アホ」


 聖夜は悔しげにそう呟いて、深く息を吐いた。


「最後になんか……させへんわ」


 続けて聖夜はそう言って、芽榴の頭に触れる。そしてくしゃくしゃになるくらい芽榴の髪を撫でてかき乱した。


「こ、琴蔵さん?」


 乱れた髪を直しながら、芽榴は困ったように聖夜に視線を向ける。すると聖夜はゆっくりと芽榴の前に立ち上がった。


「お前が願うんやったら……応援でもなんでもする。お前が辛くなったらアメリカやろうがどこやろうが会いに行ったる。そんでもってお前がこっち側に戻ってきたとき、壁にぶちあたったら俺がお前を支えたる」

「でも、それじゃあ……」

「あーーーーうっさいわ、アホ。俺の後ろ盾でもないと新参者のお前は潰されるに決まっとるやろ」


 芽榴の反論をかき消して聖夜が意見をぶつける。聖夜の意見は正しいため、芽榴もその先の反論の言葉が浮かばなかった。


「俺が頼れって言うとるんやからありがたく頼れや」


 強気に言って、聖夜は芽榴の額に優しくコツンと拳をぶつけた。


「せやから……最後とか言うな」


 芽榴に背中を向けて、聖夜は小さな声でそう言った。聖夜に言われて芽榴も思い出す。「最後」という言葉はひどく寂しくて怖いものだった。

 それは聖夜も同じなのだと知って、芽榴は「ごめんなさい」と困ったように笑った。


「琴蔵さん」

「なんや」

「今日、琴蔵さんに会えてよかったです」


 芽榴がそう言うと、聖夜の頬が赤く染まる。視界の端で、慎が安堵したように肩を竦めて再び本に視線を落としていた。


「会うたびにそう思えよ」

「ははっ、そうですね」


 暗い空気は消え、芽榴の笑い声が部屋に響く。慎の笑い声には怒る聖夜も、芽榴の笑い声は心地よさそうに柔らかい表情で聞いていた。

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