212 男気とペース
ゴンドラを降り、芽榴は雪景色を見渡して白い息を吐き出す。来羅と一緒に自分たちを取り囲む風景を「綺麗」だと言って笑っていると、有利と翔太郎も同感しながら後ろにやってきた。
「……それにしても、寒いな」
翔太郎はそう言って体を摩っている。芽榴はそんな翔太郎の様子に苦笑して、先ほど翔太郎から借りたカイロを返した。
「無理して私に貸さなくてもよかったのにー」
カイロを貸してくれたとき、翔太郎は「寒くない」と言っていたが、あれは翔太郎の強がりだったのだと気づく。芽榴が困ったように笑うと、翔太郎は罰が悪そうに他所を向いた。
「別に、下にいたときは寒くなかった」
「普通に震えていましたよ」
あくまで強がる翔太郎だが、有利が冷静にツッコミを入れると有利のことを恨めしそうに睨んだ。
「まあまあ、スキーしたらいい感じに温かくなるんじゃない?」
「そだねー」
そんなふうに言って4人は滑り降りる準備を始めた。
その頃、滑り降りた先の雪の平地の上では雪戦争が激化していた。
「避けるなーっ! 男だったらぶつけられろーっ!」
そんなふうに叫びながら風雅は手を振り回すようにして慎に雪を投げる。がしかし、慎はそれらすべてを楽しげに避けてかわしてしまうのだ。
下手な鉄砲も数撃てば当たると言うが、まぐれでも風雅の雪玉は慎に当たらない。
「俺、別に男気とかねぇからぶつかる必要なーし」
ヘラヘラと笑って慎は再び投げられた風雅の雪玉をかわし、林の中から持ってきた慎特製の雪玉の一つを掴み、風雅に投げつけた。
風雅はそれを顔面で受け止め、声にならない叫び声を上げる。すると慎は楽しそうに声に出して笑った。
「いやあ〜、さすが馬鹿男くん。男らしいねぇ。マジ尊敬〜」
加えて風雅を煽るような言葉を残す。
慎の挑発にのった風雅は再び雪玉暴投マシーンと化した。
一方、隣で戦っている2人はというと、こちらも結果は分かりきっているが、相変わらず『麗龍の皇帝』の異名を持つ男が恐ろしい。
「くっそ……」
雪の上にしゃがみこんだ聖夜は悔しげに呟く。黒い笑みを浮かべた颯はそんな聖夜の目の前に立って、まるで野球ボールのようにして雪玉を手の平で転がしていた。
「いい加減ギブアップしたらどうだい?」
「黙れや、鉄面皮」
聖夜はそう吐き捨て、颯を睨み返す。
そんな慎と風雅、聖夜と颯の様子を気にして生徒たちがどんどん一点に集まってきていた。その不審な様子に気づいて、やってきたD組・E組の先生たちは風雅だけでなく颯までもが事件を起こしていることに驚いていた。
「蓮月! か、神代まで! 何をやってるんだ! そ、その方はもしかして……っ」
颯の前に立つ人物を見て、教師陣の顔が青くなる。彼らの記憶が正しければ、その人物はかの有名なご子息様なのだ。教師陣は慌てて颯と風雅を止めようとするが。
「先生、すみません。うちの生徒を勝手に攫いだそうとしている非常識な人を見つけたものですから。すぐに終わらせるので気にしないでください」
満面の笑みかつ有無を言わさぬ声音で颯が告げる。バックに「言うことを聞け」と書いてある颯に先生たちは唾を飲み込んだ。
「神代……し、しかし……っ」
「ああ、申し訳ないですが……麗龍の先生方」
止めに入ろうとする教師陣を次に制するのはしゃがみこんでいる聖夜だ。ギロリと聖夜に睨まれ、教師2人組は石になってしまう。
「そちらの生徒が目上への口の聞き方が分かっていないようなので僕のほうから直々に教育させてもらいます。手出ししないでいただけますか」
言葉は丁寧なものの、聖夜から放たれるオーラは殺伐としている。
恐ろしすぎる2人の気迫に先生たちも生徒たちも後退してしまい、結局再び颯と聖夜だけの空間ができあがってしまった。
「あーあー、お隣さんの迫力がありすぎて俺たち空気になってんじゃん」
慎はつまらなそうに言って風雅の雪玉を避ける。いい加減、疲れを感じ始めた風雅はゼーハーと荒い息を吐いて動きを止めた。
「風雅くん、大丈夫かしら」
「でも風雅くんと雪合戦してる人もかっこいい……」
空気になっていると慎は言ったが、女子生徒の視線は風雅と慎に向かっている。
風雅のバカ丸出しの光景も女子ビジョンにはイケメンの戯れにしか見えないのだから、世の中はイケメンに優しい。
「お前んとこの蓮月風雅は、もうギブアップなんとちゃうか?」
聖夜は雪投げが止まった隣を見て呟く。しかし、颯はそちらを見ることなく聖夜を見下ろした。
「風雅の根性をなめないほうがいいよ。それにギブアップは君のほうでしょ?」
「うっさいわ。お前ほんま性格悪すぎやろ。たまには俺みたいに我慢覚えて、少しくらい芽榴を渡したらどうや。芽榴の彼氏でもないくせに偉そうに……」
聖夜の言葉に颯の顔が歪む。その微妙な颯の表情の変化をついて、聖夜は颯に雪玉を投げつけた。
颯はハッとして雪玉を避けるが、ギリギリ雪玉が頬を掠めてしまった。
「……彼氏じゃないのは、君もだろう?」
颯は頬についた雪を払いのけて、聖夜を睨みつける。
颯と聖夜の戦いを観戦する野次馬たちには、もはや2人の姿がゴーッと音が鳴りそうなほどに全身から敵対心マックスの炎を放出しているかのように見えた。
と、雪も溶かしてしまうような熱い戦いが行われる麓とは正反対に、山頂では芽榴たち4人組が準備を終えて仲良く滑り降りていた。
「来羅ちゃん、あともう少しー」
傾斜の緩やかなところでブレーキをかけて止まっている芽榴は後ろを振り返ってゆっくり滑り降りてくる来羅に声をかけた。芽榴の元に降りてきた来羅は芽榴に手を取ってもらう形でうまくそこにブレーキをかけて止まった。
「わあ、やっぱりるーちゃん上手ねぇ」
「そーかな? 藍堂くんのほうが上手だよ」
そう言って、芽榴は翔太郎とともに滑り降りてくる有利を指差す。やはり元々の運動神経がいい有利は美しいフォームでブレーキをかけて芽榴たちの隣に止まった。
「「おぉー」」
「……どうしたんですか?」
芽榴と来羅は両手を叩いて有利を迎える。その光景が異様で、有利は不思議そうに首を傾げた。
すると、有利の後ろから少しぎこちない様子で翔太郎も芽榴たちと同じ地点に止まる。フーッと疲れた様子で息を吐く翔太郎に来羅が笑いかけた。
「翔ちゃん、お疲れさま」
「……やはりバランスの取り方が難しいな」
翔太郎はそう言ってまた息を吐く。翔太郎にとっては久しぶりのスキーであるため、要領を思い出すまではやはり神経を使って大変そうだ。
そう考えると久しぶりのスキーなのに、難なく滑る芽榴と有利はさすがというものだ。もちろん、颯と風雅もそう。
「まったく、貴様は『ゆっくり滑る』と言ったくせに、勝手にスイスイ滑って……」
芽榴をゴーグル越しに見つめ、翔太郎が少し拗ねた様子で愚痴る。それを聞いた芽榴は「ごめんね」と笑って首を竦めた。
「翔ちゃんってば、拗ねちゃってかぁわいい」
翔太郎の愚痴を耳にして来羅もクスクスと笑う。女装している来羅はともかくとして、芽榴みたく滑れないのは男としてかっこ悪くて快いものではないようだ。
「気持ちは分からなくないですよ。でも楠原さん、スキー上手ですね」
「ほんと? 藍堂くんに言われると自信つくねー」
有利に褒められ、芽榴は素直に喜んでヘラッと笑った。その楽しそうな芽榴の笑顔に有利も柔らかい表情で返し「もう一滑りしましょうか」と提案する。
「じゃあ今度は私が葛城くんのペースにあわせるから、藍堂くんは来羅ちゃんと先に滑り降りてて?」
「そうですね」
上級者レベルの芽榴と有利がそれぞれ翔太郎と来羅のペースにあわせてもう一度滑り始める。
「葛城くん。疲れたときは言ってね」
滑り出す前に芽榴は翔太郎に告げる。休憩しながら降りようと言う芽榴に、翔太郎はやはりどこか不満げな顔をした。
「……疲れてなどいない」
小さな声でそう言う翔太郎は強がりを隠すように、口をキュッと結んだ。
「うん。そーだね」
芽榴は笑って、翔太郎の前を滑り出す。
何度も立ち止まっては翔太郎のほうを振り向いて、翔太郎が「疲れた」と言わずに済むように、彼が疲れないペースを見つけて芽榴は滑り降りた。
「るーちゃん、優しいなぁ」
「楠原さんのほうが男らしくて困りますよ」
そんな2人の様子を見て、来羅と有利は肩を竦めて笑った。
 




