211 再戦とゴンドラ
林の中から出てきたのは聖夜と慎だった。
2人の姿を見た瞬間、颯は目を眇め、風雅は唖然とした顔でスノボを雪の上に落としてしまう。その様子を見ていた残りの芽榴たち4人組はまた厄介なことが始まるとほぼ同時に額に手を当てた。
「なんでいるの!?」
答えの分かりきった質問をヒステリックな声であげたのはもちろん風雅だ。その反応を聞いて、慎はケラケラと笑いながら口を開いた。
「簡潔的に言うとさ、修学旅行中にあんたらだけ楠原ちゃんと一緒にいれるのが気に食わないって、お隣のご主人の機嫌がすこぶる悪いわけ」
「それで……修学旅行中の女子を攫うつもりですか?」
颯は腕を組んで聖夜に視線を向ける。聖夜の考えをお見通しな颯の台詞に聖夜は唇をガリッと噛んだ。
「攫うんやないわ。芽榴にちゃんと許可とればええ話やろ?」
「芽榴ちゃんが許可しても、オレが許可しないよ!」
風雅はそう言いながら、雪をすくって雪玉を作る。そしてさっきの仕返しと言わんばかりにそれを慎へと投げた。
しかし、飛んできた雪玉を慎はヒョイッと少し体を横にずらして避ける。スキーウェアのポケットに手を突っ込んだままで避けられ、なおかつ「だっせー」とケラケラ笑われてしまい、風雅の怒りは頂点に達した。
「あー、蓮月くん。まず落ち着い……」
「簑原ーっ!」
「あー……」
今度こそ風雅が暴走しないように先に止めに入ろうとした芽榴だが、時すでに遅し。慎に向かって叫ぶ風雅に芽榴は大きな溜息をつく。
例のごとく、颯と聖夜、風雅と慎がそれぞれ火花を散らして対峙しているため、生徒たちもこちらの様子に注目し始めていた。
「るーちゃん」
困り顔で初詣のとき同様どうしたものかと考えていると、後ろから来羅が芽榴の肩をチョンチョンと触った。
「来羅ちゃん?」
「ここ、また戦場になっちゃうだろうから、あとは颯と風ちゃんとあの人たちに任せて私たちは楽しく滑りましょ?」
来羅がそう言って芽榴の腕を引く。しかし、芽榴はまだ4人の様子が気がかりで顔だけ振り向いた。
「毎回だけど、原因因子が我関せずじゃダメな気が……」
「それでいいんですよ」
今度は有利が芽榴の背中を押した。芽榴を戦場から遠ざけるように前から来羅が手を引いて、有利が後ろから肩を押す。もめているあいだに到着したゴンドラのほうへと方向転換すると、翔太郎も共にゴンドラに乗り込もうと合流した。
「あら、翔ちゃんは監視役しないの?」
「愚問だな」
そんなふうに話をしながら、芽榴を連れて来羅たちがリフトの隣に設置されているゴンドラに乗り込んだ。
一方、颯と対峙している聖夜は芽榴を追いかけようと足を一歩前に踏み出すのだが。
「芽榴、待てや……っ、いっ!」
芽榴しか見ていなかったために聖夜は恐ろしい速さで飛んできた硬い雪玉をもろ顔面に食らい、悶絶してその場にしゃがみ込む。
その様子を楽しげに見つめるのはもちろん麗龍の皇帝様で、すでにその手には次の雪玉が用意されているのだ。
「ああ、さっきの仕返しをしようと思ったんですが、手加減が分からなくてすみません」
ニッコリ笑顔で颯が聖夜に告げる。
すると顔を伏せている聖夜の肩が大きくピクリと揺れた。それを視界の端で確認した慎は、笑いを堪えるように両手で口を押さえる。もちろんその間も慎は、夢中で風雅が投げ続ける雪玉をひょいひょいとかわしていた。
「……おい、慎」
「はいよ〜」
聖夜はゆっくりと立ち上がり、赤くなった鼻を押さえながらマックス不機嫌な顔で颯を睨みつける。
「……お前が仰山作っとった雪玉、全部こいつらに投げたれや。ちゃんとガッチガチに硬くしてぶつけろ!」
それを口火に(といってもすでに約一匹は暴走しているのだが)2対2の芽榴争奪雪合戦が幕を開けた。
「雪合戦、っていうか雪戦争にしか見えないんだけど」
ゴンドラから小さくなった下の様子を見つめ、芽榴は小さく呟く。小さくなった颯たちが雪を投げつけあっているのがゴンドラの窓からしっかり観察できた。
「2人は本気で2人はストレス発散を楽しんでるって感じがすごーく伝わるわねぇ」
芽榴の隣で下を見つめる来羅は笑顔でそんなふうに言う。その2人がそれぞれ誰と誰のことなのか分かる芽榴は苦笑した。
有利と翔太郎は反対側の窓から雪景色を見つめ、2人で何やら静かに感想を述べあっている。
下の雪合戦組も2対2に分かれているが、ゴンドラの中もそんな感じで今は2対2に分かれていた。
「天下のお坊ちゃんたちが雪合戦なんて、案外子どもっぽいところあるわよね」
「それを言ったらこっちもでしょー? 蓮月くんはともかく神代くんまで……」
芽榴はそう言って大きな溜息を吐く。安定の風雅はともかくとして、聖夜が関与すると颯まで暴れ出すから厄介だ。
「スキー場にまで来て、滑らずに何をやっているんだか……」
そして聖夜と慎に視線を移し、芽榴は困ったように呟く。
わざわざ北海道に来て、スキー場までついてきて、おまけに林の中に待機して、林の中から出てきたかと思えば雪合戦。聖夜と慎の行動が意味不明すぎて、芽榴はそれ以上考えるのをやめた。
すると、そんな芽榴を見て来羅がクスリと笑った。
「え?」
「今日はいつものるーちゃんで安心した」
来羅はそう言って、長い睫毛を伏せて頬を緩める。芽榴はそんな来羅の顔をジッと見つめ、同時に先日颯に言われたことを思い出した。
「……私、そんなに変だった?」
「え、あ……誰かに、言われた? って、颯しかいないか」
来羅は少し驚いた顔をしたけれど、すぐに颯が芽榴に自分たちの懸念していたことを告げたのだと気づいた。
「変ってことはなかったんだけどね。るーちゃんが楽しそうだったから、ってこう言うと、いつもるーちゃんが楽しくなさそうって言ってるみたいに聞こえちゃうんだけど……そうじゃなくて……」
来羅は芽榴に視線を向ける。
「なんだか、別れ際に『さよなら』するときの笑顔に似てた」
その瞳はどこか不安で濡れていて、芽榴は今この場で彼の視線から逃れることはできないと悟った。
けれど言葉は思い浮かばずに、思いだけが宙を舞って芽榴の心に言い知れない蟠りを残す。
「あの、来羅ちゃ……」
言葉は何一つ考えついていないのに、芽榴は来羅に一生懸命何かを伝えようと口を開く。すると来羅は薄く笑って、芽榴の額をポンっと指先で叩いた。
「颯じゃあるまいし、尋問じゃないからそんなに思い詰めないで」
来羅は優しくそう言った。芽榴の反応で来羅が分かったことは2つ。もし芽榴が来羅の発言を「何それー」と笑いとばしたなら、来羅の発言が本当に勘違い、もしくは事実だけれど芽榴がそのことを隠し続けるつもりだということ。
けれど芽榴は来羅への返答を迷った。それは来羅の発言が勘違いではないということと、そのことを芽榴が隠すつもりはないということの暗示だった。
「待ってるから。るーちゃんの心の準備ができるまで」
来羅の言葉はとても優しくて、芽榴の心はスッと落ち着いていった。
「来羅ちゃん」
いろいろな考えが頭から消える。すると、さっきまで全然出てこなかった言葉はすんなり出てきた。
「私ね、修学旅行初めてだから……絶対いい思い出にしたくて、みんなにも楽しかった思い出でいっぱいにしてほしいから……この一週間は全部忘れて、楽しもうって決めたの」
素直な思いが次から次にでてきて、芽榴は『さよなら』じゃない、自然な笑顔を浮かべられていた。
「だから来羅ちゃん、これは私の我儘なんだけど……」
芽榴はちゃんと体ごと来羅のほうへ向け、来羅の顔を見上げた。
「私に来羅ちゃんとの楽しい思い出も、いっぱいください」
そう言って芽榴はぺこりと頭を下げる。
それは来羅にとって我儘でもなければ、お願いでもない。頭を下げる芽榴を見て、来羅は小さく首を竦めた。
「それじゃなくてもいっぱい作る予定なのに、お願いされちゃったから大変だなぁ」
「え」
芽榴が顔をあげると、来羅はさっきの優しい笑みとは少し違う、ニヤリとした妖艶な笑みを浮かべた。
「るーちゃんが思わず『もういらない』って言っちゃうくらいたっくさん思い出作らなきゃ。みんなに譲ってあげられないからどうしましょう」
唇に人さし指を添えて、冗談っぽく来羅は告げる。
それを聞いた芽榴はクスリと困ったように、でもどこか嬉しそうに笑った。




