200 恋慕と義弟
各組散らばってから数十分が経過する。
誰よりも女子の目を引くその男子は、自分の好きな子の弟を引き連れて人混みを駆け抜けていた。女子の騒ぎ声を無視し、女子が追いかけてこないくらいのスピードで走って、その2人組がやってきたのは古びた宝物庫の近く。幹の太い木が多く立っているため、姿を隠すにはちょうどよかった。
「蓮月、先輩……っ、どうしたん、すか」
やっと離してもらえた圭は息切れしながら、なぜ自分をわざわざこんなところまで連れてきたのか、目の前の人物に問いかけた。
「ごめん、圭クン。疲れたよね。ほんと、ごめんっ!」
圭の質問に答えるより先に、風雅は圭に平謝りする。一つ年上の彼にそこまで謝られると対応に困るため、圭は「別に怒ってないですよ」と逆に風雅をなだめた。
「いや、でも本当に走らせてごめん……。なんていうか、アイツがヤバイこと言い出しそうな気がしたから……」
風雅はそう言って視線を彷徨わせる。彼の言うアイツとは慎のことだ。その言葉が示すとおり、風雅は圭を慎から引き離すためにここまで走らせたのだ。
「ヤバイこと、ですか?」
けれど圭には、ほぼ初対面の慎がヤバイことを言い出したとして、それが自分とどう関係するのか分からない。圭が不審げに顔を顰め、風雅は慌てて手を振り始めた。
「ま、まぁ、あれ! とりあえずアイツにはいつも負けてるから頭突きしてスッキリしたくてっ。でもあんな修羅場に圭クンをいさせたら芽榴ちゃんに怒られるから!」
だから圭を連れて逃げたのだと、そんなメチャクチャな言い訳を風雅は押し通す。
しかし、支離滅裂な言い訳でも風雅ならありえる気がして、圭は疑うことなくあっさり納得した。
「先輩は、本当に芽榴姉が好きなんすね」
そしてそのまま圭が口にした言葉は、風雅の心を複雑なものに変える。でもこのまま何も言わないわけにはいかず、いつもの自分ならどう言葉を返すのかだけを考えて風雅は自然な言動を選んだ。
「……好きだよ。すっごく好きで、この気持ちは絶対……」
――誰にも負けない。そう言おうとして風雅はやめた。負ける気はないけど、それを今、圭に向かって口にするのは間違っている気がした。
「先輩?」
ぎこちない笑みとともに、言葉をやめてしまった風雅を圭は心配そうに見つめる。
「圭クン……ごめん」
風雅は堪えきれずにもう一度謝った。けれど今回の謝罪はさっきの謝罪とはまったく意味が違う。
「圭クンこそ、芽榴ちゃんのことが……好きだよね」
風雅が掠れた声で口にした台詞に、圭は目を丸くする。
でもその動揺が見透かされてしまわぬように、圭はうるさく鳴り響く鼓動を無視して、冷静に口を開く。
「……当たり前ですよ。だって……芽榴姉は自慢の姉ちゃんですもん」
あくまで姉としての〝好き〟を突き通そうと、圭は笑顔で嘘をついた。
その嘘が風雅には手に取るように分かる。だから風雅は余計に悲しそうな顔をして圭のことを見た。
「圭クン。オレにも姉ちゃんがいるんだ。男癖悪いけど、オレにとってはいい姉ちゃんだから、オレも姉ちゃんのことすごく好きだよ。でもさ……」
風雅はその続きの言葉を渋る。それを言ったらどうなるのか、考えても答えは見つからない。見つからないまま、風雅はそれを口にしていた。
「オレは……姉ちゃんが男友達とか彼氏とかと初詣に行ったとしても、何とも思わないよ」
それが普通で、でも圭は違う。さっき颯が圭に「邪魔をしてすまない」と言ったとき、圭は「そんなことはない」と言い切らなかった。もっと言えば、圭は少なからず芽榴と役員が顔を合わせることに複雑な感情を抱いていた。それを風雅はしっかり読み取っていたのだ。
そしてその推測を確信に変えたのが、慎が圭に見せた「姉を好きになった可哀想な弟くん」という同情の視線と笑顔だった。
圭の芽榴に対する恋慕の気持ちは、姉弟としてあり得ていいものではない。でもそれは本当の姉弟だったら、の話だ。芽榴と圭に血のつながりがない以上、圭が芽榴を好きになることに疑問も問題も存在しない。
もうずっと圭が悩み続けている、その関係に風雅が気づいたと分かっても、圭は焦ることも驚くこともしない。彼はただ静かに地面に視線を落とした。
「……だったら、どうするんすか?」
少しの沈黙の後、圭が口にした疑問は風雅を困らせる。
「俺がもし芽榴姉のこと好きだって言ったら、先輩は……先輩たちは芽榴姉のこと諦めてくれますか?」
そう問いかけて、すぐに圭は「無理ですよね」と笑った。でも、叶うならそうしてほしいと思うのは圭の本心に他ならない。
「圭クン……。ごめん」
芽榴に想いを伝えることができる風雅には、圭の気持ちなど推し量れるはずもない。やはり知らぬフリを通すべきだったと風雅は後悔する。
「先輩。今、俺に同情してますよね」
そんな圭の問いかけにも、風雅は図星と言わんばかりにすぐに顔をあげて反応してしまう。馬鹿正直な自分の行動に風雅は苦い顔をするが、対する圭は柔らかい表情で笑顔を見せた。
「でも俺も先輩に同情してるっすよ」
「え?」
圭の言葉を聞いて、風雅の眉があがる。予想通りの風雅の反応も圭は優しい顔で見ていた。
「だって先輩は……先輩たちはみんなで芽榴姉を取り合ってるんですよ?」
役員はみんな芽榴のことを想っている。芽榴がもしその中から相手を選ぶのだとしても、それはたった一人だけ。
「誰も傷つかないなんてないっすよ。先輩たちだって誰かは、もしかしたら全員傷つくことだってありえますし。……ただ俺の場合は前提から傷つくことが決まってたってだけです」
圭は風雅の一つ年下。でも考えていることは風雅よりもはるかに大人びていて、その考え方自体に圭の抱えてきた想いの重さがつまっている気がした。
「オレ……ほんと、圭クンに頭あがんないや」
風雅は苦笑いを浮かべ、自嘲気味に言葉を吐く。
「役員のみんなやアイツらとか……みんな芽榴ちゃんのこと好きになったけど、でもその中で一番最初に芽榴ちゃんを好きになったのはオレで……だからいつか絶対、芽榴ちゃんはオレを見てくれるって、オレはバカみたいに信じてた」
誰よりも長く想っていればいつか実るという、そんな安易な考えで風雅は自分自身を元気づけてきた。でも圭の想いを知った風雅は、自分がこんな狭い世界でしか物事を見ていなかったことを思い知らされた。
「芽榴姉のことを好きでいる時間なら俺が誰よりも長い自信はあるっすよ」
圭はそう言って笑う。ずっと想っていれば届く。風雅が口にした本音は実際に圭が心の奥底で願い続けていることと同じだった。
「もしこの世界が本当は現実じゃなくって、俺がヒーローの漫画とかなら……ずっと芽榴姉のことを想ってきた俺は最終的に芽榴姉に選んでもらえるんすよ」
でも圭がヒーローになるためには芽榴との仲のいい姉弟関係を壊さなければならない。戻れないことを覚悟して、すべてを壊して、それでも芽榴を自分のものにしたいと、それほどまでに強い想いを持った人間がたった一人、芽榴のためのヒーローになれる。
「好きって想いは強くても……芽榴姉に想いを悟られないまま、仲のいい姉弟のまま終わりたいなんて甘いこと考えてる中途半端な俺は、絶対脇役にしかなれないんです」
そう言って、圭は風雅の胸に拳を突きつけた。
「けど先輩はヒーローになる素質はあるんすから、俺の分まで頑張ってくださいよ」
芽榴を取られたくないと思っていても、圭がそう思っているのもまた事実だった。
「圭クン……」
実際、今の芽榴があるのは風雅の存在があってこそだ。だから圭は心からの応援は出来なくとも、少しくらいなら彼の背中を押してあげたいとも思っていた。
「ま、先輩が芽榴姉にフラれたときは類友ってことでよろしくお願いします」
「え、っと、圭クンと友達になれるのは嬉しいけど……それはちょっと……っ」
本音をぶちまけた今、風雅の前に立つ圭には隠すことなど何もない。抱えていた辛い想いが少しだけ浄化された気がして、圭は清々しい気持ちで笑っていた。
「じゃあ先輩、芽榴姉見つけに行きますよ」
「あ、待って! 圭クン! オレ絶対圭クンのお義兄さんになるからね!!」
さっさと屋台通りへと戻っていく圭を、風雅はそんなおバカな発言とともに追いかけていった。




