195 初恋と抱負
12月31日。
たくさんの大切な思い出が詰まった1年がその日終わりを告げようとしていた。
「芽榴ちゃんのお蕎麦〜」
食卓でそんなふうに鼻歌を歌っているのは真理子だ。
「芽榴の作る蕎麦は最高に上手いんだよなぁ。今回は写真を撮ってヤツに送りつけるか」
義娘の美味しい蕎麦を頭に浮かべ、重治は自分の親友への嫌がらせを考える。
「芽榴姉、なんか俺手伝うことない?」
彼らの息子である圭はというと、毎度のことながら義姉に異常なまでの気遣いをしていた。
「うーん、じゃあ蕎麦を食卓に持って行ってー」
そんな家族を暖かい目で見つめ、芽榴は圭にお願いをする。作った蕎麦をお椀に取り分けると、芽榴に言われた通り圭がそれを運んだ。
目の前に現れた毎年恒例の芽榴特製年越し蕎麦を見て、真理子はバンザイをし、重治は有言実行で写真を撮る。
「さて、のびないうちに食べよー」
エプロンを外し、芽榴は圭の隣に座った。椅子に体重をかけ、芽榴はフーッと息を吐く。今日初めて腰を下ろしたといっても過言ではない。今日は蕎麦を麺から作ったり明日のおせち料理を作ったりで、ずっと芽榴は台所に立っていたのだ。
「お疲れ、芽榴姉」
そう言って圭は芽榴の前にお茶を差し出す。「ありがと」と芽榴が笑い、それに照れる圭を見て重治と真理子のニヤニヤは止まらない。
「いただきまーす」
食卓に響く明るい掛け声とともに、今年最後の楠原家の食事が始まった。
「圭と芽榴ちゃんは何時頃神社に行くの?」
蕎麦をすすりながら、真理子が前に座る子ども2人に尋ねる。0時が過ぎて新年を迎えたら芽榴と圭、重治と真理子はそれぞれ神社に向かうことにしているのだ。
「人混み面倒だから年越してしばらくは家にいるよ。母さんたちは?」
「お蕎麦食べたら行くわよ。お参りの後に重治さんと食べる屋台をちゃんとチェックしないといけないからっ!!」
はしゃぐ真理子に対し、芽榴は「夏祭りじゃないんだから……」と苦笑した。
「ってことは……圭と芽榴はこのあと家に2人か」
「……っ」
「そうだねー」
重治の意味深な発言に、芽榴は呑気に返事をし、圭は頬を染める。正反対な反応に真理子はクスクスと笑っていた。
「まぁ、なんだ。戸締まり気をつけるんだぞ」
重治は頬をかいて苦笑まじりにそんなことを言う。言葉を選んだ重治に対し、真理子は肩を竦め、彼女の息子に向かってボソッと呟いた。
「番犬が送り狼にならないことを祈ってるわ」
「祈るな!」
だいたい真理子が言いそうなことを想像できていたのか、圭が真理子の言葉に慌てて突っ込んだ。
「送り狼って……誰が?」
「あ、ああ、あれだよ! 母さんがこのあいだ見てたドラマの話!」
次は芽榴が真理子の発言を言及し始めたため、圭はそんなふうに意味不明なことを言って追求を止めた。
それから蕎麦を食べ終わり、爆弾を投下した真理子は重治とともに一足先に神社へと向かった。
よって家には芽榴と圭が2人きりになる。
「め、芽榴姉」
さっきの真理子の問題発言を意識しないように自分に言い聞かせながら、圭は隣に座っている芽榴に話しかけた。圭に名前を呼ばれ、芽榴はテレビに向けていた視線を圭へと移す。
「えっと、さ……役員さんとのお出かけ、楽しかった?」
なぜよりにもよってその話をふったのか圭は口にして後悔する。少なからずその話題は圭にとって地雷に近いはずなのだ。
「うん。まぁ……楽しいだけってことはなかったけど」
そう言って芽榴は来羅のことや颯のことを思い出す。2人とどこかへ出かけたかった気持ちも芽榴にはあるが、あのときはああなってよかったのだとも思っていた。
「そっか」
満足そうな芽榴の顔から圭は少しだけ視線をそらす。そして深く息を吐いて再び芽榴のことを見つめた。
「でも本当、芽榴姉とこんなふうに落ち着いて話すの久しぶりだな」
「そーだね。最近は家にいる時間が短かったし」
そう言って芽榴は「ごめんね」と苦笑する。
1年前までは、芽榴が友人とどこかへ行くということはなかった。だから長期休暇中はおのずと圭の空いてる日には圭と出かけることになっていた。
でも今年は違った。
そうなるのは当然のことなのに、それを快く受け入れられない。だから圭はそんな自分が嫌になる。
「芽榴姉、ごめん」
「なんで圭が謝るのー?」
芽榴が圭の肩をポンポンッと叩く。すると圭は芽榴の手に優しく触れた。
「俺、芽榴姉にちゃんと友達ができたらいいなってずっと思ってたんだけどさ……。いざできると寂しいっつーか……」
言いながら圭は恥ずかしくなる。でもきっと〝仲のいい友達〟が舞子のような女友達や、芽榴と絶対に友達のまま終わる滝本のような男友達なら、圭がこんな思いをすることはないのだろう。
「なんで芽榴姉の周りには、イケメンしかいねーんだろ」
「……みんなが周りに集まったっていうよりは、私がみんなの集まる学園に入ったってのが正確なんだと思うけど」
「でも周り囲んでる女子なんてたくさんいるのに、それでも芽榴姉を選んだのは役員さんたちっしょ?」
圭が困ったような目で芽榴を見る。その目を見つめ返す芽榴もまた困った顔をしていた。
「圭は……みんなのこと嫌い?」
「嫌いじゃないよ。むしろ、感謝してる」
圭はそう言ってソファーの背にもたれかかる。
「でーも、芽榴姉をとられんのはイヤ」
圭は冗談っぽく言ってニッと芽榴に笑いかけた。ぶちまけた今年最後の本音は、続いて部屋の中に響いた新年を知らせる鐘の音に追いやられる。
「あけましておめでと、芽榴姉」
「おめでとー、圭」
新年の挨拶を2人きりで交わす。「今年もよろしく」と告げて芽榴と圭は笑いあった。
そろそろ神社に行く準備を始めるときになっていた。圭がソファーから立ち上がると、芽榴がその手を掴む。圭は驚いた顔のまま、芽榴のことを振り返った。
「芽榴姉……?」
「ね、圭。圭から私を奪える人なんていないよ」
芽榴が突然そんなふうに言う。それはもう昨年とカウントされる数分前に圭が言った台詞にたいしてのものだ。
「何、言って……」
「昔から私にとって圭との約束は優先事項だから。この先もそれだけは変わらない」
その言葉に圭の胸が高鳴る。確かにそれは事実。これから行く初参りも芽榴は役員に誘われていた。
けれど芽榴は毎年一番最初の参拝は圭と行くと決めていて、今回もそれを覆さなかった。
芽榴にとって今は圭が特別。でももし本当に特別なたった一人ができたなら――。
「芽榴姉……そんなの無理あるって。いつか芽榴姉は……他の人のものになるんだから」
圭はそんなふうに言って苦笑いをもらした。いつかこんな芽榴の言葉を懐かしむ時が来る。それが必然で、そうでなければ芽榴が幸せになれない。
「だとしても、圭と過ごす時間だけは譲らないよ」
芽榴は自信満々にそう言って、ニコリと笑みを浮かべた。ずっと見たかった笑顔を自然と浮かべるようになった芽榴に、圭はどこか憧憬に近い感情を見た。
「そんなこと言ってると、嫁に行き遅れるよ」
「ははっ、かもねー」
圭が肩を竦め、芽榴はのんきに笑った。
「でもその時は俺が芽榴姉の面倒みてあげるから」
今度は真面目にそう言って、圭は芽榴の手を自分の手から剥がし、部屋にコートを取りに行く。
「バカだなぁ……俺」
そう呟く圭は笑っていた。
ずっと初恋の終わりを見たくなくて、先のことばかり考えて憂いていた。
でも気持ちに気づいたときから圭はこの恋が叶わないことを知っている。最初からこの恋に終わりがあることを分かっていた。
だからこそ今このときに幸せを感じなければ損なのだ。
新年の風が圭に与えた新たな感情はプラスの方角に彼を導く。
「今年はもうちょっとポジティブになりますか」
両頬をパンパンッと叩き、圭は今年の抱負を口にする。
終わりが訪れるそのときまで、芽榴が自分に向けてくれる最高の笑顔を目に焼き付けよう、と圭は心に決めたのだった。
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