193 生足と豪雨
外は大雨。殺風景な部屋の中に男女が2人。
「芽榴。とりあえず先にシャワー浴びて」
上半身裸の颯に平然とした顔でバスタオルと着替えのシャツを渡された芽榴は現在思考が停止中。
さてこの一見すると破廉恥な状況を説明するには、少し時間を遡らなければならない。
それは約30分前のこと。
昨日に続き、今日は朝から快晴だった。
天気予報でも降水確率0%とまで言い切ってしまうほどいい天気。
今日の芽榴の格好は白のワンピースに可愛さ重視の黒色コート。足元はニーソにショートブーツで、芽榴の白い肌を引き立たせる組み合わせ。もちろんすべて真理子コーデだ。ちなみに今日のデート相手、颯には電話でしっかり彼の好みな女の子の服装を聞き出したらしく「大人っぽいけれど可愛さのある服装」とのことで、この格好をチョイスしたようだ。
昨日颯から連絡が会ったときもまず真理子が颯と30分くらいおしゃべりをしていた。はっきり言って芽榴よりも仲がいいのではないかと思うくらい颯と真理子は仲良しだ。
そんなことを考えながら芽榴は颯との待ち合わせ場所、中心街にある銅像の前へとやってきた。毎度のことながら待ち合わせ時間20分前。
クリスマスから5日目の今日はクリスマスシーズンというより年末シーズン。街は歳末大売出しで騒がしい。
「明日は大晦日かー」
そう呟いて芽榴は時の流れの速さをしみじみと実感する。そのまま空を見上げると、青い空に白い雲……のはずが、突然真っ黒な雲が綺麗な青空を覆い始めた。
「え」
「芽榴、お待たせ」
同時に待ち合わせ場所へと現れた颯が芽榴の肩に触れる。芽榴が空に向けていた視線を颯に向けると――。
ザーーーッ
雨が降ってきた。しかも雨粒が大きく勢いも強い。周囲もビックリするくらいの予想外な大雨だ。
会ったばかりにして、すでに芽榴も颯もびしょ濡れ状態。
「神代くん」
「芽榴、こっちへ」
颯から手を引かれ、芽榴は彼の後ろをついていく。雨宿りできそうな店の前に来て、芽榴と颯は雨空を見上げた。
「これは……しばらく止みそうにないね」
濡れた髪を掻きあげながら颯が言い、芽榴はハァッと溜息を吐く。
「完全に晴れだと思ってたから折りたたみ傘も家に置いてきちゃった……」
「僕もだよ」
落ち込む芽榴に颯も同意した。とりあえず互いに服が濡れているため、どこの店に入っても迷惑がかかってしまう。そして何より、芽榴の白いワンピースはその色的に濡れたままで着させていたくはない。
颯は水が滴る芽榴の姿を横目に見て、困ったように息を吐いた。
「芽榴」
「んー?」
「僕の家がこの近くにあるんだけど、来る? このままじゃどっちみち動けないし」
颯に言われ、芽榴は少し驚いた顔をする。言われてみれば颯の家の住所は確かこの辺りだった。
「確かに……ここにいてもね。ごめんけど、そうさせて」
芽榴は申し訳なさそうにしながら颯の提案を受け入れる。
颯の家に行くことに際して尋ねておかなければならないことはたくさんあったのに、濡れた身体が気になった芽榴は何も考えずに颯の家へとついて行った。
少し走ると、立地のいいマンションにたどり着いた。エントランスを抜け、エレベーターを使って颯の部屋がある階へと上がり、廊下の奥にある扉へと向かう。扉に鍵を差し込み、颯が扉を開けて芽榴を中へと通した。
「おじゃましまー……す」
玄関に入って芽榴は固まる。同時にバタンと扉が閉まった。颯が鍵を閉める音は、やけに大きく室内に響いた。
「どうしたの? 芽榴」
部屋に入った瞬間、一歩も動かない芽榴を颯が心配そうに見つめていた。
「えっと……ご両親は?」
その質問に、颯の眉が微かに上がる。でも颯はそれを気のせいと思わせてしまうくらい瞬時に笑顔を作った。
「いないよ。というか、一人暮らしだから」
「え」
先に聞いておくべきことだったと芽榴は後悔する。何度か聖夜と部屋で2人きりになることもあったが、あれは慎というクッションがいてこそ成り立ったことだ。彼がいなければ、一人暮らしと分かっている聖夜の家になど行かない。常識的に男女2人きりで部屋にいるのはよくないのだ。
芽榴の思考回路がプシューッと音を立てる勢いでショートした。
「芽榴?」
「帰ります」
そう言って芽榴は踵を返すが、颯がその腕を掴む。外は豪雨だ。
「傘貸してくれるとありがたいです」
「それは別に構わないけど、もっと小降りになってからにしなよ」
もっともな意見に芽榴の言葉が詰まる。
「で、でも……ふ、ふぇ、ふぇっくしょん」
反論しようとした芽榴だが、出てきたのは可愛さの欠片もないクシャミだ。芽榴がグスンと鼻を啜ると、颯は大きな溜息を吐いた。
「あぁ、早く靴脱いで。冷たいと本当に風邪ひくよ。床は別に濡らしていいから」
そう言ってさっさと靴も靴下も脱いで、颯は部屋の奥へと消えた。颯の言うとおりこのまま玄関にいても寒いだけで、外に出ることも許されない。部屋に入るしか芽榴に選択肢はないのだが、いくら床を濡らしてもいいと言われたからといって、濡れた靴下のまま部屋の中を歩くわけにはいかない。というわけで観念して、芽榴は靴を脱いでニーソも脱いだ。
そのまま廊下のところに立って、奥に消えた颯のことを待っていると、タオルを持った颯が芽榴のところへ戻ってくる。しかし、芽榴の姿を視界に入れた颯は目を丸くして、そのタオルを手から落とした。
「芽、榴……」
颯の動揺丸出しの声には耳を傾けず、芽榴は目の前で落ちたタオルを拾う。しかし、颯の歩いた後で濡れた廊下は滑りがよく、颯のところへ歩み寄ろうとした芽榴はツルンッと足を滑らせた。
「え、うぎゃっ!」
やはり色気のない叫び声と共に芽榴は倒れこむ。いつもの芽榴ならしないようなドジを踏んだのは頭がうまく回っていないせいだろう。
「……っ、大丈夫かい? 芽榴」
しかもよりによって芽榴は滑った拍子に颯を押し倒してしまったらしく、彼の上に乗っている状態だ。
「ご、ごめんなさい!」
焦りなのか羞恥なのか、とりあえず慌てた様子で芽榴は颯から離れようとするが、それは叶わない。
「ちょっと、神代くん……っ」
颯が芽榴の腕を掴んで、自分の上に乗ったまま動けないように芽榴を固定しているのだ。
「押し倒したのは芽榴だよ」
「い、言い方!」
芽榴は顔を少し赤くして、颯の言葉に文句を返す。そんな芽榴の反応が可愛くて、颯は少し体を起こして芽榴の耳元に唇を寄せた。
「そんなに焦らなくても……僕はあのお坊ちゃんと違って、キスマークを残したりはしないよ」
そう言って颯が芽榴のうなじに触れる。もう消えてそこにはもうキスマークなどない。そして芽榴自身、そこにキスマークがついていたことなど知らないのだ。
「キス……?」
ワケが分からず、芽榴が首を傾げると颯はクスリと笑って芽榴の頭を優しく撫でた。
そうして、芽榴が暴れ出す前に颯は芽榴のことを解放する。芽榴が飛びのいたのを確認すると颯もゆっくりと起き上がり、ちょうど隣に位置するドアを開けてその中へと入っていった。
ペタリと床に座り込む芽榴は完全に頭の中がまともな機能を果たしていない。
そして次に颯が隣の部屋から芽榴のもとに帰ってきたとき、芽榴の目はこれ以上ないくらい大きく見開いた。隣の部屋――バスルームのほうから再び現れた颯はすでに濡れた上の服を脱ぎ捨てていた。濡れた髪や引き締まった身体をタオルで拭きながら、颯は座り込む芽榴にバスタオルと着替えを手渡す。
「芽榴。とりあえず先にシャワー浴びて」
という感じで今に至るのだ。
シャワーを浴びろと言われても、まず上半身裸の颯に服を着てほしい芽榴は座ったまま、奥の部屋に戻ろうとする颯の手を掴んだ。
「何だい?」
「私、後でいいから。先に神代くんが……」
「芽榴」
芽榴のお願いを掻き消すように、颯が強い口調で芽榴の名を呼んだ。
「自分の格好分かってる?」
芽榴に手を掴まれたまま、颯は芽榴の目の前にしゃがみこむ。颯に言われて、芽榴はやっと自分の姿に目を向けた。
白色のワンピースとはいえ、冬仕様で生地が厚いため、下着が透けるまでには至っていない。が、服が張り付いて体のラインが浮き出し始めていた。
「警戒するなら、ちゃんとそういうところまで徹底してくれないと……襲いたくなるよ」
とどめの一言で芽榴は慌てたように、バスルームに繋がる隣の部屋へと駆け込んだ。
バンッと大きな音を立てて芽榴が扉を閉め、颯はその様子を見て困ったように眉を下げる。
「……生足でうろちょろされるなんて、試されてる気しかしないから」
颯は小さな声でそんなふうに呟いた。
するとバスルームからシャワーの音が聞こえ始めたため、颯は深く溜息を吐いて髪を拭きながら奥の部屋へと姿を消した。
という甘ぁい展開で一旦区切ります。
次回はとうとう颯くんの過去が……っ。




