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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
霜花編
214/410

192 ブサイク魚と仏頂面

 机の上、外した眼鏡の隣に置いているスマホのバイブが鳴る。

 バイブ音からして、メール受信ではなく着信を知らせている。


 翔太郎は宿題に滑らせていたシャーペンを止め、画面に表示されている発信者の名前を見て軽く息を吐いた。


「葛城だ。用件を言え」


 スマホを耳にあて、翔太郎は淡々と告げる。するとスマホの向こう側で『翔ちゃん……』と鼻を啜る音が響き、翔太郎は驚いて目を丸くした。


「柊……どうした?」


 涙声の発信者、来羅を気遣うようにして翔太郎が尋ねる。今日は来羅が芽榴と出かける日だと聞いていた。だから来羅のはしゃいだ声を予想して電話に出たのだが、予想外の状況に翔太郎は動揺を隠せない。


『今……るーちゃんお家に送ったところ。明日のこと、ちゃんとるーちゃんに連絡しなよって……言おうと……』

「そんなことは貴様に言われなくても分かっている。そうではなくて……なぜ泣いている」


 翔太郎は眉間にしわを寄せる。

 風雅ならともかく、来羅が芽榴とのデート後に泣いている理由が気になった。


『……ママがね』


 来羅が語ろうとしている話が単純なものではないと悟り、翔太郎はノートを閉じて真剣に来羅の話に耳を傾けた。


『……だから……るーちゃんのおかげで、ママが少しだけ……ほんの少しだけ、私のこと……認めてくれた』


 そう言って来羅は咽び泣く。今日起きた奇跡を耳にし、翔太郎の頬が緩む。互いに母親から認めてもらえなかった過去を持つからこそ、来羅の喜びは翔太郎の喜びに等しかった。


「……よかったな」

『うん……。幸せすぎて涙が止まらなくて……でも、るーちゃんを楽しませてあげることは、できなくて……』


 もう一度グスンと鼻を鳴らし、来羅が息を吸い込む。


『翔ちゃん、私の代わりに……ちゃんとるーちゃんのこと、楽しませてあげてね』


 来羅からそうお願いされ、翔太郎は固まる。さっきまでの涙で濡れた切ない声とは一変した来羅らしい楽しげな声音はおそらく気のせいではない。


「き、貴様っ」

『約束だからね?』

「馬鹿か、貴様は! そんな約束……」

『えぇ……翔ちゃんってば、るーちゃんのこと楽しませる気ないの? じゃあ明日のデート代わってよ』


 そこまで言われてしまえば、翔太郎も言葉に詰まる。だからと言って「俺が貴様の分まで楠原を楽しませる」なんて恥ずかしさで死ねるような台詞を吐くことなど翔太郎には出来ない。


 翔太郎は眉間を押さえ、ひたすら唸る。その末に発した言葉はやはり不器用なものだ。


「楽しいかどうかは……楠原が決めることだ。俺は知らん」


 予想に難くない翔太郎らしい反応に、来羅は困ったように溜息を吐く。そんな来羅の態度が気に入らず、翔太郎はヤケクソになって声を荒げた。


「それにこれはデートではなく、日頃の感謝を込めた礼にすぎん! 用がないならもう切るぞ!」


 そう言って、翔太郎は来羅の返事も聞かないままブチッと通話を終了する。

 来羅からの羞恥発言要求をかわし、翔太郎は安堵の溜息を吐いた。


 そして頭が冷静になったのを確認し、電話帳のカ行のページをスライドして目的の人物の家へと電話を繋いだ。

 しかし、彼女の母親が電話に出て、羞恥レベルがマックスに達するのはそれからすぐのこと。

 やっと目的の相手に受話器が移ったにもかかわらず、翔太郎は早口マシンガンで待ち合わせ時間と場所を告げてブチッと通話を切ってしまうのだった。







 今週の楠原家は、朝から真理子がハイテンションかつ忙しない。


「うーん、やっぱりこっちのサロペットスカートかな? でもそのタイトスカートも可愛いし……うーん」


 衣装ダンスからたくさん服を取り出して、稀に見る真剣な顔つきで真理子は芽榴に服を合わせている。


 風雅とのデートは今年もらったクリスマスプレゼントの洋服を着ていたため、朝は何の問題もなかった。有利も茶会に行くということで、服装が決まっていたから問題なし。

 しかし、昨日の来羅とのデートからは真理子の気合いが違った。毎年芽榴にクリスマスプレゼントであげていた服や街で見かけて芽榴のために買って隠していた服を全部漁ってオシャレに関心のない芽榴のコーデをしているのだ。


「お母さん……。葛城くんもそんなに、オシャレさんじゃないから」


 母の異常なまでの気合いの入り方に、芽榴は苦笑しつつされるがままになっていた。


「ダメダメ! せっかくお化粧して可愛いのに! せめて今日明日くらいは服もバッチリ決めなきゃ!」


 そう言って、真理子は鼻息荒く芽榴に着替えを要求する。その様子を圭も半目で見ていた。

 芽榴が再び着替えをしに部屋へ戻ると、いまだリビングで服を荒らし続ける真理子に圭が声をかけた。


「母さん。あんま芽榴姉かわいくしすぎると、ナンパとかされちゃって大変なんじゃねーの?」

「あ、それは確かに。でもカワイイ芽榴ちゃんをお母さんも見たいもの!」


 圭の意見に納得しつつ、真理子は肩を竦める。そして次の瞬間にはニヤリと怪しい笑みを浮かべて圭に視線を返した。


「圭だって、芽榴ちゃんとお出かけするときに芽榴ちゃんがオシャレしてきたら嬉しいでしょ? ナンパなんて俺が何とかするさ根性出しちゃうでしょ?」

「どんな根性だよ……」


 圭は呆れ顔で真理子のことを見るが、真理子は楽しそうに笑っていた。


「それに娘には可愛い服を着せてあげるのが夢だったから!」

「芽榴姉は着せ替え人形じゃねーよ」

「ふーん! じゃあ圭と出かけるときは芽榴ちゃんにジャージしか着せないんだから!」


 そう言って恒例の親子喧嘩が始まる。そこへ着替えを済ませた芽榴が登場して、一段と可愛らしい芽榴の姿を見た圭が真理子に謝り、すぐに喧嘩は終了した。





 というわけで真理子のコーディネートにより、芽榴は白のハイネックニットに黒の膝上サロペットスカートで街へとやってきた。ちなみに今日は昨日より早くコーデが決まったからと髪まで巻かれているのだ。


 道行く人の視線が気になる。でも決して自分を見ているのではないと言い聞かせて、芽榴はスタスタと高速で歩く。


「自意識過剰自意識過剰自意識過剰……」


 暗示をかけるかの如くして呟き続ける芽榴はかなり怪しい。

 本人は自意識過剰だと嘆いているが実際のところ、芽榴の周囲5メートル以内の視線はすべて芽榴のものだ。


 自己嫌悪に陥りながら芽榴は俯いて歩く。待ち合わせ時刻20分前。待ち合わせ場所の水族館前に到着した芽榴は顔面をベチャッとぶつけた。


「い……っ!」


 鼻を押さえて前を見ると、紺色のダッフルコートのボタンが目に映る。つまり、相手の顔はさらに上にあるということ。


「女……っ、離れろ!」


 そんなことを考える芽榴の頭上から不機嫌かつ動揺丸出しの聞き知る声が降ってくる。

 芽榴は鼻を押さえたまま困ったように笑って上を向いた。


「早く離れ……っ、楠原……」


 不快感を隠すことなく眉間に皺の寄ったその顔は次の瞬間には真っ赤に染まる。


「葛城くん、ごめんねー。余所見してた。すぐ離れるから」


 そう言って、芽榴はピョンッと飛び跳ねて一歩下がった。同時に翔太郎が「待て!」と伸ばした手は空を切る。


「え」

「な……っ」


 芽榴が大きな瞳で翔太郎を見つめ、その視線で翔太郎の羞恥はマックス状態に入った。


「な、なんでもない!」


 その末、会って数秒にして芽榴は翔太郎に怒鳴られる。


「はいはい、葛城くん。落ち着いてー」

「俺は落ち着いている!」


 そう言って、翔太郎はプイッと芽榴から顔を背けた。そんな翔太郎のことを芽榴が肩を竦めて見つめていると、芽榴に背を向けたまま翔太郎が口を開いた。


「……さっさと行くぞ。こんなところで口論する時間は無駄だ」


 冷静を装って翔太郎が告げる。はっきり言って口論ではなく翔太郎が一人で怒鳴っていただけなのだが。芽榴はクスリと笑い、「待ってー」と翔太郎の隣に並んだ。


「葛城くん」

「なんだ」

「今日はよろしくねー」


 クルンと巻かれた髪が揺れる。芽榴がヘラッと笑い、翔太郎は芽榴に向けた視線をまた余所に向けて眼鏡のブリッジを押し上げた。






 翔太郎とのデートは水族館。カップルの宝庫のような場所を選んだ翔太郎に、芽榴は昨日から驚いている。


「葛城くん、水族館好きなのー?」


 入場してすぐに、芽榴は首を真上にあげて翔太郎に尋ねた。昨日の電話では「13時に水族館」とだけ告げられて通話を切られたため、追及できなかった疑問を今ぶつける。


「普通だ。どちらかといえば嫌いのほうになる」


 平然とした顔で翔太郎は答える。芽榴が半目になっていると、まずいと思ったのか翔太郎が咳払いを挟んだ。


「父親が会社のゴルフコンペで水族館のチケットを当てたけれど、行く相手もいないから譲られて、俺も貴様以外行く相手がいないからここに……」

「私じゃなくても来羅ちゃんとか、蓮月くんも好きそうだよね、水族館」


 翔太郎の発言に、芽榴が間髪入れずに突っ込むと翔太郎の顔がムスッと怒り顔になった。


「誰がこんなところに男同士で来るか。気持ち悪い」

「でも葛城くん、女の子嫌いじゃん」

「だから貴様を……っ」


 とそこまで言って、自分が次に発しようとしている言葉がいかに大胆なものかを自覚した翔太郎は声にならない叫びを顔いっぱいに表す。


「ど、どうせ貴様と行きたいところなど特にないのだから……合理的に考えて妥当な話だろう。一応貴様の性別は女だからな」


 相変わらず素直になれない翔太郎はそんなふうに言った。冷静さを繕って口にした言い訳は完全に仕方なさで溢れている。


「そーですねー。私が生物学的に女の子でよかったねー」


 芽榴がハハハと半目で笑い、翔太郎は少しだけ「しまった」というような顔をした。




 そんなこんなで出だしからグダグダなデートがスタートしたわけだが。


「うっわー。この魚、葛城くんみたい」


 大きな水槽に近づき、芽榴が指差すのはなんとも言えない仏頂面の魚だ。芽榴は仕返しと言わんばかりにカラカラと笑うが、対する翔太郎は絶望的な顔をしていた。


「これに、似ているだと……っ」

「ここに皺が寄ってるとことかそっくりー」


 仮にも美形役員の一人である翔太郎がブサイク仏頂面の魚と似ているなど、おそらく芽榴以外の女子は絶対に口にしないだろう。しかも無愛想怒りん坊の翔太郎相手にそんな発言をするなど倍返しの罵倒を覚悟しなければならない。


「楠原……貴様のほうこそこのチンチクリンな魚にそっくりだろう」


 不機嫌顔の翔太郎が反対側にある淡水魚の小さな水槽を指差して目を眇める。翔太郎の指し示す方向を見てみれば、阿呆面でやる気のなさを全身から放出している淡水魚がいるのだ。


「あー、でも言われてみれば似てるかもねー」


 芽榴は翔太郎曰くチンチクリンなブサイク魚を見て納得したように呟く。通常時の芽榴が言うならまだしも、今の美少女芽榴が言うとギャグにしか思えない。


「……冗談に決まっているだろうが」


 真剣にブサイク魚を観察している芽榴を見て、翔太郎は呆れるように溜息を吐いた。






 水中トンネルをくぐり、一通り館内の魚を見て回る。その間もブサイク魚を見ては笑う美少女と不機嫌顔の美少年は、たちまち来乗客のあいだでも噂の的となっていた。


「ねぇ、あれじゃない? お似合いカップルって……」

「きゃーっ、あの人すっごくかっこいい。彼女さんいいなぁ」

「やっぱりカワイイって得だねぇ」


 という感じで女性陣は翔太郎のほうを見て頬を緩める。


「あの子、すっげぇカワイイ」

「でも、あの彼氏に勝てる気はしねーよ」

「やべぇな、あれ。腕引っ張ってるけど『あのお魚可愛い』とか言ってんのかな?」


 芽榴を見て男性陣はそんな妄想を繰り広げている。しかし、実際はというと――。


「葛城くん、あれ蓮月くんっぽくない?」

「あぁ、あの落ち着きない見ていて苛々する感じは確かに似ているな」


 本人たちからしてみれば日常会話の延長のような話をしているだけなのだ。周囲が想像しているようなお花が飛び散る会話など一切ない。

 それでも2人が楽しそうにしているため、周囲の妄想はヒートアップするのだった。




 特に面白い話をしているわけでもなく、かといってラブラブな会話をしているわけでもなく、歩き回ること3時間。お土産コーナーのようなところにたどり着き、一応芽榴と翔太郎はその中を覗き見る。


「イルカのストラップかー。お母さん好きかなー?」


 やっと女の子らしいことをし始めた芽榴に、なんとなく翔太郎は安堵する。芽榴は家を出る前に真理子から水族館のお土産を所望されたのだ。


「土産ならこの煎餅に……」

「食べ物は残らないからダメなんだってー。あとお父さんとペアにできるものがいいみたい」


 翔太郎の意見をあっさり切り捨てて、芽榴は母へのお土産として真剣にペアストラップを選ぶ。


「よし、これにしよー」


 5分くらい悩んで、芽榴は最初に手にしたイルカのストラップに決めた。そしてそのままレジに行こうとする芽榴を翔太郎が呼び止める。


「んー?」

「弟には買わないのか?」


 翔太郎の気遣いに、芽榴は驚いたような顔をして、次の瞬間には苦笑していた。


「圭も子どもじゃないし。それに水族館のお土産は女の子から結構もらってるみたい」


 それでも圭なら芽榴が買ってきたものなら先にもらったお土産を放置してでも芽榴からのお土産を大事にしそうな気もするため、芽榴はあえて買わないという選択をしたのだ。


「そうか。貴様は自分に何も買わないのか?」

「えー。まぁ、その葛城くん曰く私似のチンチクリンな魚のぬいぐるみは欲しいかもねー」


 芽榴がそう言って、ちょうど目に映ったぬいぐるみを指差す。偶然にも、さっき翔太郎が強がりで芽榴に似ていると言った魚のぬいぐるみが飾ってあった。


 しかし、それを聞いた翔太郎は焦り顔になり、なぜか真剣な顔で「駄目だ」と言ってきた。


「え?」

「駄目だ。ぬいぐるみは買うな」

「買わないけど……」


 眼鏡を外す勢いで言われ、芽榴は困り顔で返事する。芽榴がぬいぐるみを買わないと分かると、翔太郎は安心するように息を吐いた。


「どーしたの?」

「別になんでもない。ほら、さっさと買ってこい」


 そう言って、翔太郎は芽榴の背中をトンッと押した。





 芽榴がレジから帰ってくると、ちょうどイルカショーが始まる時間らしく、館内に放送が響いた。


「イルカショー……ねー」

「行きたいのか?」


 芽榴が呟くと、翔太郎がそんなふうに尋ねる。女子どもは特に好きそうだと思って聞いたのだが、芽榴は首を横に振った。


「ううん。寒いし、下手したら水かぶるから」


 翔太郎とまったく同じことを考えている芽榴に、翔太郎は目を丸くする。


「それより、ショーで人が少なくなった館内をもう1回見直すほうがいーかな」


 その発言まで翔太郎の考えていたことと同じで、翔太郎は思わずクスリと笑っていた。


「俺も貴様と同じ事を考えていたところだ」


 翔太郎が優しい声音でそう言うが、対する芽榴は目をクリクリさせてかなり驚いている。その様子が不思議で翔太郎は眼鏡のブリッジを押さえつつ芽榴のことを見下ろした。


「なんだ」

「いや……葛城くんが笑ったから」

「それがどうした」

「驚きました」


 唖然とした様子で芽榴が翔太郎の質問に答える。少々笑ったくらいで驚かれるのもどうかとは思うが、確かに翔太郎が音に出して笑うのは貴重なことだ。


「失礼な奴だ。俺も人間だから笑うときはちゃんと笑う」

「そのようだねー」


 芽榴はそう言ってカラカラと笑った。


「やっぱり仏頂面より笑顔のほうがいーね」


 呑気にそう言って芽榴が順路を引き返し始める。面食らった翔太郎は、後になって芽榴の言葉の意味が分かり始め、しばらく芽榴とは逆方向を見て歩き続けることになった。







 2順目が終わって館の外に出ると、いい感じに夕日の沈む景色が視界に入る。


「わー、綺麗」


 並の女子ほどはしゃぐことはしないが、綺麗な夕日を見て芽榴は芽榴らしく、その感動を口にする。

 隣に立つ翔太郎もその夕日の眺めが気に入ったのか、沈む夕日をじっくり見つめていた。


「葛城くん。あっちの橋のところ、夕日が綺麗に見えそうじゃない?」


 芽榴が近くの海を見渡せる橋を指差して告げると、翔太郎は「そうだな」と言ってその橋の方へと歩き始める。

 景色が綺麗なことで有名な水族館近くの橋にたどり着き、芽榴と翔太郎は橋の手すりに肘をついた。


「葛城くんのことだから『夕日なんていつでも見れるだろう』なんて言うかと思ったー」


 芽榴がそう言うと、翔太郎はフンッとやはり不機嫌に鼻を鳴らす。


「悪かったな。絶景が似合わない男で」

「そうじゃないですー」


 翔太郎が的外れな返事をするため、芽榴は困ったように笑った。


「葛城くんは絶景を見ても感動が薄いって話ー」

「感動が薄いのは貴様も似たようなものだ」


 図星をさされて芽榴は苦笑する。そのことに反論はしないまま、芽榴は翔太郎の瞳を指差した。


「とっても綺麗な眼をしてるんだから、絶景も綺麗な物も葛城くんには似合うのに」


 芽榴がそう言って、微笑む。

 翔太郎は夕日をその瞳の端に映しながら、芽榴のことを見つめ返した。


「貴様くらいだ。厄介な催眠作用のある俺の眼を好きなんていう変人は」


 翔太郎はぶっきらぼうな物言いでそう告げる。母親にさえ嫌われたその眼を翔太郎はずっと嫌っていた。でも芽榴はそんな翔太郎の眼が好きだと言うのだ。


「だって私には催眠が効かないからねー。仕方ないことなのは分かってるけど、眼鏡でぼかしてるの本当にもったいないと思う」

「……楠原」

「あ、眼鏡といえばそうそう」


 芽榴はふと思い出したようにしてバッグの中から見慣れない眼鏡ケースを取り出し、翔太郎に差し出した。


「はい、これ大遅刻のクリスマスプレゼント」


 芽榴は戯けたようにそう言って笑う。眼鏡ケースの中には、前に壊れた眼鏡と似たような紺の薄いフレームの眼鏡が入っていた。


「これは……」

「前に、私のせいで眼鏡壊れちゃったでしょ? そのときの眼鏡と似てるの見つけて、伊達眼鏡だから度とかは大丈夫だと思って」


 芽榴が頬をかきながら気まずそうに告げる。

 ファンクラブの嫌がらせで石を投げられたときに翔太郎の眼鏡が割れたことを芽榴はいまだ気にしていたらしく、翔太郎は苦い顔をした。


「あれは貴様のせいではないと言ったはずだ」

「百歩譲ってそうだったとしても目の前で壊れちゃったのは事実でしょー?」


 芽榴はそう言って肩を竦める。


「とにかくプレゼントなんだから、突き返さないでね」


 眼鏡を選んだ理由が理由だけに翔太郎が今にも突き返してしまいそうな態勢に入っているため、芽榴は苦笑まじりにそう言った。

 すると翔太郎は芽榴からもらった眼鏡をジッと見つめ、徐に自分のかけている眼鏡を外した。


「え、葛城くん……?」

「なんだ」


 外した眼鏡の代わりに翔太郎は芽榴のあげた眼鏡をかける。その行動に芽榴が驚いていると、翔太郎は不思議そうな顔で芽榴のことを見た。


「だって、その眼鏡……今つけなくても」

「こっちの眼鏡の方が俺好みだから付けかえただけだ。何か文句があるか」


 恥じらいを隠すようにブスッとした顔をし、翔太郎は早口で言ってのけた。


「別に……文句はないけど」

「なら、問題ないだろう。礼に……これをやる」


 翔太郎はそう言って、新しい眼鏡のブリッジを押し上げて芽榴に紙袋を突きつけた。

 荒々しい様子で渡された紙袋を芽榴は不思議そうな顔で見つめる。芽榴が中を開けようとすると、翔太郎が「開けるな!」と叫んだ。


「え……」

「帰ってから開けろ」

「これ、私にくれるんでしょ?」

「でも帰ってからだ」


 翔太郎が真剣な顔で言うが、そこまで言われると余計に中身が気になってくるものだ。芽榴はチラッと翔太郎の後方を見て「あ!」と指差す。いきなりの芽榴の行動に、翔太郎が後ろを確認し、その隙に芽榴は紙袋の中を確認した。


「く、楠原!!」


 芽榴の思惑に引っかかり、翔太郎史上ベスト5に入るほどの焦り具合で止めに入るがすでに遅し。芽榴は紙袋の中のものを取り出していた。


「クマさんだ。かわいいー」


 袋の中から出てきたクマのぬいぐるみを見て、芽榴は素直な感想を述べる。首に赤いリボンをつけた可愛らしいテディベアだ。


「ありがとー。葛城くん。でも……これ買いに行ったの?」


 こんな可愛いものを翔太郎が買っている姿が想像つかないため、芽榴はそんなふうに尋ねる。すると、翔太郎の顔が一気に赤くなった。


「あ、ごめん」


 かなり恥ずかしかったのだな、と思って芽榴は素直に謝る。けれど次に翔太郎が口にしたセリフで、芽榴は思わずテディベアを落としそうになった。


「それは……俺が作った」


 聞き間違いかと思い、翔太郎の顔を見上げる。しかし、翔太郎の真っ赤な顔からして嘘ではないだろう。


 かなり上手にできているテディベアだが、よく見てみれば縫い目が荒いところも少しある。

 芽榴へのプレゼントを用意しようといろいろ考えた翔太郎だが、どうしても女の子らしい店に入ることに抵抗があり、手芸屋で道具を買い揃えてテディベアを作ったらしい。

 手芸屋に行くことも抵抗があったはずだが、とにかく翔太郎の手芸など想像できない。


「……」


 考えれば考えるほど面白くて、芽榴は思わず吹き出してしまう。


「く、楠原!」

「ごめん。違うの、嬉しくて……」


 翔太郎が怒るのも無理はないため、芽榴は素直に謝る。そして本当に嬉しそうに笑ってテディベアをギュッと胸で抱きしめた。


「大事に飾るね」


 はにかんだ芽榴の笑顔を見て、翔太郎の顔はこれ以上ないくらい赤く染まる。


「貴様のものだ。勝手にしろ」


 翔太郎は不器用にそう言って鼻を擦った。無愛想な翔太郎でも、その仕草はなんとなく愛嬌があって芽榴はやはり楽しげに笑っていた。


「笑いすぎだ、楠原」

「だって嬉しいからー」


 怒る気もなくした翔太郎は呆れ顔で芽榴のことを見るが、それでも芽榴はニコニコ笑っている。


「ね、葛城くん」

「なんだ」

「ブサイク魚のぬいぐるみと比べられたくなかったんでしょー?」


 翔太郎がお土産コーナーでブサイク魚のぬいぐるみを買うなと真剣に言ってきた理由を芽榴が言い当てる。売り物のぬいぐるみがその場にあれば、少なからず比べられてしまうから翔太郎はあのぬいぐるみを購入するのを拒んだのだ。


「知らん」


 そう言って翔太郎はプイと余所を見る。

 これ以上は翔太郎がかわいそうだからと、芽榴は追求するのをやめた。


「葛城くん。ありがと」


 微笑んだ芽榴は静かに隣の翔太郎にそう告げる。

 翔太郎への感謝の気持ちは口にしたらキリがないけれど、芽榴はただ一言に心一杯の感謝を乗せた。


 翔太郎からの返事はない。けれど、眼鏡のブリッジに優しく触れる翔太郎の表情はいつもの仏頂面からは想像できないくらいに柔らかいもので、それが見れただけで芽榴は満足だった。



 夕日が沈むまで、芽榴と翔太郎は綺麗な景色をジッと眺める。

 静かな帰り道も2人のあいだに流れる空気は穏やかで優しかった。

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